魔獣キマイラが生命活動を停止する。ボクは勝利宣言として高々と右腕を突き挙げた。
巻き起こる喝采の嵐。ここはコロシアム、ボクたちは見せ物――。
この盛り上がりは魔獣という異様と、ジェロイの派手な魔法による視覚的な効果のおかげだ。コロシアム史上類を見ない、そんな決着になっただろう。
「勇者様、ご無事ですか?」
アルフォンスに支えられながらキマイラの顎から逃れると、ボクは「……はけよう」と言って退場を促した。
王様に捕まると厄介だ。それに、ダラダラと居座って無様をさらすより、さっさと退場して『もう少し見ていたかった』と思わせる方がスマートだ。
サービス不足? 心配無用、あとはパフォーマンス好きの王様が勝手に盛り上げてくれるだろうさ。
「痛ったたた……」
皮膚がひきつるのはやけどのせいか、出血も多く意識が朦朧とする。流血が大腿部を伝って地面に水滴を落としている。
「やったね、お姉ちゃん」
駆け寄ってきたジェロイがアルフォンスと反対側に回り込んで体を支えてくれる。高さがちぐはぐでむしろ歩きにくいけれど、達成感の共有が気持ちよかった。
「ジェロイ君、すごい魔法が使えるんだね」
この世界の魔法は燃費が悪いと聞いていたのに、火柱が天にも届く勢いで立ち昇ったもんな。あんな魔法らしい魔法をはじめて目の当たりにしたよ。
キマイラもそうだけど、改めてファンタジックな世界感を実感することができた。
「オレのは『炎を出し入れする魔術』だから、炎上の規模と魔力量は無関係なんだ。キマイラがたくさん火を吹いたから、多くストックができたってだけ」
便宜上『発火、消火』と呼んでいたけど、実際は『貯蓄と引き出し』という訳か。
「なるほどね」
キマイラの火炎ブレスを溜め込んで一気に放出した結果の大発火だった。ジェロイの言ったタイミングってのは、そういう理屈だった訳だ。
もう武器がないとボクらが慌てていたときも、ジェロイは奥の手をまさにストックしていた。正確無比な射撃で前衛を援護し、消火魔法で火炎ブレスにも対処した。ジェロイの果たした役割は実に大きい。
クロムは常に敵の攻撃の矢面に立って仲間たちを守ってくれたし、ゼランは魔獣の体力を削ぎ続けた。アルフォンスは結果、山羊と獅子にトドメを刺している。
ボクもそれらに貢献することができたけど、一人でできたことは一つもない。勝てたのはみんながいてくれたおかげだ。
キマイラが登場した直後はどうなることかと思ったけれど、なんとか生還できた。
一人、チュアダムだけは帰ることができなかったけれど、想定外の怪物相手に全滅しなかっただけでも上出来だったに違いなかった。
あの人のよさそうな大男に手を合わせてやる遺体すらも残らなかったのが、悔やまれて仕方がない――。
ボクらは惜しみない拍手と歓声に見送られながら、ゲートを潜って退場した。
待機場に到着すると、一斉に腰を下ろした。アルフォンスやジェロイも満身創痍だ。
「じゃあ、お疲れさん!」
ゼランだけが無傷の様子で、勝利の喜びを分かち合う間もなくさっさと立ち去ってしまった。
彼なりに役目を果たした結果なので攻める理由はどこにもない。ボクらより立ち回りがうまかった、それだけの話だ。
死線をくぐり抜けるあいだに仲間意識の芽生えたボクらと違って、馴れ合うつもりはないらしい。
「大人だな、アイツ」
ゼランの態度が不快とは思わなかった。なにせ、コチラからしても仲良くなりたいだなんて思えないから。
ただ、次へ次へと邁進するその姿はなんだか不気味だった。嫌な予感がする――。
「皆、今日はありがとう。勝利を祝いたいけど、いったん解散だ、ね……」
死人も出ているし、ボクが重傷だ。絞り出そうとしても、もう元気の一滴も残っていない。
祝勝会は改めて、皆の体力が回復してから催すことにしよう。
「勇者様!」「お姉ちゃん!」
ボクは待機場の壁に持たれて、そのまま滑り落ちる様にして気を失った。会場ではまだ、歓声が鳴り響いていた――。
魔獣討伐成功。それによって、凍結していたランキング戦が平常に戻った。
魔獣キマイラとボクらの位置が入れ替わり、ランキングは大きく変動する。
20番、クロム
21番、ジェロイ
22番、ゼラン
23番、アルフォンス
24番、ボク
25番、元31位の人
ボクは142番からの大躍進。裏道な気がしないでもないけど、違反なら申請をした時に咎められていただろう。
たとえば、ウロマルド・ルガメンテが200番からやり直した時に『現在の1番とぜひ対戦させてほしい』と言った場合、それがルール違反であろうと観客は満場一致で賛成し、試合が組まれるだろう。
それが興行ってもんだ。今回の場合も上から食い潰して行くだけだった魔獣に自発的に挑戦し、実際に勝利して見せたのだ。それが何番かだなんてのはささいな問題だろう。
『あの女剣闘士、次はいつ登場するかな?』なんて、心待ちにしていた観客もいて、王様が意図的に通した可能性もありそうだった。
結果、御満足していただけたに違いない。
50番からは待遇がぐっと良くなるらしいけど、20番のクロムからはまた特別待遇になる。
そこからは奴隷ではなく『栄誉ある選手』の扱いになるということか、個室が与えられる上にファイトマネーが発生する。
気が付いたら、ボクもそこに手が掛かりつつある。20番になれば1番にだって挑戦できて、なんと、対ウロガルド・ルガメンテ戦が実現できてしまうのだ。
――いや、しないけど……。
それに釈放は1番と2番による『頂上試合』でのみ叶えられる。最低でも最強候補との二連戦が必要だ。
残念なことに、裏道を使って成り上がってしまったボクは完全に実力が伴っていないってこと。
ここからは、自分より強いヤツに会いに行くのが生きがいみたいな、バトルが人生みたいな、そんな世界観だぞ? 猛者にしか挑めないし、猛者しか挑んでこない。
――どうすんだこれ?
それでも、どうしても頭を過ぎってしまうのだ。最短であと三戦勝てば、ボクはティアンと二人で自由になれる。
でも、それは夢だ。だって『死ななかったら一億円』なんて言われて、生還率0%の断崖から飛び降りるやつはただのアホじゃないか。
* * *
「ただいま!」ボクはティアンに帰宅を報告した。
20番台になったボクには相部屋を使用する権利がある。それでも、当然のようにティアンの部屋に帰って来た。
「お帰りなさい!」
ティアンは暖かく出迎えてくれる。相部屋がどれくらいのものか興味はあるけど、ティアン付きの個室より天国なはずはない。
解散前、ボクらはクロムの安否を確認するために治療室を訪ねた。残念ながら本人に会うことはできなかったけど、治癒術士から命に別状はないとの言質をとることができた。
クロムは無事だ――。安心したら、またどっと疲れがでてしまった。
彼には明日また感謝の気持ちを伝えるとして、とにかく今日はもう休むことにした。体がガタガタだ。
「ティアン、今日はもうクタクタだよ。お風呂の用意をしてもらってもい……、ティアン?」
出迎えてくれたティアンの、ただでさえ白い顔面が蒼白になっていた。
「ど、どうしたの!? ティアン、大丈夫?!」
なにか非常事態が?
「それはこちらのせりふでしてよ! その姿はどうされましたの!」
――えっ、あっ、そうか!
敬語に戻るくらいにティアンが取り乱したことで思い出した。
いまのボクはほとんど下着みたいな格好で、血だらけ、埃だらけ、やけどだらけの、泥だらけだ。
そして、魔獣戦の当日であったことをいっさい伝えていなかったのである。
「いやっ! これは、その、今日は試合があって。でも、こうやって戻って来たし、勝てたから安心して?」
「そんなの聞いてないっ!!」
どんなに恐ろしい魔獣が登場し、仲間たちがどれほど頼もしい活躍をしたか、ドラマチックだった激闘の詳細を語って聞かせたくてウキウキしていた。
けれど、ティアンは武勇伝には興味を示さず、ひたすらにボクを責めた。
「信じられない!」
と、見たこともないほどのけんまくで怒って。
「本当に……、無事で良かった!」
と、しみじみ泣いた。
「ごめん。これからは黙って危険なことをしたりなんてしないよ」
本気で怒ることも、本気で泣くことも、それだけティアンがボクを大切に思ってくれている証拠だ。ボクは謝ると彼女の頭を撫でた。
「さあ、汚れを落としましょう」
入浴してからのことは覚えてない。浴槽につかったらもう、意識が泥みたいに溶けだした。ティアンの柔らかい肌にもたれて、治癒魔法で傷を癒されながら意識を失っていた。
どうやってベッドに移動したかも定かじゃないけど、夢の内容は鮮明に覚えてる。
その日は、ティアンと一緒に外の世界を旅する夢を見たんだ。
* * *
翌昼――。
体力の限界から昨日は早々に解散してしまったけれど、改めて仲間たちと勝利を分かち合いたい。疲労が色濃く残る体を引きずって、ボクは下階へと向かう。
オイルの切れたロボットみたいに体中が軋む。日課になっていた剣の稽古も、今日くらいは休息にしよう。
――ひひ、皆、どんな顔してるかな?
仲間たちもそうだけど、ランキングをぐっと上げたボクたちに対する周囲の反応も楽しみだった。
昨日の今日でビッグイベントもなさそうだし、本日の試合もすでに終了しているみたいだ。
ボクはまず、アルフォンスの姿を発見する。
「おはよう、アルフォンス!」
「……勇者様」
――ん? 天才魔術師はなんだか浮かない顔をしている。
「どうした、筋肉痛か。だよなぁ、ボクもそこかしこがヤバイけど――」
今朝になって、勝利の余韻を楽しむ余裕がでてきて少し浮き足立っている。なのにどうしたことか、軽口をたたくボクとは対照的にアルフォンスは深刻な表情だ。
「アルフォンス、どうしたんだよ?」
そんな顔ははじめて見たし、なんだか似合わないな。
「……勇者様、気を強くもって聴いてください」
なんだよ、改まって……。ここにきて、ボクはようやく異常を感じ取った。なにか良くないことが起きたんだ。きっと、耳をふさぎたくなるような嫌な出来事が。
不安に駆られるボクにアルフォンスが告げる。
「――クロム氏が、亡くなりました」
その一言では理解しきれなかった。ただ、言葉の響きに心臓の辺りかキュッと締まる。
「……え?」
呆然とするボクにアルフォンスが繰り返し言い聞かせる。
「クロム氏が、死にました」
それでは、あまりにも味気ない表現じゃないか。だからといって、それをアルフォンスがどんな言葉で伝えてくれたならボクは冷静でいられただろう。
眩暈。立っていられずにボクは地面に手を着いた。
「勇者様、お気を確かに!」
「……なんで? 昨日は大丈夫だって――」
もしや、容体が急変した?
「治療は滞りなく済んでいて、その時点で生命に別状がなかったのは確かなようです」
「……じゃあ、なんで?」
頭の中がグルグルとかき回される。
「本日、20番への挑戦があって、クロム氏は闘場に立ちました」
試合で負けた。あの、強いクロムが?
「そんな、昨日の今日で万全な闘いなんてできる訳ないのに……」
確かに、20番は境目で狙われる番号だ。なぜ昨日、生き残れたくらいのことで安心してしまったのだろう。こうなる可能性は十分にあったじゃないか。
「クロム氏は左腕から大蛇の毒に侵されていたと聞きました。心臓に近い位置だったので、やむなく切断することで難を逃れたそうです」
ボクを助けたときに噛まれた傷だ。
「……片腕で、試合に出たの?」
目頭が焼けるように熱い。胸が刺すように痛む。胃が捻じれるように苦しい。
「挑戦相手は――」
そこまで言って、アルフォンスは深い溜息をこぼした。そこには怒りの感情が垣間見えている。
それがたとえクロムにとって不幸なタイミングであったとしても、正当な試合の結果だったなら、このアルフォンスがこんなにも感情をあらわにはしないだろう。
なんたってコイツは、身勝手で人の痛みが分からない。そういう薄情なやつなんだ。
――そのアルフォンスが、やりきれない気持ちでいる。
あってはならないことがあったに違いない。その事実に、果たしてボクは向き合えるだろうか。
それでも、言葉を濁すアルフォンスにボクは確認する。
「対戦相手が、どうした?」
アルフォンスは忌々し気に答える。
「クロム氏を殺したのは、あの男、ゼランです」