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16:眼福

 舞姫へ悪感情を抱いているのは、レーニオ青年に限ったことではない。少なくとも、ここシャフティ市においては。

 それほどまでに、先代舞姫は在位期間のたった六年間で、独裁者もかくやの活躍を見せていたのだ。


 舞姫であることを盾に、様々な飲食店で無銭飲食を繰り返し。

 神殿の維持・管理費を無断で持ち出し、贅沢品を買い漁り。

 日課の踊りを放棄し。

 自分より美人な市民には、会うたびに罵詈雑言、時には暴力を繰り出し。

 酔って暴れ。

 見目麗しい男性市民数人~十数人と、同時並行に交際し。

 また彼らに、金銭や装飾品といった貢物を要求し。

 そして貢物が滞れば、態度を豹変させ、彼らを足蹴に追い払うのだそうだ。


 ついでに言えば、最大十四股の中にディングレイの元同僚である、護剣士も含まれていた。

 彼は市民と舞姫との、ドロドロ愛憎劇を二年に渡って繰り広げた結果、「護剣士として不適格」との烙印を押されて降格処分となった。

 現在は南方諸島にある軍施設で、警備職に就いているという。ちなみに護剣士は、化け物級のフィジカルがないと就任できない軍部の花形職だ。

 自業自得とはいえ、なんという転落人生だろうか。


 レーニオから罵倒を受けた今、先代の所業をやんわり隠していても仕方がないだろう、とロールドとディングレイはケーリィンに諸々ぶっちゃけた。

 二人の私見や、個人的な恨みも一部交えながら、かなり詳細に。

 聖域では考えられないような悪辣舞姫ぶりに、当初ケーリィンは青ざめていたが、徐々に二人の恨みが伝播し、最終的には一緒になって怒っていた。

 どれだけ街の人をコケにしたんだ、酷い、と淡い金の瞳に義憤の炎を灯す。


 護剣士と神殿管理人と新米舞姫の心が一つになったところで、ある対策が打ち立てられた。

 「新しい舞姫様は有害どころか有益ですよ、つまり益姫えきひめですよ」作戦だ。

 市内のあちこちを回りながら、市民と言葉を交わし、根気強くケーリィンの人柄を浸透させるという、政治家の挨拶回りのような作戦である。

 地道なことこの上ない泥臭い作戦だが、先代の残した爪痕は深い。それを癒すには、相応の長い時間と根気が必要なのだ。


 ディングレイの運転する車で市内を巡り、至るところで冷たい悪意の視線にさらされながらも、ケーリィンはじっと耐えた。

 大丈夫、今の自分には逃げ場所も、理解者もいる――そう己を鼓舞し続けた。

 また時には、嫌味や暴言をぶつけて来る住民へプッツンする、ディングレイの存在に助けられつつ、彼を宥めていた。


 もちろん、ただ闇雲にドサ回りをしているだけではない。

 実は有能で数多の人脈を持つロールド翁は、市長との面談も取り付け、そこへ複数の新聞社も同席させるよう手配してくれた。無害で有益と、宣伝するにはもってこいである。


 ケーリィンはそれに備え、そして少しでも街が元気になることを祈りつつ、ほぼ無人の礼拝堂で毎日踊り続けた。

 レーニオの宣言通り、今まで舞姫の舞曲を演奏してくれていた楽団は、礼拝への参加に拒否を突き付けて来た。

 そのため新舞姫お披露目の目途も、未だ立っていない。ロールドは大変悔しがっているが、ケーリィンは実のところ安堵もしている。

 なにせ未だに、踊るたびに毎回転んでいるのだ。シャフティ市に災厄が降り注いでいないのが、不思議なほどに。


 唯一の観客 (というよりも、その鋭い眼光は審判に近い)であるディングレイは、披露二日目にして繁栄祈念の舞を覚えた。

 先代がアレだったため、きちんと舞を見るのはこれが初めてということだが、凄まじい動体視力と記憶力である。


 だがそのおかげで、三日目には彼女が転ぶ前に舞台へ駆け上がり、受け止められるようになっていた。

 もはや彼は観客でも審判でもない。外野手だ。

 彼女が着任して二週間目の今日も、尻もちをつきそうになった彼女の下へ滑り込み、危なげなく受け止めた。

「本当に毎日、ごめんなさい……」


 いつものように膝に乗せられ、ケーリィンはうなだれる。もはや彼のやや過剰なスキンシップに、文句を言える立場ではない。膝がなければ、木床に尻を強打しているのだ。

 毎日強打していれば、近い将来、尾てい骨骨折という事態に陥りかねない。


 一週間目の時、彼から

「毎日違うところでトチるんだな。特定の振り付けが苦手、というわけじゃねぇみたいだ」

との指摘を受け、そして今日は

「気になったことが二つある。言ってもいいか?」

二点の注意があるらしい。毎日練習しているのにどうして増えるのだろう、と己の不甲斐なさにめまいがしつつも、ケーリィンは頷く。

「はい……」


「気になったことの前に、一つだけ確認だが。あんた、俺の方を見てないよな」

「えっ?」

 ぱちくり。ケーリィンは目を瞬かせる。首をかしげると、ディングレイは小さく笑う。

「なんだ、自覚なしか。踊ってる最中、あんたの視線はいつも遠い。たまにこっちに顔を向けても、俺を通り越して礼拝堂の壁を見てる感じがするんだ。トランス状態ってヤツか?」


 ケーリィンは頭を抱え、踊っている最中の自分を振り返るも、いつも真っ白、無我の境地である。

「うーん……いつも無我夢中なので……」

「それは見てても分かる。で、ここからが気になる点だ」

 ディングレイはぴしり、とケーリィンの困り顔を指さした。

「なのに失敗する時は最初に顔を強張らせて、その後で足が滑稽な動きになってる。俺の言いたいこと、分かるか?」

「転び方が喜劇役者みたい……ですか?」

 ディングレイはしばし、渋い顔で沈黙する。


「うん、それもあるけどな」

「あるんですね」

「それより気になったのは、あんた、本当は観客の視線に怯えてるわけじゃないだろ? だって見てない客のことなんて、頭からすっぽ抜けてるはずだ」

「あ……」

「何がそんなに怖いんだ?」

 揶揄の色など全く見せず、怖いぐらいの真顔で顔を覗き込まれる。空色の瞳をじぃっと見つめ、ケーリィンは考える。


 指摘され、考え、ようやく気付く。

 ディングレイの指摘通り、舞の最中は余裕が皆無なため、彼の存在が脳裏から消えている。綺麗さっぱり、跡形もなく。

 そして失敗の引き金も、彼――すなわち目の前の観客ではなかった。

 失敗をもたらすものは、過去だった。


「まあ! いやだわ、みっともない! あなた、それで踊っているつもりだったの? 身なりも顔も貧相だから、物乞いでもしているのかと思ったわ!」

 気付いた途端、すぐ目の前で嘲笑われているかのように。

 ヴァイノラの嘲笑と、取り巻きたちの媚びた哄笑が、生々しく蘇った。

 聖域で、舞の練習の際に笑われた記憶だ。

 昔話と一笑するにはまだ新しく、反芻はんすうと共に、痛みや苦々しさもぶり返す。


 それが閃光のように脳裏で煌めくと、身体は途端に硬直するのだ。ケーリィン本人も気付かぬ内に。

 自分は彼女たちに、どれだけ縛られているのだろう。

 そう思うと、柄にもなく自嘲めいた笑みがこぼれた。

「……思い出の観客に、怖がってたみたいです。レイさんに言われるまで、気付きませんでした」

「なんだ? 酔っ払いのオッサンにでも絡まれたことがあるのか?」


 心配そうに眉をひそめる彼へ、ケーリィンは柔らかく微笑む。

「わたしは聖域育ちですよ? 男の人に会うなんて、ほとんどなかったです」

「そうだった、悪ぃ」

 いいえ、とケーリィンは首を振る。

「観客は、一緒に育った舞姫でした。わたし孤児で、何をやってもドジだったから、よく目を付けられていたんです」

「それでいじめられてた、ってことか……舞姫の割に、性根の腐った連中が多くねぇか?」

 舌打ち交じりの彼は、凶悪そのものの顔になっている。不機嫌な彼は、本当に恐ろしい。


 だが彼の機嫌を損ねているのは、ケーリィンをいじめた舞姫たちである。彼女はそのことが、卑しくも嬉しかった。

 だから心に余裕が生まれ、やんわりとだが、ヴァイノラたちを擁護するも出来た。

「特権階級って言うんでしょうか。子供心にも、周囲の大人が自分たちを特別扱いしてるのが、伝わるんです。舞姫は偉い、大事なんだって――だけどみんな子供ですから、敬われていることに感謝できなかったんだと思います。それでそのまま大きくなってしまう舞姫も、いるのかもしれません」


「リィン」

 ディングレイが静かに彼女を呼んだ。まだまだ慣れない愛称呼びに、ケーリィンは耳まで赤くなる。

 じっと彼女を見据えるディングレイは、怒っているように銀色の眉を寄せている。

「あんたもその中の一人だ。少なくとも、俺は――俺と爺さんは、あんたを大事に思ってるし、来てくれたことに感謝してる」


 いつも斜に構えていることが多いディングレイだが、時折こうやって真っ直ぐな好意を伝えてくれる。

 それはいつも、ケーリィンの心を温かくした。

「ありがとうございます。わたしもレイさんたちのこと、大好きです」


 照れたようにそっぽを向き、ディングレイは癖だらけの髪をガシガシかき回した。

 続いてケーリィンの頭も、豪快に撫でる。もはや慣れたその動作に、ケーリィンも頭をぐらぐらさせながら、彼の好きに任せた。頭を撫でられるのは、ケーリィンも嫌ではないのだ。


「まぁ、だから、なんだ。あんたが笑われるいわれはねぇし、そんな連中のことは忘れちまえ。どうせもう会わねぇだろ?」

 それもそうだ。綿あめみたいになった髪に手櫛を入れながら、ケーリィンも笑う。

「はい、そうですね――あ、もう一つの気になったことは何ですか?」


 ほっこりしたまま、聞き逃すところであった。

 市長との面談が、二週間後に控えている。そこで舞を求められる可能性は高いので、気がかりは少しでも減らしたい。


 ディングレイが、少しばかりばつの悪い顔になった。

「あー、まあ。些細なことなんだけどな」

「些細でも構いません。教えてください」

 躊躇を見せる彼に、ギュッと拳を握って強く乞う。

 息を一つ吸って、彼は改めてケーリィンを見つめた。

「なんでいっつも、白のパンツなんだ?」


「パッ……?」

 一瞬の思考停止の後、ケーリィンの顔は耳まで赤くなった。

 はくはくと無言で口を開閉する、言葉を失った彼女に構わず、ディングレイは普段通りの遠慮のなさで続ける。

「正直眼福だったから、転ぶたびにパンチラしてるの黙ってようかと思ったんだが。でもほら、たまにはレースとか、色物も可愛いんじゃって──痛ぇ痛ぇ」

 真っ赤になったケーリィンは言葉の代わりに、彼の手の甲を思い切りつねった。

 たおやかな外見に反し、ケーリィンの握力は強い。聖域の清掃活動で培った、雑巾絞り技能のおかげである。


 彼女が絞った雑巾は全く水が滴らない、と称賛されたねじり技術を駆使しつつ、涙目でがなった。

「レイさんのバカぁ! しかも、些細じゃないです!」

「いや、モロに見えたわけじゃねぇぞ? 転ぶ時にチラッと見えるだけなんだから、些細だろ」

「チラッでもヤなの! なんですぐ、教えてくれないの!」

「俺へのご褒美に見せてくれてんのかな、と」

「そんなわけないでしょ!」


 つねりを止め、代わりに一つ、手の甲を強く叩く。そして膝から降りようとするも、それは叶わなかった。

 暴れる猫を捕獲するように、後ろから抱え込まれる。

 なおも抵抗するが、雑巾絞りごときで鍛えられた舞姫と、実戦で鍛えている護剣士とでは力比べなど無意味である。しばらくジタバタした末、ぐったりとケーリィンは諦めた。

 踊った直後の上、朝食もまだなのだ。


 不貞腐れた顔で手足を放り出したケーリィンに、ディングレイは笑いを堪えつつ、

「悪かったよ。今度、可愛い下着買ってやるから」

「下着の話はもういいの!」

謝罪ではなく更なる燃料投下をかましてきたので、顔だけ持ち上げ、歯を見せてうなった。

 彼女は本気で怒っているのに、ディングレイはとうとう声を上げて笑った。


 何故まだ笑うのか、とケーリィンは釈然としない思いを抱いた。また同時に、彼にも随分慣れたものだと気付いてふと、遠い目になる。

 最初は射殺さんばかりの表情に、怯え切っていたのに。

 今では不機嫌顔程度なら、さらりと受け流せるようになっていた。


 また、自分がこんなにもズケズケ文句を言う度胸があったなんて、知らなかった。

 ただこれはきっと、自分が怒っても受け止めてくれる、彼の度量に救われている部分もあるのだろう。


 そう考えて、自分を抱えている彼の右腕――の赤くなった手の甲を、優しくさすった。感謝と、少しやり過ぎたかもしれない、という謝罪も込めて。

 もちろん黙って人の下着を鑑賞していたことに関しては、生涯忘れないが。


 明日からは見られてもいいよう、オーバーパンツを履こう、とケーリィンは心に誓った。

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