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38:護剣士、怒られる

 めでたく神殿預かりとなったヴァイノラは、現在談話室に通されている。

 もっともディングレイにとっては、全くもってめでたくない凶事であるが。


 彼女の相手は、現在神殿にいる面子メンツの中で最も温厚であろうロールドと、最も女好きであるレーニオに任せている。

 なお最も腐れ縁のケーリィンは、ディングレイが地下室に降りるのを手伝った後、二階の浴室へ向かった。彼を支えていたおかげで、彼女まで魔獣の返り血まみれになっていたのだ。


 そしてディングレイも熱と痛みにさいなまれる体を叱咤し、地下室でシャワーを浴びた。

 縫った直後の傷口に、今まで何を食って来たかも分からぬ魔獣の血を浴びたのだ。我ながら浅はかであったと猛省する。

 ディングレイは全身を洗い流しながら、対話球で魔術保守部隊の隊長に連絡を取る。勤勉で堅物な連中らしく、夜間だというのに通話はすぐ繋がった。


「さっきマルコキアスが街に迷い込んで、斬って、返り血まみれになった」

「あっ……あなたは何を考えているんですか!」

 彼が手短に説明すると、慇懃無礼で有名な隊長から初めて怒鳴られた。音声のみの安価な対話球のため、顔が見えないことを残念に思う。


 その後はしばらく、隊長によるお説教が続いた。

 メンテナンスのため、体表だけではなく体内もあちこち切開や接合を行っていること。

 そのため、護剣士といえども最低一日は絶対安静が必要であること。

 ヒヒイロカネは繊細な生き物なのだから、無理はさせるべきではないこと。


 どれも分かりきった内容であったが、ディングレイも自業自得であると承知していたので、シャワーも止めて拝聴する。

 だが傍から見れば、筋肉男が全裸のまま神妙な顔でうなだれ、手にした対話球に「すまん」と「もうしない」を繰り返しているわけだ。不気味な絵面であろう。


「ヒヒイロカネは使ってない。うちの舞姫は優秀なんで、あの子に加勢を頼んだ」

「舞姫様まで前線に立たせたのですか! 貴方の護衛対象は誰なのです!」

 ディングレイは隊長を安心させるつもりで報告したのだが、結果として火に油を注ぎ、暴風で煽ってしまったらしい。

 護剣士の本分をお忘れですか、と隊長の小言が更に続いた後、

「……ですが、シャフティ市に現在護剣士が一人しかいないのも事実です。無理をなさった貴方のお考えも十分に察せます。貴方も含め、皆さまがご無事で何よりです」

隊長から労わるような言葉が出た。珍事であるため、ディングレイも薄氷色の目を丸くする。


「ああ、心配かけて悪かった」

 内心で驚きつつ改めて謝ると、対話級の向こう側で小さくため息を吐く音がした。

「……それよりも、やはり護剣士を一人補充すべきではないでしょうか? いくら貴方が優秀とはいえ、一人では限界もございます。中央府からも、同様の意見が出ておりますが」

「優秀ってか、打たれ強いだけだな」

 ディングレイは買い被り過ぎだ、と苦笑交じりに異議を唱える。


 だが、それはロールドやリズーリからも、再三指摘を受けた問題だった。

 以前のディングレイは、相棒が先代舞姫に篭絡された様に失望し、ついでに愛憎劇の観客に仕立て上げられたことで嫌気も差し、単独での警護に固執していた。

 だが今は。


「とりあえずは一人でいい。ただ、妻子持ちで年食った、赴任地の決まってねぇ護剣士がいれば大歓迎だ」

「そんな方、いらっしゃるわけないでしょう……」

 こちらの希望条件を素直に伝えると、対話球から心底呆れた声がする。

 呆れられて当然である。護剣士は訓練学校に通いつつ、紛争地域や犯罪都市での実戦経験も重ねた末、若い内にどこかの街へと送り出されるのだ。


 かつての相棒のような大不祥事をしでかしたり、大病や大怪我に見舞われない限り、赴任地でそのまま生涯を終える者が大半だ。

「舞姫に惚れてる。だから、あの子に惚れそうなヤツは遠慮したいんだ」

 相手の顔が見えないからか、ディングレイは本音がするりと出てしまった。言った後で、自分でもにわかに驚く。


 対話球からも、隊長の息を飲む気配がした。その後は、しばし沈黙が続く。ディングレイも黙して待った。

「……えー、では……今回、無茶をされたのも、ひょっとして……」

「あの子に良い所を見せたかった。だから、無茶をしました」

 本音をさらけ出すと、罪悪感もちくりと疼いた。ディングレイはつい、慣れぬ敬語になってしまう。


「それは、なんとも……訓練学校時代に、死神と恐れられた方らしからぬ発想ですね」

「実は今もそう呼ばれてる。顔がおっかねぇんだとよ」

 これには堅物の隊長も噴き出した。場の空気が和んだのは有り難いが、釈然としない思いも残る。


(俺ってそんなに、顔が怖いのか)

 ディングレイは改めてそう思い知り、図らずも落ち込んだ。

「……すみません、笑ってしまって」

 落ち込む彼の耳に、何ともばつの悪そうな声が届く。ディングレイはしょぼくれ顔を、苦笑に変えた。

「いいよ、別に。どうせハラワタも見られた仲じゃねぇか」

「ええ。こちらも、貴方の物理的内面でしたら、誰よりも詳しいと自負しております」


 あまり嬉しくない自負である。この隊長の場合、本気か冗談かも分かりかねる。


「あと心配すんな。惚れたからって、任務を放り出すつもりはねぇ。今日もあの子に後方支援は頼んだが、マルコキアスには近寄らせちゃいない。これからだってそのつもりだ」

 ディングレイは出来るだけ真剣に聞こえるよう、顔も引き締めそう宣言した。

 かつての相棒のような、愚かな真似はしない。してしまった日には、己が手でケーリィンを守れなくなる。

 彼にとって最優先すべきは、彼女の安全と幸福なのだ。


「ええ、信じております」

 気のせいか。隊長の声が心なしか柔らかになった。ディングレイは首をひねる。

「あんたにしちゃ、随分あっさり納得するんだな。物理的内面を知り尽くしてるからか?」

「それもありますが、私は貴方の親の一人です」

「ああ、そういやそうか」


 そうだった。魔術師でもある隊長は、ホムンクルス護剣士の創造計画にも噛んでいたのだ。

「親とは、子を信じる者です」

 隊長は静かに、そう言ってのける。

 ディングレイは濡れたままの体が冷えて来たので、脱衣所へ出てタオルを取った。

「子ども時代がないから、はいそうですか、とは信じがたい事実だな。でも、助かるよ」

「いえ、お気になさらず。中央府には、舞姫様のお人柄を鑑みて、女性護剣士の赴任が妥当と提言しておきましょう。またはご家族と共に、田舎での勤務をご希望されている方を」


 それは、願ってもない言葉だ。

 女性護剣士は人数が少ない上、同性という気安さ故に、舞姫からの需要も信頼も高い。

 実際の赴任は難しいだろうが、そう口添えしてもらえるだけでも安心できた。ディングレイとて意地を張っていても、単独での護衛はやはり不安もあったのだ。


「悪ぃ、気を遣わせちまって」

「文句をおっしゃりつつ、貴方は毎年素直にメンテナンスを受けて下さっていますから。その御礼とお思い下さい」

 つまり他の護剣士は、メンテナンスを拒否しているわけか。

 「ゴネて良かったのかよ」と、彼は少しだけ後悔する。


 実年齢八歳故の素直さをディングレイが悔いていると、隊長もしばらく黙り込んだ。その間、紙をめくる音がかすかに届いた。

「……えー、それからマルコキアスについてですが。血液からの寄生虫や病原菌の感染報告はないようです。なにせ主食はほぼ溶岩、たまの贅沢に人肉、という変わった種族ですからね」

「変わり過ぎじゃねぇか?」

 魔獣とはそういうものなのか、と彼らの食事事情に疎いディングレイは首を捻る。


「それはまあ、我々のことわりから外れた生き物ですから。そもそも頑丈さが売りのホムンクルスですので、消毒さえ怠らなければ問題はないでしょう」

「ああ、分かった」

 ディングレイはようやく当初の懸念が解消され、礼を言って通信を切った。


 がしがしと銀髪も手荒に拭きつつ、タオルの下に置かれていた下着へ手を伸ばす。

 パンツに片足を通したところで、思い至る。

 自分はタオルも着替えも用意せず、シャワーを浴びたのだ。とにかく全身が生臭かったので、洗うことしか考えていなかった。


 ディングレイは嫌な予感に急き立てられ、痛む体に鞭を打ち、パンツ一丁のまま脱衣所を飛び出す。

 すると処置室の前で立ち尽くす、茹でダコのように真っ赤なケーリィンと目が合った。

 ディングレイの全身の痛みが吹き飛び、代わりに今まで以上の熱を感じた。不健康な汗も、ぶわりとにじむ。


 着替えを用意したのは彼女であり、そして聞かれていたのだ。今までの会話を、恐らく全て。

 体表に絡みつくヒヒイロカネも、動揺したかのごとく不規則な明滅を繰り返していた。

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