これからボクは殺し合いをする。
ボクは殺し合いをする。
殺し合いを……、ボクがっ!?
これにはちょっと、新鮮なくらいあぜんとしている。フィクションでもドッキリでもない『異世界に召喚された』という、恥ずかしい現実を「ハハッ、ウケル」と一笑いをする余裕もない程の急転直下。
理不尽な異世界召喚。加えて、他人の体に憑依するというオカルト展開。重ねて、人生初の記憶喪失の同時体験。
これだけの理不尽に直面しながらもパニックを起こさず、一つ一つ問題を解決すべく状況の確認に努めた。その賢明さを誰かが称賛するべきだ。
――ボク、えらいっ!!
仕方ないので自画自賛しておく。
その上で自分の素性を特定すべく、ボクは魔術師アルフォンスに召喚理由を尋ねたんだ。このファインプレーで事態は進展、あるいは好転するはずだった。
――だったのに『ミッションのクリア条件は、殺戮のコロシアムで頂点を勝ち取ること』だと?
分からないっ!? 役回りから逆算しようとした自分の正体が全っ然っ!! これっぽっちもッ!!
だってボクの生まれた世界では、少なくとも社会における殺人は究極の禁忌だ。そのはずだ。競技感覚で行うなんてあってはならないし、ましてや頂点を取るだなんて到底務まるとは思えない。
これは なにかの 間違いだ――。
だのに、ボクたちはいま闘技場の入口に追い立てられ事態は差し迫っている。
登場ゲートへと続く通路は武装した男たちの殺気で満ちている。広場に解き放たれればこの総勢三十名による殺人ショーが開始されるのだ。
ボクらの出番は『選抜試合』と銘打たれた、メインイベントの前座のそのまた前座みたいなものらしい。
今後、選手として通用しない雑魚を一掃するために行われる有象無象のバトルロイヤルとの説明を受けた。
二十五人が戦闘不能になった時点で生き残っていれば勝利。
勝ち抜けは五名――。つまり六人に一人が生き残れる計算になる。
戦闘不能の条件が必ずしも死亡とは限らない。けれどこの重量感満載の鉄塊を人に向かって振り下ろせば、どんな悲劇が起きるかは火を見るよりも明らかだ。
どれだけ運が良かろうとも、これまで同様の人生が送れるとは思えない。これから参加するのは一山いくらの大処分市ってことだ。
「狂ってる……」ボソと呟いた。失意のどん底といった心境だ。
前向きに考えて、前座試合ならば実力のある選手なんかは出場していないのかもしれない。
そうだとしても、殺しはおろか殴り合いの経験すら怪しいボクこそが最弱であることに疑う余地はないのだけれど。
何より、見渡す限り女性はボク一人だけだ。それはそうだろう。コロシアムで女が通用する余地なんて一ミリもない。
奴隷だろうが罪人だろうが、女性には別にふさわしい処遇があるに違いないのだ。
アルフォンスが見当違いな発言をする。
「武者震いですか、さすがは勇者様!」
――勇者なんかじゃない。
ボクは被害者。加害者である魔法使いのせいで、数分後には惨殺死体になるであろう憐れな被害者。
これが最後になるかもしれないから、アルフォンスには率直な気持ちを伝えることにする。
「 死 ね 」
ボクはありったけの呪詛を吐き出した。
「はは、私は死にません。あなたが護りますからね」
そう言ってアルフォンスはニコリと微笑んだ。なんて無邪気な笑顔だろう。この行いに対する罪悪感はないのだろうか。
せめて、コイツだけは道連れにして死のう。そうボクは誓った――。
戦闘準備を整え、刻一刻と迫る運命の時を待つ。
「胃が痛い……」
ボクもひととおりの装備をしてはいるが、お世辞にも強そうには見えないだろう。
大きく感じられたアルフォンスも小柄な自身との対比による印象でしかなく、周囲の闘士たちと比べたら途端に頼りない。
参考までにボクは尋ねる。
「身長いくつ?」
「百七十八センチメートルです」
結構あるな。にも関わらず弱そうなのは、コイツのいかにもインドア派といった軟弱な風貌と能天気な態度のせいか。
例えるならば、ゴリラの檻に押し込められた日本猿。ボディービルダーの一団に紛れ込んだ菌類の研究者といった風情がある。
しかし、異世界なのに単位が共通ってことは、言語の方はどうなっているのだろう。
日本語ってことはないだろうし、ボクに合わせてくれている? いや、ボクの意識の方がこの世界の言語に最適化されていて、普段使っている言葉との差異を感じなくなっている方が適当な気がする。
全ての人間をボクに合わせるより、ボク一人を他に合わせた方が遥かに効率的だろうから。
「すると、ボクは百六十五センチもないだろうな……」
縦幅より三倍も四倍も足りていない横幅の方が深刻だ。つまりは筋力差。
闘士たちは各々に剣や鈍器とセットで盾を携えているが、ボクの貧弱な腕ではとても片手で扱えそうにないので、盾を装備することができなかった。
鎧をまとう者もいるが、それ自体は露出部分が多く、武骨な兜や盾と比べたら飾り程度の役割に見える。
何でだろう、筋肉アピールか?
「兜は付けた方が良いのでは?」
指摘を受けたが突っぱねた。八方敵だらけの戦場だ、ヘルメット状の防具で側面や上方に死角ができる方が怖かった。
特に背の低い自分にとって、上方からの攻撃が見えないことは致命的に思える。
「この体格じゃ当たった時点でアウトなんだ。だったら身軽な方がいい」
顔なんか出していたら目立つだろうか。目立つだろうな、盾を満足に扱う筋力もなければ大きめの武器を振り回す握力もない、そんな紅一点だ。
「なるほど、このランクでは防具など不要ということですね。さすがです!」
――なに言ってんだコイツ。
「わっ!?」
横合いから唐突に掴まれそうになり、ボクは短く悲鳴を上げた。慌てて身を躱したそこをアルフォンスよりもずっと武骨で大きな手が薙ぎ払って行った。
「――え、なになに!?」
「おっと、驚かせちまったな」
ボクの肩を空振りしたその大男は出場者の一人だ。前の世界ではちょっとお目にかかれなそうなマッシブ男。
筋肉の一つ一つが鋭角で、肉というより合金を思わせる迫力がある。プロレスラーにもここまで厳ついのはそういなさそうだ。
ソイツは精悍で活力に満ちた面差しをこちらに向けてきた。ギラギラとしていて、端的に言って『性欲が強そうな男』だ。
「助けて、アルフォンス」
「え、私?」
サイズ差による圧迫感に耐えかねて、ボクはアルフォンスの陰に避難した。急な指名にも彼は冷静に対応する。
「――彼女になにか用ですか?」
「いや、コロシアムに女なんて珍しいだろ。声くらい掛けてみたくもなるさ」
一方、大男はアルフォンスの介入に狼狽えたように見えた。
こんな場所ではナンパした相手の男が出てきたって状況でもないだろうに。いや、べつに彼氏って訳でもないが。
「俺はオーヴィル・ランカスター」
彼は名乗ってクイと親指を自身に向けた。憶える気はない、どうせもうすぐ死ぬのだ。
しかし無関心なボクと対照的に、アルフォンスはその名に憶えがあるらしい。
「おおっ、あなたがうわさに名高きあのランカスター殿!! まさか、これほどの猛者とコロシアムでまみえてしまうだなんて!!」
声のボリュームのせいか、はたまた男のネームバリューか、二人は周囲の視線を一斉に集めた。
「そう、俺がそのランカスターだ。おまえら全員、星に見放されてるぜ。……いや、月に見放されている、だったか?」
「まったく、神に見放された! としか言いようがありませんよ!」
何を言っているのかさっぱり分からんが、アルフォンスはもう駄目だという風に頭を抱えてうなだれた。
あのお気楽な男が一転して悲観している。やけに芝居がかっていて一見冗談かとも思ったけれど、周囲の雰囲気からもこの筋肉ダルマがただ者でないことは確かな様だ。
大体この風体で強くない訳がない。どうやら、予選会に予期せぬ有名選手が紛れ込んでいたってことらしい。
アルフォンスの態度に機嫌を良くしたのか、または強さに対する自信の現れか、マッシブ男は王者の風格で手を差し出してきた。
「俺は弱者の味方だ。お嬢ちゃんたちが生き残れるよう祈ってるぜ」
握手を求めている。どうやら好意的な相手の様だ。
正直、平和主義者であるボクはこんな筋肉兵器みたいな輩とはお近付きにすらなりたくないのだけれど、これは強い味方を得るチャンスかもしれない。
しかし圧倒的なオス感だ。遠巻きにしていても圧倒されるのに、接触なんかしたら妊娠してしまうんじゃないかという、そんな生理的嫌悪感を拭えないのも確か。
ボクはその筋張った太くて逞しいのを握る――って、これはもう、カチンコチンコで肉と言うより岩だった。脈動する岩石から、脈動する岩石が生えている。
それだともう全体が脈動する岩石なのだけれど、ボクの知っている腕とはあまりにかけ離れていて、ちょっとしたグロだよこれ! 規制しろ!
ああ、嫌だ触りたくない。でも仕方ない。こんな歩くわいせつ物陳列罪を敵に回すよりはずっとマシだ。
「ありがとうございます。ラン……ランバ……ラー?」名前が出てこない。「えーと、ミスター絶倫?」
とりあえず、違和感のないアダ名で呼んでおいた。
そしてズシリと圧し掛かる沈黙――。
「……あ、あれっ?」
手が離れない。そして、岩石人間は鬼のような形相で固まっている。どうやら、今のは通じない冗談だったみたいだ。
ボクの不用意な発言が怪物を激怒させ、次の瞬間にはこの剛腕によって胴体を上下に引き千切られる光景が頭をよぎった。
しかし、あわやというタイミングで誰かが小さく吹き出した。
「ブフッ! ミスター絶倫って、ククッ!」
それを皮切りに威嚇し合っていた剣闘士たちが一斉に笑い出した。待機スペースは爆笑の渦に包まれる。
やった! ウケた! なんだか知らんがボクは嬉しい。
「アハハハハハッ!! ミスター絶倫ッ!! アハハハハッ!! ミスター絶倫ですって!! に、似合いすぎるぅぅぅッ!!」
中でもアルフォンスの笑い声が高らかに響いていた。
一気に和んだ空気。これにはきっとランバラル氏もニッコリ。
「……てっ、テメェ!!」
鉄板ネタの獲得に得意気かと思われたランなんとかだが、その顔は羞恥の余り赤みを帯び、目尻には光るものがあった。
どうやらボクは彼の心を相当に傷つけてしまったらしい。
「ご、ゴメン! 悪気はなかったんだ!」
謝っても手遅れ。怒り心頭、ランババンが拳を振り上げる。その迫力だけでボクは死を覚悟した。
アレを喰らってボクの華奢な首が折れない訳がないからだ。
胸を張って言える! あの拳が体のどこに当たっても、その部位の骨が必ず砕け散るという絶対的な自信がボクにはある!
ヒィと洩らして首を縮こめる。
一瞬、『体の本来の持ち主』のことが過ぎって申し訳ない気持ちにもなるが、彼女の姿は思い浮かべられなかった。
――そうか、鏡を見てないからだ。どんな姿か見てみたい。でも、もう遅い。あの世で会えたら謝ろう。
「202番、下がれ!!」
ボクの首が吹き飛ぶか否かのタイミング、係員が割って入ってボクを岩石男から引きはがした。
「ああん?」
202番がコイツの番号なのだろう。ラなんとかと係員が対峙した。
「闘場外での乱闘は違反行為としこれを厳しく罰する! この場で刑を執行されたいのか!」
やだ、カッコイイ! 名も知らぬ係員さん、すてき! 職務を全うする職員の鑑!
高齢の係員が怯むことなく大男の前に立ち塞がると、ランタノイドは舌打ちをして拳を引っ込めた。
「覚えてろよ。闘いが始まったら、真っ先におまえからぶち殺してやる!」
「ハイ、スミマセンデシタ……」
ランダマイゼーションはボクに死刑宣告をすると、グループの先頭の方へと遠ざかって行った。
目を合わさないようにボクは床を睨んでいた。きつく、きつく、床を睨んでやった。
「いやぁ、怒れる巨人も恐れずに挑発なさるとは、さすがは勇者様!」
アルフォンスが見当違いな称賛をした。
巨人を怒らせた決定打はおまえのバカ笑いだったんじゃないのかな?
こいつのポジティブさにはいい加減、いけない薬の使用を疑うところだ。
「あいつ、何者なの?」
「どうやら元凄腕の傭兵らしいですね」
「らしい? なんだ、大した人物じゃないみたいじゃん」
派手に持ち上げていた割にはさしたる興味もなさそうな物言いだ。
「この場における有名なんて、ろくなもんじゃありません」
確かに、こんなリスキーな競技を強いられるのは罪人か奴隷かくらいの想像はついた。さっきの職員も『刑の執行』がどうとか言ってたっけ。
「たくさん殺した、とか?」
こんな消化試合に大物の参戦はないだろうと期待していたけれど、それは甘い考え。凶悪事件の犯人とかち合うことも十分にありえるということだ。
「犯罪組織に狙われた金持ちが彼をボディーガードとして雇ったのですが、なにを勘違いしたのか彼は敵地に乗り込んで行って、その日のうちに組織を壊滅してしまったという話です」
ご丁寧にもアルフォンスは彼の逸話について教えてくれた。組織というくらいだからそれなりの人数が相手だっただろうし、とんでもなく強い男だということも伝わった。
「それって英雄じゃん?」
犯罪組織を壊滅させただけならば正義の味方とも思えるが、ボクが思うよりもこの国の司法は厳しかったりするのかもしれない。
「そこまでは良かったのですが、報酬に納得のいかなかった彼はけっきょく雇い主も殺してしまったとかで、付いたあだ名が『皆殺し』です」
それを聴かされたボクの感想は「イカレているね」の一言に尽きる。
「彼は将来的にコロシアムの英雄になれる素材です。この場にいる誰一人として勝ち目はないでしょうね」
そんなやつが相手じゃあ、生存はもはや絶望的という訳だ。
「おまえの攻撃魔法とかで倒せないの?」
「専門外ですね」
「さすがは天才魔術師!」
コイツの口からは朗報を聞いたことがない。絶望だけを連れてくる。
素手ですら死を予感させたあの豪腕が、武器を振り回す姿を想像する。死がどんどんと現実味を帯びて行く。
――そうか、ボクは死ぬのか。
家族や恋人を悲しませたくないとか、叶えたい夢があるだとか、記憶喪失のせいかそんな気力にすら欠ける。
ただ、聴きたい事はいろいろあった。
この体の本来の持ち主は何者なのかとか、
アルフォンスはなぜこんな事になっているのかとか、コロシアムの外に広がる見知らぬ世界がどうなっているのかとか、いろいろだ。
せっかく知らない世界にきているのに、こんな狭い場所しか知れないのは残念としか言いようがなかった。
「痛いのだけは勘弁だなぁ……」
例えば剣で腹部を貫かれたとして、どれくらいの痛みだろう。頭蓋骨を陥没する痛みは?
どの道、死んでしまえばそれまで。
時は訪れ、こちらの都合など考慮してくれる訳もなく闘場へのゲートが開いていく。
闘士たちが入場していくのに押し出されて、ボクは闘場へと足を踏み入れた。
こうして『はじめての殺し合い』は開始されたのだ――。