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第4話 神妻ネフェルウラー

 ハトシェプストの時代、神妻ヘメト・ネチェル𓊹𓈞𓏏の称号は正妃と王女だけが保有できる特権的な称号だった。ハトシェプストは神妻としてアメン神官団の強力な支持を得て即位に持ち込んだ。神妻の称号は即位と同時に手放す必要があったが、下手な人間に与える訳にはいかない。ハトシェプストは、まだ幼い娘ネフェルウラーを神妻に任命し、娘を代理する形で神妻としての権力やアメン神官団との繋がりも維持した。


 神妻の務める儀式は多岐にわたり、他の神官と同様に供物を捧げたり、清めの儀式なども担当したりする。その他にも重要な儀式として、神の妻という言葉の通り、神妻は儀式を通じて神と性的に繋がる役割も持っている。まだ幼いネフェルウラーにその役割が任せられることはもちろんなかったが、それでもネフェルウラーは神妻としてその他の儀式を行う必要があった。


 ネフェルウラーは儀式の間、行儀よくしていなくてはならず、退屈な儀式が大嫌いだった。でも彼女の教育係センエンムウトが根気よく儀式のやり方を教え、儀式の間も付き従って彼女の利かん気を抑えた。


 だが唯一、例外があった。振って音を出すラッセルの一種シストルムや、細長い金属板の重しが付いたビーズネックレスのメニトと呼ばれる楽器を振って鳴らして神を喜ばせたり、怒りを鎮めたりする儀式だけは、ネフェルウラーのお気に入りだった。お気に入り過ぎてセンエンムウトがちょっとでも目を離すと、彼女はシストルムやメニトを滅茶滅茶に振るので、センエンムウトは神官達の白い目が痛かった。


 ある日、その儀式をすることになり、退屈していたネフェルウラーは大喜びした。早速センエンムウトに釘を刺され、彼女はむぅーっとふくれた。


「殿下、遊びではありませんからね」

「いいでしょ、ちょっとぐらい」

「殿下のは、『ちょっと』ではすみませんからね……」


 ハゲワシを模したボンネットを被り、上等な麻布から出来たドレスを着せてもらってネフェルウラーは、ご機嫌になった。ハゲワシの羽は布から出来ていて一部金箔が貼られ、額に当たる部分には金箔の施されている金属製のハゲワシの頭が付いていて少し重い。幼いネフェルウラーに合わせて通常より小さく軽くしてあるものの、被っているうちにずり下がってきてしまう。ネフェルウラーは被り心地が悪くてご機嫌斜めになり、すぐにボンネットを脱いで背後に控えるセンエンムウトに渡した。神殿に入る直前にまた被ればよいので、センエンムウトも文句は言わなかった。


 神殿の中は、太陽がギラギラ輝く青空の下の外とは打って変わり、薄暗くて、直射日光が届かない分、少し外よりも涼しい。見上げると首が痛くなる程、高い天井のすぐ下に採光用の窓が設えられ、格子の間から差し込む日光が縞状に神殿の床に模様を作っていた。


 ネフェルウラーは、神殿の奥に安置されているアメン神の巨大な彫像に近づいた。アメン神が被る二重羽冠は高い天井のすぐ下まで届く程長く、光が届かない部分は薄暗くてよく見えない。


 背後からセンエンムウトがネフェルウラーに静々と近づき、神殿の備品であるナオス形シストルムとメニトを渡した。彼が小さな声で合図を出すと、ネフェルウラーはシストルムとメニトを振り始めた。それは音楽というよりも、ジャラジャラ騒音をたてているだけのように聞こえるだろう。実際、ネフェルウラーの頭からはこれがアメン神を癒す音楽だということはすっかり抜け落ち、音を楽しんでいた。そのうちにどんどんエスカレートしてきてネフェルウラーは、シストルムとメニトをブンブン振り回し始めた。


「殿下……」


 背後のセンエンムウトがネフェルウラーにそっと触れ、小声で演奏を止めた。


「もう終わり?」

「はい、ありがとうございました」


 センエンムウトはそう言ってネフェルウラーからシストルムとメニトを受け取り、神官の1人に返却した。その隣にはゴマすり神官長がおり、手もみしながらネフェルウラーに近づいて来てお礼を言った。


「殿下、見事な演奏をありがとうございました。大分アメン神にもご満足いただけたとは思うのですが……供物をいただければもっとご満足いただけるでしょう」

「センエンムウト、『くもつ』だって」

「……後で殿下からの寄進を届けさせましょう」

「おお、ありがたいことです! お待ちしております!」


 センエンムウトは微かに眉間に皺を寄せて神官長に答えたが、何とか寄進を得ようと必死だった神官長は、彼の僅かな表情の変化に気が付かなかった。


 彼らの後ろに控えていた神官達は、またかと半ば呆れ顔だった。碌に儀式もできない名ばかりの神妻を真面目な神官達はよく思っていない。だが、しょっちゅう寄進をしてくれる王女――もちろん実際には実母のハトシェプストがしているのだが――を袖にできないのも事実であった。それが分かっているから、センエンムウトは不快ではあってもネフェルウラーの立場の為に寄進の依頼を断れなかった。


「さあ、殿下、帰りましょうか」

「うん!」


 儀式が終わると、ネフェルウラーはセンエンムウトに甘えだした。勝手気ままにシストルムとメニトを振り回していたように見えても、幼児なりに気を遣っていたのだ。そんな彼女をセンエンムウトは、慈愛に満ちた態度で受け止めた。


 それはハトシェプストの政敵やセンエンムウトを妬む人々に不埒な想像をかき立てるのに十分であった。センエンムウトがハトシェプストに取り立てられた時にはネフェルウラーはとっくに生まれていたが、センエンムウトはそれ以前からハトシェプストの秘密の愛人でネフェルウラーは実は彼の娘だと口さがない人々は噂した。

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