ケーリィンが談話室の扉を軽くノックすると、
「どうぞ」
中から、低い声が簡潔に応じた。
「レイさん、お茶を淹れましたよ」
ケーリィンはティー・ポットと、二人分のカップを載せたトレイ片手に、扉を器用に開く。
それを目にしたディングレイがソファから立ち上がり、代わって扉を押さえ、ついでにトレイも引き受けてくれた。
「ありがとうございます」
「いや、こっちこそ気を遣わせちまって、悪ぃ」
パジャマにガウン姿の彼は、平素の軍服姿よりも幼く見えた。
「ううん、好きでやってるんです。気にしないでください」
「……ん」
トレイをテーブルに置いたディングレイは、少々照れ臭そうに銀髪をかき回す。今まで彼が座っていた場所には、一冊の小説が伏せられていた。
武闘派な一方で、彼は存外に読書家なのだ。読むジャンルも多岐に渡っており、現在のお供も児童文学とは打って変わって、硬派な社会派路線の警察小説だった。
自身の職業も警察と似たり寄ったりなのに、読んでいて楽しいのだろうか、とふとケーリィンは考える。ただ、好みは人それぞれだ。
そして今晩のように入浴後、図書室ならびに談話室へディングレイが入り浸ることは珍しくない。
そんな時は決まって、ケーリィンは二人分の紅茶を淹れる。読書をする彼の隣にちょんと座り、紅茶を楽しむのだ。
気を遣ってか、その時はロールドも二人きりにしてくれるので、ささやかながらも幸せな時間である。
ケーリィンはあらかじめ温めておいたティーカップ二つへ、紅茶を静かに注ぎ入れる。
「はい、どうぞ。今日はジャム入りにしてみました」
「ああ、ありがと」
小説にしおりを挟んだ――最近気づいたのだが、彼はしおりの収集も趣味らしい――ディングレイは、礼を言った紅茶を一口飲んだ。
そして、空色の瞳をわずかに見開いた。どうしたのだろうか、とケーリィンは首を傾げる。
「レイさん?」
「……俺より淹れるの、上手くなってねぇか?」
何故だろう。彼は少し悲しげだ。
「そうでしょうか?」
「絶対そうだ。……飯も世話になってるし、立つ瀬ねぇよ」
なるほど、それで悲嘆しているらしい。責任感の強い彼らしい嘆きである。
ケーリィンも自分の紅茶を口にするが、各段腕前が上がったとは思えない。
もっとも、彼女に繊細な味の違いを感じられる、優秀な味覚が備わっていないだけかもしれないが。
「うーん。レイさんの方が上手だと思いますよ。でも、誰かに作ってもらったお料理って、それだけでご馳走ですよね」
思ったことを素直に言えば、「そうか」と素っ気ない返答だけがあった。
しかしケーリィンがちろりと彼を見上げると、頬がわずかに赤かった。満更でもないらしい。
安堵したケーリィンは、ガウンの大きなポケットに隠し持っていた包みを、そっと引き抜いた。
渡すなら、今しかない。
「あの」
「ん? どうした?」
「これ……その、プレゼント、です」
意気込んだものの、声はどんどん先細りになった。彼の比じゃなく頬が熱くなり、視線もつい下へと落ちる。
ディングレイはしばし無言だった。
しかし震える手から、水玉模様の包みを受け取った彼は、ケーリィンの顔を覗き込む。
「中、見てもいいか?」
優しい声音につい涙腺が緩みつつ、ケーリィンはコクコクと頷く。
が、包みを開いて空色のマフラーを目にした途端、思い切りしかめられた顔にとうとう、本気で泣いてしまった。
蜂蜜色の大きな瞳から、ぼろぼろ涙をこぼす彼女に、ディングレイも泡を食う。
「リィン? おい、どうした?」
「ごめっ……なさい! 手作りなんて……嫌、でした……?」
「は? あ、いや、違う! そうじゃねぇんだよ!」
ディングレイは泣きじゃくる彼女を抱きしめ、いやいやと突っぱねられながら、強引に膝へ乗せた。
そして武骨な手が、やや荒っぽく彼女の涙を拭った。
次いで拭った目尻に一つ、口づけも落とされる。
「ひゃっ……」
ケーリィンは驚きで、涙が引っ込んだ。
「嫌なわけじゃねぇよ。売り物にしか見えねぇし……そうじゃなくて、エイルに腹が立ったというか」
ケーリィンの髪を撫でながら、ぼそぼそと、彼は釈明する。小さく鼻をすすって、彼女も問いかけた。
「エイルさんに、ですか?」
「ああ。この前、一人で買い物に出ただろ? あの時にマフラーも買おうとしたら……」
――あなた様に売るマフラーはございません。
なんとも爽快な笑顔でばっさり拒否され、あまつさえ店を追い出されたらしい。理不尽だ。
そしてディングレイは理不尽の理由をようやく知り、彼女の過剰なおせっかいに腹が立ったようだ。
「ふふっ。エイルさんらしいですね」
だからつい、ケーリィンは噴き出す。
「……そこまでアイツの性格を熟知してて、あんた、よく友達でいられるよな」
俺にはとても無理だ、と続く声音は重かった。たしかに、癖の強い人柄ではある。
しかしケーリィンの場合、恋人の人物像も非常に強烈だ。やはり彼女自身、その手の人物への耐性があるのだろう。
聖域とは名ばかりに伏魔殿のようだった、故郷の人間模様が培ったに違いない、とケーリィンは笑顔の裏で考える。
笑みの戻った彼女にホッとした様子で、ディングレイは折りたたまれていたマフラーを広げた。
淡い空色に、雪の結晶模様があしらわれたマフラーだ。
冬場に寒々しいだろうかとも考えたが、彼の軍服が濃紺であることと、何より大好きな瞳の色に合わせたい、と考えての配色だった。
雪の結晶柄は、ディングレイが得意とする氷の魔術をイメージしてのものだ。青や薄紫や群青色の毛糸が、鮮やかに結晶の濃淡を描いている。
その結晶柄を一つ撫でて、ディングレイは感嘆の声を上げた。
「すげぇな……よくこんなの作れるよ。あんた、器用なんだな」
ケーリィンははにかみながら、ゆるりと首を振る。
「ううん。模様の部分は難しくて、フォーパーさんにも手伝ってもらいました」
「オッサンが手伝ったのか? 器用なうえに、人使いも上手いわけだ」
にやりと悪い笑みで、ディングレイも楽しげに返した。そのままゆっくり、ケーリィンの頬を優しく撫でる。
「リィンありがとな。でも祝い事でもないのに、貰っちまって良いのか?」
「いつも優しくしてくれている、お礼です。だから貰ってもらえないと、困ります」
「ん。分かった。大事にする」
一度目を伏せた彼は、
「俺からも、朗報があるんだ」
表情を少し強張らせ、それとは相反する単語を口にした。