ボクがコロシアムの頂点を取ります――。一瞬の間があってフォメルス王が抱腹絶倒。ボクの宣言がよほどツボだったらしく涙まで浮かべて笑っている。
「面白いっ!! 確かに面白いな。世迷言といえど、まさか貴様如きがこのウロマルド・ルガメンテに勝つと申すかっ!!」
言ってない。コロシアムの頂点を取るとは言ったけど、その化け物に勝つとは言ってない。
現状は彼を倒すことが条件ではある。とはいえランキングは流動的だ。ボクが挑戦権を得るころ状況は変わっているかもしれない。
とはいえ娯楽王はご満悦の様子だし、水を差すのはやめておこう。
ティアンはわけが分からないといった様子で、176番に取ると言われた絶対王者の気持ちはいかほどだろう。
「――余とウロマルドは旧知の仲でな。その強さに惚れ込んでコロシアムの闘士としてスカウトしたのだ。それから二度、コロシアムの頂点を取っている」
一番のすごさを語る王様、そのなかに聞き捨てならない言葉があった。
「二度!? ちょっと待って、1番を倒せば釈放ってのはデマなんですか?」
その疑問はすぐに解消される。
「コロシアムの頂点は原則、1番と2番との一騎打ちでのみ決定される。が、ウロマルドは釈放され自由になった後も、暫らくすると戻って来て一からコロシアムを制覇し始めるのだ」
制覇後たしかに釈放されていたが、刺激を求めてか再びコロシアムに戻って来たのだという。
しかし、何度も殺し合いを繰り返して致命的な傷の一つも負ってないような化け物だ。荒らされる下位の闘士達が不憫でならない。
「――しかし、なるほど、確かにな。貴様をここで処分してしまうのはもったいない気がしてきたぞ176番」
「でしょ?」
頂点を取れるかどうかを抜きにしてもボクには付加価値がある。本来なら期待するに値しないと排されてきた女性剣闘士の躍進。ボクが選別試合を通過したことで、少なからず期待感が生まれたはずだ。
女が通用するわけがない。いや、もしかしたらもう一つくらい勝つかも。かわいい! エロい! 好き! なんでもいいけど観客にとっては興味の対象だ。あっ、やっぱ駄目だ。と思われるまでは持続するし、勝てば価値は上がり続ける。
「三倍沸かせるか、一考の価値はある」
王様はすっかり乗り気になっている。今後、ボクを加えたコロシアムをどうやって盛り上げるか、思惑するのに夢中のようだ。
こうなればもう、よっぽど下手を打たない限り窮地は脱しているはずだ。
「では、今日のところはお引き取り願えますか?」
「良い。今日の所は貴様の命懸けの進言に免じて見逃してやろう」
そう言って王は剣を鞘に納めた。ボクは安堵し、ティアンの表情もパッと明るくなる。
「――では176番よ、貴様の活躍を楽しみにしているぞ。マグレは続かん。余を失望させるなよ」
フォメルス王はそう言い残すと、ウロマルドを従えてティアンの部屋から退出した。
ボクは開けっ放しにされたドアにそろりと近づき震える手でそっと閉じた。「フゥ」と安堵の溜息をつく。
するとティアンが抱きついてきて、二人そろってその場に尻もちを着いた。やせ我慢していた膝が限界だった。
「わたくし、イリーナが殺されてしまうんじゃないかって恐ろしくて……!」
ボクも怖かったけど、成り行きを見守るしかなかったティアンはもっと怖かったろうな。
「陛下に口答えするなんて! どうして、あんなむちゃをしたの!」
「よしよし、泣くな泣くな」
無理して強がっていたボクの全身はすっかり脱力しされるがまま、ぴったり張り付いてきた彼女の涙で首まわりがビショビショだ。
「あのね、確かに緊張はしたけど、そんなにビビることはなかったんだよ」
ティアンは「なぜ?」という表情。
「確かにあいつは人の命をなんとも思っていないけど、ただの野蛮人じゃない。計算高く、殺す相手を選んでる」
そうでなければ追放したと発表後、人目につかない場所でティアンを始末していたはずだ。
そうしなかったのはティアンに流れる王家の血が、後々役に立つかもしれないと考えたからに違いない。こうして二度もボクを見逃しているのがその証拠だ。
「だから、頂点取るぞって言えばウケることははじめから分かってたんだよね」
勢いで飛び出して、やっちまったと思った。でも、途中からは生き残れる確信があった。
「イリーナ、もしかしてあなたはすごい人なのではなくて?」
ティアンがジッとボクの顔を覗き込んでくる。ボクは照れてしまい顔を反らす。この距離はもう眩しくて直視できない距離。
「す、すごくないよ! ご機嫌取りをして見逃してんもらっただけ!」
すごいって意味で言えば、あんな過去を背負わされてこんな場所で育ったのに、ヒネクレもせずに優しくて気高いままでいられるティアンの方がずっと奇跡だ。
ボクはティアンを抱えたまま後ろに倒れ込んだ。二人で折り重なって横になる。
「……ティアン」
「なに、イリーナ?」
この話をするのにはけっこう勇気がいる。例えば残忍な王に立てついた時か、あるいは好きな娘に告白する程度には――。
「外に出たいと思わない?」
ボクの問いかけに対してティアンは少し考える。
「分からない。外がどんなところだったか記憶がもう曖昧だもの。風の肌ざわりも、土の感触も、草花の香りも……」
外に出れたとして、ティアンには帰る家もなければ家族もいない。好奇心よりも不安が先行するのは仕方のないことだ。
「外に出たいって、思えるようにはなりたいのよ。でも、出れたとしてなにをしたら良いのか想像もつかない」
ティアンは笑う。なにかがおかしかった訳じゃない。おのれの境遇を哀れませないための苦肉の策が笑顔なんだ。
「ボクは外に出たいよ、殺し合いなんてまっぴらだ」
「そうよね」と彼女が優しくボクの髪を撫でる。
「それで、出たらなにがしたいかって言うと、きみと一緒にいたい。一緒にいろんな場所に行って、いろんなものを見て、たくさんの景色を共有するんだ」
ティアンをここから連れ出したい。それはほとんどボクのエゴだ。なぜなら、ボクが一人で外に出るということはきっと地獄に違いないから。
自由を取り戻したボクはくりかえし思い出すだろう。彼女は今もまだあの鳥籠に囚われているのだろうかと。
ボクに向けてくれたあの屈託のない笑顔がされることは二度とないのだろうかと、後悔に囚われながらボクは一生を過ごすことになる。
そんな思いをしたくないから、怖れる彼女をボクは強引にでも連れ出したい。そしてできることなら、八年分の青春を取り戻す手伝いがしたい。
力づくでも彼女を幸せにしないと気が済まない。
「――そうは言っても、出られないんだけどね……」
願望を話すだけ話してボクは自嘲的に笑った。どんなに大きな夢を語ったところで、いまのボクは王様のご機嫌取りをして見逃してもらうのだけが関の山。
もたれてかかって大人しく話を聴いていたティアンが小刻みに震えている。
「……ティアン、泣いてる?」
「うん……。何だか胸が苦しくて」
ボクは彼女を抱き締め――。ようとしたら、頭上でドアがバン! と、開いて「うわあっ!?」とボクらは跳ね起きた。
そこにいたのは看守のオッサンだ。
「取り込み中か?」「ノックをしろぉ! ノックをっ!」
状況が切迫していてすっかり忘れていた。王様が帰るのを確認した後、無事を確認するためにオッサンが現れるのは当然だ。なんなら先に報せるべきだった。
それからボクはフォメルス王との間であった一部始終をオッサンに話して聞かせた。オッサンは途中何度も「信じられん」といったリアクションをしていた。
特にコロシアムの頂点を取る宣言には本気であきれ返っていた。
「なんと無謀なことを……」
咎めるような口調とは裏腹にオッサンの表情は安堵に満ちていた。最悪、ボクら二人の死も想定していたのだろう。
「真に受けないでよ。王様だってまさか本気でボクが挑戦するだなんて思ってないって、帰ってくれたのは気の利いたジョークを言ったことに対する御褒美みたいなもんさ」
ボクが頂点を取るだなんて、本気にしていたとしたらちょっと頭のおかしな人だ。
だから頂点を取る発言は大喜利だ。あの状況でボクが言ったら一番場が和む一言はなにか、それがウケただけ。
「どちらにしろ、ウロマルドと対戦する機会は訪れないだろう」
オッサンが言った通り、現時点で1番なら2番との闘い次第釈放が決まっている。コロシアムに長居はできないだろう。
2番だって下からの挑戦を延々と相手にしてはいられない。すぐにでも1番を倒して勝ち抜けたい筈だ。
酔狂者の王はともかく、剣闘の王者たるウロマルドの方はボクなんか眼中にないに決まっている。
10番以上の試合には集客力があり平日には挑戦ができなくなっているらしいけど、次の休日なり祭日にはウロマルドは退場することになるだろう。
その時点でボクとウロマルドによる頂上争いは御破算だ――。
「だからなんだって話だけど!」
「なににしても、よく無事に収めてくれた」
オッサンが褒めてくれた。ボクを送り込む賭けが功を奏してなによりだ。
「ところで、王様はいったいなにをしに来たの?」
実現不可能な頂上決戦のことより来訪の目的が気になる。
「わからない、陛下がお見えになられたのは今日がはじめてなの」
当のティアンにも心当たりはないらしい。
八年間、放置されていたのか。外に出すことは恐れたけれど閉じ込めてしまえば興味が沸くこともなかったのだろうか。
無力な小娘一人より、戦争やコロシアム運営に力を入れることに夢中だったのかもしれない。
「だから異常事態だと言った。権力争いが苛烈になると予想されていた時点でティアン様は切り札になると考えられていた。しかし現在のフォメルスは盤石だ。必要なくなったと考えていてもおかしくはない」
オッサンの言うとおりだとしたら、ボクの行動はファインプレーだったと言える。もう、あまり時間はないのかもしれない。
* * *
数日後――。
1番と2番による頂上試合が行われ当然のようにウロマルド・ルガメンテが勝利した。それによってウロマルドは釈放。当然そうなるものだと思っていた。
しかし、想定外の事態が起きた。
剣闘王ウロマルドが王より賜わる褒美に要求したもの、それは彼の気が済むまで『1位に残留し続ける権利』だったのだ。
つまり、ウロマルドはコロシアムを去らない。王はそれを当然の様に快諾した。