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第1話 実権を掌握する女王

 トトメス2世の正妃ハトシェプストは、夫が亡くなった時、悲しむよりはイライラと焦りのほうが強かった。


(あの役立たず男、とうとうわらわに息子を授けずにくたばった! おかげでトトメスをファラオにしなくてはいけないではないか!)


 ハトシェプストは子供の頃から利発で健康にすくすくと育ち、授かった息子全員が病弱だった父王トトメス1世は『そなたが息子だったら』とよく嘆いた。ハトシェプストの同腹の兄2人は父親よりも早く夭逝してしまった。後を継いでファラオになったトトメス2世は妾腹の子でハトシェプストの異母兄にあたる。その兄と結婚しなければならなかったことは業腹だったが、正当なファラオの血統を残すためには仕方なかった。


 なのにハトシェプストは流産を繰り返し、やっと生まれた子は女だった。王女だったら、トトメス2世は既に愛妾に3人も産ませているからハトシェプストにとって意味がない。次の子をと思っても、トトメス2世はお前と1人作ればもう役目は果たしただろうと出産後も共寝したがらなかった。ハトシェプストだって好きでもない夫との閨が楽しいはずはなかった。夫が側室イセトに息子トトメス3世を産ませていたから、必死だっただけである。だが非情なことにハトシェプストの出産後1年も経たないうちに病弱だったトトメス2世は亡くなってしまい、まだ7歳のトトメス3世が即位することになった。


 しかしこれで終わるハトシェプストではなかった。


 ハトシェプストは、夫トトメス2世が亡くなる前からアメン神の最高位の女性司祭『神妻ヘメト・ネチェル』𓊹𓈞𓏏であり、その地位を通じてカルナックのアメン神官団に宗教的・経済的影響を持つ。


 アメン神官団の支持を得て、ハトシェプストは少しずつ実権を握っていき、トトメス3世治世3年にとうとう即位名マアトカーラー𓍹𓇳𓁦𓂓𓍺「ラー神のマアト正義カー精神」を名乗ってファラオとして即位した。これが22年にわたるトトメス3世との共同統治の始まりだった。もっともハトシェプストはトトメス3世治世1年に遡って共同統治を始めたことにしたから、実際の即位からは20年である。即位以降、ハトシェプストはトトメス3世派――トトメス3世がある程度成長してからは彼自身とも――と次第に対立を激しくしていった。


 ハトシェプストは、実態が『女王』であっても男性のファラオとして振舞わなくてはならなかった。重臣達がファラオは男性であるべきと最後まで譲らなかったので、ハトシェプストは公式の場では顎髭を着けて男装し、彫像や壁画、レリーフには男性として描かれることになった。


 子供を授けてくれる夫がいなくなり、ハトシェプストは今度は娘ネフェルウラーに望みをかけた。トトメス3世の即位後すぐにまだ赤ん坊のネフェルウラーを義息子のヘメト・ネスウ・ウェレト正妃𓇓𓈞𓏏𓅨𓏏にさせた。トトメス3世とネフェルウラーは異母兄妹にあたるが、ハトシェプストと夫トトメス2世も異母兄妹で、異母きょうだいやおじ姪の結婚はタブーではない。だからこそ、どこぞの重臣が自らの娘や妾腹の異母姉妹の後ろ盾になってトトメス3世に娶らせる前に先制攻撃をかけたわけである。


 王家は一夫一妻制ではないので、トトメス3世が精通を迎えれば重臣達がすぐに妊娠可能な女性を側室か妾として送り込んでくる可能性は十分ある。ハトシェプストは、トトメス3世の精通がなるべく遅く来るようにし、ネフェルウラーが初潮を迎えたらすぐに彼の閨に送り込んで妊娠させようと画策している。ネフェルウラーが病弱で初潮が遅くなりそうだからだ。


 ネフェルウラーが息子を産んだら、トトメス3世を退位させて孫をファラオにするのがハトシェプストの悲願である。そのためにはトトメス3世が十分に成熟して治世を確立する前、しかも他の女と息子を作る前にネフェルウラーに王子を産んでもらわないとならない。ハトシェプストは、幼い娘が若過ぎる年齢で妊娠して起こるであろう健康上の弊害など露ほども心配していなかった。


 だがそうはうまくいかないのが世の中である。ネフェルウラーは近親結婚の悪影響で病弱であった。ハトシェプストは一縷の望みをかけてネフェルウラーを何かにつけてトトメス3世と交流させて仲良くさせて早く男女の仲になるようにさせようとした。だが、それも表面上だけでよい。要はトトメス3世は単に種馬であるから、子種だけもらえばよくて正当なファラオの姫ネフェルウラーは種馬に気を許すのではない。それがハトシェプストの考えだった。

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