これでクロムは一安心。最悪、ボクらが死ぬようなことになったとしても彼だけは生き残れる。
山羊を黙らせ、蛇を撃退し、残るは獅子のみ。その本体もすでに深手を負って満身創痍だ。ここまで来たんだ、絶対に生きて帰ってやる。
改めて装備を確認する。対人ならばいざ知らず、怪物相手に役者不足であるグラディウス投げ捨て、クロムが置いていったスパダを拾い上げた。
このサイズの長剣になると、ボクの腕力では片手で扱うことができない。それでも、部位さえ選べばダメージを通るかもしれない。
「よし!」ボクは気合いを入れて戦線に復帰した。
前線にはけっこうな空白を作ってしまったが、どうやら三人は無事みたいだ。むしろ、頭一つになり視界の限定されたキマイラを三方から上手に撹乱しているように見える。
特にゼランはすでに使い物にならないキマイラの脚を死角から執ように痛めつけていた。
「うわははははっ!!」
その活き活きとした姿ときたら、先ほどまでのつつましやかなスタイルとは対照的ですらある。
強い相手には下手にでて、弱いやつには強気にでるの典型というか、賢いやつだといえる。二度と敵には回したくない。
キマイラの咆哮が弱々しい。それは悲痛な音色でなんだかボクはかわいそうになってきてしまった。
「なに遊んでんだよ! もう決着を付けようよ!」
「なに言ってやがる、完全に動かなくなるまでいたぶるんだよ。不用意にトドメを刺しに行って事故ったらどうする」
それは正しい。どんなに疲弊していようとその質量による攻撃はボクらを一撃で葬るのに十分な威力を秘めている。油断は命取り、完全に動きを止めるまでは近づけない。
「でも……、かわいそうじゃんよ!」
「はあっ!? 頭、大丈夫かテメェ?!」
こちらはチュアダムを殺されている。そうでなくても、これまでに最低でも剣闘士を二十一人も殺している怪物だ。
野に放てるようなまっとうな動物でもない。コロシアムのためだけに改良を加えられたいびつな巨獣。殺す以外に選択肢はないのだろう。
ゼランの行動は一から十まで理に適っていた。その証拠に彼はそれなりに貢献しつつもほとんど負傷せずにこの終盤を迎えている。最適な選択をしてきた結果だ。
「変な同情してんじゃねぇぞ! こいつは生きてるだけで人間を殺し続けるんだ。殺されて当前なんだよ!」
――それはテメーも一緒だろうが!
ボクは憤った。これまでに殺してきた数、これから殺していく数でゼランはこの怪物を上回っているはずだ。
そういう問題じゃないってことは分かっている。だけど、とにかく腑に落ちない。
「――いいか、確実な方を取る。より安全な方を選択する。それが正しい、俺は間違ってねえ!」
「うるさい、偉そうにすんな!」
正しいことは偉いのか? 仲間たちのためにリスクを抱え続けたクロムは愚かなのか?
それでもボクが尊いと思うのは後者なんだ。間違っていても、愚かでも、意味がなくても、愛おしいんだ――。
ボクは獅子の前方に向かって駆け出した。回り込むとオトリ役を引き受けていたアルフォンスと合流する。
「勇者様、どうしました?」
「パーマ失敗した! みたいな、おまえの髪形の方がどうしたんだよ!?」
火炎攻撃にさらされ続けたアルフォンスの髪形が大爆発していた。
「――もう、トドメを刺そう!」
「まだ危険です。仕留めようにも武器が心もとないですし、このまま魔獣が力尽きるのを待つのが得策です」
ボクの提案はあっさり却下された。気が付けば残された武器はゼランのハウルバードとボクのスパダだけだった。
そして、スパダよりもハウルバードの方が威力的な決定権を持っているのは明白だった。
「――なんだって勝ち目の見えた勝負を急ぐんです?」
「らいおんが、かわいそうだからっ!」
「お子様ですか!?」
アルフォンスには、命懸けの当事者にはボクの提案はくだらない戯言にしか聞こえないかもしれない。
でも、ボクがムキになっているのはキマイラに対する同情だけじゃないんだ。このままじゃ、ボクらは試合に勝っても勝負に負ける。その確信がある。
確実な勝利が目の前にあったとしても、ボクたちはそれに甘んじてはいけない。ボクの感性がそう訴えている。
キマイラはしぶとい。手足をどんなに削っても即死はしなだろう。だからといって太すぎる首を落としたり、腹の下にもぐって心臓を突くだなんて、そんな芸当もできない。
ボクたちはもう、走れないキマイラを遠巻きにして失血で死んでいくのを待つだけの体勢に入っている。
それは紛れもない勝利。だけど、ショーとしては完全に終わっている――。
そんなのは駄目だ。時間をかけただけ前半の激闘の記憶が薄れ、観客の中で後半の退屈な印象が強くなる。
そうなれば、ボクらは結果に見合った評価を得られないだろう。それどころか不等な扱いすら受けかねない。
上位のグラディエーターたちが勝てなかった魔獣を命懸けで倒したとしても、観客はボクらを誹謗中傷するだろう。
ボクらが求められているのは確かな実力や勝利ではない。望まれているのはただ一つ『名勝負』なんだ。
だって、これは見せ物なんだから。誰も消化試合なんか見たくない。演出として決着がピークでなくてはならない。だから、早期決着はもともと必須事項なんだ。
ゼランの言っていることがどんなに合理的だろうと、この場に限れば正しさにおいてもボクのほうに分がある。
――ボクらは格好良く勝たなければ負けと同じ。
キマイラを速やかに苦痛から開放し、同時に観客も満足させなくちゃ駄目なんだ。
「おまえが手伝ってくれなくても、ボクはやるって決めたからな!」
「やたらハッスルしてますけど、勇者様は人前にでるとキャラが変わりますね」
だってさ、ジタバタするのはステージに上がる前までで十分だ。覚悟を決めずにステージに上がるなんて、恐ろしくって覚悟を決めずにいられるかってんだ。
「二人とも、なにをもめてるの?」
ジェロイが駆け寄ってくる。
距離さえ取ってしまえばキマイラは追ってこなかった。負傷した後ろ脚にはもはや巨体を支えるだけの力が残っていないに違いない。
「――いいよ、お姉ちゃんの言う通りにしよう」
事情を説明すると、ジェロイ少年はおどろくほど簡単に賛同してくれた。
「本当に?」
「戦闘面では誰よりも劣ってる、そんなお姉ちゃんがなぜだかこの戦いの主軸になってる。そんな状況でここまできたんだから、最後までそれに付き合うよ」
嬉しいことを言ってくれる。
「しかし、手ぶらの状態で一体なにができると言うのです?」
この期に及んで文明の利器に頼ろうとするアルフォンス。
「大魔術師とはなんなのかっ!」
なんなのかっ! とは言ったものの、ゼランは絶対に危険を冒してはくれないだろうし、この剣一本でどうにかするしかないだろう。
ボクの非力で必殺を狙うなら、確実に頭部に攻撃を当てる必要がある。つまり、キマイラの正面に立たなくてはならないということだ。
走り回らなくなった巨獣の頭部は三メートルの高さにあり、チュアダムを瞬殺した前脚の攻撃範囲はそれに等しい。
――無理だ。どうやったって攻撃がとどかない。
八方ふさがりと思えたとき、ジェロイが思いもよらない発言をする。
「決定的な隙なら作れる。いまだけ、そして一度限りだ」
それがどのような方法かは分からないけど、「いまだけ」と彼は言った。ボクに賛同する気になったのは、そのタイミングが合致したからなのかもしれない。
「ボクが一撃入れる時間を作れる?」
「派手になるけど……」
否定しない。ボクはジェロイの頼もしい言葉に力がみなぎる。
「良いね、派手な方が断然良い!」
フィナーレはド派手なのが良い。できれば最後は必殺技か、華麗な技術の応酬なんかがほしいけれど、残念ながらボクにはその持ち合わせがない。
特に魔獣とのドラマチックな因縁とかがない。そこはジェロイの秘策にカバーしてもらうとしよう。
「ちょっと勇者様、むちゃはやめてください! 自殺行為ですよ!」
前脚による攻撃をかいくぐって懐に入ったところで、炎のブレスや噛みつき攻撃などが待ち受けている。
けど、いまさら止まれない。アルフォンスの制止を無視してボクは覚悟をきめた。
たぶん魔法だろう。ジェロイがソレをぶっ放したら、ボクは効果的と思われる部位に渾身の一撃を叩き込む。
それで確実にキマイラの息の根を止める。どうやって? 知らんっ!
「合図、ちょうだい。カウントスリーで」
「了解」
ボクとジェロイに迷いはない。なにが起きても足を止めない。やると決めたら疑わない、信じてやり抜く。それがステージに立つときの鉄則だ。
「――3、2」カウントを聞きながら、ボクは前傾姿勢になって駆けだす体勢をとる。「1……GO!」地面を蹴ると同時、爆音が轟いた――。
客席から悲鳴にも近い感嘆の声が上がる。それはもはや『発火魔法』なんて規模じゃない、さながら『爆炎魔法』だった。
その勢いに圧倒されてキマイラが立ち上がった。強い耐性を持つ魔獣にはさしたるダメージもないだろう。
けれど、ズタズタの後ろ脚はもはや自重を支えきれずに崩れ落ち、その巨体は腹這いになって転倒する。
巨大な頭部が顎から地面に落ちた、それは絶好の位置。
――ここしかない!
立ち昇る火柱をかき分けて、ボクはキマイラへと駆け寄った。髪が炎で焼ける音が耳に燻る。
狙いは眼球。眼球から頭蓋骨の隙間を通して、脳を破壊する――。
「いま、楽にしてやるからなっ!」
ドンピシャだ。切っ先が絶妙な角度でキマイラの眼球を捉え、貫いていく。腕を伝わってくる重く生々しい手応えにボクは表情を歪めた。
完遂しなければ無駄に苦しめることになってしまう。不快な感触を堪えながらボクは力を込めた。
――まだ押し込みが足りないのか?!
キマイラの抵抗に腕の関節がみしりと軋む。ポキリと折れてしまいそうだ。
「――ッ!!」
体がキマイラの鋭い牙に捕らえられた。意に介さず、剣を押し込み続ける。あと少し押し込めれば、キマイラを楽にしてやれるかもしれない。
胴体を激痛が襲う。体がどうなっているか確認している暇はない。ボクの体が千切れるか、キマイラの息の根が止まるかの勝負だ。
魔獣の顎に力が入るなら、ボクはとっくに食い殺されてる。キマイラはもうおしまいなんだ。あと少し、剣を押し込めば――!!
腕を限界まで伸ばす、けど牙の喰い込んだ胴が固定されていて、これ以上は押し込めない。
「くっそおおおおおおっ!!!」
「勇者様!!」
いまにも剣を手放してしまいそうなボクの手に、アルフォンスの手が添えられる。
「アルフォンス、頼む!!」
「はいいいい!!」
ボクの上からアルフォンスが最後の一押しを加える。剣が根元までキマイラの頭部へと押し込まれていく。
「「届けええええええッ!!!」」
ボクは叫んだ。いや、祈った。勝負の決着と、人間のエゴのために望まぬ戦いを強いられたかわいそうな魔獣の安息を。