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45:シャフティ市が望んだ「舞姫」

 ヴァイノラはノワービス市でなく、聖域へ送還されることになった。

 ノワービス市と聖域の両方から、舞姫として失格だと判断されたわけだ。一時は邪神の子にまで堕ちたのだから、当然の判断だろう。

 聖域からの迎えが来る間、シャフティ市の神殿の客室でふて寝を決め込んだヴァイノラは、好きにしてくれと投げやりになっていた。ノワービス市が受け取り拒否を示したため、未だにここに滞在中なのだ。


 いや、自分の護剣士から

「舞姫の真の役割は、ただ踊ることではございません。街を慈しみ愛することです。ご自身だけでなく、どうか当市にも目を向けていただけませんか?」

そう押し付けられた時から、彼女は全てがどうでもいいのかもしれない。

 あんな監獄のような場所を、どうやって愛せと言うのか。

 ただ――そんなヴァイノラも風呂だけは必ず入っていた。あれだけ臭いと連呼された後なのだ、そこだけは念入りに頑張っている。


 なお食事は、お人好し顔を作ったケーリィンがわざわざ客室まで運んで来ていた。あの悪人面の、ゴロツキのような護剣士を伴ってであるが。

 あそこまで睨まれずとも、平手打ちを再度繰り出す元気などないのに。


 彼女が客室に引きこもって五日目の夕方、聖域付きの護剣士を連れたアンシアが現れた。

 見知った──それも、内心見下し続けていた教官の登場に、ヴァイノラは眉を寄せる。

 知り合いには零落した現状など、見られたくなかった。無論、聖域に戻ればそんな我儘が通るわけもないのだが。


「残念です、ヴァイノラさん。貴女は優秀な舞姫でしたから」

 アンシアの内心は分からないが、表面上は悲しげであった。

 だが、ヴァイノラは彼女のそんな表情よりも「舞姫“でした”」の言葉に、今さらながら傷ついた。


 ああ、自分は舞姫という玉座から引きずり降ろされたのだ、とようやく実感が湧く。


 だからつい、彼女たちから視線をそらし、神殿の前庭に面する窓を見た。

 庭では収穫祭の準備のためか、ケーリィンが住民らしき野暮ったい連中と談笑していた。途中で彼女の隣に立つ、無作法な護剣士も会話に加わり、一同は楽しそうに笑っている。

 ガラス越しにも、その笑い声は微かに聞こえて来た。


 自分でも気づかぬうちに、ヴァイノラは歯噛みした。

 楽しげな輪の中心にいるケーリィンが、聖域にいた時とは比べようがないほど、キラキラしているのが癪に障ったのだ。出自も分からない、卑しい女なのに。

 それなのに住民からは「舞姫」として敬愛たっぷりの目を向けられ、傍らの護剣士からは「一人の女」として甘い視線を注がれている。

 そして――そんな女を「美しい」とも「羨ましい」とも思ってしまう自分が、何よりも許せなかった。


「……シャフティ市を選んでいれば、私も幸せになれたのかしら」

 だからヴァイノラのこの呟きも、無意識のものだった。

「それは、分かりかねます」

 無意識下の言葉に返答され、彼女は目を見開き振り返る。

 先ほどと変わらず、客室の入り口に立つアンシアは、静かに彼女を見つめていた。


「ヴァイノラさん。この街が求められた、舞姫の条件はご存知ですか?」

「知る訳ないじゃない。だってノワービス市に赴任したんですもの」

 思わず言い訳がましくなる。しかし事実だ。

 舞姫としての出立を告げられたあの日、教えられたのはノワービス市が求めた「大人しく、気立ての良い舞姫」という条件だけだ。


 それなのにため息をついて、アンシアは不出来な教え子を諭すように言い含めた。

「シャフティ市をこれまで治めていた舞姫は浪費家で、異性関係も派手な方でした。そのため先方から求められた人物は、『先代よりもまともで、金が掛からなければ誰でもいい』。これだけでした」

 ヴァイノラの目が点になる。

「は? それって……」

「ええ。ですので我々は、ご実家が裕福な貴女を推薦いたしました」

 容姿でも踊りの腕前でもなく、求められたのは金銭的な豊かさ。

 実家を誇っていたヴァイノラも、この事実に自尊心を大きく傷つけられた。


「それじゃあ……どっちに行っても、私は幸せになれなかったというの?」

「それにつきましては、『もしも』の話になります。未来を見れぬ私は、その答えを持ち合わせておりません。ただ、もしもシャフティ市に赴任されていれば、ノワービス市よりも自由で穏やかに過ごせた可能性はあります」

 アンシアから続けてノワービス市が欲していた舞姫の、詳細な人物像も告げられる。


 ──当市は経済的発展が著しいが、一方で犯罪組織も数多あまた存在するため、舞姫を脅かす危険も多種多様である。故に護剣士たちの言葉に従い、ある程度の不自由を苦と思わぬ、規律に従順な人柄を希望する。


「奴隷を望んでいたわけ? 最低じゃない!」

「奴隷ではありません。行動の不自由を強いてしまう見返りとして、時間や金銭面での自由は得られていたはずです。舞の時間を狭めてでも、ご両親やご友人との面会時間が設けられ、ドレスやアクセサリーも望むだけ与えられ……高価な術札も、同じく山のように持たせて頂いたそうですね」


 打って変わって冷ややかな目になったアンシアが、淡々と言ってのけた。

 護身用に押し付けられた術札を、出奔時にこっそり持ち出したことも、彼女はお見通しだったのだ。

 再び歯噛みし、ヴァイノラはうなだれる。


「……何よそれ……私たちを、便利な道具か何かだと思っているの?」

「それは違います。全ての街が求めているものは、道具ではありません。街を繁栄に導く、優秀な神の子です」

「そんなの、同じじゃない」

「いいえ。ケーリィンさんも仰ったはずですよ。人として扱っているからこそ、住民や護剣士の方々が愛情を注いでくださると」

 今一番聞きたくない名前に、ヴァイノラの思考が真っ赤になる。


「それはあの孤児が! ここの連中をたらしこんで、好き勝手に生きてるから言えるのよ! あの護剣士だってどうせ、体で落としたんでしょ! 男が好きそうな見た目だものね!」

「舞姫の務めを放棄した貴女が、他の舞姫を批判するんじゃありません!」

 初めて聞くアンシアの怒声に、ヴァイノラは思わず肩をびくつかせた。

 実力不足で教官の道を選んだ元舞姫は、いつだって教え子たちに丁寧だったのだ。


 愕然とアンシアを見つめるヴァイノラに構わず、彼女は荒々しい語調で続ける。

「先ほど私は、ここを選んでいれば穏やかに過ごせたかもしれない、と申し上げました。ですが! 住民の方々からの信頼は、ケーリィンさんだからこそ築き上げられたものだと、断言いたします! 彼女の幸せは、彼女の地位を奪っても得られないものだと、よく思い知りなさい!」


 この街のゴロツキみたいな護剣士に頬を叩かれた時以上の痛みを、ヴァイノラは感じた。

「……じゃあ、どうすれば私は幸せになれるのよ……」

 たまらず涙声で、アンシアへ縋るように問いかける。

「自分の決断に責任を持ち、周りの方々へ感謝なさい。義務を果たさずに幸せだけを求めるなんて、傲慢というものです」

 ピシャリと言い切ると、アンシアは護剣士たちに素早く指示を飛ばした。


 終始無言の彼らはその後も一切口を開かず、呆然自失状態のヴァイノラ当人を捨て置き、彼女の荷物をまとめ始めた。

 務めを放棄した自分が、これから幸せになれる可能性なんてあるのだろうか。

 アンシアに引っ立てられるようにして裏口から外へ出たヴァイノラは、働かぬ頭で、ぼんやりと考えた。


 それは、彼女に残された数少ない自由でもあった。

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