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4:マリッジブルー

 ケーリィンはインジュを伴い、フォルトマ洋裁店へ来ていた。

 目的は、仮縫いが終わったウェディングドレスの試着である。

 彼女自身は「引っ越しのお手伝いがまだなのに」とゴネたものの、試着も重要な予定だ。

 ロールドとディングレイの両者になだめられつつ、ここを訪れている。


 また、何故インジュが同伴者かと言えば

「私の作ったラブリィ・ミルキィなドレスに、泡を食うディングレイ君の顔を見たいのだ! もちろん、当日に! 花婿にはドレスのことを、口外無用で頼むよ!」

と、製作者であるフォーパーその人が、関係者にそう通告したためだ。

 そのためディングレイは、ケーリィンのドレス姿はおろか、自身が当日着る礼装についても未だ知らない有様なのだ。思い切りの当事者なのに、それで良いのだろうか。


 平常運転で問題児なフォーパーであるが、やはりドレス作りの腕前は見事の一言に尽きる。

 レース生地を重ねて作られたそれは、まるで妖精族のドレスのような繊細さを備えていた。

 銀糸による縁取りと、ディングレイの瞳によく似たアクアマリンの粒が彩りを添えているのは、ケーリィンたっての希望である。

 決して、花婿の妄執でないことだけは言い添えたい。


 ウェディングドレスに着替えたケーリィンは、これは本当に自分なのだろうか、と姿見を呆けて眺めていた。

「こんな綺麗なドレスを着られて……まるでどこかのお姫様、みたいです……」

「素晴らしいですよ、ケーリィンさん。よくお似合いです」

 試着室の外で控えていたインジュも、喜色満面。完全に「娘の成長を祝う」お父さんの笑顔である。


「みたいじゃなくて、お姫様に間違いないのよ」

 彼女の着替えを手伝ったエイルが、麗しい笑みで訂正を入れた。

「結婚式の主役は花嫁なんですから。その日は一等、偉いお姫様になれるんです」

「ふふ、ありがとうございます」

 ケーリィンは背後の彼女へ振り返り、目を合わせて笑い合った。


 大満足の舞姫の姿に、フォーパーも大いに胸をそらした。

「ふんわりとガーリィに攻めつつ、ケーリィンちゃんのグンバツなスタイルも余すところなくお披露目できる、珠玉のドレスと言えよう! 式の後の、パーティーでのドレスも期待したまえ! ヌワーッハッハッハァッ!」

「ありがとうございます。楽しみにしてますね」

 すっかりフォーパーの奇声にも慣れたケーリィンは、にこにこ楽しげである。インジュだけは、まだ若干腰が引けているが。


 父にも動じぬ彼女を見つめ、陶然、とエイルは吐息を零した。

「本当に素敵ね、ケーリィンちゃん……このまま樹脂で固めちゃいたい……お部屋に飾りたいわ」

「樹脂は困ります! 私がディングレイ君に殺されてしまう!」

 真っ青になってインジュが、ますます引けた腰で以てケーリィンを庇った。彼の肩を叩き、ケーリィンがふんわりと宥める。

「大丈夫ですよ、インジュさん。エイルさんのこれは、挨拶のようなものなので」

「あ、挨拶……?」

 その言葉に怖々と、エイルを窺うインジュ。


 表情を微苦笑に変えたエイルも、こっくり頷いた。

「ええ。私も、まだジルグリットさんに殺されたくはありませんので。今のは場を和ませるための冗談のつもりだったのですが……あまり和まなかったようで、反省しています」

 父親の顔に戻ったフォーパーが、うなだれる娘を慰める。

「慣れないことはするものじゃないよ。そういう時は父のように、奇声でも上げておきなさい」

「それだけは遠慮します。ケーリィンちゃんが落ち込んでるみたいなのに、奇声で驚かせちゃ可哀想ですもの」


 ぎくり。ケーリィンは頬と肩を強張らせた。

 嘘やごまかしが苦手な彼女に、一同の視線が注がれる。生真面目インジュも、気遣わしげに彼女を見つめている。

「そうだったのですか? 気付かず申し訳ありません、ケーリィンさん」

「いえ、そんな! 落ち込んでる、と言いますか、その……」

 ケーリィの胸に朝のモヤモヤが去来するも、見て見ぬふりでやり過ごす。


「……その、朝から大掃除を頑張ったので、ちょっと疲れてしまったのかも、です」

 だから強張った笑みのまま、もじもじと、当たり障りのない言い訳を取り繕った。

 それ以上に何かがあるのは見え見えの笑みであるが、優しい年長者たちはそれ以上、掘り下げなかった。

 フォーパーが少し身をかがめ、未だ弱った顔のケーリィンと目線を合わせる。

「結婚式の準備も大変だと、聞いているよ。よし、ドレスの打ち合わせはここで終わりにして、気分転換にお茶でもしようか」


 パン、と彼が手を一つ打つと、インジュも大きく頷いた。

「私もお手伝いいたします」

「おお、助かるよ」

 男性陣が台所に消え、ケーリィンはエイルに手伝われながらドレスを脱ぐ。


「マリッジブルーかもしれないわね」

 ウェディングドレスをトルソーに着せながら、エイルがそう呟いた。

 元の、朱色に黄色い小花柄のドレスに着替え中のケーリィンが、髪に手櫛を入れつつ首を捻る。

「マリッジブルー……ですか?」

 エイルは背中のくるみボタンを留めてやりながら、こくりと頷いた。

「ええ。結婚前に些細なことで心配になってしまったり、落ち込んでしまったりすることを言うそうよ。でも、不安になって当然ですよね。結婚後も、今までと何もかも同じ、というわけにはいかないもの」


 ケーリィンの脳裏によぎったのは、ロールドの引っ越しであった。

 きっとそれ以外にも、変わってしまうことは多々あるのだろう。

 これから二人の間に子供が出来れば、その変化はより大きなものになる。

「……そうですね、それもあるのかもしれません」

「やっぱり、他にも不安があるのね?」

「えっ」


 ファリエは試着室を出ながら、ぎょっとエイルを見る。彼女は悪戯っぽく笑んでいた。

 どうやら結果的に、かまを掛けられたらしい。

 諦めたように、ケーリィンは小さく嘆息。


「エイルさん。誰にも言わないでくださいね」

「ケーリィンちゃんの秘密は、もちろん私が独り占めするに決まってるわ」

「ありがとうございます……わたし、ちょっとモヤモヤしていて」

「モヤモヤ?」


「はい。レイさん、誰に対しても平等だから……だから、幼稚だって分かってるんですけど、ヤキモチ……焼いちゃって。情けないですよね、舞姫なのに」

 ふるふる、とエイルは即座に首を振った。いつになく、怒った怖い表情で。

「情けないのはジルグリットさんの方ですよ。婚約者を放っておいて、とんでもない馬鹿男です」

 ディングレイに負けず劣らず、エイルの口もなかなかどうして結構荒い。ふん、と彼女は悪びれもせずに鼻息を荒くする。

 それでも天衣無縫の美しさは損なわれないのだから、美人は凄まじい。


「たまには困らせてやればいいんですよ、あんな気の利かない朴念仁ぼくねんじん。家出をするとか、駄々をこねるとか」

「い、家出はさすがに」

 及び腰のケーリィンへ、エイルはにんまり。

「あら、私のお家にいらっしゃいな。それで、女二人で楽しく過ごしましょ?」

「フォーパーさんの存在は?」

「ケーリィンちゃんの身代わりに、神殿で暮らしてもらえば丁度いいわ」


 ね、と小首を傾げられれば、ケーリィンも家出が悪い案ではないような気がした。

「それもあり、ですね。でも、フォーパーさんの身代わりはなしでお願いします」

 そんなことをすれば、色々ととんでもないことになりかねない。

 例えば、礼拝堂にミラーボールが設置されたり。


「あら残念」

 そう言うエイルと再度顔を見合わせ、二人で呑気に笑い合う。

 たまに言動は過激だが、エイルは一番の友人だ。実行に移すかは別として、いざという時の隠れ家があるのも嬉しい。


 その後の即席お茶会では、挙式経験者である男性陣二人が、ケーリィンへ何くれとアドバイスを贈ってくれた。

「男性はとかく、『結婚式の主役は女性だから』と、彼女の意思を尊重することを言い訳に、式の準備を手伝わない傾向にあります。ケーリィンさん、そういう時はガツンと言ってくださって構いません。こちらも、それを良かれと思っている節があるので」

 ナッツのクッキー片手に、いつもの生真面目顔でそう言ったのはインジュだった。

 手元が可愛いが、顔はキリリと真剣である。


「意外です。インジュさん、愛妻家ですから」

 ぽつりと返されたケーリィンの言葉に、いえいえ、インジュはと大仰に首を振る。

「私などはまだまだです。式の時も妻から、『仕事を言い訳に、何もしないつもり?』と散々なじられた次第なので……」

 当時を思い出し、がくりと頭を下げた彼の背中を、隣のフォーパーが遠慮なしに叩く。


「女心を分かろうなんて、無理な話さ。この仕立て屋フォーパーも、未だに分かっていないからね! ハッハッハ!」

「お父さんは仕立て屋さんなんですから、もうちょっと女性の機微も掴んでくださいな」

 呆れ顔のエイルの小言も、フォーパーは口笛を吹いて聞こえないフリをする。

 そんな息の合った親子のやり取りが面白おかしく、ケーリィンは何度も笑った。

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