――24ッ!! ――25ッ!! ――26ッ!!
「やめるんだ!! それ以上やったら死んでしまうぞ!!」
――27ッ!! ――28ッ!! ――ハッ!!
没入していた意識がわれに帰った。振り返ると、見知らぬ男性がボクの腕を掴んでいる。
二十代前半くらいか、少年らしさを残しながらも精悍な顔立ちをした美男子だ。
「あれ、ボクはいったいなにを……」
腕を引かれるままに立ち上がると、股の下ではアルフォンスが虫の息になっていた。
怒りのあまりボクは彼に暴行を加えていたのだ。
原形をとどめないほどに顔面を腫らし、白目を剥いて痙攣するアルフォンス。事情を知らない人間が見たら、ボクをとんだイカレ野郎だと認定するだろう。
「はっ!? ボクはいったい何をしていたんだ?!」
慌てて正気を失っていたアピールをして見せた。しかし、叩き付けていた部位が拳骨ではなく掌底に近い側面で、自らの拳を守りながらも効率よくアルフォンスを破壊していた辺りに冷静さを隠しきれない。
正気を取り戻したとみなしてか、通りすがりのイケメンは掴んでいる腕を放してくれた。
一見して場にそぐわぬ親しみやすさと気品を備えているが、格好からして同じ剣闘士であることは明白だった。アルフォンスよりも一回り逞しく体育会系の雰囲気をまとっている。
「事情は知らないが、なにやら異世界に来たらハーレムだって聞いたのにどうだとか、勝ち組だって聞いたのにどうだとか叫びながら、きみは彼を執ように殴り付けていたんだ」
意味は伝わってないにしても、内容はほとんどが聞き取れているじゃあないか。ボクは恥ずかしさのあまり赤面する。
「ごめん、怒りでわれを失っていたんだ……」
発熱する顔面を手のひらで仰ぎながら反省の態度を見せた。
「アルフォンス、大丈夫か! しっかりしろ!」
仲裁に入った青年がアルフォンスの容体を確認する。名前を呼んだな。知り合いだろうか。
アルフォンスは「アァァァ……」と、まるでゾンビみたいな呻き声で生存を訴えた。
「なぜ、こんな事になった?」
「ウゥゥ……ァァ。クロム氏、私が悪かったのです……」
どうやら彼が選抜試合でアルフォンスの相棒を務めたクロムシ君らしい。
「これ以上の暴力を見過ごす訳にはいかない。まずは事情を聴かせくれ、きみはいったい彼になにをされたと言うんだ?!」
おお、なんて熱い男だ。このイカレた環境で倫理観を語れるだなんて。
とはいえ、『異世界召喚』の件を話してしまって良いものだろうか?
いや、馬鹿だと思われるかもとか、面倒に巻き込まれるかもだとか、説明が長くなって面倒くさいことなどを考えると、打ち明けるのは早計そうだ。
ボクはとっさにそれらしい理由をでっち上げる。
「彼が……グス、意識のない私を無理やり手篭めに……え~ん」
「貴様ぁぁぁぁっ!! アルフォンスっ!! この外道がぁぁぁぁっ!!」
アルフォンスに向けてクロムシ怒りの鉄拳が振り上げられる。
「待って、待って、待って! クロム氏! 嘘です! ぬれぎぬです!」
振り降ろされた拳はアルフォンスの命を奪う寸前で止まる。困惑するクロムシ。ボクはペロリと舌を出した。
「とにかく、無益な争いはやめた方がいい。看守に見つかれば最悪その場で処刑される事もあり得る」
そいつは危うかったな。それも含めて彼には礼を言わなくてはならないだろう。
「クロムシ、闘技場ではありがとう」
ボクは頭を下げた。
「俺がきみになにかしたか?」
「間接的にだけどボクはあなたに命を救われたらしい。だから助けてくれて、ありがとう」
彼が最後の一人を倒すのにあと数秒手間取っていたら、ボクはウータンに殺されていた。
アルフォンスを相手にこうやって鬱憤を晴らすこともできたのもすべて彼のおかげだといえる。
「あと、アルフォンスの命を闘技場といまのとで二回も救ってくれて、ありがとう」
危うく殺人に手を染めるとこだったよ。
「いや、助けられたのは俺の方だ。先入観から周りはすべて敵だと思い込んでいた。アルフォンスがいなかったら誰かと連携するなんて発想もなく、生き残れもしなかっただろう」
「へー、そうなんだ?」
クロムシは恐縮して見せた。結構強そうに見えるけど殊勝な態度だ。
「強さ順で生き残るなら、クロム氏は余裕で上位五名に含まれたと私は思いますけどね」
アルフォンスも彼を高く評価している。実際、クロムシはかなりの実力者に違いない。
召喚対象にボクを選んだこと以外、抜け目がなくそれ以上に狡猾だったアルフォンスが寄生して生き残った訳だから、強い人間を選んだに決まっていた。
しかし、クロムシ自身はアルフォンスからの評価には懐疑的だ。
「正直、俺ではあのランカスターには遠く及ばなかったさ」
開始と同時に袋叩きにされたアイツか。ボクのイメージじゃ、異世界召喚物やゾンビ物の作品における筋肉タイプのデカブツは、かませ犬って相場が決まっているんだ。
「本当かよ。アイツ、まるでイイトコなしだったんだろ?」
とは言っても、こうやって最弱が生き残っているのだから最強が脱落することもあるだろう。
「この先、上位争いでなら活躍できただろうな。頂点を取れたかもしれない」
多人数で囲んだことを気に病んでか、クロムシは申し訳なさそうに言った。それはルール違反でもなんでもない。条件はみんな一緒だったのだ。
「生き残った者だけが勝者なのですよ。ね、勇者様?」
条件は一緒だった。とは思うが――。
「おまえと同類にされるのは、ちょっと……」
ボクはアルフォンスの問い掛けには同意しなかった。
融通は利かなそうだけれど徳とでもいうのか、クロムシからは気高さみたいな物を感じる。
奴隷や罪人からは感じえない安心感だ。その疑問はアルフォンスが解消する。
「クロム氏は騎士団の出身だそうで、剣技に長けていて非常に頼りになりました」
なるほど、元騎士様ということで他とは毛色が違う訳だ。
「そんな立派な人がなんでコロシアムなんかに。それだけ強いと腕試しがしたくなるとか?」
闘場に上がって強く印象に残ったのは、コロシアムが剣闘士たちにとって、ただの処刑場にはとどまらないという事。
力を誇示することで観客から喝采を浴びることができる。人々の求める強さへの憧れや、勝敗というドラマへの渇望を満たすことで称賛され、強い男としてのアイデンティティを確立できる。
言い換えれば、スポットライトの当たるステージだ。名声を得られ、命のやり取りもスリリングで、罪人ならずとも剣闘士であることにハマる雄はいるだろう。
まあ、長生きはしないだろうけどね。
「あー、騎士様ってばまさかの戦闘狂?」
そう見える訳じゃない。軽口をたたけば打ち解けられると思っての冗談だ。さあ、なんでやねん! って返して来い!
「……そうか、俺はそんな風に見えているのか」
しかし、クロムシはストレートに凹んでしまった。
ボクはツッコむ「なんでやねん!!」
「勇者様は辛辣ですよね」
アルフォンスにまで咎められる始末。そうかな、きみたちが繊細なんじゃなくて?
「そんな罪人であり見た目も凶悪な俺だが……。本来、武力は行使しないで済むならそれに越したことはないと思っているんだ」
「凶悪じゃない! ぜんっぜん凶悪じゃない。ゴメンよ!」
囚人相手の冗談にしてはちょっと無神経だったかもしれないねっ!
「今となってはどんな誹りを受けても仕方がないのも事実だ。俺にはもう騎士を名乗る資格はない。君たちと同じく、一人の罪人なんだ」
――いま、ナチュラルに罪人呼ばわりされたんだけど?
どうやら彼もなにかしらの罪で投獄されたということらしい。これで恥ずかしい犯罪だったら笑えるけど、たぶん違うだろう。
「クロムシはなにをやらかしたのさ、言いたくなければ聞かないけどさ」
クロムシは即答する。
「上官殺しだ。任務中に部隊長をこの手に掛けた。弁明はしないさ、自分の信念に従った結果だ。家名には泥を塗ってしまったけどな」
「そっか……」
善かれ悪かれ人には人の事情があるのだろう。自虐をしてはいるが今のやり取りで少し打ち解けたような手ごたえがあった。
ボクが彼の何を知っている訳でもないけれど、騎士団はきっと惜しい人材をなくしたことになる。そんな気がする。
「そう言うきみはなぜこんな所に?」
クロムシから当然の質問返し。しかしボクはこの『体の本来の持ち主』の情報をなにも持ち合わせていない。
ついでに言えば自身の情報すら持ち合わせていない為、アルフォンスを振り返るしかない。
「なんで?」
「知りません」
知らんじゃねーだろ。
「私はただ自分が助かると同時に、か弱き乙女が無残に殺されるのを回避できたらその方が良いなと思っただけです。事情を聴くには事態が切迫していましたので」
殺戮ゴリラの巣で女子を見捨てるに忍びない。その気持ちは分かるのだが、自分の首も締まっているからね?
彼女の投獄理由はアルフォンスも知らない訳だ。怖い。大した打ち合わせもなく、人の体に他人を降ろすとか正気の沙汰じゃない。
結局、彼女? ボクについては分からず終い。ここは事実を話す他になさそうだ。
「正直に話すとボクは記憶喪失なんだ。だから、なにをしてコロシアムに収監されたかは分からない。女性だからって凶悪犯罪に手を染めないとは限らないし、自分を弁護しようもないんだけど」
その罪を犯したのがボクではないってところが理不尽すぎる。
投獄理由や記憶喪失といったセンセーショナルな話題が出たところで、クロムシはそれに食いつくことなく首を捻る。
「いや、気になったのはそこじゃあないんだ」
「投獄理由に対する質問だったよね?」
だからボクは罪状について答えた。彼は続ける。
「重罪を犯していたとして、女性を闘技場に収監するものだろうか?」
クロムシが疑問視したのは罪状ではなく現状だった。競技性の高いコロシアムにおいて、女性剣闘士の存在は不釣り合いだという意味だろう。
「コロシアムってのは刑罰も兼ねてるんだろ?」
勝負にならずに死んだとして、そこに不都合はなさそうに思える。もしかすると興行的に盛り上がらないとか、賭けにならないだとか運営面での問題はあるかもしれない。
「今日までは無縁な場所だと思っていた。俺も規則をすべて理解できている訳ではないが、単純に珍しいと思ったんだ」
確かにクロムシの言う通り、周囲を見渡してもボク以外に女性の姿は見当たらない。
「女性の剣闘士がいるかどうか、これまでに前例があったかなど定かではないが、今日あつめられた中にはきみしかいなかった。これには作為的な物を感じる」
なるほど、つまり例外的な理由がない限り女性がコロシアムに投獄されることは珍しい。
それでも収監されたという部分になにか陰謀めいたものを感じる。元騎士の視点からか彼はそう言っているのだ。
「なにも罪人だったとは限りませんよ。よほど腕の立つ奴隷だったか、それこそ戦闘狂だったかもしれない」
女性剣闘士の可能性を模索したアルフォンス。それに対してボクが指摘する。
「だとしたら、か弱き乙女を助けてやりたかったと言ったおまえの善意。それ自体が余計なお世話だったことになるけどな」
まさか無いとは思うけれど、仮にこの体の持ち主が腕の立つ戦士だった場合。腕試しや名声目当てに参加した挑戦者に一般人を憑依させ、活躍の場を奪ったことになる。
助けたつもりが逆に窮地に追い込んだってことだ。
「笑えます」
――笑えねーよ?! 本当に、ナチュラルにクズなんだなコイツ。
「という訳で、クロムシにはいろいろ教わりたいんだけど、いいかな? 記憶喪失なもんだから、たぶん恥ずかしいくらい基本的なことになると思うけど」
「ああ、構わないさ」
ボクのお願いをクロムシは爽やかに快諾してくれた。
「ありがとう」
この世の地獄で、まさか新たな友人に出会えるとは思わなかった。クロムシが差し出した手をボクは握り返した。
「179番、クロム・ウィンザードだ。あらためてよろしく頼む」
「えっ、あっ!?」
ボクは極めて基本的なことに気付く。名前、クロムシじゃないじゃん!? 間違えて覚えた名前をしつこく連呼していた。恥ずかしい!
「こ、こちらこそよろしく! クロム!」
赤面しながら慌てて訂正した。
「名は、忘れてしまったのか?」
「ああ、そうだね。でも、ないと不便だからさ、イリーナとでも呼んでくれ」
仮の名前はイリーナ――。
なんでも良かったけれど、闘技場で闘う少女で思い付いたのが昔のゲームのヒロインで、確かそんな名前だった気がした。