ケーリィンはエイルに引っ張られるようにして、二階の自室へ駆け込んだ。
そして部屋にあるものを目にし、思わず息を飲んだ。
「あの……この、ドレスは?」
「私と父からの贈り物よ。気に入ってくれました?」
「はい!」
目を輝かせるケーリィンの反応に、エイルも満足げに美しく微笑んだ。
部屋の真ん中に置かれたトルソーが着ているのは、爽やかな青いドレスだった。
金糸で縁取りがされたドレスのスカートは、まるでバラの花びらのように、布が幾重にも互い違いに重なり合っている。
「ジルグリットさんから、ケーリィンちゃんが青いバラを咲かせたお話を聞いて以来、父が張り切って作っていたのよ。私もずっと、歓迎会でケーリィンちゃんにお渡ししたいと思っていたから、間に合って良かったわ」
「実は……咲かせたのはわたしが転んじゃって、踊りに失敗したからなんです」
ドレスの美しさとフォーパーたちの真心が嬉しい反面、裏事情が裏事情なだけに申し訳ない。
ケーリィンはつい、懺悔するようにうなだれた。
だがエイルは、そのこともご存知であったらしい。口元に手を当てて、ころころと笑う。
「緊張して転んじゃうところも、ケーリィンちゃんらしくて大好きよ。私だけじゃなくて、きっと皆そうなんだと思うわ」
「そう、ですか?」
ケーリィンが恐々と伺うと。
頷く彼女の笑みに、嘘やお世辞はかけらもなかった。
「ええ。だからこのドレスで、もっと綺麗になってくれたら嬉しいわ」
誰かに期待してもらえることが、こんなにも歓喜を呼び起こすだなんて――ここに来るまで、ケーリィンは知らなかった。
高鳴る胸に手を当て、彼女は力いっぱい頷いた。
「頑張りますっ」
ケーリィンはエイルに手伝われながら手早く、青バラのドレスへ着替える。
見た目は今のドレスにも負けず劣らず豪奢な代物だが、少しゆとりのある作りのため、着心地は断然こちらが優れていた。
汗と涙で崩れた化粧と、ほつれつつあった髪も再度整えてもらう。
靴も、バラのコサージュが付いた揃いのものへ履き替えた。普段履きと同じように踵が低く、疲労困憊の足が大喜びした。
「さ、出来上がりましたよ。ケーリィンちゃんは何でも似合うから、着せ替えが楽しいわ」
「ありがとうございます。でも、フォーパーさんの仕立てと、エイルさんのお化粧のお陰だと思います」
「舞姫様ったら、褒めるのもお上手なのね」
二人で目を見合わせて笑い合い、連れ立って部屋を出た。
そのまま小走りで広間に戻ると、先ほどはなかったソファに腰かけ、歓談する住民たちの姿があった。
彼らの中にはパン屋の夫妻や、図書室で勉強を見ている子供たちなど、いつもケーリィンへ笑いかけてくれる人々もいた。
彼らはケーリィンへ気付くと、思わずたじろいでしまう程の歓声と拍手で彼女を出迎えた。
ケーリィンも踏ん張り直し、照れ笑いと礼を返す。
「ケーリィンちゃんキレー!」
「本当にお姫様みたいだねぇ」
「息子の嫁になってくれ!」
「いや、俺の後妻になってくれ! 好きだー!」
言いたい放題の歓迎が、広間を埋め尽くす。
いつの間にか地下室から戻っていたらしいディングレイが、静かに彼女に寄り添った。そして小さく耳打ちする。
「大半が酔っ払いだから、適当に聞き流しとけ」
「ふふ、分かりました」
ぶっきらぼうで短気で、そのくせ心配性でもある恋人を見上げ、ケーリィンは顔を綻ばせる。
視線のかち合ったディングレイは、赤い顔で彼女をにらむ――もとい真剣な表情で見つめ返した。
あの日の青バラを、そのまま身にまとったようなケーリィンの姿は、彼にどう映っているのだろうか。
緊張で強張る彼女の頬を、ディングレイはそっと撫でた。
「そのドレスも似合ってる。リィン、綺麗だ」
その言葉はひどく簡素で素っ気ないけれど。
「ありがとうございます」
眼差しと、触れる指先の温かさに気付いたケーリィンは、白い頬を染めて微笑んだ。
「あの、ね」
「うん?」
「レイさんに、似合ってるって言ってもらえるとね……一番嬉しいの」
「そりゃ、良かった」
赤い顔のまま、ディングレイも口角を持ち上げる。
そんな二人に
「聞いたぞ、さっき道端でチューしてたらしいじゃないか!」
「おばちゃんたちにも見せてよー!」
「キスしちゃえー! ほら、キース! キース!」
酔っ払いが大半を占める、歓迎会参加者が一斉に二人へ迫った。
「するわけねぇだろ! 酔っ払いはさっさと帰れ!」
顔に似合わず照れ屋であるらしいディングレイは、当然怒った。
しかし真っ赤で声も上ずっているため、迫力は普段の半分以下である。
護剣士の本分たる平常心がごっそり抜け落ちた姿に、住民から笑い声が起こった。
だがそれは嘲笑ではなく、どこか優しげなものだった。
「酔っ払いさんの言葉は、適当に聞き流さないといけないんですよ?」
今度はケーリィンが、ディングレイへそう耳打ちする。
己の言葉で宥められたディングレイは、たまらず表情を緩めた。
「あんたの適応力の高さには、ほんと助かってるよ」
はにかむ彼と目を合わせ、ケーリィンも満面の笑みを浮かべる。
――決してケーリィンは、望んでこの街に来たわけではない。
「都会よりも気楽かもしれない」という消極的理由で、ヴァイノラから押し付けられたシャフティ市を
始まりは、それだけだ。
だが、きっかけは惰性と諦念であったとしても。
彼女の内に芽吹いたシャフティ市と、そこに住まう人々への愛情は本物なのだと、今なら自負できた。
その後も収穫祭を抜け出た住民たちが、入れ代わり立ち代わり神殿を来訪した。もちろんそのまま歓迎会に居座ったり、祭りに戻ったはずなのに再度顔を出す者も大勢いた。
お忍びでプラナ市長も、手作りだと言う大量のプリンを携え、ひょっこり姿を見せた。
ケーリィンは固めのプリンが好きだと、ロールドから以前聞いていたらしい。
広間だけでは収拾が付かなくなった歓迎会は、前庭も解放して夜通し続けられた。
収穫祭でへとへとに疲れていたはずなのに、結局ケーリィンもディングレイと共に、朝までその輪の中にいた。
歓迎会は最後まで、笑顔の絶えない宴となった。
――やがて彼女は、過疎化著しい観光都市を再興した、稀代の舞姫として再び紙面を飾ることになる。
それは、そう遠くない未来の話だ。