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第5話 プント遠征

 エジプトの重要な交易国プントは、資源豊かで神の国ター・ネチェル𓊹𓇾とも呼ばれた。エジプトはハトシェプストの時代より約1000年も昔から、金、樹脂香、木材、象牙などの資源を求めてこの国と交易してきた。プントは、エジプトにとって宗教的に重要な資源を産出し、金、銀、銅からなる合金エレクトロンや、樹木から分泌される乳香や没薬ミルラという樹脂香が特に有名である。


 プントの実際の位置はよく分かっていない。プントの産物からアフリカ東部スーダン、エチオピア、エリトリア、ソマリア、ジブチ説が有力だが、アラビア半島という説もある。プントがどこにあろうとも、ハトシェプスト治世当時のエジプトの実効支配地域はプントまで広がっていなかった。しかしエジプト側の見解では、プントに支配者がいようといまいと、この国はエジプトの支配下にあり、朝貢国であった。


 即位以来、ハトシェプストは権力を掌握するにあたって財政基盤を確立する準備をしてきた。即位前、アメン神の最高位の女性司祭アメンの神妻ヘメト・ネチェル・エン・アメン𓊹𓈞𓏏𓈖𓇋𓏠であったハトシェプストは、その地位を通じてカルナックのアメン神官団に宗教的・経済的に大きな影響を持っており、アメン神官団にプントとの貿易を勧める神託も出させた。


 治世7年、ハトシェプストはヌビア人の官僚ネヘシをプント遠征隊長に任命し、遠征隊を組織した。遠征隊に必要な人員やプント公への贈り物や物々交換用の品、船やロバの運搬手段の準備は、ネヘシに任せた。


 プントへは、ナイル川を下ってナイル東岸の上エジプト(エジプト南部)の町コプトスまで行く。そこから大雨の時にのみ水が流れるワディと呼ばれる涸れ川の一つワディ・ハムママート経由で、紅海沿岸の港エル=クセイルまでロバと人力で陸路を行き、この港からプントまで航海する。隊員の一部はエル=クセイルに残ってロバの世話をしながら遠征隊の帰りを待つ。エル=クセイルからは5隻の大型船とそれに同行する何隻もの小型船に全部で150人以上の漕ぎ手の他、書記、翻訳、船員、職人、兵士等も乗船した。


 遠征隊はプントに到着して間もなく、プント公一家と会見し、物々交換用の品として襟飾りや首飾り、剣、戦斧を提示した。一行を出迎えたプント公達は両手を開いて胸の前に掲げて挨拶し、エジプト側が上位に立っていることを示した。この会見の時、ネヘシはプント公妃を見て内心驚いた。彼女の腕と脚は象の脚のようにむくんで太く、臀部は後ろに異様に張り出している。ネヘシは会見の様子を書記に記録させ、同行した絵師にも会見の様子やプント公一家の容貌などをスケッチさせた。


 遠征隊は、アメン神の前に跪くハトシェプストの彫像も持参していた。ネヘシは、その像をプントにあるアメン神殿に奉納した。この神殿は、壮大なカルナック神殿に比べればずっと小さいものの、幅の広い塔門やそこに刻まれたレリーフ、パピルスや蓮の花を模した柱のある神殿本体のスタイルは同じエジプト式である。


 遠征隊とプント側の最初の会見の翌週、2回目の会見が行われた。ネヘシは、テントを建てさせ、エジプトから持ち込んだ穀物で焼いたパンやビール、果物や干し肉で宴会を催してプント側を接待した。


 遠征隊は、滞在中にプントでエレクトロンや象牙、レオパードの毛皮、黒檀、ミルラの木、乳香などの数々の貴重な品物、それに知の神トト神を象徴するヒヒなどの珍しい動物も入手し、エジプトに戻った。遠征隊はナイル川の運河を通じてカルナック神殿に到着し、交易品を船から下ろして神殿に運び込んだ。


 遠征隊の帰国まもなく、ネヘシを始めとした遠征隊の主要メンバーは、交易品の目録や遠征の記録を持参してハトシェプストに謁見した。彼女は遠征隊の成果にかなりご満悦であった。遠征隊員の苦労を労いながら、遠征の記録をさっと見てプント公の家族の様子が描かれたスケッチに目を止めた。


「ほう、プント公妃はそのような奇妙な容貌をしておるのか。面白いのう」


 ハトシェプストは、特にプント公妃の異様な容貌に興味を持ち、デル・エル=バハリに建造中の葬祭殿の第2テラス南柱廊の南壁レリーフに絵師のスケッチに基づいて公妃の容貌を写実的に描写させた。もちろんそれだけでなく、プント側との会見の様子や、遠征中の航海の様子、遠征隊がプントからもたらした数々の品物などもレリーフのモチーフとなった。これら一連のプント遠征の様子は、かなりダメージを受けているものの、現在もハトシェプスト葬祭殿の第2テラス南柱廊で見ることができる。


 ハトシェプストは、カルナック神殿第4塔門の背後にある父トトメス1世の柱廊でアメン神を前に交易品を披露した。プントから輸入された根付きのミルラの木は、この神殿を始めとした各地の神殿やデル・エル=バハリにあるハトシェプストの葬祭神殿に植えられた。カルナック神殿での交易品の披露や神殿に植えられたミルラの木は、女王としてのハトシェプストの威光を示威するのに十分であった。


 プント遠征に果たしたトトメス3世の役割はほとんどなかったが、交易品の披露の儀式ではミルラの入った壺2個をアメン神に捧げることができた。まだ若い彼は高官達への影響力が継母ハトシェプストに及ばず、このような大規模な遠征を組織する力が今はない。彼は儀式の間、そのことを痛感して悔しくなり、力をつけることを自らに誓った。

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