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12:フォルトマ洋裁店

 洋裁店へ向かう前に、ケーリィンは自室の掃除をした。

 ディングレイにも手伝ってもらい、絨毯を丸め、鏡台やガラス棚の埃も落とし、ベッドの天蓋も外した。もちろん床拭きも行う。


 その過程で、鏡台の引き出しや、棚に放置されていた化粧箱から、いかにも高級そうなアクセサリーがゴロゴロ出て来たのだ。

 それらは質屋で売り払い、臨時の軍資金とした。


「……あのアクセサリーは、神殿の予算で買ったものなんでしょうか?」

 ケーリィンは質屋を出たところで、ディングレイに尋ねた。初めて見る大量の現金におののいていたため、顔がまだ強張っている。

 ディングレイは半眼で遠くを見たまま、肩をすくめる。

「いや、あの量だ。男から貢がせた分もあるだろ」

「それじゃあ、お返しした方が――」

「が、贈り主は分からねぇし、金返せと名乗り出て来たヤツもいねぇ。だから、素直にあんたが貰っちまえばいいんだよ。後から何か言われても、『知ったこっちゃねぇ』で通せばいい」

「はぁ……」

 からりと笑うディングレイに軽く背を叩かれ、今度はケーリィンが半眼になる。


 結局のところ彼のネコババ的持論には六割ほどしか納得できなかったのだが、明確な反論を持ち合わせているわけでもないので、素直に使わせてもらうことにした。

 またケーリィンは財布も持っていないので、全額をディングレイに預ける。


 舞姫の生活費ということで、ディングレイも自分の財布とは別に茶色い革財布に軍資金を入れた。そして柔らかい銀髪をかき回す。

「あんたの鞄と財布も、ついでに買わなきゃな。さすがにずっと手ぶらじゃ、不便だろ」

 彼の提案に、ケーリィンはパッと表情を明るくした。


「いいんですか?」

「ああ。もうちょっとここに慣れてきたら、お使いも頼みたいしな」

「はい! 頑張ります!」

「お、頼もしいじゃねぇか」

 胸に手を当て宣言すれば、ディングレイも不敵に笑う。


 愉快げな彼の先導で、質屋から五分ほどの場所にある、フォルトマ洋裁店に到着した。

 オレンジ屋根の店の扉には、「準備中」でも「営業中」でもなく、「降臨待ち」とあった。


「こちらは司祭様や、巫女様が営まれているお店、なんですか?」

 予想外の宗教臭にケーリィンが首を傾げていると、ディングレイが思い切り顔をしかめた。

「違う。変人のオッサンが営んでる。降臨待ちってのは、服のアイディアに行き詰まってるってだけだ」


 新作アイディアが浮かぶと、「美の神が降臨した」と表現するらしい。確かに変わった人物のようだ。


「でも、腕は良い。腕だけは」

 ディングレイの注釈に、ケーリィンはふるりと華奢な体を震わせる。

「あの、そこまで強調されると……ちょっと怖いのですが」

「取って食ったりはしねぇと思うぞ。たぶん」

「たぶん……」

 不安材料しかないが、ディングレイは慣れた様子で扉を開けた。

 彼の後ろから恐々と店内を覗き見て、ケーリィンは思わず悲鳴を上げそうになる。口を押え、どうにかそれを飲み込んだ。


 灯りの消えた、薄暗い店内の中央にある丸椅子には、ネグリジェ姿の中年男性が腰かけていた。

 ピンクの、衿や袖のヒラヒラしたネグリジェである。シルク素材らしく、サラサラツヤツヤともしていた。可愛らしいデザインだが、薄暗い店内にあると妙に不気味だ。

 ケーリィンも女装、という言葉は知っているが、こちらの中年男性はそういった趣味嗜好の持ち主だろうか。

 謎の塊でしかないフォルトマ洋裁店店主 (と思しき人物)を、ケーリィンは不可思議そうに眺める。


 ネグリジェ店主 (仮)は丸椅子の上で胡坐をかき、スケッチブックへ一心不乱に何かを書き殴っている。

 が、堪え性のないディングレイがズカズカと入店して彼に近づいた。ケーリィンも慌てて、足音を立てないよう彼を追いかける。

「おい、オッサン」

 そしてディングレイが不愛想な声で呼びかけると、店主?は顔を高速で持ち上げた。


 芸術家然とした細面が彼を見上げ、驚愕で歪む。

「おのれディングレイ君め! いつの間に! どこから入って来たのだ!」

「おのれじゃねぇよ、普通に入り口からだよ。オッサン、仕事頼めるか?」

 繊細そうな顔を歪め、男性は鼻にしわを寄せた。


「表の札が見えなかったのか? 私は今、美の神が訪れるのを待っている。それに、男の服を作るのはつまらん。やる気が湧かんね」

「いや、俺の服じゃねぇ。新しい舞姫様のドレスを作って欲しいんだ」

「なにっ! 舞姫さまだとぉ?」

 たちまち、細面が悪魔に変貌する。先代は、シャフティ市民の何割から嫌われているのだろうか。

 店主の気迫にびくりと身体が震え、ケーリィンはディングレイの背中に隠れるどころか、しがみついた。


 彼の背後でうごめく気配に気付いたらしい。表情を無に変え、店主が椅子から降りる。

 そして存外俊敏な動きで、ディングレイの背後へ回り込んだ。


 彼の背中に張り付きつつも、ケーリィンは自分に近づくネグリジェ中年へ、涙目を向けた。

 店主はネグリジェのフリフリな衿をもてあそびながら、見開いた目でケーリィンを凝視。

「……ディングレイ君。君の背中に小人がいるが……もしや、東方大陸にいるという、ザシキワラシなる幸運の神かな?」

「いや、ザシキなんとかじゃなくて、舞姫様その人だな」

「ほァッ!」

 バカでかい奇声を上げ、店主が飛び上がる。


 その声を聞きつけたのか、二階から降りて来る足音が聞こえた。

 店の奥にある階段から顔をのぞかせたのは、恐ろしいまでの美女だった。

 艶やかな黒髪を一つに束ねた彼女は、まつ毛が多くて長い、キラキラした瞳で店主たちを見つめる。

「いらっしゃいませ、ジルグリットさん。お父さんも、早く着替えてくださいな」


(お父さん? こちらの、ネグリジェ姿のおじさんが、綺麗なお姉さんの父親……なの?)

 ケーリィンは思わずディングレイの背から顔を離し、驚愕の目で二人を見た。

 無愛想な護剣士の背中からのぞいた顔に、あら、と美人は笑う。圧倒的美貌が微笑むと、もはや兵器と大差ない破壊力があった。

 美しさで殺されるかもしれない、とケーリィンも益体もないことを考える。


「ふふ、可愛らしい方ですね。ジルグリットさんの恋人ですか?」

「違う。俺の新しいご主人様だ」

「えぇっ! 新しい舞姫様ですかっ?」

 口元を手で覆い、美人は驚嘆した。


 しかし美人は、楚々とした出で立ち通り、父親よりも常識的だった。

 ツカツカと店主の元へ駆け寄り、たしなめるように二の腕を軽く叩く。

 そして、さくらんぼ色のふっくら唇をすぼめ、彼をねめつけた。

「お父さん! 舞姫様がいらっしゃってるのに、いつまで寝巻のままなんですか。ほら、お店の灯りも早く点けて」

「あ、ああ、すまんエイル」


 我に返ったネグリジェ店主ことフォーパー・フォルトマ氏も、慌てて店内の灯りを点け、着替えのため二階に駆け上がる。

 ネグリジェの裾を摘み上げてのガニ股走行だったので、すね毛たっぷりの足が見えた。

 何故だろう――不意打ちですね毛を見てしまった瞬間、ケーリィンはとてつもなく切ない気持ちになった。これが哀愁、なのだろうか。


「もう。服作り以外は、てんで駄目なんだからっ」

 女神の如き美女は、腰に手を当て怒っても絵になる。

 そんな姿につい見惚れたケーリィンと目を合わせ、エイルと呼ばれた美女は微笑んだ。


「ようこそお越し下さいました、舞姫様。私はここの娘の、エイルと申します」

「あ……ケ、ケーリィンと申します」

 同性なのにどぎまぎしながら、赤い顔でお辞儀をする。

 あまりにも見惚れすぎて

「綺麗な人……」

本音がぼろん、とまろび出てしまった。慌てて口を手で塞ぐが、時すでに遅し。


「あんた、ほんとに素直だな」

 ディングレイは肩を震わせ、笑っていた。しがみついているジャケット越しに、ケーリィンにもその振動が伝わる。

 エイルはぱちくり、と少し下がり気味の瞳を瞬かせている。しかしすぐに、ケーリィンへ優しく微笑んでくれた。

「ふふ、ありがとうございます。ケーリィン様は、可愛らしくて優しい方なんですね」


 美人は心根も、美しく清らからしい。間近で微笑まれたケーリィンは、くらくらとめまいすら覚えた。

 取り巻きに「舞姫一の美女」と称賛させていたヴァイノラにも、この輝くような笑顔を見せたくなる。

 このお方こそが、本物の美女であらせられます、と。

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