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第3話 王女の教育係

 ハトシェプストの娘ネフェルウラーが生まれた時、乳母とは別にイアフメスまたの名をパアエンネヘベトという教育係が付けられた。彼はこの第18王朝の初代ファラオから仕えていた老臣であり、残念ながらネフェルウラーが乳児の頃に亡くなったので、ネフェルウラーは彼の事を覚えていない。


 イアフメス/パアエンネヘベトの次に彼女の教育係になったのは、センエンムウトである。彼はハトシェプストの寵愛を受け、ネフェルウラーの教育係として養父イト・メナア𓏏𓆑𓏠𓈖𓂝𓂒の称号を得て彼女を膝や胸に抱いた彫像をいくつも作らせた。


 センエンムウトは王女としての教育を行ったり、ネフェルウラーがまもなく任命される事になる神妻ヘメト・ネチェル𓊹𓈞𓏏の儀式に付き従ったりするなど、ネフェルウラーに関する公的な任務を担当した。一方、授乳や子守など私的な世話は乳母のティイが行った。


 センエンムウトの出自は高くなく父親も高官ではなかったが、老臣イネニに推薦されてハトシェプストの目に留まってからはあれよあれよという間に出世した。王女の教育係から最終的には宰相に任命された上、ハトシェプストの葬祭殿建築を任せられ、知られているだけで93もの称号を保有する程になった。


 ハトシェプストは、病弱な夫トトメス2世の生前から将来を見据えて野心を持っており、神妻ヘメト・ネチェルとしてアメン神官団の権力を利用していた。しかし、あまりに神官団の権力が強くなれば、神官団に依存するのは諸刃の剣だった。ハトシェプストは神官団を利用はしても、彼らの権力を削ぐ注意を怠らなかった。


 そのため、ハトシェプストはトトメス2世の生前にカルナック神殿の管理部門に自分の駒になり得る人間がいないか、神殿に伝手のある老臣イネニに尋ねた。イネニは、彼女の夫の2代前のファラオ・アメンヘテプ1世の時代から王家に仕えており、ハトシェプストに忠実な臣下であった。トトメス3世は当時、既に生まれており、妾腹の唯一の世継ぎの王子の存在に彼女が危機感を覚えている事をイネニもよく理解していた。


 イネニは、当時、カルナック神殿の労働者の監督官をしていたセンエンムウトを推薦した。


「陛下、センエンムウトは出自こそ低いですが、賢く忠義に篤い男です。数年前に私が今の職場に推薦してやった恩義を今でも忘れていません。陛下に忠実を誓えば、それを破る事はないでしょう」


 そしてその言葉はその通りとなった。


 センエンムウトは、ハトシェプストに初めて会った時、高貴な女性に会えて光栄に思うあまり、緊張して身体が震えた。通常なら当時正妃であったハトシェプストに目通りが叶わない身分のセンエンムウトとは、秘密裡の謁見となった。


「苦しゅうない、頭を上げよ」

「ありがたき幸せ」


 センエンムウトは頭を上げると、ハトシェプストの神々しい美しさを初めて目の当たりにした。その途端、雷を打たれたごとく衝撃が全身に走り、彼女にずっと忠誠を誓うだろうという予感が泉に湧き出る水のように湧いてきた。


 そしてそれは正しかった。センエンムウトが忠誠を捧げれば捧げる程、ハトシェプストはそれに応えてくれた。


 だが、センエンムウトが出世すればする程、ハトシェプストやセンエンムウトの政敵は、彼らの関係について口さがない噂を流した。ハトシェプストは何事もないかのようにやり過ごしていたが、内心彼女を慕うセンエンムウトは、彼女の高潔な精神を貶める奴らのやり口に憤りを感じていた。でもそれと同時に、センエンムウトの愛が臣下としての愛であるとハトシェプストが露程も疑わず、忠誠を信じているのを見るにつけ、彼は罪悪感を覚えるのだった。


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