目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
48:舞姫様には、田舎暮らしが向いている

 ケーリィンはエイルに引っ張られるようにして、二階の自室へ駆け込んだ。

 そして部屋にあるものを目にし、思わず息を飲んだ。

「あの……この、ドレスは?」

「私と父からの贈り物よ。気に入ってくれました?」

「はい!」

 目を輝かせるケーリィンの反応に、エイルも満足げに美しく微笑んだ。


 部屋の真ん中に置かれたトルソーが着ているのは、爽やかな青いドレスだった。

 金糸で縁取りがされたドレスのスカートは、まるでバラの花びらのように、布が幾重にも互い違いに重なり合っている。


「ジルグリットさんから、ケーリィンちゃんが青いバラを咲かせたお話を聞いて以来、父が張り切って作っていたのよ。私もずっと、歓迎会でケーリィンちゃんにお渡ししたいと思っていたから、間に合って良かったわ」

「実は……咲かせたのはわたしが転んじゃって、踊りに失敗したからなんです」

 ドレスの美しさとフォーパーたちの真心が嬉しい反面、裏事情が裏事情なだけに申し訳ない。

 ケーリィンはつい、懺悔するようにうなだれた。


 だがエイルは、そのこともご存知であったらしい。口元に手を当てて、ころころと笑う。

「緊張して転んじゃうところも、ケーリィンちゃんらしくて大好きよ。私だけじゃなくて、きっと皆そうなんだと思うわ」

「そう、ですか?」

 ケーリィンが恐々と伺うと。

 頷く彼女の笑みに、嘘やお世辞はかけらもなかった。


「ええ。だからこのドレスで、もっと綺麗になってくれたら嬉しいわ」

 誰かに期待してもらえることが、こんなにも歓喜を呼び起こすだなんて――ここに来るまで、ケーリィンは知らなかった。

 高鳴る胸に手を当て、彼女は力いっぱい頷いた。

「頑張りますっ」


 ケーリィンはエイルに手伝われながら手早く、青バラのドレスへ着替える。

 見た目は今のドレスにも負けず劣らず豪奢な代物だが、少しゆとりのある作りのため、着心地は断然こちらが優れていた。

 汗と涙で崩れた化粧と、ほつれつつあった髪も再度整えてもらう。

 靴も、バラのコサージュが付いた揃いのものへ履き替えた。普段履きと同じように踵が低く、疲労困憊の足が大喜びした。


「さ、出来上がりましたよ。ケーリィンちゃんは何でも似合うから、着せ替えが楽しいわ」

「ありがとうございます。でも、フォーパーさんの仕立てと、エイルさんのお化粧のお陰だと思います」

「舞姫様ったら、褒めるのもお上手なのね」

 二人で目を見合わせて笑い合い、連れ立って部屋を出た。


 そのまま小走りで広間に戻ると、先ほどはなかったソファに腰かけ、歓談する住民たちの姿があった。

 彼らの中にはパン屋の夫妻や、図書室で勉強を見ている子供たちなど、いつもケーリィンへ笑いかけてくれる人々もいた。


 彼らはケーリィンへ気付くと、思わずたじろいでしまう程の歓声と拍手で彼女を出迎えた。

 ケーリィンも踏ん張り直し、照れ笑いと礼を返す。

「ケーリィンちゃんキレー!」

「本当にお姫様みたいだねぇ」

「息子の嫁になってくれ!」

「いや、俺の後妻になってくれ! 好きだー!」

 言いたい放題の歓迎が、広間を埋め尽くす。


 いつの間にか地下室から戻っていたらしいディングレイが、静かに彼女に寄り添った。そして小さく耳打ちする。

「大半が酔っ払いだから、適当に聞き流しとけ」

「ふふ、分かりました」

 ぶっきらぼうで短気で、そのくせ心配性でもある恋人を見上げ、ケーリィンは顔を綻ばせる。

 視線のかち合ったディングレイは、赤い顔で彼女をにらむ――もとい真剣な表情で見つめ返した。

 あの日の青バラを、そのまま身にまとったようなケーリィンの姿は、彼にどう映っているのだろうか。


 緊張で強張る彼女の頬を、ディングレイはそっと撫でた。

「そのドレスも似合ってる。リィン、綺麗だ」

 その言葉はひどく簡素で素っ気ないけれど。

「ありがとうございます」

 眼差しと、触れる指先の温かさに気付いたケーリィンは、白い頬を染めて微笑んだ。


「あの、ね」

「うん?」

「レイさんに、似合ってるって言ってもらえるとね……一番嬉しいの」

「そりゃ、良かった」

 赤い顔のまま、ディングレイも口角を持ち上げる。


 そんな二人に

「聞いたぞ、さっき道端でチューしてたらしいじゃないか!」

「おばちゃんたちにも見せてよー!」

「キスしちゃえー! ほら、キース! キース!」

酔っ払いが大半を占める、歓迎会参加者が一斉に二人へ迫った。


「するわけねぇだろ! 酔っ払いはさっさと帰れ!」

 顔に似合わず照れ屋であるらしいディングレイは、当然怒った。

 しかし真っ赤で声も上ずっているため、迫力は普段の半分以下である。

 護剣士の本分たる平常心がごっそり抜け落ちた姿に、住民から笑い声が起こった。

 だがそれは嘲笑ではなく、どこか優しげなものだった。


「酔っ払いさんの言葉は、適当に聞き流さないといけないんですよ?」

 今度はケーリィンが、ディングレイへそう耳打ちする。

 己の言葉で宥められたディングレイは、たまらず表情を緩めた。

「あんたの適応力の高さには、ほんと助かってるよ」

 はにかむ彼と目を合わせ、ケーリィンも満面の笑みを浮かべる。


 ――決してケーリィンは、望んでこの街に来たわけではない。

 「都会よりも気楽かもしれない」という消極的理由で、ヴァイノラから押し付けられたシャフティ市を唯々諾々いいだくだくと受け入れた。

 始まりは、それだけだ。


 だが、きっかけは惰性と諦念であったとしても。

 彼女の内に芽吹いたシャフティ市と、そこに住まう人々への愛情は本物なのだと、今なら自負できた。


 その後も収穫祭を抜け出た住民たちが、入れ代わり立ち代わり神殿を来訪した。もちろんそのまま歓迎会に居座ったり、祭りに戻ったはずなのに再度顔を出す者も大勢いた。

 お忍びでプラナ市長も、手作りだと言う大量のプリンを携え、ひょっこり姿を見せた。

 ケーリィンは固めのプリンが好きだと、ロールドから以前聞いていたらしい。


 広間だけでは収拾が付かなくなった歓迎会は、前庭も解放して夜通し続けられた。

 収穫祭でへとへとに疲れていたはずなのに、結局ケーリィンもディングレイと共に、朝までその輪の中にいた。

 歓迎会は最後まで、笑顔の絶えない宴となった。



 ――やがて彼女は、過疎化著しい観光都市を再興した、稀代の舞姫として再び紙面を飾ることになる。

 それは、そう遠くない未来の話だ。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?