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3:車中にて

 シャフティ市は中央府にある駅から寝台列車に乗り換え、半日ほどかかるという。

 やはり想像通り、田舎のようだ。牛や羊とたわむれる生活も、夢ではないかもしれない。


 駅までは聖域の送迎車で向かうことになった。居心地悪く、後部座席にディングレイと並んで座る。

「ところでケーリィン嬢」

「あ、あの……呼び捨てで、大丈夫です」


 舞姫などと尊ばれているが、実態は小娘だ。このような (口調はともかく)しっかりした見てくれの大人に、敬称を付けられるような存在ではない。


 嫌がられるかと思ったが、特段表情も変えず、「じゃあケーリィン」と彼は続けた。

「あんたは元々、どこに配属予定だったんだ? ヴァイノラ嬢と入れ替わったんだろ?」

「えっと、ノワービス市です」

 それだけ答える。


 シャフティ市を宛がわれた同期が、癇癪かんしゃくを起こして現在に至っています、という裏事情はさすがに言わない。いや、言えない。聖域の恥だ。


 しかし告げられた都市名に、

「マジか」

と彼は表情を変えた。同情と哀れみが向けられる。

「つまりあんたは、とんでもねぇ貧乏くじを押し付けられたわけだ」

「え?」

「あんたシャフティ市の名前、知ってたか?」

「い、いえ……」

 恐々伺いつつも、素直に回答。だろうな、とディングレイは苦笑した。

「無名な通り、田舎だ。ドの付く田舎だ」


 彼によれば、若者よりも年寄りが、年寄りよりも猫が多い街らしい。

 猫が多いなんて素敵じゃないかと思ったが、そこが重要なのではないだろう。


 ふるふる、とケーリィンは首を真横に振る。

「いえ、大都会の舞姫なんて、荷が重すぎますし……小さなところでも、荷が重いですけど……」

 頑張って笑顔を作るも、覇気のないものだと自分でも分かる。


 哀れっぽい表情を悪い笑みに変えて、彼は軽く彼女の頭に手を置いた。誰かに頭を触られるなんて滅多にないので、つい首をすくめたが、そのまま優しく撫でられた。意外にも、心地のいい感触だ。

「心配すんな。先代のおかげで、誰も舞姫に一切期待しちゃいねぇから」

「え。そんなに酷い方だったんですか?」

 期待されていない、というのも傷つくが、それよりも先代の所業が気になる。


「街の神殿の予算を、ブランド品・宝飾品・その他贅沢品で食い潰した挙句、よその街で惚れた男が出来たとかほざいて、逃げやがった」

 肩をすくめながら淡々と教えられた業の深さに、絶句、である。

 同情すべきか、同調して怒るべきか。それすら分からず、ケーリィンは狭い車中で視線を彷徨わせ、そして気付いた。


 いつの間にか、車は聖域を出ていた。

 白い天井に包まれた、緑生い茂る世界で育ったので、高層ビルが立ち並ぶ灰色の街並みに驚いた。

 無機物だらけで、当たり前だ。ここは世界の中心、中央府である。

 続いて視線を持ち上げ、空を見た。初めて見る空の澄んだ青さと、果てのなさにしばし心を奪われる。この世界が広大だという事実も、生まれて初めて実感した。


「ディングレイさんの目って、空の色に似てますね」

 感激のあまり、思わず口走った。

 言ってから焦って、隣の彼を仰ぎ見る。


 彼はきょとん、としていたが、ややあって口角を持ち上げた。怒ってはいないらしい。

「そりゃどうも。外出るのは久々なのか?」

「いえ、初めてです」

「は?」


「わたし、孤児なんです。生まれてすぐ、聖域に連れてこられたって聞いてます」

「あんたさ、さらっと重いこと言うなよ……」

 困ったのか、ディングレイは己の銀髪をかき回した。柔らかそうな髪質だ。

 そうなのかしら、とケーリィンは首を傾げる。

「でも、聖域の中では衣食住に困りませんでしたし、きっと、他の孤児の方より幸せだと思います」


 本や映像でしか知らないが。

 世の中には親からも、社会からも見捨てられた子供たちが多くいると、知識として知っていた。

 教養の時間に貧困問題を学んだ際、ヴァイノラとその取り巻きから

「あなたもいい加減踊りを覚えないと、この子たちの仲間入りかもしれないわね」

と嘲笑されたことがある。


 そんなの嫌だ、と身勝手にも恐怖した記憶も蘇る。

 いじめっ子がいても、聖域には自室がある。食事もある。清潔な衣類もある。

 何より、面倒を見てくれる大人がいる。

 だからケーリィンは、自分を運のいい奴とは思っても、不幸だとは思わなかった。


 いじめの件を伏せてディングレイにそう伝えれば、

「そういうものかね……欲がないんだな、あんた」

納得しているのか、していないのか。曖昧な表情ながら、それでも頷いてくれた。


「けどよ、それなら寂しいんじゃないのか? さっさと聖域出て来ちまったけど、誰かに挨拶するとか、心残りはないのか? ド田舎に赴任するんだから、そうそう戻れねぇぞ?」

「えっと……」

 今度はケーリィンが曖昧な表情になる番だった。


 たしかに衣食住は確保されていたし、庇護者もいた。

 しかし巣立った場所での過去を思い返すと、掘り起こされたのはロクでもない出来事ばかりだった。

 踊りを間違えたり、踊りの途中で転んだり、教官から

「こんなに覚えが悪いのは、私のせいなんだ! 私の教え方がいけないんだ!」

と、むせび泣かれてオロオロしたり、ヴァイノラたちからいじめられたり。


 それから例年行事のように、毎年毎年、流感インフルエンザに罹ったり。

「無菌状態の閉鎖空間なのに、どこから感染しているんですか? あなたはどれだけ運が悪いんですか?」

と、医者にも首を傾げられた。


 掘れば掘るほど、感謝の気持ちが薄れていくので、止めた。

「……ご飯は、美味しかったです」

「未練、それだけかよ」

 噴き出して、笑われた。

「いや、うん、前向きでいいんじゃねぇか? 旨い飯ぐらいなら、今後も保障するよ」

 笑いを噛み殺し、至極愉快そうにディングレイは言った。

 そんなに妙な受け答えだっただろうか。


 馬鹿にされているのか、評価されているのか分からないまま、寝台列車へと乗り換える。

 舞姫の護送ということで、二等客室が用意されていた。二人きりの密室だ。


 左右の壁にベッドが二つずつと、窓際に小さなテーブルが備え付けられている。客室の隣には、簡易ながらトイレとシャワー室もあった。


 だが、このまま二人きりで約半日、と思うと少し心が折れる。

 しかもディングレイは、さっさと左のベッドに寝ころび、本を読んでいる。

「あのぅ……」

「年頃のお嬢ちゃんには酷だろうが、同室で我慢してくれ。予算ってか、防犯上の理由なんだ」

 気のない返事の後、また本に戻った。


 どうしよう。長旅なんて知らなかったから、何も用意していない。

 ひとまず落ち着きなく、空いているベッドの端に腰かける。


 居心地悪そうに縮こまる様が見えたのか、ディングレイが本から顔を上げた。

「どうした?」

「あ、いえ……な、何して過ごそうかなって、考えていまして」

「何も持って来てないのか?」

 訊いたそばから、舌打ちした。自分に向けられたものかとビクついたが、違ったらしい。


 彼は銀色の髪をガシガシかき回しながら、悪い、と体を起こした。

「長旅だって、そもそも知らなかったんだよな。何か買って来て……いや、車内販売なんて、新聞しかねぇか。あんた、政治経済とか興味ある?」

「いえ、あまり」

「だよな。俺もだ」


 なおも口内で何かつぶやきながら、彼は自分のトランクを開ける。長距離旅行に備え、数冊の本を用意していたらしい。

 その内の一冊を、放り投げてくれた。

 ケーリィンはそれを、あわあわと危なっかしく受け取る。


 ゾンビとミイラが安っぽい、極彩色で描かれた表紙には『アンデッド・モンスターから逃げ切る 六十六の方法』と、これまたパルプ・マガジンのような胡散臭い字体で書かれている。


 意外過ぎる本に、ケーリィンはそれを抱きしめたまま、何度か瞬きする。つい、目もこする。

 そして改めて、表紙をまじまじと見た。

 目の錯覚ではないようだ。


「てっきり、もっと難しい本を読んでいるのかと思ってました」

「仕事でもねぇのに、そんな本読むかよ」

 ディングレイは鼻で笑うと、自分が読んでいる本の中表紙をケーリィンへ見せてくれた。

 ご丁寧にブックカバーが掛けられていたその本のタイトルは、『もっと分かる! 美味しい紅茶の楽しみ方』であるらしい。


 ちょっと……いや、かなりぶっきらぼうだけど、面白い人かもしれない。

 渡された本と彼を見比べ、ケーリィンは微笑んだ。やっと、心が安堵した気がする。


 壁に背を預け、こちらを伺っていたディングレイも、ニヤリと笑い返す。

 悪い笑顔だが、悪い人ではないのだろう。

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