目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
一幕九場「眠る前におっぱい」


勘違いしないでほしい。イヤラシイ気持ちは断じてない。


なので、なぜ断らなかったのかと問われれば、むしろ問い返さずにはいられない。『なぜ、断らなければならないのか』と――。


なぜ一緒にお風呂に入るのか、それは断る理由がないからだ。


だってそうだろう。ボクは今朝、試合をして心身ともにボロボロであり埃まみれだ。薄汚れたまま人様の家で寝床につくのか?

そんな非常識なことをできるはずがない! 無駄に拒んで風呂の支度を二度させるほうがよっぽど申し訳ないのだ!


気遣いからの行動であって、イヤラシイ気持ちなどこれっぽっちも、微塵もな――。


「おっぱいデカッ!?」


ボクは仰天した。眼前で勇ましいくらい速やかに衣服を脱ぎ去ったティアン。


どうしよう、脱ぎ始めちゃったよドキドキ、ではない。どうし、脱いだッ!? である。その脱ぎっぷりだけは紛れもなく7番の風格があった。


その七番様の胸が、結構あるねー。なんて生易しいサイズじゃない「――おっぱいデカッ!?」なのである。


「そうかしら? お母様もこれくらいはおありになったような気がしますわ」


それは本人の持つ清楚さとのギャップからくる驚きであり、先入観が優先された感想ではある。それにしたって、どうしてその天使のように愛らしい顔の下、枝の様に華奢な腕のとなりに、そんなにも、そんなにもボリューミーな塊が鎮座しているのか。


麗色の時点ですでに頭打ちに達していると思えた魅力値を容易く更新してくる。ティアン、なんて恐ろしい娘!!



「さぁ、イリーナも」


「ああ、うん」


美少女の全裸が眩しい。肌が白いので事実として眩しかった。ボクの心境などお構いなしに、ティアンは鼻歌まじりでボクを急かしている。


「すごく、はしゃぐね……」


「だって、楽しいんですもの。今日はもう一年分くらいお話ができた気分ですのよ!」


それはそうか、彼女は七年間も監禁されている鳥籠のお姫様だ。ボクは全裸に仁王立ちで答える。


「このペースなら明日には百年分くらいにはなりそうだね」


「まあ、素敵っ! さあ、コチラにいらして」


二、三言の会話すら特別で幸福に感じられる境遇もある。好物を七年も断ってばボクにも分かるだろうか、逆に不要になっていくのだろうか。



寝室で脱衣後、浴室へ――。上位剣闘士用ということは大男による利用を想定しているに違いない。ボクたちにとっては十分な広さの浴槽だ。

個人用の風呂があるなんて、この世界感ならきっと境遇にかかわらず贅沢なことに違いない。


「うひゃあああっ……! お風呂ってこんなに良い物だったんだねぇ」


この安堵感は日常への回帰だ。湯船につかると思わず歓喜の声が洩れた。全身で喜びを表現するボクをティアンがねぎらう。 


「ずいぶんお疲れの様子ね」


――うん、そうだ。そりゃ、そうだよ。


現状の理不尽に対するストレスも、未来への不安も、全てがお湯に溶けだしてしまいそうだ。ここにきてはじめてボクは生存の喜びを噛み締めている。


「もう、一ミリだって動きたくないやぁ……」


「それならそのままの姿勢でいて、わたくしが頭を洗ってあげる」


言葉遣いのこなれてきたティアンから、心身ともに疲れ果てているボクへの気の利いた心遣い。


「いや、ありがたいけど、けがの縫合がしてあるから今日はむりかな。あっ、血行が良くなってきたせいかズキズキしてきた」


湯で流すのが精一杯だろう。さっき九針縫ってそのままだ。完治するのに何週間か要りそうだ。本当は入浴自体アウトなのかもしれないけれど、それは無理な話。



「けがをしているなら、なおさら清潔にしていなくては。傷口、見せてもらうわね」


ティアンが立ち上がってボクの頭頂部を調べ始める。


「いやでも、きっと汚いよ。縫い跡とかグロイかも……ッ!?」


想像していただけるだろうか? 座っているボクの頭を、眼前のティアンが立ち上がって覗き込んでいる。この状態の視界がどうなっているのかを。


…………!


「……―ナ?」


…………!


「……リーナ、イリーナ?」


「は、はいっ! な、なに?!」


いかん、見とれてた。


「ちょっと痛いけど、我慢してね」


「え、何っ!? 何するつも……、痛い痛い痛い痛いッ!?」


惚けていたボクが状況を理解するより早く脳天を激痛が襲った。


何を思ったのかティアンがボクの髪の毛を引っ張り、違う。傷口を縫い止めてる糸を引っこ抜いたのだ。


「取れた!」


――取れたじゃないでしょ!?


「な、なにしてんの、血が出ちゃうよ?」


「少し、ジッとしていてね」


そう言って彼女は慌てふためくボクの頭を抱え込んだ。視界が彼女の肌で埋まって真っ白だ。

傷口はズキズキと痛むけれど、二の腕と胸の感触が柔らかい。フワフワと心地良くて危うく天国に召されたのかと思った。


ティアンがなにやら呪文を唱え始めると、頭の痛みがスッと引いて行くのが分かった。


「ティアンは『回復魔法』が使えるの?」


「ええ、『回復魔術』が使えるわね」


生々しいものばかりを目にしてきたせいで、中世にでもタイムスリップした気になっていたけど、ここは召喚魔法で転移してきた異世界だった。

自称天才魔術師がちっとも魔法を使わないもんだから、いままではその存在すら疑わしかった。



「――はい、治ったわ」


湯のあたたかさか肌のぬくもりか、あまりの心地よさにまどろんで、ボクは眠りに落ちそうだった。


「……本当だ、もう痛くないや」


ティアンは体を離してその場に座ると同じ目線の高さでニコリとほほ笑んだ。傷口をいじりだした時はいったいなにごとかと思ったけど、魔法の力で裂傷はすっかり完治したみたいだ。


「時間だけはそれこそ滅入るくらいにあったから、暇つぶしに習得してみたのよ。でも才能はなかったみたい、長年かかってこの程度なの」


コロシアムの剣闘士が攻撃より回復魔法を優先しちゃうあたり彼女らしいというか。


「ボクの知人なんか、コストが勿体ないってことで使ってくれなかったよ回復魔法」


「そうね。適性によって個人差が大きいでしょうけど、わたくしの場合、一日に一ポイントの魔力をストックできると仮定するじゃない?」


ボクは「うん」と相槌を打つ。どうやら魔力コストについて解説してくれるみたいだ。


「さて、いまの魔術を使うのにポイントをいくつ消費したでしょう?」


クイズがはじまってしまった。


「一日に一ポイントって、そんなに燃費が悪いもんなの?」


消費ポイント以前に、ボクは数値の感覚にズレを感じていた。なにせゲームの感覚だと一晩寝ればMPは全回復する。その中で一日に何度も魔法を使える感覚なのだ。


「そこが才能の有無の差。わたくしの場合、いまので三十ポイントくらい消費するわ」


――そんなに!?


回復魔法を一回使うのに一カ月の充電が必要ってことになる――。一カ月あれば完治する傷のために一カ月分の魔力を使ってしまうのは、得なのかなんなのか。


そういえば、あのアホも召喚魔法一回に数百年蓄積させてきた魔力を使ったって言ってたっけ。


「うわっ、貴重な魔力を使わせちゃってゴメン」


一年に十二回しか使えない計算だ。途端に申し訳なくなってしまった。


「気にしないで、わたくしがそうしたかったの。せっかくおぼえても使う機会がなくて持て余していたんだもの。

それに、あくまでも現状の話よ。自然回復による見込みであって、魔具からの供給や魔術師同士のシェアによる回復手段もあるの。上達すれば効率化だってできるわ」


同じ魔法でも人によって燃費や効果が一定ではないんだな。術者の腕前で効果が大きくなったり、消費が少なくなったりするわけだ。


傷を治したことで、ティアンは勝ち誇った態度だ。


「さあ、これで髪を洗わせてくれるわね?」


「どうぞ、お好きになさってくださいませ。お嬢様」


再度の提案をボクはありがたく受け入れた。



その後、互いの背中を流しあい、食事を済ませ、彼女の蔵書からおすすめを紹介してもらったりしながら過ごした。入浴からはじまり、囚人一日目にして衣食住がそろっていることのありがたみが染みた。

明日からはこれまでよりもずっと御飯が美味しく食べられる。元の世界に帰れさえすれば良い経験をしたなと思えただろう……。


――明日は一体どうなるだろう。


ロウソクを消した後、唯一の光源である月明りをボクはぼんやりと眺めていた。ティアンがボクの腕を抱えて眠っている。こちらも眠れない理由の一つかもしれない。


お友達と言ったけど、ボクの知っているそれはこんなに気安いベタベタした関係ではない。もっと無責任で適当な距離感の他人のことだ。それが適正な関係だと思う。

彼女のそれはどこか健康ではない、依存症の一種。どうやらボクは一目で彼女の唯一無二になってしまった。


そんな彼女といる上で、ボクはどう振る舞うのが適正だろう。女性の剣闘士であればこそ呼び出され、同性という前提で友情を約束した。そうした以上は彼女の期待を裏切らないための行動を心掛けるべきだろう。


――そう言い聞かせなければ、ボクはきっと恋に落ちてしまう。


「あまり深入りするべきじゃないだろうな……」


それが結論。ボクは溜息をついた。ちょっと考えてみれば分かる。すぐ死ぬにしても、いつか帰るにしても、ボクが彼女に対して果たせる責任なんてないのだから。


どのような形にしてもボクは『いつかいなくなる人間』だ――。


だから彼女との関係にはどこかで線引きをすべきだ。それが最大限の愛情で向き合ってくる彼女に対してなんだか申し訳ないとも思える。


そんなことを考えている内にボクは眠りに落ちていく、こうして異世界一日目、殺戮コロシアムでの一戦目は終了した。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?