「なんでてめぇが、ここにいるんだよ」
ディングレイはフォルトマ洋裁店の前でかち合ったレーニオを、間髪入れず睨みつけた。
親どころか、先祖代々の仇のごとき目で見据えられ、根っこが小心者のレーニオはたちまちすくみあがる。
「ぼっ、ぼぼぼっ、僕だっておっ、お洋服買うんですぅ! お洒落したい年頃、なんですぅ!」
内股で小刻みに震える彼へ、ふん、とディングレイが鼻を鳴らす。
「てめぇにゃ、ズタ袋が一番お似合いだよ」
「ひっどい! それ服じゃないし! 袋だし! 上手いこと言ったつもりですか? オッサン最低!」
「誰がオッサンだ! まだ二十代だぞ!」
四捨五入すればたしかに三十歳だが、心は八歳である。
店の前で小競り合いばかりを繰り返し、一向に入って来る気配を見せない二人へ、業を煮やしたらしい。うんざり顔のエイルが、ドアを開けて告げた。
「迷惑ですから、店先での喧嘩はお止めください」
「……悪ぃ」
ディングレイは締め上げていたレーニオの胸倉を解放し、ばつの悪さから銀色の癖っ毛をかき回す。
「エイルちゃん、見てたんならもっと早く助けてよー」
首をさすりながら、レーニオが馴れ馴れしくエイルに縋りついた。それをビンタ一発、エイルは跳ねのける。
「私にそんな義理はありませんわ。だってお二方ではなく、ケーリィンちゃんの味方ですもの」
相変わらずの辛辣さである。
「うう……ブレがないね……」
今度は頬をさすり、レーニオは悲しげに呟いた。
そこでエイルはうんざり顔から一変し、不思議そうにディングレイの背後を覗き込んだ。
「ところで、ジルグリットさん。ケーリィンちゃんとは、ご一緒じゃないんですか?」
「ほんとだ! いっつもワンセットなのに」
レーニオも今さらながら、舞姫の不在に気付いて目を丸くする。
ディングレイはワンセットとは何なのか、と苦笑しつつ「一緒じゃねぇよ」と答える。
「そのリィンのことで、ちょっと相談があるんだよ」
「あら、恋愛相談でしたら高くつきますよ?」
むふふ、とエイルが含み笑い。ディングレイはそれを見つめ、露骨に顔を歪めた。
「……ないのか、お友達割引とか」
「こちらは割引対象外となっておりますので」
エイルはいけしゃあしゃあと答えつつも、ドアを全開にして二人を店に招き入れた。
発端は、先日の収穫祭――いや、その後に開かれた歓迎会だ。
市民のほぼ全員が、事前に歓迎会開催の旨を知らされていた。
知らなかったのは主賓であるケーリィンと、彼女と「ワンセット」であるディングレイのみ。
「お前さん、いつもケーリィンちゃんのそばにいるじゃろう? だから、こっそり言うのも面倒じゃなーという話になったんじゃよ」
事も無げにロールドからそう説明されるも、ディングレイとしては納得しかねる。
歓迎会への参加者は皆、ケーリィンへのプレゼントを携えていたのだ。
エイルとフォーパー親子は、青バラのドレスと、揃いの靴を。
レーニオは中央府まで赴き、人気の焼き菓子を。
むしろ貢物を受ける立場にいるリズーリすら、貝殻やサンゴをあしらった可愛らしい小物入れを用意していた。
恋人とはいえ、唯一人プレゼントを準備しなかったディングレイにとって、歓迎会は楽しくも居心地が悪いものでもあった。
彼はそのことを出来るだけ、感情を抑えて二人に説明する。
ケーリィンにまつわる相談と聞き、前傾姿勢だったレーニオだが、内容が贈り物に出遅れたディングレイの愚痴だと気付くと、途端に興味なさげな表情を浮かべる。
「別に良いんじゃないですか? ケーリィンちゃん、そんなこと気にする子じゃないでしょ?」
「そうですね。きっと、ジルグリットさんだけが手ぶらなことにも、全く気付いていないと思いますよ」
エイルはにこにこと、それはそれで傷つくことを口にする。平然と。
ディングレイはカウンターに頬杖をつき、しかめっ面になった。
「……だから余計に気まずいんだよ、こっちが。おまけに、欲しいものがあるかって訊いたら」
――レイさんが元気でいてくれたら、それだけで幸せです。
柄にもない勇気を振り絞って尋ねたのに、返って来たのはそんな、慈愛の過ぎる回答であった。
「あの子は俺のおふくろか!」
ディングレイの悲痛な嘆きに、若者二人は訳知り顔でうんうん頷く。
「ケーリィンちゃん、母性強そうだもんね」
「ええ。そうでなければ、ジルグリットさんを選ばないかと思います。私なら、御せる自信がございませんもの」
悲しいかな、ディングレイもエイルの意見には完全同意だった。
そのため憎まれ口も叩けず、代わりに眉間へ峡谷の如き深いしわを作る。
「ほらほら。ジルグリットさん、また死神みたいなお顔になっていますよ。プレゼント選びのお手伝いをいたしますから」
そのために来られたんでしょう?とも彼女に尋ねられ、ディングレイは不承不承、頷いた。
「で、ディングレイさんに良い案はないんですか?」
ケーリィンへのプレゼント選びということでレーニオも、出さなくても一向に構わないやる気を見せる。
彼の問いに、ディングレイは小さく嘆息を吐いた。
「……専用のエプロンが欲しいって、リィンが言ってたんだが……ジジイに先を越された」
そう。歓迎会でロールドが贈っていたのだ。
フリルの付いた、それはそれは可愛らしいエプロンを。
エイルは口元に手を当て、目を丸くする。
「まぁ。プレゼントのチョイスも、お母様へのそれですね」
「ディングレイさんってひょっとして……マザコン?」
「んなわけあるか」
恐る恐るなレーニオの問いを、ディングレイは即座に否定した。
そもそも生みの親が大量にいるので、個々への思い入れは極薄だ。
エイルは宙を睨んで黙考の末、
「いっそ童貞を差し上げればいかがですか? 他の追随を許さない贈り物かと」
真剣な眼差しでえげつない発言をした。
「おっ、女の子がそんなこと言うなよ!」
ディングレイは裏返った声で、嫌な汗をかきながら彼女をたしなめる。
焦る彼が愉快だったのか、レーニオはニヤついていた。
「やだー。ディングレイさんってば、マジのマジで童貞ですかー?」
「てめぇこそ童貞だろ!」
「あらやだー、ムキになっちゃって……うぼぁっ!」
鞭のようにしなったディングレイの腕が、レーニオの首を捉え、そのまま勢い良くなぎ倒す。
いわゆるラリアットである。
五十歩百歩、と小声で唱えたエイルが、熱意もなくディングレイをたしなめる。
「まぁまぁ。身持ちが固いのは結構なことですよ? それに恋人なんですから、それらしいプレゼントになさってはどうですか? たとえばアクセサリーなんて、よろしいかと」
「でもあの子、貴金属は好きじゃねぇだろ」
腕を組み、ディングレイは困り顔で返した。
彼の脳裏には、リズーリとケーリィンの初対面時のやり取りや、先代舞姫が残した宝飾品への彼女の拒否反応が蘇っていた。
そして二つの出来事を、エイルにも手短に伝えた。
「リズーリ様の真珠を断ったのはきっと相手が初対面の、年齢不詳の不審人物だからですよ。先代様の宝飾品も、何だか贈り主の恨みつらみがこもっていそうな、気味の悪さを覚えてしまったのかもしれません」
「エイルちゃんって、こういう時に遠慮ないよね……」
ディングレイよりも彼女との付き合いが長い、レーニオは悲しげに微笑む。
しかし根が陽気な彼は、すぐに気持ちを切り替えてあっけらかんと笑った。
「でもエイルちゃんの言う通り、高価なものって、仲良くない人から貰うのは怖いよねぇ」
「そうでしょう? でも好きな方からなら、嬉しい贈り物になるんです。それに」
『それに?』
童貞コンビが、声を揃えて続きを促す。
「ぶっちゃけますと、光り物が嫌いな女性は恐らくいません」
会心の笑みで、エイルはこう断言した。
実年齢八歳のティングレイとしては、女性からそう言われると頷かざるを得ない。
腕を組んだまま、しばし唸る。
そして彼の視線は、先ほどまで頬杖をついていたカウンターへ。
ガラス製のその中には、フォーパーが懇意にしている職人の作った、品の良いアクセサリーが陳列されている。
「そうか。じゃあ指輪を――」
「初手で指輪は重いです」
本当に