この世界に来てちょうど一か月が経過した――。
人間というのは慣れる生き物で、ボクみたいな臆病者でもすっかりコロシアムの生活になかじんでいた。
本日の装備はグラディウスにバックラーというスタンダードなスタイル。足をついての一対一において安定した隙のない構成だ。
グラディウスは振り回す剣というよりは大振りな包丁のような感触で、コンパクトなぶん取り回しやすく片手で自在に扱えた。
それでいて厚みもあるから攻撃を受けられるだけの耐久性も備えている。亀のように固まり蜂のように刺す。コロシアムでの基本戦法を体現した装備だ。
対するはクロム――。彼の武装も同様のものだ。スタンダードゆえにもっとも遭遇率が高く、コロシアムを勝ち上がるには攻略必須の組み合わせという訳だ。
ボクは彼と鏡合わせになるように構えた。それが最適解と思えるくらいに彼の構えには隙がない。いわゆるお手本にさせてもらう。
クロムはガムシャラに攻め立ててくるタイプじゃない、それが自分には都合が良いい。じっくりと試合を組み立てることができる
ガンガン攻めてこられると体力差に圧倒されてそれだけでテンパってしまう。まずはいかにして相手の隙を作りだすか――。
ボクはいろいろな行動を試してみた。なじみのない道具をどう使えば効果的なのか、まったく見当違いな行動もあっただろうけど、効果的な動作もいくつかあったように思える。
「どえぇぇ!? 何だよ、その動き!?」
けど、驚かされるのは決まってボクの方だった。
クロムには攻撃がまったく届かない。盾の位置が絶妙だし、加えて手首と肩を柔らかく使うことでどの角度からの攻撃にも対応してくる。
グラディウスという武器は手首の強度の都合上、ボクが扱うとどうしても可動域が狭い。盾を上手に上げ下げされると攻め手を失ってしまうくらいに攻撃範囲が狭かった。
一方、クロムの攻撃はじつに多彩だ。西洋剣って縦にガンガン振るだけのマッシブスタイルなのかと思っていたけど、グニャグニャ動くんだな。肩を回して円を描く軌跡は非常に立体的だ。
どの角度からでも侵入し自在に可変する。盾をどこに構えたら防げるのか皆目見当が付かない。まさに自在だ。
「行くぞ、構えろ!」
宣言するとクロムが剣を振り下ろした。
ボクはその攻撃を「ぬんっ!」と踏ん張って盾でしっかりと受け止め「んぅぅぅぅッ!!」と痛みにうめいた。
――衝撃が強烈!! こんなものを何度も受けていたら、それだけで手首を捻挫ないし上腕を骨折してしまうに違いない。
「受けるな、流せ! シールドの中央に付いているバックルで攻撃を滑らせるんだ!」
バックラーと呼ばれるタイプのラウンドシールドには中央に金属の突起が付いていて、剣による攻撃を面で受けずに流す機能が付加されている。
――でも、もう限界ッ!!
「折れた折れた! もう無理っ!」
ボクは諸手を挙げて降参の意思を示した。それでクロムはピタリと止まってくれる。
「――やっぱりこの武器はダメだよ、向いてない!」
弱音を吐いてボクはその場にへたり込んだ。
「そうか、それが分かっただけ収穫があったな」
「……う~、うん」
フォメルス王との問答直後から、ボクはクロムに稽古を付けてもらっている。
王との約束は関係ない。ウロマルド・ルガメンテに挑戦するだなんて、そこまで思いあがれるはずがなかった。
ただ、クロムは快く引き受けてくれたし、とにかく時間だけは余っているから。ただ、それだけだ――。
「それで、どのあたりが不便だと感じた?」
「ボクの筋力だと盾を長時間上げていられないし、片手で攻撃を受け切れない。それにも増して致命的なのは、掴み合いになりそうな程に近いこの距離感だよ」
押し合い。揉み合い。掴み合い。力比べになったら必ず負ける。それは選抜試合で痛感したポイントでもある。
あれ以来、ゼランの猿顔がすっかりトラウマでこそこそと避けて生活しているありさまだ。
「自分が使えてはじめて対応力が備わってくるものなんだぞ?」
クロムの言うように、腕力がないからこそより短剣の扱いが有用になってくる。
「でも、盾が死んでるのに接近戦はやっぱり無理……」
怖すぎる。大体、同じ武器を使った場合、高さとリーチと腕力で必ず劣る。それだけの不利をこうむるのに、ボク自身が同武器対戦の増えるスタンダードスタイルで挑むなんて、ちょっとあり得ないと思う。
「すると、やはり両手で扱えて距離が取れる武器か。槍ということになるか?」
「逆に珍しい武器が良いかもね。みんなが闘い慣れてないやつ」
言ってはみたが、普及してないということは欠陥があるということだ。取り扱いが難しいとか、けっきょく弱かったとか。
――拳銃だ、拳銃をくれ。ぐへへへ。
稽古をして実感できるのは自らの上達よりもむしろ、クロムとの実力差だ。
騎士であった彼は本来、集団戦の専門家。剣も馬上で扱う大振りな物を使っていただろうし長物を扱う機会が多かっただろう。
それが誰よりも剣闘士スタイルを使いこなしている。まさに積み重ねの成果。昨日今日はじめたようなボクなんかでは、追い付くだけでも何年かかるか分からない。
「無駄な努力かなぁ……」
意気消沈だ。同程度の才能と環境があった上で、同じ年月を重ねてやっと追いつけるものをそれらで大きく劣るボクがたった数日やることになんの意味があるだろう。
「そんなことはない。未熟なほど習得することは多いし、無知であることと基礎知識があることには雲泥の差がある。生存率は上がってるさ」
成果の上がらない自分に落胆しているとクロムがフォローをしてくれた。
実際、剣闘士の全てが達人やアスリートではない。犯罪者や奴隷であって、素人だ。ちゃんとトレーニングをすれば体格、体力の差を補って勝てる見込みもあるだろう。
「真剣に鍛錬すれば100番くらいは実力で勝ち取れるかもな」
「それって意味ある……?」
クロムの評価は正当だろうけど、100番になっても底辺剣闘士である現状はなにも変わらない。
それにしても、ボクらの周りにはやたらと人だかりができる――。
ボクが稽古をはじめてクロムの教え方もうまいものだから、やる気のなかった連中も触発されて稽古を開始したのだ。
「先生、さっきやっていた動きなんだが……」
仕舞いにはクロムを先生呼ばわりするやつとか出てくるし。
「おい、やめろ! おまえらが強くなったらボクが頑張ってる意味が相殺されるだろ!」
プラマイゼロになるからボク以外の雑魚は頑張るな!
「そういうなよ姉弟子」
「誰が姉弟子だ! 散れ、ボクだけの先生だぞ!」
シッシッと、ボクが追い立てるとなぜか闘士たちはその様子を見て笑うのだ。
クロムも感心した様子で笑う。
「イリーナは人を盛り上げるのが上手いんだな」
「盛り上がって欲しくないんですけどっ!」
――人の気も知らないでっ!
強くなられたら困るってのもあるけど、あんまり仲良くなると試合に支障がでるんじゃないかって心配なんだよ。
「声も通るし、それが魅力なのかもな」
「クロムは褒め上手だから先生向きだと思うよ」
自分に厳しく他人に甘い。そんなクロムの言うことだから話半分には聞いてるけど『イリーナに剣術の心得がないとは思えない』とも言っていた。
それは多分、現代日本では体育の授業があるからだと思う。野球やテニスで道具を扱ったり、ドッジボールやバスケットボールなんかで空間や間合いを意識したり、相手と対峙する能力が意外と養われていたのだろう。
平衡感覚や柔軟性についても褒められたけど、女子が少しくらい鍛えていてもこのゴロツキ共の中で最弱は揺るがない。
とにかくパワー&タフネスが違い過ぎる。それは心肺機能とかじゃなくてシンプルな頑丈さと馬力の差だ。
そこにアルフォンスが登場。
「フフっ、心得があるどころか本来の勇者様の剣技は、天を裂き地を砕く威力なのですよ」
召喚の決め手になったという例の勘違い発言を持ち出してきた。
「――千の魔人と百の竜を打ち倒しぃぃぃッ!!」
「風評被害をやめろッ!!」
かく言うアルフォンスは訓練に参加していない。コイツはいまでもボクが特別な人間で、自分を監獄から解放してくれると信じているのだ。
「いやあ、勇者様がやる気を出してくれて良かったです。あとは記憶が戻るのを待つばかりですね」
ボクの指摘にアルフォンスはのんき顔。すごいっ! 百パーセント他力本願で解決するつもりだ。
自分が危険に身を投じる必要性をまったく感じていないらしい。
「おまえも訓練した方が良いよ」
「なぜですか?」
――なぜって!?
「ボクが1番を倒しても王様への願いをおまえのためには使わないからだよ」
改めて念を押す。無駄な期待を持たせないほうがコイツのためだ。
「――絶対に使わないから」
「絶対にっ!?」
驚きすぎだろ。むしろなんで助けてもらえると思ってたんだよ。
ボクが頂点を取ったら、こんなやつよりティアンを自由にしてもらう――。
フォメルス王が簡単に見逃すとは思えないけど、ボクがそこまで行けたならそれはもう奇跡だ。
もしも奇跡を起こせたら、王の気持ちだって動かせるかもしれない。
そりゃ、アルフォンスやクロムともこの先ワイワイやれたら最高だよ。そしたら勇者と騎士と魔術師と治癒術師の定番パーティだな。なんて、くだらないことを考えたりもする。
どちらにしても夢物語だ。『頂点を取ったら』だなんて、前提がまず間違っている。宝くじで三億当てたらどう使う? そんなお遊びの会話と同じレベルの戯言だ。
そもそも、ウロマルドが釈放されないところからはじまって、最近のコロシアムはすっかりおかしなことになってしまっていた。
現時点のランキングではボクが142番でアルフォンスが141番。まだ一度も試合をしていない。
ボクとアルフォンスのあいだに誰もいないのは、猿顔のゼランが上に行ってしまい彼と闘った闘士は亡くなってしまったからだ。
クロムは順調に勝ち進んでいて現在は36番。50番以上は専用の相部屋が利用できるけど、クロムは毎日ボクらの面倒を見に地下まで降りて来てくれる。
そして、ランキングのなにがおかしいのかというと、王が宣言して予定通り投入された例の『魔獣』とやらが観客のあいだで人気がでてしまったのだ。
これまでも団体戦や正規軍との対戦などがマンネリ防止のために催されたらしいけど、今回の対魔獣戦が大ヒット。
魔獣が一掃した20番から30番までのランキング戦が、王の思い付きにより閉鎖状態になってしまったのだ。
つまり、魔獣が倒されるまで30番以上へのランクアップができない。クロムたちは立ち往生せざるを得ない状況だ。
魔獣が倒される気配はなく、ランキング争いは混沌としていた――。
「おう、いたいたっ! クロムの旦那!」
ボクは「げっ!?」と声にして不快感をあらわにした。近付いて来るのはできれば関わり合いになりたくない苦手な人物だ。
「――ちょっと相談があるんだが、いいかい?」
初日にボクをコテンパンにしてくれた森の賢人。猟奇殺人の罪で投獄された猿顔男ゼランだ。
ボクはクロムの後ろにコソコソと隠れた。
クロムは毅然とした態度で応対する。
「ゼランか、なんの用だ?」
「用事ってのは他でもねえ、おれと一緒に魔獣退治をしちゃあくれねェか」
ゼランは対魔獣戦の共闘をクロムに持ち掛けてきた。