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9:朝の舞姫

 間諜スパイの疑いを掛けられて拷問の末、浴槽一杯に注がれた金箔で溺死する、という冗談のような悪夢にうなされながら、ケーリィンは一夜を過ごした。

 刺繍入りの真っ赤なカーテンの間からわずかに見える、紺碧の空がほのかに明るくなり始めた頃、ケーリィンはふと目を覚ました。

 寝ぼけた目をぼんやり動かして部屋を見渡し、「ああ、金箔責めは夢ではなかったのか」と悲嘆したところで我に返った。


 拷問部屋ではない。ここは自分の部屋だった。情けないことに。


「疲れちゃった……起きたばっかりなのに……」

 年に似つかわしくない疲労感漂うため息をついて、のそのそと着替える。聖域で支給された、何の飾り気もないドレスだ。

 今までは服に頓着したことなどなかったが、この成金趣味の部屋で着ると、まるで雑巾でも着ている気分になる。

 金のライオンに縁どられた姿見で自分の姿を確認し、惑わされるな、と己を戒める。


 地味で野暮ったいうえに着古しまくった服であることは認めるが、決して雑巾ではない。

 きちんと洗濯をし、アイロン掛けだってしている。

 たしかに――とてつもなく地味、ではあるが。


 部屋を出て洗面所で顔を洗い、髪も丁寧に梳かした。

 自分に自信のないケーリィンだが、背中まで伸ばした蜂蜜色の髪は気に入っている。濃淡のある金色で髪質も波打つような癖を持つため、光っているようだと褒められたこともあるのだ。


 気分を切り替えたところで、階段を降りる。二階の廊下も、そこから続く階段も、しんと静まり返っていた。

 知らずに息を潜め、足音も極力立てないよう心掛けた。

 階段を降りきって食堂に入るも、やはり人影は皆無であった。一人きりということもあり、遠慮なく周囲を観察する。


 裏庭に面した食堂の窓と、そのすぐそばにある洗い場と調理台。

 そして中央に置かれた木製の大きなテーブルと揃いの椅子。壁面にも同じく木製の棚があり、そこには白磁で出来た食器類が並べられている。

 贅を凝らしてはいない反面、隅々まで掃除が行き届いている。何もかもが、舞姫の部屋とは正反対だ。


 窓から裏庭の様子を伺うと、夜明け前の空も見えた。

 空には様々な色があるのだと、改めて知る。深い青色も、とても美しかった。


 そしてテーブルには、カトラリーに数枚の皿とグラス、そして空になったワインボトルが残っていた。ケーリィンが早い就寝を取った後も、酒盛りは続いていたらしい。

 記憶にあるより、空き瓶の数が多かった。

 どうやらお酒で盛り上がり過ぎた結果、片付けは翌日に持ち越しとなったようだ。


 そして見覚えのある青いバラが、テーブルの真ん中に活けられていた。

「ディングレイさん、持って来てくれたんだ」

 呟き、少し嬉しくなる。お礼の気持ちも込めて、残されたままの皿たちを洗った。

 ワインボトルも中をすすぎ、洗い場の隅に寄せておく。


 洗い物を終え、改めて神殿内を見回った。

 神殿中央に出入口があり、両開きの扉をくぐると広間がある。

 広間と表現するには少々抵抗のある面積だが、吹き抜けのため、窮屈さは感じられない。

 その奥には、礼拝堂も設けられている。


 そして広間を右に進めば、一階に談話室と二階に図書室がある。

 反対方向の左側には、食堂や各人の部屋など、舞姫たちの居住空間が広がっている。


 いずれの施設も小ぢんまりとしているが、礼拝堂にはきちんとした舞台もあった。

 無人の舞台に上がって、ケーリィンは目を閉じて深呼吸。

 次いで背筋を伸ばし、右手を天へ伸ばし、繁栄祈念の舞を踊る。

 少しでも街に活気が戻るよう、拙い踊りに目いっぱいの気持ちを込めた。

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