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13:美の神、降臨

 二階で何かを倒す音、割る音、破裂する音をけたたましく鳴らした後、こざっぱりとした蝶ネクタイにサスペンダー姿のフォーパーが降りて来た。頭は寝癖だらけの、モジャモジャ海綿スポンジのままであるが。


 だがケーリィンはそれよりも、先ほどの騒音は何だったのだろうか、という点と、女装しないのか、の二点が気になって仕様がなかった。ついそわそわと両手を組み合わせる。


 困り顔でフォーパーを見つめるケーリィンを見て、エイルが察してくれたらしい。こっそり、耳打ちしてくれた。

「父は寝巻だけ、女性用のネグリジェなんです。締め付けられるのが嫌なんですって」

「なるほど……ご趣味ではなく、機能性重視なんですね」

「良く言えば、その通りです」

 悪く言えば非常識なだけですが、と言い添えた彼女と目を合わせ、くすくす笑い合う。


「もう娘と打ち解けられたんですね」

 二人の様子を眺め、フォーパーはエキセントリックな芸術家から、父親の顔になる。

「あの舞クソビッチ様は、私の店や娘を毛嫌いしておりましたからね。あなたは娘も受け入れて下さったようなので、安心しました」

 舞クソビッチ様――薄皮一枚程度で敬意が残っていると見せかけて、実は侮蔑もろ見えな異名だ。武勇伝に事欠かない先代である。


 彼によると舞クソビッチ様は、

「田舎者がデザインしたドレスなんて着られない」

と、わざわざドレスを作らせた後で買い取りを拒否したらしい。

 ドレス代はもちろん、平謝りのロールドたちが支払ったようだ。


 なお丹精込めて作られたドレスは、そのまま日の目を見ることなく、

「おのれ、目に付くだけで忌々しい!」

とフォーパーの短い理性がプッツンし、焼却処分されたという。作り手と買い手に恵まれなかった、哀れなドレスに合掌である。


 また舞クソ (以下略)はエイルに対して、顔を合わせる度にブスと連呼して、邪険にしていたらしい。完全に嫉妬であろう。

 真実不美人に見えていたと言うなら、脳か眼に問題がある可能性が高い。至急、病院での検査を受けるべきだろう。


 そんなフォルトマ洋裁店と舞クソとの戦いの歴史を拝聴しつつ、ケーリィンはドレス制作のために採寸を受けることとなった。

 出会い頭では舞姫全体に拒否感を示していたフォーパーだが、エイルが歓迎してくれたことですっかり態度を軟化させていた。娘に優しい父なのだろう。


 衝立の奥でケーリィンの採寸をしながら、エイルは嬉しそうに微笑んだ。

「先々代の舞姫様とは、直接お話する機会も少なかったので。正直、舞姫様方に苦手意識はありました。でも、ケーリィン様は親しみやすい方で、ホッとしました」

 ホッとしたという笑みがまた麗しく、ケーリィンは頬をポッとさせた。

「ありがとう、ございます。あの……ちなみに、エイルさんもドレスを作るんですか?」


 素人の感覚だが、採寸の手際がいいのだ。ケーリィンの問いに、エイルはほんのり苦い笑いとなる。

「いえ、私は接客が主です。たまにこうして、父の手伝いで採寸も行いますが……お客様が女性やお子さんの場合は特に」

 女性客が同性の採寸を希望するのは、まあ分かる。ケーリィンも初対面のフォーパーに、特にお腹周りの大きさを測られるのは落ち着かない。ただ、

「子供のお客さんも、ですか?」

やはり美人の方が懐くのかしら、と思いつつ重ねて尋ねると。


「ええ。機嫌が良くなってくると、父が奇声を上げるので。お子さんは驚いて、泣いてしまうんです」

「それは……泣いちゃいますね」

「ヒャッホォォォォーイッ!」


 話しているそばから、衝立越しに奇声が聞こえて来た。

 発信源は無論、洋裁店店主である。先ほどから採寸されるケーリィンを、衝立越しにチョコチョコと覗いては、ディングレイに首根っこを掴まれて引き離されていたのだ。


「うるせぇぞ! 鼓膜破る気か!」

 間近で叫ばれたディングレイが、負けず劣らずの大声で怒鳴り返している。思わずエイルの手も止まった。

 ケーリィンも不安になって帆布はんぷ製の衝立から顔を出すと、ディングレイがフォーパーの耳を引っ張っている最中だった。修羅場である。

 ディングレイは肌の色が褐色なので分かりづらいが、顔も赤い気がする。本気で怒っているようだ。

「先にてめぇの鼓膜を抉り出すぞ!」

 そう脅すついでに、フォーパーの鳥の巣みたいな頭も一つ叩いたが、叩かれた本人はどこ吹く風であった。


 むしろ彼を完全無視して、先ほど難しい顔で向かい合っていたスケッチブックを、喜色満面で広げている。そして、叩きつけるような動きで鉛筆を動かし始めた。

「ううむ、素晴らしい! なんという原石なんだ!」

 そう叫びながら、ギラついた目をケーリィンに向ける。ケーリィンは顔だけ覗かせたまま、思わずその場で竦んでしまったが、構わずフォーパーはまくしたてた。ディングレイの拘束も抜け出し、彼女の元へ突撃する。

 衝立も脇に押しやって、ケーリィンを軸として周囲をぐるぐると回り始めた。存外、足取りも軽やかだ。


「おおっ、舞姫様! その素朴な、大きな森の小さな妖精といった風情が実にたまりませんな! まさに、俺色に染めたくなる背徳感を掻き立てる逸材でございます! 仕立て屋フォーパー、思いがけぬミューズとの出会いに心がヒャッホウしております!」

「あ、ありがとう、ございます……」

 フォーパーが何を言っているのかはよく分からない――分かりたくないが、彼はケーリィンのドレス作りに、意欲を燃やしてくれているらしい。


「こんなのですが、父はドレス作りに関してはちょっと有名なデザイナーなんです。今も演劇や映画関係の方から、お仕事を依頼されていますので」

 口ではやかましく言いつつも、父を尊敬しているらしい。エイルは誇らしげにそう告げた。

 ただしグルグル旋回する父の頭を引っぱたき、ついでにネクタイを掴んで沈静化させることも忘れない。


 続けて彼女から教えられた映画の中には、ケーリィンでも鑑賞済みの作品がいくつもあった。

 それはいずれも、煌びやかな衣装が華を添えていることで有名かつ、美術的価値も高い名作だ。思わず小さな歓声を上げた。

「すごいです! そんな方に、作っていただいて良いんですか?」

 ディングレイはエイルに手綱を握られてぐったりするフォーパーを鼻で笑ってから、ケーリィンの頭をガシガシ撫でる。

「オッサンも喜んでんだ。素直に甘えて、作ってもらおうぜ。どんなのが出来るのかは、俺にも分からんが」


 彼の言葉で、思うところがあったらしい。父の蝶ネクタイを握る、エイルの手に力がこもった。表情も真剣そのものだ。

「……父には過度な露出を控えるよう、必ず釘を刺しておきますね」

「あと、身動きできねぇような、大道具みたいなのも勘弁してくれ」

「そこはもう、釘と言わず杭を打ち込んでおきます」

 エイルもディングレイも、なんとも陰気な声である。どうやらフォーパーには前科があるらしい。


 下着みたいな服を作られたらどうしよう、と薄っすら悩みつつ、ケーリィンは当座をしのぐ衣類も選ぶことにした。

 採寸から始まるオーダー・メイドのドレスが、数日で出来上がる訳ない。


 フォーパー洋裁店では、一点物オーダー・メイドだけではなく、彼のデザインした既製品レディ・メイドも多数取り扱われている。

 もちろん、わざわざオーダーするほどの金銭的余裕のない、近隣住民向けの商品である。

 一点物の制作を請け負う傍ら、市内にある工房と提携して既製服も作っているらしい。


「ここまで街が廃れる前は、金満家から徹夜続きになるほど依頼に来ていましたがね。ま、気ままに思いついた作品を大量生産するのも、これはまた別の面白味がありますので」

 特に苦労も感じさせず、フォーパーはそう軽快に言い切った。

 彼はたしかに変わり者かもしれないが、その前向きさは素敵だ。ケーリィンも笑って頷く。


 舞姫はいつ何時でも華麗に舞えるよう、裾の広がるドレス姿であることが奨励されている。実際のところは、ほぼほぼ義務だ。

 ズボンの方が転んだ時も安全で踊りやすいのでは、とも思うのだが、聖域の大人たち曰く「そもそも転ぶな」ということらしい。フォーパーとは違ってしがらみまみれの立場のため、ドレスからの脱却は難しそうだ。


 ケーリィンはディングレイと一緒に、店内に吊るされたドレスたちを手に取って確かめていく。

「舞姫の着るドレスは、踊りやすいよう裾が広がっていて……あと、丈はくるぶしがちょうど隠れるぐらいが良い、と教えられてます」

「これまた厳格なんだな」

「でも、それ以外は素材も装飾も自由なので、聖域を出られた先輩方はお洒落を楽しんでいるそうです」

 何着かのドレスを吟味しながら、ディングレイとそんな会話を交わした。


 ディングレイにもドレスの意見を求めたところ、

「違いが分からん。もう全部買っとけ」

と、大層大雑把なアドバイスが返って来た。ケーリィンは眉を下げて困る。

「全部は駄目ですよ、もったいないです」

「舞クソビッチの残しやがった金品のおかげで、予算は潤沢だぞ」

 フォーパー命名の無情なあだ名をしっかり覚えていることに、ケーリィンはほんの少し呆れた。


「ディングレイさん。そのあだ名、気に入っちゃったんですか?」

 ニヤリ、とディングレイが悪辣に笑う。

「ああ。頭が悪そうな割に、妙にタフそうな響きが、割と気に入ったな」

 気に入った理由も、だいぶ無情である。

「ふふっ」

 傍らでドレス選びを手伝ってくれていたエイルが、不意に笑った。


 どうしたのだろう、とケーリィンたちが揃って彼女を見ると、

「ごめんなさいね。こんなに楽しそうなジルグリットさん、初めてお見掛けしたので」

そっと口元に手を当て、エイルは言った。ケーリィンはキョトンと目を丸くする。

「楽しそう、なんですか……?」

「なんで驚愕の顔を向けんだよ」

「ぴゃっ」

 しげしげとディングレイを見上げたところ、朝に引き続き、また鼻をつままれた。


 鼻を庇いつつ再度見上げれば、いつもの悪そうな笑みがあった。なんと、これでもご機嫌だったのか。

 そういえば初めて顔を合わせた時はしかめっ面であり、黒づくめの服装と相まって、死神のようにも見えた。

 自分といることを苦に思われていないなら、ケーリィンも嬉しい。照れ笑いを返したところ、また頭を撫でられた。


 その後、

「えっ……ケーリィン様、三着しかお持ちでないんですか? しかも全て、薄着? 一週間は着回せるように、新しいものを買った方が良いと思いますよ。これから冷え込みますし、少し厚手のものも、ぜひ」

というエイルのアドバイスに従い、七着の既製品ドレスとケープを購入した。

 ドレスは今の季節にぴったりの、やや薄手のものを五着と、厚手のものを二着だ。


 そしてフォーパーにも、五着の製作を依頼することで落ち着いた。

 手間も時間も金も掛かる一点物なんて、本当は一着でも勿体ないと思った。

 だが、涙目でフォーパー本人にごねられ、結局ケーリィンが折れてしまったのだ。

「せっかく美の神が降臨し給うたのに、そんな殺生な! 割引にしてあげるから、もっと作らせてくれ! 出来れば十着ぐらい!」

 ずっと年配の、それも親ほど年の離れた大人にそこまで言われれば、少女に断る術などない。もっともケーリィンは捨て子のため、親の顔も年齢も分からないけれど。


 ただお財布担当のディングレイからは、

「値引きしてもらえたんだから、結果オーライだ。よくやった」

豪快な頭なでなでと共にお褒めの言葉を貰えたので、良しとしよう。

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