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一幕八場「最弱返上」


看守のおっさんを見送ると、ボクとティアンの間に「さて――」という共鳴が生じた。

邪魔者がいなくなり、ここからがあらためてお見合いの開始である――。


相手はおそらく年下の少女であり、ボクはと言えば招かれた客である。かといって緊張しない訳がない。

なにせ彼女は『7番』だ。ボクらの間には歴然とした格差がある。


彼女はスター選手であり、ボクは囚人Aでしかない。


下ですれ違ってきた屈強な男たち。それどころか人生で見聞きしてきたどんな闘技者よりも彼女は強いに違いない。


デコピン一発で体が消し飛ぶ……、とまではいかないまでも息絶える可能性は否定できない。

機嫌を損ねたが最後、胴体と首を離ればなれにされてもおかしくはないのだ。


「お紅茶でよろしいかしら?」


「は、はい、いただきます!」


7番様がもてなしてくださっている。181番ごときを7番様が!!


ボクは恐怖に震えた。まるで御話のお姫様のような可憐さで、彼女はコロシアム最強の一角を担う猛者なのだ。



誘導されてソファー腰をかけた。お茶が出てくるまでの繋ぎにと周囲を見渡す。


ここが7番の部屋――。


英雄に手がかかりつつある。いわゆる一流選手の住処にしてはこぢんまりとした印象だ。それでも、宿泊施設と考えれば十分に豪華な造りと呼べる。

可愛らしい家具のならんだ空間に、剣闘士の部屋らしく剣が立て掛けられている。


あれはレイピアか、刺突に特化することで剣身を細くし軽量が計られた片手剣だ。


「すてきなお部屋ですね」


「どうぞ、くつろいでいらして」


地下暮らしの身からすると個室の存在は素直に魅力的だ。

ただ、外から施錠されている一点からひどく窮屈な空間である印象は拭えない。



「お招きいただき光栄です。ボクになにか御用ですか?」


紅茶を振る舞ったティアンが対面に座ったのでボクは切り出した。

招かれたというよりは、拒否権なく連行されてきた訳だけど。


7番様はパンと手を合わせ、朗らかな笑顔で喜びを表現する。


「わたくし、とても感激していましてよ。女性の方と会話をするのはお母様以来、じつに七年ぶりになるのですから」


七年とは随分長い。それってもう人生の何割かだもんな。

強さが全てのコロシアムでは同性に出会う機会がなかったのだろう。それで自分が呼ばれた訳かと合点が――。


「て、七年っ!?」


驚きのあまりボクは前のめりになって立ち上がった。


「ええ、ここに閉じ込められてかれこれ八年目ですわ」


彼女は事もなげに答えた。


剣闘士の寿命なんて一日か、せいぜいもって一年くらいだろう。

多くの者は即日に亡くなり、たとえ生き残ったとしても故障してしまえばあっと言う間に使い物にならなくなるに違いない。


――そんな過酷な環境で七年も!?


「えーと、失礼ですけど。ティアンさんはおいくつですか?」


「数えで十五でしてよ」


まだ十四。なるほど目測通りだ。すると、七年前は八歳だよね?


――それはオカシイだろ!!



「待て待て、根本的に間違ってた」


ボクはティアンに手を差し出した。彼女は顔に「?」を浮かべながら、その手を握り返した。

真っ白くて、スベスベで、可愛らしい、剣を握っているとは思えないような小さな手。


「全力で握ってみて」


ボクは彼女に力比べを要求する。


「力を込めろと、そうおっしゃるのですね?」


「……ストップって言ったら止めてね?」


彼女に7位相当の力があれば、ボクの手は骨折を免れないだろう。ちょっと怖い。


「さあ、どうぞ!」

「はい!」


「さあ、握って!」

「……!」


「ほら、始めていいよ!」

「…………!」


「いいから遠慮なく!」

「……………………!」


「あっ、もしかして始まってる?!」


蚊の鳴くような声で「ンーーーーッ」と彼女はうなっているが、いつまでたっても手に圧が掛かってこない。


「弱いっ!!」


ボクは断言した。圧倒的、非力!


ティアンの顔は血が登ってすっかり紅潮している。あれでも全力だったらしい。



「――まさか、ボクより弱い上位ランカーがいるなんて……」


こんな握力で剣を握ろうものなら、けがをするのは武器を振った本人なのは目に見えている。

なぜ、姿を見ると同時に疑わなかったのだろう。見るからに弱いじゃないか、絶対弱いに決まってるじゃないか。


そりゃ、一般男性より強い女性アスリートはいるだろうけど、男性競技の世界で彼女が7位だなんてことは到底在り得ない。

こんな華奢な少女が強いだなんて、それはもはや浪漫の世界だ。


差別じゃなくて、それは人体の構造の問題。自分が今朝いやというほど体験したことだった。


「七年もの間、どうやってそれで生き残ってこれたの?」


それは素朴な疑問。そして、同じく弱者であるボクが生き残るための手がかりでもある。


「じつはわたくし、闘場には一度も立っていないのです……」


――やっぱり!


申し訳なさそうに恐縮するティアン。さらに踏み込んだ質問をしていく。


「一度も試合をしていないのに7位なのはどういうことなの?」


「わたくしが収監されたのはコロシアムの完成と同時で、はじめから今のような順位だったのです」


つまりはエントリーが早かったから若い番号を振り当てられただけのこと。

創設から収監されていて、七年間一度も試合をせずに上位に居座っているのだ。


「――その後、闘士の方々が動員されて数百人規模の闘技場になりましたの」


「あのさ、試合からはどうやって逃れて来たの?」


非常に興味がある。ぜひ、あやかりたい。


「試合は、わたくしからはとても挑めませんでしたし、皆さんが挑戦するのは決まってキリの良い数字なのです。

100、50、20、10、5、1、争われる数字は限られていて、他の数字が狙い撃ちにされるのは何かしらの理由がある場合だけですわ」


ボクが前のめりになって要求すると、ティアンは仕組みについて詳しく説明してくれた。


――そうか、キリ番以外を狙うことにメリットはないんだ。


ルール上、51番に勝っても50番以上に挑む権利は得られない。負傷による脱落リスクを抑えるためにはいかに試合数を増やさず頂点に手をかけるかが肝になる。


キリ番以外と入れ替わっても試合数が無駄に増えかねない以上、限られた番号しか試合を挑まれないというのは自然の流れだ。

脱落者が出れば上にズレ込むわけだから誤差ではあるが、特別な狙いでもない限りはキリ番に挑むのが最短の道に違いない。


ティアンがあげた100、50、20、10、5、1以外の番号をもつ闘士が、対戦相手に指名されることは稀だということだ。


そうは言っても、今日まで彼女が一度も試合を組まれなかったことは幸運の一言で収まることではないだろう。

頂点までは望まないまでも、もそれなりの生活をしたいという輩が狙って来る可能性はゼロじゃない。いや、そんな志ではここまで上り詰められないのだろう。



「なら、ボクに番号を教えたのは失敗だ。相手がキミなら難なく勝てるし、20番までいけたら7番まではボーナスステージさ」


それはちょっとした冗談。軽口のつもりだった。だけど、彼女は神妙な様子で思わぬ返答をする。


「構いませんわ。その時はどうか、優しく殺してくださいましね。いつか他の方にそうされるより、アナタにされる方がきっと楽に死なせてくださるでしょうから」


ドキリとした――。幼いころから今日まで、この子はこの窮屈な空間でただ殺され待ちをしながら生きてきたのだ。

勝ち目のない相手に殺されるのを、ただ待つだけの日々なのだ。その事実が、今の言葉で明確に理解できた。


今のボクと同じような気持ちを、この閉鎖空間で二千日以上も噛み締めて過ごしていたんだ。


「……なんてね! ボクなんか絶対にここまでは上がってこれないんだろうけどさ!」


努めて明るく振る舞った。その気があろうがなかろうが、もともとが取らぬタヌキの皮算用だ。ボクごときが上位争いに絡むなんて、到底ありえない話だ。



「それでは、本題にはいってもよろしくて?!」


憂鬱な話をぶった切るとティアンは居住いを正しかしこまった。唐突なそれにボクは身構える。


「え、なになにっ!?」


キリリとこちらを見つめる美少女。こちらの質問ばかりに答えさせてしまったけれど、もともと要件があって呼び出してきたのはあちらの方だった。


「――そっか、ゴメン。どうぞどうぞ」


おそばせながら促すと、彼女はまるで一大事の報告でもするかのようにして切り出した。


「イリーナ様にはぜひ、わたくしのお友達になっていただきたいのです!」


神に祈るかのように手を合わせ、懇願してくる。緊張に瞳がキラキラと潤んでいた。


「え、あ……」



――そうか、友達がほしかったのか。


この異常な環境下で、あまりにもありふれたお願いをされて拍子抜けはしたけれど、なにも不思議じゃない。

八歳のころから七年も監禁されているのだ。そんなの友達がほしいに決まっているじゃないか。


「いかがかしら!」


「うーん、でもそれには条件があるな」


余裕が出てきたせいか、7番に対して181番は上から目線でそう言った。


「なんですの? 何でもおっしゃって!」


真剣な面差しだけれど、どこか小動物的な滑稽さが可愛らしい。


「友達になるんだったら、まずは敬語を止めようか。それが抜けた瞬間から友達ってことにしてあげる」


ボクはそんな条件を突き付けた。つまりは了解ってことなんだけど、心情的には少し引っかかっている。彼女と仲良くなって都合が良いのはむしろコチラの方だ。

百五十人の荒くれ者たちと一緒に寝なくてよくなる。散々乱暴された揚げ句、朝方死体で発見される。そんな最悪のシナリオが回避されるのだから。


「本当ですの! ありがとう御座います!」


感動のあまりティアンは両手で口元を押さえて天を仰いだ。


「敬語抜けてないよ、敬語。それにありがとうじゃなくて、よろしくね」


「よろしくお願いしまっ……。どうしましょう、うまくお話できませんわ!」


便利に利用させてもらうのに卑屈にされては騙しているみたいで罪悪感が拭えない。甘えるからにはちゃんと対等な友達になりたい。



「そうだ、鏡はある?」


「えっ?」


ティアンの目的も明かされて一安心。やっと、願望の一つを叶えることに気を回せそうだ。


「『姿見』があると、ベストなんだけど」


「ございまし……、アルよ!」


敬語を押し殺した結果、中国人コントみたいになっているけど大丈夫だろうか。


ティアンに案内されて寝室へ、特別待遇で与えられるのは一室ではなく、リビングの他に寝室や浴室も完備されているということだった。


入ってまず目に付いたのは山と積まれた書物の数々。それしかすることがないのだろうけど、かなりの読書量だ。

七年の監禁生活にも彼女の精神の健全が保たれているのは、読書のおかげなのかもしれないなと思った。


ドレッサーの前へ、そこに全身を確認できる『姿見』があった。その前に立つと、まったく知らない少女の姿があって、自分の動きに連動して動く。


鏡に映る彼女に、ボクは小さく「初めまして」とあいさつをした。


こんな粗末な囚人服で全身が砂とホコリに塗れているにもかかわらず、あまりみすぼらしく見えない辺りはかなりの美人じゃないか。



背後ではティアンがパタパタと動き回っている。


「寝間着を御用意いたす」


どうやらお泊まりの準備中だが、お侍みたいになっているのは大丈夫だろうか。


「あ、ありがとう……」


「お風呂の準備ができていますわ、一緒に入りましょう!」


それは願ってもない申し出だ。鏡を見たタイミングというのもあるけれど、激しい闘いの後ともなれば、なにをおいてもまずは汚れを落としたい。


ボクは感謝の意を伝え――。なん、だと……ッ!?


全身がワナワナと震え始めた。それは今日、殺し合いを強制されたのに匹敵するほどの緊張感だ。


「ティアン。もう一回、言ってくれる?」


自分の耳を疑い、もう一度ちゃんと聞き返した。確認しておかなくては、聞き間違えでしたでは済まない極めて重要な一言だ。


ティアンが口を開き、ボクは耳を研ぎ澄ました――。


「ごめんなさい、なかなか言葉使いを変えられなくて……」


――いや、そうじゃない! この際それはどうでもいい!


「そうじゃなくて! その、お、お風呂に……?」


「一緒に入りましょう」


キラキラとした屈託のない笑顔で言い放った。この瞬間、殺し合いにも匹敵していた興奮値は、今日一番の高い数値をたたき出していた。



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