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47:仕切り直しの歓迎会

「なんかゴソゴソしてると思ったら、覗きかよ」

 氷をかき消したディングレイが、神殿の扉を全開にする。その背後から中を窺い見て、ケーリィンは固まった。

 暗がりの中で入口に固まるロールドにフォルトマ親子にリズーリ、そしてレーニオがいたのだ。

 ただ、レーニオだけは座り込んでいた。先ほどの氷に足を取られて転んだらしい。

 扉の前で転んでいる、ということはつまり――


「……いつから、覗いでいたんですか」

 ケーリィン本人もびっくりするぐらい、冷淡な声が転がり出た。ロールドとレーニオの顔が、途端にひくつく。

「いや、その、すまんかった……最初はのう、中でこっそり待っておっただけなんじゃよ」

「そうそう! でも待ってても帰ってこないし、何かあったのかなーって思ったら、抱き合っててさ」

「全部見てるんじゃないですか!」

 ケーリィンはたまらず怒鳴った。しかし顔は半泣きだ。

 彼女の隣に立つディングレイは無言だが、死神を通り越して魔王の形相である。


「見ていたなら、声もかけてください! こっそり見てるだけなんて、あんまりです!」

 彼女が涙目でなじるも、エイルがなだめるようにそっと背を撫でた。

「覗き見していたのは、ごめんなさいね? でも、お顔に似合わず奥手なジルグリットさんが、きっと死ぬ思いで頑張っていたんだもの」

「誰が奥手だ、てめ――」

「ほら、今も虚勢を張っていらっしゃいますし。だからキリの良い所まで見守ろう、ということになっちゃって」

 真っ赤になったディングレイの恫喝は、見事に流された。


 彼の凶相に震えあがっていたレーニオも、我が意を得たり、とここで立ち上がる。

「それにほら! 変なところで割って入ってもさ、二人が気まずくなるでしょ? だからこっそり見てたんだよ」

「見ない、という選択肢はなかったんですね……」

 露骨にげんなりしたケーリィンの声にも、レーニオとリズーリが朗らかにうなずく。


「だってディングレイ君が、『このまま溶けるんじゃない?』ってぐらいにニヤニヤしていて、珍しかったからねぇ」

「そうなんですよ。始終ケーリィンちゃんにべったりだわ、チュッチュッチュッチュッした後も離れないわでもう……なんなんだよ、もう! そのまま禿げちまえばいいのに! キィィー!」

 覗き魔であるレーニオが何故か、涙声で地団駄を踏んだ。

 そう言えば彼は、未だに恋人がいなかったか。


 勝手過ぎる彼の罵声に、死神フェイスのディングレイが応戦する。

「禿げてたまるか! ふざけたことぬかすと、てめぇの毛根を根絶やしにするぞ!」

「ひぇっ……なんでそんな発想になるの! あんた悪魔でしょ!」

 方法は不明だが、ディングレイならやりかねない。


「レイさん。カリカリしたら、本当に禿げちゃいますよ?」

 彼の腕を軽く叩き、ケーリィンがたしなめる。

 うむ、とフォーパーが生真面目な顔で頷いた。

「よしんば禿げたところで、私がカツラを作って差し上げるから落ち着きなさい」

「逆に不安しかねぇよ」

「何故だね? アフロでもモヒカンでも特大リーゼントでも、はたまた東洋に伝わる辮髪べんぱつでも、思いのままだぞ?」

「四択の内、二つは微妙に禿げたままじゃねぇか」


 悪態をついたディングレイは、未だ真っ暗なままの広間の灯りへと手を伸ばす。

 途端、出歯亀一行がギョッとなった。

「レイ君、待ちなさ――」

「まだ準備が――」

 口々に制止の声を上げるも、遅かった。せっかちなディングレイによってスイッチが上げられ、室内に光が戻る。


 そこは、沢山の色で埋め尽くされていた。

 多種多様な花が四方に活けられ、壁には色とりどりのガーランドと、リズーリのウロコ製らしき装飾が飾られている。

 そして部屋の真ん中には、見覚えのない大きなテーブルが。誰かが運び込んだのだろうか。


 真新しいテーブルクロスが掛けられたそこには、鶏の香草焼きに根菜のサラダ、川魚の白ワイン蒸し、ラムのステーキや、じゃがいもとベーコンのグラタン、きつね色の焦げ目がついたパンに、シナモンの香りを漂わせるアップルパイなどが鎮座している。

 湯気を漂わせる料理の数々は、どれも大皿いっぱいに盛り付けられていた。


 今日のシャフティ市の輝きなんて目じゃない、見事な光景だ。ケーリィンは部屋中を見渡し、そしてテーブルを眺め陶然となる。

「素敵です……でも、どうしたんですか?」

「収穫祭の慰労会をしようと思っていたの。それから、歓迎会もね」

 どこか意気消沈している野次馬を代表し、エイルが美貌に苦笑を重ねて宣言する。そんな笑顔でも、天衣無縫の美しさは揺るがない。


 ディングレイにとっても予想外の光景だったらしく目を見開いていたが、彼女の言葉に眉を寄せる。

「歓迎会って、何だそりゃ? 誰か来てたか?」

「やだな。決まってるじゃない、ケーリィンちゃんのだよ」

 ゆったりした上衣に懐手ふところでのリズーリが、穏やかに答える。

「僕たちはきちんと、彼女を歓迎していないだろう? だから、改めて場を設けたんだ」


 竜神の言葉に、レーニオが照れ臭そうに笑う。

「僕も最初、ケーリィンちゃんに嫌なこと言っちゃったからさ……だから、祭の準備中にこっそり、皆でちまちま頑張ったんだ」

「うむ。飾りつけも料理も、やり始めると楽しいものだね。ケーリィンちゃんの笑顔を想像すると、年甲斐もなく夢中になってしまったよ」

 珍しく紳士の顔になったフォーパーも、そう付けくわえる。


「ケーリィンちゃんの好きな料理を、たっぷり作っておいたんじゃよ。収穫祭が忙しくて、お腹も減っているじゃないかい? ゆっくりくつろぎなさいな」

 ロールドも、いつもの温和な笑みを一層柔らかくしている。


 皆の言葉だけで、ケーリィンの涙腺は決壊寸前であった。

 涙目でふるふる震える彼女の背中を、ディングレイが軽く叩く。

「こいつらも、あんたが好きで勝手にやってんだ。ふんぞり返って食い散らかしてやれ」

 相も変わらず、酷い言い草だ。


 だがこれも、ケーリィンが湿っぽくならないための軽口なのだと、今は分かる。

 ぶっきらぼうな彼の優しさに、ケーリィンが顔を綻ばせた。

「ありがとうございます。とっても、とっても嬉しいです」

 目尻を拭ってケーリィンが感謝を伝えれば、ロールドたちもホッとしたような顔になった。


 安堵で気が抜けたのか、レーニオがへらへらと口を滑らせた。

「ケーリィンちゃんの繊細さを、ディングレイさんに分けると丁度良いよね」

 彼としては非常に珍しく、的を射た言葉であったかもしれない。

 ただ正論を言えば、繊細さに欠ける護剣士を怒らせないわけではないし――むしろ逆効果の方が多い。


「そう言うてめぇこそ、繊細さも知性も足の長さも、色々足りてねぇだろうが」

「ぐえっ……ちょっ、なんで地下に向かってんの? 何するの、ねぇ!」

 首根っこを掴んだレーニオを、軽快に引きずるディングレイが悪辣に笑う。

「処置室と牢屋しかねぇから、安心しろ」

「いやいやいや! 安心材料、全然ないよ? ないからっ……ちょっ、あっー!!」


 存外甲高いレーニオの悲鳴だけを残し、二人は地下室へ消えた。

 もはや日常と化した光景に、残された面々は脱力して静観する。

 繊細さが足りないディングレイでも、一応は手加減が出来る。泣かせたら満足するだろう、というのが一同共通の見解であった。


(きっと……追想球を使って、犯罪者と戦わせるんだろうな)

 ケーリィンだけはディングレイの制裁を、具体的に予想していた。その光景も、容易に想像できるのだ。


 ロールドが己の額をぺしりと叩き、かぶりを振った。

「全くあの二人は……いつまで経っても仲が悪いのう……」

 仲が悪い、というわけでもないような。ケーリィンは視線を持ち上げ、しばし考える。

「でもレイさん、楽しそうでしたよ?」

「ふむ、それもそうじゃな……つまりレーニオ君は、玩具扱いされておるんじゃな」


「レーニオ君は人でも魔物でも、厄介な奴に好かれるんだねぇ」

「本人の日頃の行いも悪いので、自業自得でもありますな」

 くだんの彼を厄介な魔物へけしかけた張本人と、魔物以上に厄介な仕立て屋が呑気に頷き合う。

 図らずもレーニオの失言で温まった空気の中、女神の美貌に極上の笑顔を浮かべたエイルが、不意打ちにケーリィンの腕を取る。

「さあ、死神がいない間にお色直しをしなくちゃ。これからお客様も、沢山来るんですもの」


 きょとん、とケーリィンは瞬きをする。

「他にもどなたか、来られるんですか?」

 疑問符を顔いっぱいに浮かべる彼女へ、リズーリも柔和に笑う。

「ケーリィンちゃんの歓迎会だよ? お祝いしたい人たちは、他にもいるに決まってるじゃない」


 彼の言葉を裏付けるように。

 がやがやと、足音や話し声が近づいてくる。それもおそらく、十数人規模の。

 根底が気弱なケーリィンは条件反射でつい、顔を引きつらせた。

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