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10:朝の護剣士

 ディングレイは二日酔い知らずだ。

 おまけに寝付きも寝起きも非常に良く、いつも必ず六時に目が覚める。目覚まし時計要らずで羨ましい、とかつての相棒に言われたこともあった。

 だが彼自身は、たとえ夜更かしをしても、休日であったとしても (護剣士には休みなど滅多にないが)、容赦なく六時に覚醒してしまうので、便利でもあり不便でもある体質だと感じていた。


 そして今朝も変わらず、六時きっかりに目覚める。

 手早く顔を洗ってひげを剃り、濃紺の軍服に身を通す。ズボンは太ももの辺りにゆとりのある、いわゆる乗馬ズボンとなっている。またジャケットの腕部分には、グリフォンをあしらった紋章が縫い付けられていた。

 グリフォンとは黄金の番人。

 人類にとって黄金に匹敵する存在、すなわち舞姫を守る護剣士の象徴だ。


 昨日一昨日は慣れないスーツを着ていたので、腰に剣を吊るすと、どこか安堵する自分がいた。

 武器を所持していると心が落ち着く、というのも珍奇な話であるが。


 銀髪には、さっと手櫛を通して済ませる。

 男にしては毛質の柔らかい、いわゆる猫毛だ。おまけに癖も多い。

 そのため熱心に整えたところで、すぐにあちこち跳ねるのだ。


 先代の舞姫からは「寝癖だらけのボサボサ頭みたいで、みっともない。連れて歩きたくない」と不評だったが、こっちだってアレに近づきたくなかったので、お互い様である。


 着替えを終え、向かいの部屋――ケーリィンの部屋の前に立つ。

 とにかく気を遣う彼女のことだ。もし目覚めていても、空腹でも、こちらが起きるのを辛抱強く待っているかもしれない。

 小さくノックをした。

 しかし待てど暮らせど、返事がない。物音もしない。


 護剣士たちは舞姫の剣となり盾となれるよう、魔術によって身体を強化改造されている。

 そのため五感も鋭い。

 呼吸音が聞こえないのを確認しつつも、念のため薄く扉を開けた。想像通り、やはり無人だった。


 どうやら新しい舞姫は、天蓋付きのファビュラスなベッドはお気に召さなかったらしい。ソファの上に、丁寧に折りたたまれた毛布を見つけた。

「もうちょっと時間があれば、ちゃんと掃除してやれたんだが……」

 ディングレイは部屋の隅に転がる埃を見つけ、にわかに申し訳ない気持ちになる。銀色の髪をかき回した。

 掃除ついでにベッドも、新しいものへ替えた方がよさそうだ。


 静かに扉を閉め、一階へ下りた。食堂も無人だったが、出しっぱなしにしていた食器類は片付けられていた。

「律義な子だ」

 思わず声に出し、小さく笑う。

 その時かすかに、礼拝堂からの物音――正確には、跳ねるような足音が聞こえた。速足でそちらへ向かう。


 礼拝堂の扉を開けると、舞台上にケーリィンがいた。

 だが、その姿に目を見張る。

 重力を感じさせない軽やかさで、彼女は舞っていた。まるで羽の生えた妖精のようだ。

 どこが未熟者なんだと驚きながらも、しばし見惚れる。

 朝日を受け、光り輝くような金の髪をたなびかせる彼女は、美しかった。


 だがそれも、陶酔とした彼女の視線が、ディングレイに釘付けとなるまでだった。

 目が合うや否や、彼女の動きがぎこちなくなり、そのままのけぞるように転倒した。

 ついでに、パンツも見えちゃっている。


「なるほど、白か」

「え?」

 ケーリィンはつぶやきの意図が分からず、蜂蜜色の瞳をぱちくりさせていた。

「なんでもねぇよ。それより大丈夫か?」

 舞台に駆け上がり、彼女の腕を引いて立たせる。


「ありがとうございます……あと、その、すみません、見苦しいものをお見せして……」

 むしろ何かと眼福でしかなかったのだが、言わぬが花だろう。

「転ぶのは一昨日も見たんだ。気にすんな」

 真っ赤な顔でうなだれる、彼女の頭を撫でる。


 ちょうど良い高さに頭があるため、ついつい撫でてしまう。

 おまけに後頭部の丸みが、どことなく猫の頭を想起させるのだ。

 実は嫌がられたりしてないか、と密かに様子を伺っているのだが、当人に不快そうな素振りは見受けられない。

 護剣士の訓練校でも、舞姫を撫でるなと教わった記憶はない。つまり問題はないのだろう、と判断する。


 うつむいて頭を撫でられるまま、彼女はぽつりぽつりと語った。

「実はその……だ、誰かがいらっしゃると、つい足がもつれてしまうんです……」

 どうやら緊張への耐性が、極端に低いらしい。おかげで今も、羞恥によって首まで真っ赤になっている。

 人に舞を見せるのが仕事なのに、それでいいのか。


「これじゃあ舞姫失格ですよね……あがり症だなんて……」

 本人にも、自覚と危機感はあるようだ。

 どうしたものか、とディングレイは顎に手を当てて思案する。

「毎月一回は礼拝の時に、市民の前で踊ってもらうんだが」

「だめ、死んじゃう」

 跳ねあがった顔は、既に瀕死の土気色をしている。気が早いにも程がある。


「あと三か月後に、収穫祭もある。そこでも繁栄祈念の舞を踊ってもらう予定だ」

 声なき叫びを上げ、ケーリィンはうずくまった。

 よくよく見れば、眼前で握りしめた手が震えている。


 舞姫としてこれでは駄目だろうと思いつつも、何だか放っておけない。

 ディングレイもしゃがみこみ、半泣きの彼女を覗き込んだ。

「転んだら、そん時ゃそん時だ。それっぽくポーズ取ってりゃ騙されるだろ。どうせ棺桶に片足突っ込んでる、くたばりかけの連中が大半なんだ」

「ひどい言い草です」

 ケーリィンはそう言いつつ、恐怖に強張った表情をわずかにほころばせた。少しは不安が取り除けたらしい。安心させるため、再度頭を撫でる。


 おそらく触り心地が恐ろしく良い髪の毛も、撫でたい理由の一つだろう。手触りがツヤツヤなのだ。

 目をうっすら閉じ、撫でられるがままだったケーリィンが、ややあってディングレイを見つめた。

 ためらいがちな上目に、たちまち庇護欲を覚える。


「ん? どうした?」

「あの……今度の礼拝まで、ディングレイさんにお客さんの代わりをしてもらっても、いいですか?」

 先ほども見惚れてしまったぐらいだ。彼に否やはない。

「そりゃ構わんが。俺でいいのか?」

「はい。だって眼力が凄いから、お一人で十人分に相当します」

「……」


(こんな可愛い顔して、割とえげつないこと言い切るんだな)

 どこか抜けた性格だからだろうか、とディングレイはしばし遠い目になった。

 たそがれながらも、遠回しに目が怖いと言われた気もしたので。意趣返しのため、無言で小さな鼻をつまんだ。

「ぴゃっ」

 目を白黒させるケーリィンから間抜けな悲鳴が上がったので、つい噴き出してしまった。

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