見知らぬ世界に呼び出され、殺し合いを強要され、ようやく打ち解けた仲間たちとも引き離されて、ボクはどこかへ連行されている。
「これは、どこへ向かっているのでしょうか?」
「詮索するな、着けば分かる」
丸腰のボクを先行させて武装した看守がついてくる。
これまでの様子、発言から看守には有無を言わさず囚人を処刑する権限が与えられていると考えられる。
ここはただの監獄ではない。死刑囚の刑場だ。突然、背後からザクーッとやられない保障はない。
「階段を上がれ、その次は右だ」
「りょーかい、であります看守殿っ!」
表情をうかがわずに言葉を交わすのは怖い。威圧的なのは職業柄だとして、どちらにしてもご機嫌ということはなさそうだ。
違和感を覚えるのは、こういった囚人の連行は複数人で行われるべきなんじゃないかということ。
たとえ暴れたとして、ボクごときを取り押さえるのには一人で十分。そういう判断だろうか、悲しいけれど正しい見立てだ。現にボクは大人しく従うほかにない。
――ボクの自由意志が脆弱すぎて情けない!
「なにを笑っている?」
「いえ、笑っていません!」
ただ、施設を移動して景色を眺めるだけでも相当楽しくはある。
闘技場と一体化しているせいか監獄の敷地は思いのほかに広大だ。すり鉢状の客席は五千人もの収容が想定されていて不随する施設はそれだけ巨大だった。
ボクたちはひたすらに歩く。道中、思い思いに過ごす剣闘士たちとすれ違う。本日収監された者は五人を残して死んでしまったので、ほとんどが先輩方だ。
なかには体を鍛える者、技を磨く者も見かけられるが、壁際で無気力そうにうずくまる者も少なくはない。足掻く段階を過ぎて諦めの境地といった様子だ。
――それにしても、男性が女性に向ける視線って怖いな。指向性が強すぎる。
殺伐とした閉鎖空間に女子。それだけでさぞかし鮮烈なことだろう。群がる雄たちは看守が追い払ってくれたけど、うわさは広まってしまったに違いない。
階段を上がって二階へ。下位闘士の居住施設は半地下から一階ということになっているようだ。
格子が掛けられた窓ごしに外の景色が垣間見える。監獄の周囲は広い空き地でその先には市街地らしき建物群が見えた。この世界ではじめての夜が来る。
いったいどこへ向かっているのだろう。そういえば元騎士のクロムが言ってたな。女性がコロシアムに収監されたことには作為的な物を感じるって。
もし、なにかしらの陰謀に巻き込まれているとして、ボクの中にある乏しい情報だけでは解決しない問題だ。
――ええい、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。
「看守さんはボクの名前や罪状をご存じですか?」
勇気を振り絞ってした質問に、看守は落胆のため息が聞こえるような呆れ顔。
「大物きどりか……」
「ちがっ、誤解です!?」
自意識過剰みたいになってしまって恥ずかしい。
「収監された瞬間からおまえたちは分け隔てなく剣闘士だ。われわれはその者の過去を考慮したりなどしない。全てを平等に扱う。経歴や罪状を知る必要はない」
「そうですか……」
看守は取り付く島もなく、成果は得られず恥だけが残った。
ボクはどうなってしまうのだろう。思いつくことと言えば、このまま処刑されてしまうか、コイツにエロいことをされるか。
または誰かに面会させられるか、コイツにエロいことをされるかくらいのものだ。
「――この、ケダモノっ!!」
やぶれかぶれになって罵声を浴びせてみたけれど、まったく相手にされなかった。不愛想にもほどがあるんだが……。
そこからは無言のまま。奥へと歩みを進めると、鍵付きの厳重な扉に突き当たった。それを看守が解錠し、ボクたちはその先へと進んでいく。
まるでマフィアに拉致されてアジトにでも拐われて行くような気分だ。そういえば、さっきの扉は外鍵だった。
外から入られないようにする扉ではなく、中から出られないようにする扉。侵入を防ぐためではなく脱走を防ぐための扉だ。
それってつまり、この先には外には出せない何かがいるってことなんじゃあないのか?
外に出せないけれど処すこともできない理由がある何か。
だとしたら、それはどういう理由だろう。強すぎる闘士だとか、殺しても死なない怪物だとか、重要な秘密を握る人物だとかか?
――えっ、もしかしてボクか、ボクが閉じ込められようとしているのか?!
その場に崩れ落ちたボクに看守が尋ねる。
「どうした?」
「帰りたいです。もう、おウチに帰してください……」
この先になにがあるとしても不幸な未来しか思い浮かばない。ボクの心はその想像だけですっかり折れてしまった。
しかし、看守のオッサンは意に介すそぶりもない。ボクのわきに手を通すとグイっと強引に立ち上がらせた。力が強い。
「立て、到着だ」
鬼だ。職務に傾倒し過ぎると人間は感情を失い鬼となるのだ。
外鍵の扉を抜けた先の通路、その突き当たりにもう一枚扉があった――。
この先が闘技場になっていて巨大な怪物と闘わされる。まさかそんなことはないと信じたい、切実に。
そういえば、剣闘士の上位ランカーには個室が与えられるとクロムが言っていた。ここがそうなんじゃないのか? きっとそうに違いない。
「――この先である御方がお待ちだ」
「それって、上位の剣闘士ですか?」
看守は答えなかった。それでも否定やあきれ顔が見て取れなかった為、正解であることを確信できた。
「無礼は許されない、大人しく指示に従うんだ。いいな」
有無を言わさぬ恫喝。看守がまるで小間使いみたいじゃん。
「ランク上位者は待遇が違うって、ここまで違うの……?」
コロシアム運営にとって集客力のある剣闘士はスター様ってことか、ついさっき囚人は平等に扱うって言ったばかりじゃん!
「181番を案内しました! さあ、入れ」
ノックして要件を伝えると、看守はボクに入室を促した。
――入れったってなぁ……。心の準備ができてない。
なぜ、ボクは呼び出されたのか。もちろん上位ランカー様がねぎらいたくなる様な試合はしていないし、ホステスとして呼ばれた以外に思いつかない。
なんにしても地下で無法者の群れに襲われるよりはマシか……。
それに、この先にいるのが最終目的である『ランキング1位』ってことも在り得るんじゃないだろうか?
「看守さん」
「なんだ、モタモタするな」
ボクは覚悟を決めた。と言うよりは好奇心に負けた。
後悔するかもしれない。ひどい目にあわされて心に一生の傷を負うかも知れない。だとしても、どうせ逃げ場がないのなら、いっそこの世界の強い男を観ておこうと思う。
「一時間たってもボクが戻らなかったら、178番に」魔術師アルフォンスに「地獄で待っているぞ、と伝えてください」
そう言い残してボクは扉の中へと足を踏み入れた。後ろで看守が内側から扉を閉める。
――なんだよっ! ついて来るのかよっ!
捨て台詞の行き場がなくなってしまった。
そこは部屋としか形容しようがない。人が生活しているんだな、という感想を抱くほかにない当たり前の空間だ。
そこに激しい違和感を覚える。端的にいってファンシーとも呼べる一室はあまりにもコロシアムに似つかわしくなく、そしてやけにいい匂いがする。
主の姿は見当たらない。呼び出しておいて留守、ということはないだろう。
「……ごめんくださーい」
聞こえるかも怪しい小声でボクは呼び掛けた。すると隣室に続く扉が開いて人が飛び出して来る。
「ごめんなさい! おもてなしの準備をしていたものですから!」
バッ! とか、ドンッ! とかではない。ピョコである。ピョコリと小さな女の子が現れた。予想外の展開に面食らう。
「およっ!?」
「あら、どうかなさいまして?」
少女が小首をかしげた。ボクはつい大声で見たままのことを叫ぶ。
「女子だっ!!」
十四、五くらいか、小柄なだけでもう少し上かも。まるで花が咲いたかのように可憐な女の子。
なにが面白かったのか、彼女は「まあ!」と言ってコロコロと笑い出した。
「あなた、面白い方ですのね!」
どの辺りでそう思ったのか、狙ってなかったアクションがウケるとボクは困惑する。
「さあ、そんな所に立っていないで、こちらでおくつろぎになって」
少女はボクの手を引いて部屋の中央へと招き入れた。小さくてやわらかい手。
――まるでお人形さんみたいだ。
視界にゴリラしか映してこなかったせいか、バイオレンスからファンシーへの急激な落差でパニックに陥っている。
なにせ、処刑にしろ私刑にしろついさっきまでは死を前提とした景色を映していたのだ。
「あの、ボクになんの用ですか?」
「コロシアムの創設以来、わたくし以外に女性の剣闘士が現れたのははじめてのことなのです。ぜひ、お話したいと思いましたの!」
明るく淡い金髪に、透けるような白い肌、澄んだ宝石のような瞳。なんて美しい少女だろう。
とうてい信じられないけれど、こんな小さな肩をした少女が上位剣闘士だと言うのだ。
「ええと、181番イリーナです」
雑談目的ということで安堵した反面、話せることがなにもない。いまの自己紹介でボクは持ち得るすべての情報を出し尽くしてしまった。
「あら、いけませんわイリーナ。軽々しく番号を口にされては『狙い撃ち』にされてしまいましてよ?」
「狙い撃ち?」
「ええ、試合は下位闘士が上位闘士を指名することで成立するのですから」
確かに彼女の言う通り。自分より上に弱そうなヤツを見つけた時、番号が分かっていれば指名して順位を上げようとするのは必然だ。
看守たちが番号呼びするのは通例として、剣闘士たちにとっては戦略の要点としての意味が強い。
自分たちが軽々しく番号を口にしていたのは素人ゆえの軽率さと言える。
「――わたくしはティアン。7番ですわ」
美しい少女は名乗った。
「な、7位っ!?」
番号は伏せるべきと諭した上で明かしたそれは、剣闘士200名中で7番目に強いという証拠。
『選抜試合』でまっさきに退場したランなんとかいう大男が見掛け倒しだったように、創作の世界にありがちな異常に強い美少女だとでもいうのだろうか。
「ティアン様、うかつな発言は謹んでください」
看守の忠告にティアンは不快感を訴える。
「もう! わたくしたちを二人きりにしてくださらないかしら!」
「なりません、仮にもその者は選別試合を生き延びた闘士なのです」
一桁ランクどころか100番にだって通用しないボクを警戒したところで仕方がない。
だのに、オッサンはどうやらボクが彼女を脅かすのではないかと心配しているようだ。
「イリーナ様はあの方たちとは違います。だって、野心に類するものがまったく感じられませんもの!」
「いや、余裕がないだけで……」
無気力はけして褒められた物ではないが、無力であることは保証できる。
看守はまるでワガママな娘に手を焼く父親の様だ。
「聞き分けてください。もしものことがあってはならないのです」
上位ランカーにはそれだけの経済価値があるということなのか、看守というよりアイドルのマネジャーとでも言えばしっくりくるかも。
「このあとはすぐに入浴の予定ですのよ。まさか浴室でまで監視をつづけるおつもりかしら?」
オッサンはあぜんとする。それを言われたら仕方がない。入浴まで監視するなんて、痴漢みたいなもんだ。ワハハハハ。
「――イリーナ様、今夜はどうぞお泊まりになっていらして!」
当面、下の掃き溜めで一夜を過ごさなくても良くなったことにボクは歓喜する。一日延命が決まったのだ。
「良いんですか!」
「もちろんですわ!」
イヤミ臭いため息を悪あがきに、看守のオッサンは観念する。
「……分りました、俺は下がります」
若者たちのノリが面倒臭くなってしまったのかもしれない。
知ったことかと扉の外に立つと、厳つい看守はまるで貴族のように優雅な一礼をして立ち去っていった。