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11:模様替えと衣替え

 ケーリィンは鼻をつままれたものの、ディングレイから観客役を快諾してもらい、もう一度踊りの練習を行った。何度か転びかけたものの、鍛えた体幹でどうにか耐えることに成功した。


「うん、転ばなかったけどな。余計にハラハラした。あんなブリッジ体勢で踏ん張るなら、素直に転んじまえ」

 とは、それを呆れた顔で見守っていた、ディングレイの感想である。


 そこでようやくロールドも起床したので、朝食を取ることにした。

 今度はケーリィンも手伝い、ベーコン入りのサラダとスープ、ハムエッグとパンの、簡素な食事を作った。しかし簡素な割に、肉気がちらほら見受けられる。

 スープにも塩漬けされた、豚肉が入っていた。


 ケーリィンが肉々しい朝食に若干唖然となっていると、パンにジャムを塗っていたロールドが、何度かちらちらと視線をよこして来た。

 なんだろう。口に何かついているのか、と顎や頬をこっそり触るが、そうではないようだ。


 ややあって、彼が口を開いた。

「ケーリィンちゃん、寝不足かね?」

 ぎくり、と後ろめたいことなどないのに、つい身じろぎした。

「え、どうして」

「目の下に隈が。顔色も悪いし、大丈夫かね?」

 確かに金箔悪夢のおかげで、熟睡できなかった。しかし指摘されるまで、そんな酷い顔だとは気づかなかった。


 ディングレイも全く気付いていなかったらしい。しげしげと顔を覗き込まれる。

「ああ、ほんとだな。寝不足で朝からあんな運動して、大丈夫か?」

「お前さんこそ、先に気付いてやらんかね。なんのための護剣士なんじゃ……」

 機微に疎いのう、とロールドはゆっくり首を振っている。


 うるせぇ、と言わんばかりの半眼で、ディングレイは彼をにらんだ。

 そしてすぐさま、再度ケーリィンへ向き直る。

「部屋で何かあったのか? 先代に捨てられた男の亡霊でも、出て来やがったか?」

「あ、いえ、それはなかった、と思うんですけど……ちょっと、その、お部屋が……」

 言い淀んで、ケーリィンは視線を手元に落とす。


「部屋が? 何かあったか?」

 ディングレイは頬杖をつき、心持ち声を柔らかにして続きを促した。

「豪華なので、お、落ち着かなくて……我儘で、すみません」

 寝床がないわけでもないのに、本当に贅沢な理由だ。


 だが頬杖をついたままのディングレイは、「だよな」と半笑いで同意。

「どこの成金の部屋なんだよって、思うよな。趣味が悪すぎだ」

「ワシらも家具を買い替えようか悩んだのじゃが……急きょ新しい舞姫様をお迎えすることになったのと、女の子が好みそうな部屋と言えなくもなかったので、そのままにしておいたのじゃよ……すまんかった」

 白い眉をハの字にしたロールドも、労わるようにケーリィンの手の甲を撫でた。


 確かに天蓋付きベッドや、猫足ソファは女性受けも良いだろう。

 しかし、いかんせん金の濃度が強すぎる。そんなものは、己の髪と目の色で十分間に合っている。鏡を見れば常に金ぴかなので、寝起きなどは目が痛いぐらいである。


「できればもう少し……優しい雰囲気のお部屋だと、嬉しいです」

 ケーリィンが過ごしてきた聖域は、家具の類がほぼ木製だった。床だけは、舞姫が転んでも安全なように、柔らかな人工芝だったが。


 おかげでケーリィンも、舞のたびに転び、時にはそのまま舞台下まで転落することもあったが、大怪我には見舞われていない。


「よし。今日は模様替えと衣替えだな」

 軽快に手を一つ打ち、ディングレイがそう提案する。低いが、よく通る声だ。

「なあ爺さん。バカ女の置き土産は、家具屋で引き取ってもらえるよな?」

 数秒の思案の後、ロールドもこくりと首肯。

「そうじゃな。十時には店も開くはずじゃから、後で電話しておくよ」

「任せた。ついでに新しいのも見繕ってやってくれ」

「もちろんじゃ。して、ケーリィンちゃんは、どんなお部屋にしたいのかね?」

「えっ……」


 聖域を出て以来、いろんな場面で自分の意見を求められる。これまで誰かに指示されて動くことがほとんどだったので、しばし固まってしまった。

「木の、ベッドと机と……あと本棚も……あると嬉しいです」

 ぽつりぽつりと呟き、本棚までは贅沢だっただろうか、と二人を上目に伺う。


 ディングレイはケーリィンの要望した家具を、脳内で彼女の自室に配置して――

「姿見もいるんじゃねぇか?」

と、追加で提案してくれた。

「お。レイ君にしちゃ、気が利いておるじゃないか」

 ロールドもにこやかだ。本棚と、姿見も希望して問題ないらしい。ケーリィンもホッと顔をほころばせる。


「はい。その四つをいただければ、嬉しいです」

 ほんのり笑ってそう伝えれば、ロールドは請け負ったとばかりに力強く頷く。

「ちなみに、デザインの希望はあるかね?」

「えっ? そんな、一番安いので大丈夫ですから!」


 慌てて首と手を振るが、大事なことに気付き、はたと動きを止める。

「あ、金ピカじゃないのが良いです!」

 両手を握りしめて切望したのに。

 何故か二人からは、盛大に笑われた。不本意である。


 涙までにじませて笑ったディングレイは、荒っぽく目尻を拭って呼吸を整えた後、ロールドを見る。

「それじゃあ家具選びは任せたぜ、爺さん」

「はいはい」

 心得顔で、ロールドも頷く。


 彼一人に、そんな重労働を任せるわけにもいかない。ケーリィンはおずおず、右手を挙げた。

「あの、でしたらわたしもお手伝いを――」

「家具を運ぶのは業者だ。心配ねぇ。あんたと俺は、衣替え担当だ」

 実はロールドの方が値引き等の交渉が得意なのだが、そういった裏事情は伏せられた。


「ころも、がえ?」

 初めて耳にする言葉であったため、ケーリィンは大きな蜂蜜色の瞳を瞬いた。

 そう言えばディングレイは、先程もそんなことを言っていた。

 年中常春の閉鎖環境で育った彼女に、衣替えという概念はないのだ。


 小首をかしげる彼女を、彼はじぃっと見下ろす。正確には、彼女の衣服を。

「あんたの服は、あまりにも質素すぎる」

「……貧乏くさかったでしょうか?」

 やはり、やはり雑巾でも着ているように見えるのだろうか。もういっそ、何も着ていない方がいいのだろうか。


 寝不足に不安を加味して、更に青ざめた彼女に、ディングレイは苦笑した。

「そうじゃねぇ。飾りっ気がなさすぎて、地味ってだけだ。ギラギラしろとは言わねぇが、街を預かる舞姫なんだ。もうちょっと着飾ってもいいだろ」

「なるほどです」

 地味という指摘なら、納得だ。持って来たドレスはどれも、木綿で作った無地のドレスだ。せめて柄物も着てみたい、とはケーリィンも常々思っていた。


 指を一本立て、ロールドも提案する。

「それから靴も必要じゃな。これから気温も下がっていくのに、サンダルでは風邪を引いてしまうわい」

「そんなに寒くなるんですか?」

「うむ。冬になれば、この辺は雪も積もるからのう」

「わぁっ!」

 未体験の降雪を想像し、ケーリィンは思わず歓声を上げる。写真では見たことがあり、憧れていたのだ。雪だるまや、雪合戦といった行為に。


 寝不足で青ざめていた顔が、興奮で血の気を取り戻す。それを見下ろし、ディングレイは口角を持ち上げた。

「そんなわけで冬――の前に、秋支度が必要ってわけだな。田舎だが、腕は良い仕立て屋がいる。そこに行こうぜ」

「はい、ありがとうございます」

 柄物のドレスや、遠くない未来に雪も待っているのなら、衣替えを是非とも行いたい。弾んだ声で礼を言った。


「本当に、腕は良いんじゃがのう……」

 が、浮かれ切っていたケーリィンは、ロールドのそんな嘆きを聞き洩らしたのであった。

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