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死人が毎日のようにでるコロシアムでは惰性で人が埋められてしまう。誰にも看取られずゴミ収集のようにさらわれていく剣闘士たちを、寂しいなと感じながら横目で見送ってきた。
だから、ボクは夕刻までクロムの遺体を預からせてもらえるように看守に頭を下げた。なんならボクが埋めるとまで言った。それがよっぽどみすぼらしかったのか、看守たちはなさけを掛けてくれたみたいだ。
下位闘士の居住スペース。この世界に召喚された懐かしいあの場所で、ボクはクロムの遺体と対面した。
アルフォンスや皆には遠慮してもらって、クロムと二人きりにさせてもらった。今日はもう、皆に気を使う余裕なんてとてもじゃないけどなかったから。
ボクは彼の左側に腰を掛けてじっとしていた。
実際に遺体を確認したときはやっぱりショックだったけど、いまはだいぶ落ち着いてきた。いや、単に意気消沈しているだけなのかもしれない。
「ごめんね、クロム。ゼランにかまってる場合じゃなかった、真っ先にキミに会いに来るべきだったよ」
彼との出会いは慌ただしかった。ここでアルフォンスとバタバタしていて喧嘩を仲裁されたんだ。
こんな地獄で変な言い方だけど、三人になってからは楽しかったな。馬が合うって言うのか、性格はバラバラなのにやけに会話が弾んだよね。
クロムの左肩から下には腕がない、大蛇の毒が原因で切り落としたって言っていた。そこをボクは撫でた。
「ごめんね」
さらにその下、胸のあたりに深い傷がある。横に寝かした刃が肋骨の隙間を縫って滑り込んでいて、どうやらこれが致命傷みたいだ。
腕のない左側面への攻撃を防ぎようがなかったのだろう。盾の扱いが巧みだったクロムには皮肉な結末だと思った。
さらに脇腹にグラディウスによる刺し傷が二つ、腹により深い傷が一つ、どれも死角である左側に集中していた。
致命傷が入ったあとにも三回、執ように突き刺した跡がある。決着がついているにもかかわらず、鬱憤を晴らすために何度も突き刺している。
一度目の敗北をかなり根に持っていたに違いない。魔獣戦に誘ってきたときには既に、ゼランはクロムを殺す算段をしていたのだろう。
――旦那、旦那って、下手に媚びやがってたくせにさ、本当に憎らしいよね。
まさか、ボクよりもクロムの方が先に死んでしまうだなんて思ってもみなかった。だってボクは彼がいなかったら選抜試合でゼランに殺されて、生きてはいなかったんだから。
「助けてくれて、ありがとう」
温厚な性格でランキングになんて興味がなさそうだったのに、二日目から全力で順位を上げにいってたっけ。
鍛錬のためとか言ってたけれど、ボクらの代わりに部屋を獲得しようとしてくれてたんだろ?
「心配してくれて、ありがとうね」
ボクは鼻をすすった。
「――そうだ、クロムに付きまとってたやつらいたろ、剣を教わりたがってたアイツら、ボクのことを姉弟子って呼ぶんだけど、笑っちゃうよな」
100番あたりの弱い連中ばかりでさ、クロムの名誉に関わっちまうよ。だって、クロムはすごく強いんだから。
「闘い方を教えてくれて、ありがとう」
クロムがいてくれなかったら、ボクはいつまでも100番にすら上がれずに、ティアンが王様に殺されるのをただ眺めているだけだったろうね。
どうせなにもできないって、勝てる訳ないって、仕方ないって、だってボクは弱いからって言い訳をしてた。
でも、いまのこのどうしようもない状況で、どうしようとか、なんとかしなくちゃだとか、そんなことで苦しんでいるのはキミのせいだよ。
キミがあのとき、無力を恥じていたボクに『期待以上だ』って言ってくれたからだ。
嬉しかった。心底、嬉しかったんだよ――。
「どうしてくれんだよ?」
そのせいで、いろいろ諦めがつかなくなっちゃったじゃないか。
「クロム……、ねえ、クロム……」
ありがとう、ごめんね。
「グズッ……。あーっ、駄目だ。今日はもう、どんどんブサイクに……ズッ、ふぐっ、ブサイクになってくよ、なんなの?」
本当に悲しいときには涙がでないって言うけど、それは悲劇を心が消化できないからなんだよね。
でも、悔しいときは違う。ひたすらに無念で涙がぜんぜん止まらない。
「悔しいよ……、悔しい」
自分より価値のある人間にさきに死なれるとやりきれない気持ちになる。こんなにいいやつが死んだのに、なんであんないやなやつらが活きているの? なんでボクみたいな雑魚が生き残っているんだろう。
そう思うと悔しくて、無念で、涙が止まらなくなる。
「ああーっ! もーっ! 物騒なこと言うよ? あの猿顔、ぶっ殺してやりたいっ! もう一度言う、ぶっ殺してやりたいよっ!」
できることなら、すぐにでも仇を取ってやりたい。でも、ごめん、どう考えても勝ち目がないんだ。みんなが言うよ、返り討ちに合うのが関の山だって。
「そろそろ、日が暮れるね。……グスッ」
お別れが近付いている。これからクロムは土の下に埋められてしまう。
「寂しいかい?」
最後の瞬間、クロムはなにを考えていただろう。罪人に堕ちたことも信念に従った結果だって、悔いはないってクロムは言ってたいた。
この結末にも悔いはなかったのかな。
話したいこと、習いたいことが、まだまだ、たくさんあったんだよ。
「――ボクは、寂しいな」
ここでは、たった一日で景色が変わってしまう。かたわらで笑っていた人が次の日にはいなくなってしまう。
ティアンも、アルフォンスも、ジェロイも、皆、いつまでボクといてくれるだろう。あと何度、言葉を交わすことができるのだろう。
しばらくして看守が遺体を回収しに来るまで、ボクはクロムの横に座って時間を過ごした。
* * *
「――ただいま!」
昨日の今日でティアンを心配させる訳にはいかない。ボクは努めて明るい振る舞いで帰宅した。
「イリーナ、なにがあったのか、わたくしにちゃんと説明してちょうだい」
しかし、彼女には当然のようにお見通しだ。
「――だって、ひどく衰弱しているように見えるもの」
「……ああ、うん、ボクになにかがあったって訳じゃないんだ」
彼女にはすべてを話すことにした。尊敬する友達が死んでしまったことと、フォメルス王がもうティアンを生かしておくつもりがないということも。
「……そう、クロムさんのことはとても残念だったわね」
ティアンはまっさきにクロムの死を悼んでくれた。フォメルス王に関してはもう覚悟ができていていまさらだといった感想みたいだ。
「あなたが、わたくしのことで気を病むことはないのよ。今日まで八年も寿命が伸びたのだと考えたら、むしろ待ちくたびれたくらいだもの」
ティアンの八年は未来への希望もない、日々の目標もない、処刑までの待ち時間だった。彼女はそれに疲れてしまっていたのかもしれない。
「――だけど、長生きができて良かった。こうして、あなたと友達になれたんだもの」
ティアンはそう言ってほほ笑んだ。
時間は限られていて、迷っている暇はない。ボクはいまここで覚悟を決める必要がある。
「ねえ、ティアン……」
「なにかしら?」
過去にもこんなにひどい質問をしたことはなかっただろうな、あまりに厚かまし過ぎてできる訳がない。
「あの、さ……」
だって、口にするのが怖い。
「怖がらなくていいのよ、あなたの願いならわたくしはなんだって応えることができるわ」
その言葉でボクは一歩を踏みだすことができる。
「ティアン、一緒に死んでくれる?」
諦めて心中しようなんて話しじゃない、このままならボクはコロシアムの頂点に挑戦することになるだろう。
ボクの死はティアンの死に直結している。だから、許可を取っておく必要があった。
「イリーナ?」
「うん……」
ボクは肩をすくめてティアンの返事を怯えながら待っていた。でも、彼女はいつもお茶を振舞ってくれるときとおなじような気軽さで答えてくれる。
「お安い御用よ」って――。
『殺戮コロシアムで僕は序列七位に恋をする・前編』閉幕。