本題――。と言われて、内容を聞くまえから怖じ気づいている。
フォメルス王のことだ、またなにかしらの無理難題を押し付けてくるに違いない。
ボクは恐るおそる尋ねる。
「……なにか御用ですか?」
「そう身構えるな、魔獣討伐の成功をねぎらいにわざわざ参ってやったのだ!」
こうして向き合っていると、ティアンの部屋で繰り広げた綱渡りのことを思い出してしまい気がめいった。
対する王様は朗らかで、まるで旧知の友にでも接するかのような態度で語り掛けてくる。
「――あの時は半信半疑であった。余に向かって啖呵を切った小娘が、まさかこれほどまでに客を沸かせるとは。正直、恐れ入ったぞ!」
「……はは、それはどうも」
なるほど、有言実行したことでボクのことを認めてくれたらしく、趣味の話を楽しめる相手と見込んで会いに来たってわけだ。
「三倍などという大言壮語、ハッタリではなかった訳だな。しかし、魔獣の投入は余の発案であるからな、手柄は半々といったところだぞ」
周囲からはどう見えているかな。この国の最高権力者が底辺の溜まり場を訪れた、そして上機嫌でボクと談笑している。
「――しかし、はやりの出し物が貴様のおかげで終わってしまったからな。次の企画が必要になってしまった。なにが良いかな、サイクロプスか、やはりドラゴンを超える企画はあるまい」
アイデアを称賛せよとばかりに王が期待の視線を向けてくる。でも、ボクは魔物の投入やそれにともなう剣闘士の無駄使いには懐疑的だ。
キマイラに慣れた客はキマイラ以下のモンスターでは満足しない、だからより強大なモンスターを投入する。
「……ぜんっぜん良くないと思う――」
場の空気が凍った。特に近衛兵たちの動揺が際立ち、飛び上がっては金属音をガチャガチャと鳴らす。
「貴様、不敬であるぞっ!!」
近衛兵長が吠えた、いまにもボクを処刑してしまいそうな勢いだ。それを王が「よい」と言って制した。
「で、余のアイデアのなにが不服か?」
一見すると寛大にも見えるけど、王のひたいには血管が浮きだしていて、お怒りであることは確かだった。
それでも、彼に反論する人間はながらく居なかったろうし、ボクの存在を王は楽しんでいるようにも受け取れる。
だから正直に答えることにした。ご機嫌取りなら他の連中がするだろうし、同じことしか言わないのならば、わざわざボクみたいな格下の意見を求める意味はない。
「それだと、すぐに剣闘士が足りなくなりますよ」
「足りなくなれば増員するまで、隣国を滅ぼして万からの奴隷を用意してみせよう」
王様のロジックは分かる。けど、過激な表現がウケているからと言ってそれをエスカレートさせて行けば、どこかで倫理観の許容量を超える。そうなると趣味人だけを残して大衆は離れていく。
王様の目的が嗜好の追求ならばそれでも良いけど、コロシアム運営は政治の一手段だ。大衆娯楽でなきゃならない、どん引きされては意味がないのだ。
正直、ドラゴンは熱いけど、コロシアムの本質からは逸脱している。それはもはや別の娯楽だ。
「百人がかりでモンスターを倒せたとして、民衆がそれに慣れたあとはどうします?」
「慣れたあとか……」
王は考え込む。ドラゴンはまちがいなくコロシアム史上最大の盛況を巻き起こすだろう。けれど、投入するモンスターが頭打ちになったとき、客数の減少は止められなくなる。
「人の心を惹き付けるためには『普遍的なテーマ』が必要です。コロシアムはそのテーマをはじめから備えているじゃないですか」
「普遍的なテーマだと?」
モンスターの投入なんてものは迷走だ、コロシアムのテーマはただ一つ。
「人類最強ですよ――」
絶対王者ウロマルド・ルガメンテが勝てないモンスターを投入した時点で、コロシアムの権威は失墜する。
一部を除き、客たちは殺戮を観に来ているのではない。最強が誰なのかを知りに来ているのだ。
ウロマルドの残留が支持を得られたのだって、彼を倒さずしてなにがコロシアムの頂点かってことなのだ。人間同士が闘わなくては意味がない。
「なるほど、一理はあるか」
「それが全てですって!」
王様はいまいち得心が行ってないといった様子。
――もう、負けず嫌いだなっ!
「しかし、それを貴様が言うのか? よくも実力を棚上げにしたものよ」
「それは言わないでくださいよ……」
ボクはゴニョゴニョと口ごもった。もともとが軍人であるフォメルス王にはボクが素人であることはバレバレだ。
「良かろう。ならばその普遍的なテーマとやらで余を楽しませてくれることを期待しておこう」
「ええっ!?」
それはつまり、タイマンで頂点を取れってことになる。偉そうに語ってみせたけど、結果は自分の首を絞めただけだった。
「さて、もう少し貴様と語り合いたくもあるが、余は多忙の身だ。この辺で退散するとしよう」
王様の用件は済んだようだ。「あ、ちょっと……」と、ボクは声を潜めながら王様に口を寄せる。立ち去るまえに確認しておきたいことがある。
「……あの日、なにが目的でティアンの部屋を訪れたんですか?」
ひと月前、ボクらがはじめて顔を合わせたとき、王様はなにもせずにあの場を立ち去った。その目的をまだ確認できていない。
フォメルス王はボクに耳打ちする。
「王族の血筋を本来ならあの場で絶やすつもりであった」
おおかたの予想通りだ。
この場にいる人間でその意味を理解できるのはボクと近衛兵長くらいか、そこからは通常のトーンで話し始める。
「――王座を手にした当初、足場を固めるためにアレが必要になることもあるかと考えた。だが、いまや余は磐石だ。何者も余には逆らえぬ」
王女ティアンはもしものための備えだった。敵対勢力への牽制、あるいは血筋そのものを利用することもできた。
フォメルス王が乗っ取りを完了したと判断したことで、それも不要になったということだろう。
「だったら、もう解放してあげてください」
ボクの駄目もとの願いは即却下される。
「分をわきまえよ。いまはまだ貴様のやる気が損なわれぬよう生かしているにすぎぬ。見限り次第、余はあの女は惨たらしく殺すであろう」
もう王族の血は必要ない、ボクがコロシアムを盛り上げる可能性に期待して彼女の始末を先送りにしているだけ。
ボクが活躍しているあいだは生かしておくし、成果がでないようなら殺す――。
「ほら、昨日の今日ですし……」
次の挑戦を先延ばしにしようと、ボクはなんとかして言い訳を捻りだそうとした。
「なんだ、もう怖気付いてしまったのか。やる気をだしてもらわなくては困る。そうだ、あの女をステージに上げるというのはどうだ?」
王は意地の悪い笑みを浮かべながら恐ろしいことを言った。
七年間隠し通してきた元王族をコロシアムで闘わせるだなんて、なぜそんな考えに至ったのか理解ができない。
ボクは悲鳴を上げる。「なんで!?」
「余が退屈しているからだ。血統派の勢力は潰え、民衆たちも幼い王女の面影など忘れ去っている。処刑したところで不服もあるまい」
目的はボクを焚き付けることだ。魔獣戦までひと月もまたせたボクが、すぐにアクションを起こすよう、タイムリミットを設けようとしている。
「待ってください! そこまでしなくてもボクは闘います、準備ができ次第必ず!」
だって、そのひと月だってべつにダラダラ過ごしていた訳じゃない。クロムに稽古をつけてもらわなければ、キマイラ戦で貢献することだってできなかった。
ただ闘えばいいってものじゃない、ボクの敗北はティアンの死に直結しているんだ。
「下がれ! 貴様如きが提言しようなどと、思い上がった行為よ。余に願いを言えるのは、コロシアムの頂点を取った者のみぞ!」
魔獣戦の盛況に欲を出した王は、早急な成果を求めてきた。
だからって、このランキング帯でボクになにができるっていうんだ。誰からも挑戦されないことを祈りながら、怯えて過ごすのが関の山じゃないか。
どうしよう。どうしよう。このままではティアンが闘技場に上げられてしまう。
ボクは考えた、どうすれば王の決定を覆せるか。だけど、なにも思いつかない。ティアンを救う手段がなにも――。
「さて、相手は誰が良いかな?しかし、アレではとてもまともな勝負にはなるまい」
それがボクの急所。ティアンを人質にとられたらボクは抗えない。
「――そうだ、いっそ貴様がやってみてはどうだ?」
先程まで優勢に話を進めていたボクに対する当て付けか、フォメルス王は優越感から興が乗ってきている。
なんて悪趣味な興行主だろう。ボクとティアンに殺し合いをさせて、それがイベントになると思っているなんて。
初めてティアンに会った日のことが思い出された。彼女は言っていた。
その時が来て、ボクが彼女を殺すことになっても構わない『優しく殺してくださるのでしょう?』と――。
他の闘士にやられるくらいなら、その方が遥かにマシなのかも知れない。
だけど……。
だけど……。
「ボクが――」
胸が締め付けられて二の句が告げない。怒りで頭が破裂しそうに熱い。
いっそこの場で、この鬼畜外道を殺してしまってはどうだろう。
ボクの手が届く距離で得意げに笑う、この国の最高権力者を殺してしまえば――。
しかしボクは丸腰だ。周囲を見渡す。武器は、兵士達が――いや、フォメルス王の腰に下がっているじゃないか。
「いや、やめておこう」
「……!」
その言葉は、追い詰められて凶行に及び掛けたボクを正気に戻した。
「貴様の心を折ってしまっては元も子もない」
いま、ボクの顔はどんなだろう。血の気の引いた死人のような表情に違いない。
王はまるで、こちらの考えを読んでいたかのように腰の剣に手を掛ける。
「――良い表情だぞ、イリーナ。どうだ慈悲深い余が、猶予を与えようではないか」
「……猶予?」
「これまでは試合を組まぬように手引きしてきたが、それをたったいま解除する。あの女にも他の者と同様のルールに従ってもらうということだ」
即座に命を奪いはしない。しかし、誰かが七番を指名した場合、ティアンにも試合が組まれるようになるということ。
何日後か、それはボクが頂点を取るまでのタイムリミットということになる。
ボクは黙るしかなかった。これ以上、条件が悪くなっては堪らない。
「拝聴せよ剣闘士ども! 上位10位の中に、順位にそぐわぬ子ウサギが紛れ込んでいるぞ!」
「フォメルス王ッ!!」
番号を明かされまいとボクは割って入った。
「案ずるな、ここまでだ。この場のほとんどの者には挑戦権すらないではないか」
10番以上に挑めるのは20番からだ。この場で権利があるのはゼランとアルフォンスだけだ。
それがひときわ不安にさせる。たとえ番号を知らせずともティアンを狙い撃ちにできる。ゼランにはそんな不気味さがある。
「――急げよ、何者かが子ウサギの匂いを嗅ぎ付けてしまうやもしれぬぞ」
そう言い残すと王は兵隊を率いてこの場から去っていった。
ボクは脱力してその場にへたり込む。
「勇者様?」
「アルフォンス、ボクはいま何番だ?」
「21番です」
ゼランが18、ジェロイが19、アルフォンスが20ってことか。ボクが頂上を取るためには、20番、2番、ウロマルド・ルガメンテと、最短でも三戦が必要だ。
予測可能な結末は二つ。無謀な挑戦をしてティアンと心中するか、本人の意思を尊重してボクの手で彼女を介錯してやるか。
――くそっ、そんなことできるかよ!
ボクはうなだれていた頭を上げると、救いを求めるような気持ちで周囲を見渡した。
すでにゼランの姿はそこになく、いつも助けてくれていたクロムには二度と頼れないんだ。