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6:大叔母仕込みの整体術

 ディングレイが己の内に宿る悪魔をねじ伏せ、渋々本邸へきびすを返したところで、庭を歩く三人組とかち合った。

 ケーリィンとインジュ、そして何故かリズーリの三人だ。


「よお、お帰り」

「ただいまです」

 ディングレイが内心の不安を蹴り飛ばしてケーリィンへ声を掛ければ、いつものほっこり笑顔と声が返って来た。

 その愛らしい笑みを見下ろし、少しばかり安堵する。


 が、彼女もディングレイの背後の異様さに気付き、すぐさま顔を強張らせた。

「あの……レーニオさんが、すごい姿勢で固まって……いるようですが」

「じじいと風呂場で出くわす話をしたら、ああなった」


 簡潔な説明に、三人は顔を見合わせる。次いで、インジュがこめかみを抑えた。

「……ディングレイ君。申し訳ないのですが、全く意味が分かりません」

「悪ぃ。俺にも意味分かんねぇから、説明しようがないんだ」


 ケーリィンはおずおずと、ディングレイとレーニオを交互に見遣る。

「レーニオさん……泣いてませんか?」

「ああ。仰け反った時に、腰を言わせちまったらしい」

 彼女の金色の瞳がぎょっと、驚きで見開かれる。

「大変。治癒の舞を踊りますね」


 しかし駆け寄ろうとする彼女を、制する手があった。リズーリだ。

 彼はケーリィンの肩に手を載せ、やんわりその場に留めさせた。彼へ振り返ったケーリィンは、困惑に眉を寄せている。

「リズーリ様、どうしました?」

「うん、ちょっと、レーニオ君の様子が見たいなぁって」

「見たいなぁって……そんな」

「おいおい。何するつもりだよ、あんた」

 呆れるケーリィンとディングレイを無視して、リズーリは相変わらずの麗しい笑みでふわふわとレーニオに歩み寄る。


 その気配を察したのか、恐る恐る、レーニオが背後を振り返った。

 そしてヒィィッと、かすれた悲鳴を零す。

 悲鳴を上げて当然であろう。リズーリによって、魔獣の囮にされた過去もあるのだから。


「なっ……なんで、ここに、リズーリ様がいるんですかぁ! やだぁ!」

「いやー。大きな魚を捕まえたからね、皆にご馳走しようと思って」

 釣った、ではなく捕まえた――この辺りが、湖に住む竜神らしい。


「分かりました! ご馳走、食べますから! その手! 手、やめてぇっ!」

 腰の痛みを押し殺し、レーニオは絶叫する。リズーリが両手を掲げ、指をワキワキと動かしていたのだ。

 彼の視線はレーニオの腰に固定されていた。

 何をするつもりかはよく分からないが、何をしたいのかは、誰もが十二分に分かった。


 しかし享楽的な竜神を、止められるはずもなく。また、巻き込まれると嫌なので、ほぼ全員が傍観の姿勢に入る。

 生真面目なインジュですら、諦めの表情であった。彼の骨ぐらいは拾ってやらねば、とその顔が語っている。


 ただ一人、ケーリィンだけは

「リズーリ様……レーニオさん、本当に痛そうなので、あの、あまり無理強いは……」

せめて、とおずおず口添えをする。

「うう、ケーリィンちゃんの優しさが、腰に染み入る……」

 そう言って泣いたレーニオの涙が、頬を流れた時。


 リズーリが、レーニオに飛びついた。否、腰から押し倒した。

 ぎゃおう、とレーニオはしっぽを踏まれた猫のような悲鳴を上げた。

「レーニオ君の悲鳴は、レパートリーが豊富だねぇ」

 リズーリは呑気に言いながら、彼の腰をぐいぐいと容赦なく押した。彼の細腕が腰を押すたびに、骨が破裂するような音がした。


 これには気弱で繊細なケーリィンが、青ざめたまま震える。

 豪胆なディングレイも、彼女の背中を支えつつ、さすがに顔を引きつらせた。

「おい、リズーリ。その辺にしとけよ」

「うん、そうだね」

 制止の声に、意外にもリズーリはあっさり頷いた。次いでぱっとレーニオから離れる。


 庭の芝生につっ伏していたレーニオが、涙目で彼を見上げた。

「何するんですかぁ! めちゃくそ痛かったんですけど!」

 そう叫んでがばりと立ち上がり、彼は目を点にした。

「あれ? 痛くない……?」

 腰を叩いたり捻ったりして、レーニオはみるみるうちに明るい表情となった。


「大叔母から習った、整体を試してみたんだ。いやぁ、なかなか被験者がいなくて、困っていたんだよ」

 ゆったりした東方風の服で懐手になり、リズーリは爽やかに微笑む。

 自身の身に起こった奇跡で目を輝かせていたレーニオも、被験者という単語で顔を曇らせた。

「……ってことは、試したのって僕が初めて……?」

 鷹揚に、リズーリが頷く。

「うん、その通り。案外勘が良いじゃないか。良くなって何より」

 声にならぬ叫びを、レーニオは上げた。そして竜神へ詰め寄る。


「何より、じゃないですよ! あんた、それでも神様ですかぁ! 悪化したらどうするつもりだったんです!」

「だってその時は、ケーリィンちゃんがいるし。ほらね?」

「ほらね、じゃないですよ! 最低だぁ!」


 涙目で地団駄を踏むレーニオは、すっかり元気になったらしい。正に奇跡である。

 とはいえ、この元気がいつまで続くのかは怪しい。なにせ、治癒したのが無免許の整体師なのだ。


「……念のため、術札は用意しといてやるか」

 ぼそり、とディングレイが呟いた言葉に、ケーリィンもまだ青ざめた笑みで首肯する。

「そうですね。取って来ますね」

「ああ、頼んだ」

 本邸に戻ろうとする彼女を見送ろうとして、ディングレイは咄嗟に、たおやかな手首をつかんだ。


「レイさん? あの、どうしました?」

 突然の行動に、ケーリィンは目を丸くしている。

「あ、いや……」

 わずかな逡巡の末、ディングレイは彼女の顔を覗き込んだ。

「……あんた、大丈夫か? 疲れてねぇか?」

 ケーリィンは笑顔だった。しかしその顔は、ごくわずかだが強張っていた。


「リィン……?」

「大丈夫ですよ! フォーパーさんのところで美味しいお茶もいただいて、元気いっぱいですよ。ね?」

 努めて明るい声を出し、ケーリィンは傍らのインジュを見上げる。

 どこか縋るような視線に、彼もこくこくと、真面目くさった顔で頷いた。

「ええ、美味しいお茶でした。ただ私はフォーパーさんに気力を、若干吸われておりますが」

 大いにあり得る話だ。


 とはいえ、ケーリィンが隠すというなら、これ以上この場で詮索するのは得策ではない。

「大丈夫ならいいけど、無理はするなよ?」

「はい、ありがとうございます」

 ディングレイが引き下がると、悲しいことにケーリィンはホッとした表情を浮かべた。次いでそそくさと、本邸へ駆け出した。


 もっと気の利いた言葉を投げかけたいのに、とディングレイは己の口下手さを歯がゆく思った。

 先ほどまで彼女の手首を握っていた、己の褐色の手を見下ろして肩を落とす。

 うなだれる同僚に、インジュは苦笑を漏らした。

「ケーリィンさんはとても、我慢強い方ですから」

「我慢強いというか、頑固というか――だな」

 そう言ってゆるゆると視線を交わし、男二人で情けない笑みを浮かべる。

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