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4:竜神様との出会い

 俗物的な表紙の割に、『アンデッド・モンスターから逃げ切る 六十六の方法』は読みごたえがあった。

 実践的な逃走・回避方法の紹介から、ちまたに流布する通説・俗説への茶々入れまで、軽妙な文章で書き記されていた。おかげで何度も、噴き出してしまった。


 黙々と本を読んでいると、あっという間に夜を迎えた。

「そろそろ飯にするか。食堂車行くぞ」

 きちんと本に栞を挟みながら、ディングレイが藪から棒にそう言った。ケーリィンも本の中ほどに入っていた栞を挟みなおし、はい、と頷く。


「食えないもの、あるか?」

「大丈夫だと思います。全ての食材に感謝しなさいと、教えられて来ました」

「うわー、堅苦しいな。俺、舞姫には絶対なれねぇわ」

 うんざりした声に、ケーリィンは小さく笑った。そのまま彼の先導で、外へ出る。


 食堂車へ向かう通路の中ほどで、こちらへ向かってくる青年に出くわした。

 鮮やかな水色の髪をした、女性みたいな顔立ちの美青年である。髪の色が変わっているので、魔術師だろうか。


 すれ違おうとケーリィンが通路の端に寄るが、何故か美青年は穏やかな表情のまま、こちらへ肉薄して来る。それに気づき、ディングレイも立ち止まる。ケーリィンを背に庇いながら、彼を待ち受ける。

 訳が分からないながらも、危機感を覚え、ケーリィンはディングレイの広い背にしがみつくしかなかった。


 美青年は表情を崩さぬまま、手のひらを上に向けた右手を、胸の位置まで掲げた。

 その途端、彼の手のひらから水があふれだす。いや、水は瞬く間に、蛇となった。


 やはり魔術師だった。しかも、ケーリィンたちを狙っているらしい。

 真っ白な頭で硬直する彼女を置いてきぼりにして、蛇は二匹に分裂し、大口を開けてディングレイ目がけて飛びかかって来た。

 思わず、喉の奥から悲鳴がこぼれかかる。


 が、その悲鳴よりも早く、ディングレイが右手を突き出した。蛇を阻むように、透明の壁が生成される。

 いや、それは恐ろしく透明度の高い氷であった。白い冷気が、三人だけの廊下に満ち満ちる。

 氷の壁にぶつかるや否や、二匹の蛇はたちまち凍り付き、そのまま砕け散った。


 その様を見て、おのれ、などと言いつつ第二の手段を繰り出してくるかと思われたが、美青年は反対に笑った。屈託なく、無邪気ににっこりと。


「やっぱり君の魔術は素早いし正確だ。僕でもかなわないや」

「あのな、てめぇ。新しい舞姫に会いたいからって、ここまでするか?」

 右手を振って氷と冷気を消し去ったディングレイの表情は、背後にいるケーリィンからは窺い知ることができない。

 だが声音には呆れの色が、露骨に浮かんでいる。


 事態が全く掴めずにいる彼女へ、ようやく彼が振り返った。

「心配すんな、ケーリィン。この顔だけがいい兄ちゃんは、神様だ」

「かっ、へっ?」


 しかし端的な説明に、かえって混乱が増す。強張った顔の彼女に、神様らしい美青年はのんきに手を振った。

「シャフティ市にある、月涙湖げつるいこに住んでるリズーリです。竜神だよ」

 誕生日や趣味を告げるような気軽さで、湖の主はそう名乗った。

「チャラついた見た目だが、事実その通りの、あらゆるメスが大好きな偉い方だ」

 そしてディングレイからも、敬意ゼロの追加情報がもたらされる。


 女性ではなく「メス」という表現に、「竜だもんね」と場違いに感慨。


 しかし、腐っても舞姫。我に返ったケーリィンは、慌ててお辞儀をする。

「あのっ、ケーリィンと申します。未熟者ですが、よろしくお願いいたします」

「うんうん、初々しくて可愛いね。そうだ、ケーリィンちゃん。シャフティに着いたらさ、僕の屋敷においでよ」

 本当に、全メスが大好きらしい。


「いえ、そんな……」

「美味しいものも、珍しいものもいっぱいあるよ。海に兄弟がいるからさ、真珠もいっぱいあげるよ」

「ほっ、宝石なんて、めっそうもないです!」


 これには畏れ多い気持ちも吹っ飛んで、全力で固辞する。首と両手も、高速で左右に振った。

 高価なものに不慣れな彼女は、真珠なんて渡されても困る。しかも沢山あるという。

 押し付けられた瞬間、卒倒してしまうかもしれない。


 彼女の反応が予想外だったらしく、肩透かしをくらったように、リズーリは金色の目を丸くした。

「あれ。前の舞姫ちゃんは、しっぽ振って飛びついて、三次会まで居座ったのに……変わってるね、君」

「違うだろ。あのクソ女の方が、頭イカれてんだろ」


 ぼそりと返された声には、殺意が満々だった。どれだけ嫌われているんだ、先代。


「舞姫は、清貧が美徳なので……あ、でも、律義に守ってるのなんて、わたしみたいな頑固者だけだと思います、けど……でも、やっぱり宝石は、申し訳ないです」

 ケーリィンは名前を呼んではいけない人物扱いの先代を、成り行きで擁護しつつ、出来るだけ角が立たないよう断った。


 怒られて祟られるかしら、と身構えるが、各段気にする様子も、めげる様子も全くなく、リズーリは笑顔のままだ。

「うんうん。ケーリィンちゃんは真面目なんだね。それじゃあ、これはどう?」


 髪色と同じ典雅な服の懐をまさぐって、彼が取り出したのは平べったくて透明な、コインに似た何かだった。

 透明な何かは、一見するとガラスのようだが、光を受けて虹色に輝いている。


 ディングレイを押しのけ、強引に手渡された不思議なコインに、しばし目を奪われる。

「きれい……」

「それ、僕のウロコ。シャフティ市を守る者同士、お近づきの印ってことで受け取って。季節の変わり目にはボロボロ剥がれるから、原価もゼロだよ」


「……ちゃんと洗ってんだろうな、これ」

 ディングレイは疑わし気に顔を歪ませているが、虹色のウロコはとても美しかった。

 それに原価もゼロである。


「ありがとうございます」

 大事に両手で包み込み、素直に受け取った。

「うんうん。素直でいい子だね。それなりにご利益もあるはずだからさ、肌身離さず持ってるといいと思うよ」

「季節の変わり目に、ボロボロ剥がれるくせにご利益あんのか?」

 ハッと鼻で笑ったディングレイへ、リズーリは軽く胸を反らした。

「これでも僕は竜神だよ? それに頑丈なウロコだから、銃弾を弾いたりとか、そういう劇的な展開があるかもしれないじゃない」

「シャフティ市で銃持ってる奴なんざ、猟師のポルボ爺さんだけじゃねぇか」


 呆れ顔のディングレイだが、ケーリィンの頭を撫でる手はやはり優しかった。

「ま、硬くて頑丈なのは事実だ。気に入らねぇ奴がいたら、それでぶん殴ってやれ」

 しかし言っていることは暴力礼賛であった。

 指の間に挟むといいぞ、とご丁寧に指南までしてくれる。

 殊勝に頷きつつ、そんな事態に見舞われるのは嫌だ、とも思う。


 そこではた、と気づく。

「ごめんなさい、リズーリ様。わたし、代わりに差し上げられるものがなくて」

 何せ本すら持って来ていないのだ。手元にあるのは、使い古したドレスや下着ぐらいしかないが……そんなものを誰かに渡すわけにもいかない。それに万が一喜ばれれば、とんでもない恐怖である。


 うろたえる彼女に、リズーリは優雅に微笑む。

「街を元気にしてくれれば十分だよ。だって前の舞姫ちゃん、遊びに夢中で、踊りもサボってばっかりだったからさ」

「遊びは遊びでも、男遊びな」

「そうだったねぇ……」

 顔を見合わせ、ため息をつく一人と一柱。

 田舎だと少しばかり安心していたが、もしやとんでもない難所を宛がわれたのでは、とウロコを抱きしめてケーリィンはおののいた。

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