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三幕四場「風向きを変えろ」


クロムのもとに急ぐボクの背後で爆音が鳴り響いた。キマイラの火炎弾がアルフォンスに炸裂したに違いない。


――南無っ! 天才魔術師の断末魔を背負いながら、ボクは振り返ることなく魔獣の後方へと駆けつけた。


上空から高速で襲撃してくる大蛇をクロムは一身に引き付ける。攻撃を受け流し、大蛇の興味が他に引かれるようならば、獅子の後ろ脚を斬り付けて自分が狙われるようにコントロールしている。


一方的に攻撃してくる敵に対して延々と繰り返す命懸けの作業だ。大蛇はまるで意志を持った巨大な鞭のように襲いかかる。そのするどく変則的な攻撃を受け続けるのは並大抵のことじゃない。

ボクなんかじゃ到底代わりは務まらない。それでも加勢することでなんとか状況を変えなくちゃあならないんだ――。



蛇の頭部は上空にある。攻撃のチャンスはクロムに襲いかかるほんの一瞬のあいだだ。

地上の獲物を追いかけて伸びきった頭部。がむしゃらだ。そこを目掛けてボクは飛びついた。ライトフライを取りに行く外野手の様に、ボクは全力ダッシュからのタックルを敢行。


「掴まえたっ!?」


この成功はほとんど奇跡だ。正面からならとても不可能だった。どこからどこまでがそうなのかも判断できないけれど、ボクは大蛇の首に抱き着いた。


しかし、大蛇はなにごともなかったかのごとく鎌首を持ち上げ、ボクは高さ十メートル付近に宙づりになった。落下すれば運が悪くなくても死ねる高さだ。


「うわあああん!!」


「イリーナ!?」


援護のつもりがボクの行動はクロムを混乱させただけだった。


このままでは危ない。ボクは大蛇にしっかりと腕を回した。太さの直径が自分の肩幅ほどもある大蛇だ、両手をしっかりフックしなければ振り落とされてしまう。

速すぎて捉えられない敵をようやく捕獲? したのだ。ボクは両足もしっかりと蛇に絡めた。大しゅきホールドならぬ大嫌いだけどやむなしホールドだ。


鱗が肌に擦れる感触に鳥肌が立つ。ああ、空中に担ぎ上げられるボクの格好、観客席から見たら最高に面白いだろうな。


「笑いごとじゃねーぞッ!!」ボクはヤケクソ気味に叫んだ。


掴むところがなくてはとてもしがみ付いていられない。ボクは手にしたグラディウスを蛇の首に突き立てた。これが長剣だったら長さが邪魔して切っ先を立てられなかったはずだ。こんなところで短剣の利点が活きるとは。


――さっきはダメージを与えられない棒切れだなんて思ってごめんよ!


両手で柄を握り引き寄せるようにして刃を深く埋め込んでいく。根元まで刺さった剣は取っ手として最高の安定感だ。


――このまま、コイツの息の根を止めてやる!


しかし、空中での試みは容易じゃない。死に物狂いで食らい付くボクを振り落とそうと大蛇は激しく首を左右前後へと揺らした。その数度でボクの三半規管は簡単にぶっ壊れた。

意識が飛ぶ。このままじゃあ慣性に殺される。あと数度振られたらボクは気絶するし、この高度から高速で叩きつけられでもしたら内蔵が破裂して死ぬのは明らかだ。


「ひぁぁぁ!?」


対処法を思い付く間もなく体が急降下した。大蛇はどうやらボクを地面に叩き付けるつもりだ。

ヤバイ!? ボクの視界はレッドアウトして視界を失ってしまう。こうなってしまってはもはや激突の衝撃に備えることしかできない。


――くぅっ。


ボクは覚悟を決めて身を固める。来る、頭蓋骨粉砕、脊椎損傷、内臓破裂。十メートル上空から叩きつけるようにして地面に激突する。


「…………!」


蛇が伸びきってピタリと制止した。なのに、いつまでたっても衝撃がこない。「あれ……?」ボクはどうなってしま――。


「……ーナ! 目を覚ませイリーナ!」


すぐ近くでクロムの声。


「……ハッ!?」


意識を失っていたみたいだ。目を開けると充血した瞳を通して赤みがかった視界の先、すぐ目の前にクロムの顔がある。ボクは蛇にしがみついたまま――。


「……クロム!!?」


ボクは絶叫した。大蛇の頭部はクロムの左腕に牙をしっかりと喰い込ませている。そしてクロムの剣はその蛇の頭部を上から下に貫いていた。

それはまさに肉を切らせて骨を断ったというありさまだ。クロムはわざと蛇に噛み付かせることで、その動きを封じ攻撃の隙を作った。


――違う、そうじゃない。


「馬鹿なまねしやがって!!」


体を張ってボクを落下から守ってくれたんだ。


「良くやったぞイリーナ、あと一息だ……!」


あと一息。本来ならば二人がかりでだって押さえ付けられないだろう大蛇が完全に動きを止めている。

蛇自身の激しい動きで刃が押し込まれた結果、クロムの剣は蛇の眉間から喉元までを貫通し、ボクのグラディウスはその胴体を切断しかかっていた。


後はトドメを刺すのみだ。


「おおりゃあああっ!!」


ボクは体を捻って蛇の頭部と胴体を完全に切り離した。そして、空中で支えを失ったボクは地面へと叩きつけられる。


「あいたっ!」


とは言っても一メートルくらいの高さだ、どうってことはない。即座に立ち上がって成果を確認する。転がり落ちた蛇の頭部はピクリとも動かない。


「やった、倒した!!」


思わずガッツポーズ。山羊に続いて蛇を落とすことに成功したボクらに喝采が降り注ぐ。今日一番の盛り上がりだけど構っている暇はない。



「クロム、大丈夫?」


すぐに負傷状態の確認をする。彼の左腕からはおびただしい量の出血があった。短剣ほどもある二本の牙は恐ろしい力でクロムの前腕をアーマーごと粉砕していた。


「――キミはもう無理だ。離脱してくれ」


傷は深く、一刻の猶予もないように見える。すぐにでも専門の医師に見せたい。


反論する余力もないのか、クロムは素直に指示に従った。ボクの肩を使って速やかに闘場の端まで移動する。少しの時間くらいはアルフォンスやジェロイが稼いでくれるはずだ。

地面に座らせたクロムはグッタリとしている。ボクは邪魔な防具を脱ぎ捨てると、傷口を縛るために上着を脱いだ。


「……イリーナ、勝てそうか?」


「これで腋の下を圧迫して、少しでも出血を抑えて」


腕に限ったことじゃない、全身が傷だらけだ。それらはクロムが受けていなければ、きっとボクらが受けていた傷だ。


「残るは、本体の獅子だけだ……。正面には立つな……」


「いいからっ! 自分の心配だけしてろよ馬鹿っ!」


ボクはなんだか涙が出てきた。こぼれる水滴を拭いながら、脱いだ上着でクロムの上腕をキツく縛った。



ボクは客席にむかって声の限りに叫ぶ。「フォメルス王ッ!!」


その言葉に耳を貸そうと、観客たちは囃し立てていた声を抑えてくれた。


「――ここからは四人でやるから!! どうか、いますぐ彼に治療を受けさせてください!!」


傲慢不遜な王様が、たかが下位闘士ごときの頼みに耳を貸してくれるとは思えない。


――それでも急がなくちゃ、取り返しのつかないことになる。


フォメルス王は黙っている。ルールの変更を闘士側から支持してくるとはあまりにも不遜ではないか。そう考えているだろう。

下から意見されるだけでも腹が立つだろうに、試合中の闘士が進行に口を出してきたのだから穏やかではないはずだ。


ごり押すしかない。風向きは変わっているはずなんだ。


「お願いします!! 王の尊きその御心で、クロムをお助けください!!」


ボクは頭をさげて懇願した。


「イリーナよ!! その者を助けたければ、速やかに魔獣を退治することだ!!」


王は聞き入れなかった。ボクは引き下がらない。


「どうかお慈悲をっ!!」


そして狙い通り、救いの手は観客席から差し伸べられた。観客たちが一斉にコールを開始する。


「助けろ!」「助けろ!」「助けろ!」


それは伝染して行き大合唱になる。


「「助けろ!! 助けろ!! 助けろ!! 助けろ!!」」


クロムの闘いぶりは十分に称賛に値する。それは観客たちの心を振るわせた筈だ。そうだ、ノリが全てのコロシアムにおいて選手の生殺与奪は観客が握る。


フォメルスはボクを叱責しかけて振り上げた拳を下ろさざるをえない。こうなってしまえば王の取るべき選択は明白。


「助けよう!!」


フォメルス王は手を掲げ、高らかに宣言した。


観客たちは王の采配に歓喜する。自分たちの意見が王の意思を覆した、その偉業に興奮している。

民衆を満足させ、話の分かる王としてフォメルスは株を上げることができた。これは王の人気取りに協力してクロムを助けてもらうボクなりの取引だ。


「ありがとうございます!! 寛容なる娯楽王!!」


フォメルスの合図で試合中には決して開くことのないゲートが開き、看守たちがこちらへと駆けつけた。クロムを運び出してくれるようだ。


フォメルス王が謳う。「勇者クロムに惜しみなき拍手を!!」


観客席からは万雷の拍手が巻き起こった。ちっ、調子の良い王様だぜ。



「イリーナ、すまない……」


「なに言ってんだよ、ちゃんと安静にしてろよ」


謝られることなんてこれっぽっちもあるもんか。


「キミは、本当にすごいやつだな」


クロムの言葉にボクは照れた。正直、この結果は出来すぎだよ。とても実力だなんて胸を張れない。


「買い被るなよ。臆病なボクがガムシャラになれるのは、クロムが褒めてくれるからさ」


ボクは怠け者だから自分のためなんかだと、どうにもがんばれない。だけど、クロムたちのことは好きだから、役に立ちたいとか、期待に応えたいとか、そう思ったらけっこうがんばれるよ。


そんな自分に正直、ボク自身が驚いているんだ。がんばれる自分ってのはさ、とても誇らしいんだね。

あのとき、クロムが何度も念を押してくれてなかったら、ボクは142番のなにもできないイリーナのままだった。


「背中を押してくれてありがとう。ボクはクロムのこと、大好きだぜ」


感謝の気持ちを伝えたら、クロムはきょとんとした後、照れたように「そうか……」と呟いた。

思えばボクは女子なのだ。大好きはちょっと、うかつな発言だったかもしれない。



クロムが看守たちに抱えられて退場して行く。付き添っていきたい気持ちもあるけれど、仲間たちがまだ闘っている。ボクは戦場へと足は向けた。


「イリーナ、絶対に勝て!」


「おう、よく休めよ! 目が覚めたときにはスター選手の仲間入りをさせてやるからさ!」


勝って20番台の仲間入りだ。クロムが拳を突き上げる。ボクも拳を突き上げて、その後ろ姿を見送った。



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