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43:たぶらかしたのは誰か

「創作意欲が湧かないって、どういう意味なのよ!」

 目を吊り上げたノワービス市の舞姫に怒鳴られているのは、いつか見たものとは違うネグリジェ姿のフォーパーであった。

 一体彼は、寝巻を何着持っているのだろう。知りたいような、知ると怖いような。


 あちこちにリボンが巻かれたエレガントな寝巻とは対照的に、フォーパーの表情はどこまでも不機嫌で硬い。

「申し訳ないが、君は性根の悪さが全身からにじみ出ている。そういう相手に似合うドレスなんて、思い浮かばんよ」

「しょっ……」

「ああ、だが、そうだな。悪の将軍っぽい、竜骨で作った鎧なんかが似合うんじゃないかね。肩幅も広いし」


 両肩を手で覆い隠しながら、ヴァイノラは顔を真っ赤にする。

「はぁッ? 何よそれ! 聖域では、紫の薔薇の君と呼ばれていた私を、どこまで馬鹿にするつもりなのよ!」

 自分で名乗って恥ずかしくないのか、と聞いているケーリィンが羞恥してしまう二つ名だ。

 そもそも、そんな呼び名は聖域で聞いた覚えがない。


 だが、そこはフォーパー。反応はやはり斜め上。

「なぬ、紫ババアだと! 貴様、東方の魔物だったのか!」

 目を見開いて驚愕する彼に、ヴァイノラの口調も粗野さに磨きがかかる。

「ふざけんな、クソオヤジ! 誰が魔物だ!」


 唾をまき散らして叫んだ彼女は、羽織っていたボレロの内ポケットから、術札を取り出した。

 昨夜の己のやらかしを思い出したことでハッとなり、ケーリィンは大慌てでヴァイノラへ駆け寄る。

 魔力が無尽蔵の舞姫が、激高した状態で魔術を使うだなんて――命知らずな上に、とんだ大馬鹿野郎である。


「落ち着いてください、ヴァイノラさん!」

 彼女の腕に取りつくも、猛烈な抵抗に襲われた。

「うるさい! 指図するな!」

「ぅわっ……」

 暴れるヴァイノラの肘が、ケーリィンの顔に命中する。

 鼻先へ与えられた鈍痛に、たまらず彼女を拘束していた腕も緩む。幸い、鼻血は出ていないようだ。


「ケ、ケーリィンちゃん!」

「大丈夫かね!」

 レーニオとロールドが、青い顔で悲痛な声を上げた。

 両手で鼻を抑えるケーリィンは、涙目で二人へ笑いかけようとするも、それより早くヴァイノラに襟ぐりを掴まれた。


 首を絞めかねん勢いで、レースのあしらわれたスタンドカラーを握りしめられる。

 そのまま、ガクガクとヴァイノラに揺さぶられた。

「何なのよ、あんた! 私とあんたじゃ、生まれが違うの! あんたなんて、親も分からない卑しい孤児じゃない! なのになんでっ! せっかく自由な世界に出られたのに、あんただけ美味しい思いをして、私は檻の中なのよ!」


 鼻と首への痛みで、ヴァイノラの訴えはケーリィンに半分も伝わらなかった。

 ただそれでも彼女が現状に不満を持っており、ケーリィンに八つ当たりをしていることだけはよく分かった。

「ヴァイノラさんが、窮屈な思いをしてるのは……わたしのせいじゃ、ありません。あなたが、皆さんを、大事にしないからです」

 浅い息で、とぎれとぎれにそう伝える。ピクリ、と眉を跳ねさせたヴァイノラの手から、わずかに力が抜けた。


 ケーリィンはそれを見逃さずに、ぐい、と彼女の広い肩を押して距離を取った。

 しかしすぐさま、平手打ちが追いかけて来た。左頬に熱い痛みが走る。

「訳知り顔で説教するな! 護剣士たぶらかした売女バイタの分際で!」

 ドスの利いた悪罵と頬への痛打に、ケーリィンは唖然とした。二人を見守る男衆も、呆気にとられる。


 そのためヴァイノラが再度術札を掲げた時にも、すぐに反応できなかった。

 濃厚な魔力が、タロット大のカードへ無遠慮に送り込まれる。

 いけない、と思った時には術札から炎が立ち昇っていた。


 が、それは術札もろとも、たちまち凍り付いた。

 ぱきん、と硬質な音を立てて四散したカードに、今度はヴァイノラが目を見開き固まる番だった。

「誰が売女だ、おい」

 術札を凍らせて、驚愕するヴァイノラを恫喝するのはディングレイだった。

 階下の騒ぎを聞きつけ、大急ぎで降りて来たらしい。シャツのボタンは上二つが留まっておらず、無精髭も手つかずのままだった。


 ギッと彼を睨み返したヴァイノラが、ボレロから二枚目の術札を取り出す。しかし魔術が完成するよりも早く、再度ディングレイが手をかざした。

 詠唱も術式も用いず、瞬く間に再度凍らされた術札の残骸を見て、ヴァイノラは頬を引くつかせた。

「あ、あんた何なのよっ……」

「護剣士だっつってんだろ。若いのに、もうボケちまってんのか?」


 冷笑を浮かべて彼女に肉薄したディングレイは、ケーリィンの仇討ちとばかりに、彼女の頬を平手で一つ打った。

 ヴァイノラの一打とは比べ物にならない、乾いた破裂音が食堂に響き渡った。

「うっわぁ……痛そー……」

 ディングレイからの鉄拳制裁を経験済みのレーニオが、真っ白な顔で小さくつぶやいた。


 彼の言葉には反応せず、ディングレイは無表情にヴァイノラを見据えた。そのまま淡々と告げる。

「あんたが聖域で、どんだけ優等生だったか知らねぇがな。田舎は嫌だと、こちらの申し出を蹴ったのも、ノワービス市に飛びついたのも、全部あんた自身だろ。少しはてめぇの決断に、責任を持っちゃどうなんだ?」

「……」

 黙りこくったヴァイノラが、きつく奥歯を噛みしめる。


 二人の応酬に、すっかり痛みも忘れていたケーリィンだったが、ディングレイに突然腰を抱かれて我に返る。

「レ、レイさん?」

 彼の真意が分からず、赤い顔でオロオロする彼女を、なおもディングレイは抱き寄せた。腕の中にすっぽりと小さな体を納める。


「それからな。リィンがたぶらかしたんじゃねぇ。俺が惚れこんで、この子をたぶらかしたんだ。順番間違えてんじゃねぇぞ、タコ!」

 突然の魚介類宣告に、ヴァイノラの顔は人生初レベルで歪み、硬直した。

 一方のケーリィンも、自分の方がタコ──それも茹で終わったタコではないか、とディングレイに抱きしめられながら思案する。

 次いで、いつ惚れられていたのだろう、と。


 味は旨いが、見た目は魔物と大差ない軟体動物呼ばわりされた「紫の薔薇の君」は、とうとう涙ぐんでしまった。だが、それでも一矢報いようと、ケーリィンを鼻声でせせら笑う。

「ケーリィンさん、ご存じでして? あなたを愛していると宣言したこの男もね、我が身可愛さでそう言っているだけなのよ?」

 優雅な口調を取り戻した彼女の、トゲと毒にまみれた言葉を、ケーリィンは静かに受け止める。

 彼女の言わんとしていることが分かったので、不思議と苦々しさは感じなかった。


「舞姫は自分の街を愛さないといけない、ということですよね。皆さんから聞きました」

「……は?」

 せせら笑いも忘れ、ヴァイノラが再び石となる。

 彼女は強張った顔で、震える声を絞り出した。

「知っててどうして……平然としてんのよ? あんた、馬鹿じゃないの? たかが仕事のために、こっちの感情までいいように扱われてるのよ?」


 ケーリィンはゆるゆると首を振った。

「街の皆さんはわたしたちが街を好きになれるよう、わたしたちを愛そうとしてくれます。だからわたしも、皆さんを愛したくなっただけです」

 この言葉で、彼女を抱きしめるディングレイの腕に力がこもった。見上げると、少しむずがゆそうに笑う彼がいた。ケーリィンもはにかみ返す。 

「仕事なんて関係なく、優しくしてくれたら優しくしたい――これは舞姫じゃなくても、誰だってそうじゃないですか?」


 ど真ん中目がけて放たれた正論が、とうとうヴァイノラの心を木っ端みじんに粉砕した。

 心が砕けた瞬間、彼女から異臭が漂う。

 初めは何かが焦げ付いたような、鼻腔をかすかに刺激する程度の代物だった。

 だが匂いは、留まることを知らぬとばかりに悪臭の度合いを強め、あっという間に腐臭へと変貌する。

 たまらず、ケーリィンたちは両手で鼻を覆う。


 悪臭が強まると同時に、黒い霧がヴァイノラの足元から湧き上がった。

「いちいち、いちいち……うるさいんだよ! すぐ良い子ぶるお前なんか……っ、お前なんか、大嫌いだッ! 死ねッ!」

 平和を祈るべき存在の舞姫が、他者の不幸を祈念する。

 それは、「神の子」から「邪神の子」へと変貌する引き金となったようだ。

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