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5:シャフティ市へ

 悲しいかな、彼女の予感は的中だった。

 一夜明け、朝日に照らされるシャフティ市に着いたが、そこはどこか暗く、くたびれた空気を漂わせていた。

 石造りの家々が並ぶ街並みは牧歌的で、一見すると絵本の世界のようなのに、雰囲気は完全なる限界集落だ。

 そしてあちこちに、昼寝する野良猫がいた。住民に愛されているのか、どの子も毛艶が良い。


 街の栄枯盛衰にはどれだけ舞姫が華麗に舞い、奇跡を呼び込めるかにかかっている、と教えられてきた。

 その踊りを怠った結果が、これなのだろう。

 衰退した街の復活は、半端者には荷が重い。そりゃ、踊りの腕前はピカイチのヴァイノラが指名されるわけだ。


 ケーリィンの心の内を読んだのか、ぽん、とディングレイが背中を叩いてくれた。

「ここまで廃れ切る前から、どうせ田舎だったんだ。そう気負うな」

「そうそう。上を見ればキリがないから、スラム街とか場末のスナックとか、下を向いて気楽にねー」

「場末、ですか……?」

 なんとも無責任で後ろ向きな励ましの言葉を残し、リズーリは湖に戻って行った。


 彼は新しい舞姫をいち早く見たいがために、わざわざディングレイを尾行し、寝台列車にも乗っていたらしい。

 竜神様とは、案外お暇なのだろうか。


 疲れ切った笑顔でそれを見送り、ディングレイの案内で、街の神殿まで歩く。

 新居にしてついの棲家は、神殿というよりも妖精の隠れ家を連想させた。

 こんもりとした木々に囲まれ、小さな庭のある白壁のお家――いや神殿は、なんとも素朴で可愛らしい。好みだ。


 二階建てのメルヘンな神殿前では、小柄な老人が掃き掃除をしていた。

 こちらに気付いた彼は、パッと表情を明るくする。

「早かったのー、レイ君!」

「爺さんも朝早ぇな」

 口は悪いが、ディングレイも表情が柔らかい。


 そして彼はずずい、とケーリィンを前へ押し出した。

「この子。新しい舞姫」

「あ、あの、ケーリィンと申します」

 へどもど、お辞儀をする。老人も一層明るい笑顔で、ペコリと頭を下げた。


「ご丁寧にありがとうございます、可愛い舞姫様。ワシはここの管理人の、ロールドと申します。いやぁ、本当に可愛らしい子じゃのう」

 後半は、ディングレイに向けられての熱弁だった。深く、彼も頷く。

「ああ、可愛いよな」

「どんなアバズレが来るかと冷や冷やしておったから、安心したよ」


 幸か不幸か。先代舞姫のおかげで、後継者への期待値がマイナスだったようだ。

 そこまで言わせる先代に、一度会ってみたい。

 いや、直接会うのは怖いので、遠目に眺めてみたい。


 そうじゃ、とちり取りに落ち葉を掃き入れながら、ロールドはケーリィンへ笑いかける。

「舞姫様、朝ごはんはお食べになりましたか?」

「はい、列車で頂きました」

 ケーリィンも微笑んで返す。


「晩飯も朝飯も、食が細すぎて心配になったよ」

 しかめっ面でディングレイが零す。

「お前さんの食が太すぎるんじゃよ。腹ん中が地獄にでも繋がっているんじゃないのかね? 性根も腐っておるし――いてて、オイボレに何するんじゃ!」

 無表情に耳を引っ張って来るディングレイへ、連続パンチで応戦する。


「ああもう、お前さんのせいで話が脱線したじゃないか!」

「爺さんもノリノリで、乗って来たじゃねぇか」

「うるさいわいっ。えー……それでは舞姫様、昼食会も兼ねて、ささやかながら歓迎会を開こうと思いますが、いかがでしょうか?」

「か、歓迎会……ですか?」


 公衆の面前で踊るのが仕事なのに、目立つのが苦手なケーリィンは、途端に及び腰となる。


 半日以上共に過ごし、彼女の人となりを把握したらしい。ディングレイが軽く頭を撫でる。

「俺と爺さんだけだ。心配すんな」

「え? 護剣士さんって二人以上いらっしゃるんじゃ……」

「訳あって、今は俺一人だ」

「訳……?」

「そう、訳」

 ディングレイはキリリと生真面目な顔で、深くうなずいた。


 実のところ、彼の元相棒は先代舞姫とのただれた愛憎劇を演じた結果、護剣士には不適格として解任されていた。

 男女の機微に疎そうな彼女にはまだ伝えない方が良いだろう、とディングレイが伏せたこの真相を、ケーリィンが知るのはまだ先だ。


 ケーリィンはケーリィンで、「予算削減で減らされたのかな」と現実的な仮説を立て、ひとまず納得した。

 主賓も含めて三人の歓迎会なら、ケーリィンも否やはない。

「ありがとうございます、ロールドさん」

「いえいえ。そこで舞姫様、お好きな食べ物はございますか?」

 苦手な食べ物以上に、困る質問だった。宙へ視線をさまよわせ、ケーリィンは黙考する。


 聖域では常に献立が決められ、料理人も常駐していた。

 教養の一つとして、自分たちで調理をすることもあったが、その際にも栄養バランスに配慮された献立と、安全で衛生的な食材が用意されていた。

 だからケーリィン――に限らず大半の舞姫が、なんでも食べられるし、食事へのこだわりも薄いのだ。


 献立だけでなく、食事の時間も量も厳格に決められていたのだ。こだわりを持つ暇なんてない。


 しかしお人好しのケーリィンは、ここで「なんでもいい」と言うと、優しい老人を困らせる予感も抱いていた。

 そのため、珍しく険しい顔で考え抜いた末、

「お……お芋?」

どうにかそれだけ、絞り出す。


「安上がりだな。ちゃんと肉も食えよ」

 そして即座に、ディングレイからダメ出しを受けた。

 そう言えば今朝も、山盛りベーコンを食べてたっけこの人、と大食漢の割に贅肉のなさそうな彼を見上げる。


 ロールドも彼を見上げる。しかしその目は、不満げだ。

「レイ君。お前さんは、もうちょっと敬意を持ちなさい。舞姫様じゃぞ?」

「でも爺さん。この子全体的にコンパクトで、コロボックルにも見えねぇか?」

「こ、これでも人間です!」

 ケーリィンは自身の妖精説を、大慌てで否定する。全体的にコンパクトであること自体は、否定できないが。

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