聖域の中央には大神殿があり、その周囲には衛星のように、いくつもの小規模な庭園が設けられている。
大神殿は男子禁制のため、舞姫たちに用のある男性はその庭園で面会を行うのだ。
ケーリィンは大神殿の一階へ下り、十三番庭園への通路を目指す。通路の入り口にも出口にも、もちろん警備兵がいる。
女性警備兵が、小走りのケーリィンに気付く。
「あら? どうされました、ケーリィン様?」
わざわざ舞姫たちの顔と名前を憶えているのか、すごいなぁと内心で感心しつつ、事情を伝える。
「シャフティ市の方がいらっしゃってますよね? そちらへ赴任することになりました」
「え、たしか、そこにはヴァイノラ様が……ああ、そういうことですか」
ケーリィンの力ない半笑いで、事情を察したらしい。
舞姫たちの顔と名前どころか、性格も把握しているとは、さすがだ。
「頑張ってくださいね。ご武運を祈っております」
「ありがとうございます」
色々と労ってくれる声音にぺこりとお辞儀をして、通路を通してもらう。
薄暗い通路の出口にも、もちろん警備兵がいる。こちらは男性だ。
「あれ? ヴァイノラ様じゃない、だと?」
と言いたげな驚いた顔を一瞬浮かべるも、警備兵は一つ頷き、すぐ澄まし顔に戻った。
そんなにヴァイノラの横暴は、有名なのだろうか。
男性に不慣れなケーリィンは、腰が引けたまま声を掛ける。女性よりも体が大きく、ついでに声も低いので、どうしても怖さを覚えるのだ。
「あ、あのぅ……シャフティ市からの迎えの方は……」
「あちらで、お待ちになられていますよ」
男性に怯える舞姫に、慣れているのか。穏やかな声の警備兵が
銀髪に褐色肌、アンシアから聞いていた特徴と同じだ。
ケーリィンは小走りで、男性に駆け寄った。
「あ、あの! 舞姫の、ケーリィンと申します」
少し上がった息でそう告げ、深々とお辞儀。舞姫は神の子という扱いになるため、名字を持たない。
がっしりした体格の男性は、薄青色の瞳を細めた。
やっぱりちょっと怖い。
「ケーリィン? 事前情報じゃ、ヴァイノラ嬢が派遣されると聞いてたんだが」
先ほどの警備兵より声も低く、どこかぶっきらぼうで不機嫌だ。さらに怖い。
「その、すみません……こちらの事情で、人選が代わりまして……」
言葉が尻すぼみになる。男性に不慣れなうえ、このジルグリット氏の存在が怖い。
弱々しい声が更に不信感をあおったのか、ジルグリット氏の眉根が深いしわを作る。
「……あんたは本当に舞姫か? 試しに、この花を咲かせてほしい」
庭園を囲む生垣に生えた、赤いバラの蕾を親指で示す。
「なっ! 舞姫様に失礼だぞ!」
警備兵が、さすがに辛抱できん、とばかりに声を荒げた。しかしジルグリット氏は動じない。
「あ? 失礼はあんたらだろ。こっちは街の命運を背負って、わざわざここまで来てんだ。何の知らせもなしに、『諸事情で舞姫が代わりました』と言われたって、ハイハイ頷けるわけねぇだろ」
舌打ち交じりの乱暴な口調だが、正論である。
誰でもいいから教官に付き添いをお願いすればよかった、と今さらどうしようもない後悔をしつつ、ケーリィンは小さく「分かりました」と答える。
警備兵をにらんでいた、鋭い目がこちらに向き直る。これ以上目が合うと死んでしまいそうなので、うつむいたまま深呼吸。
トランクを下ろし、その場で姿勢を正す。
そして両手を肩の高さまで上げ、開花の舞を踊る。
開花の舞は、聖域に入ってすぐに教えられる、ごくごく初歩の舞だ。
ステップだって簡単なのだが、そこは踊りが下手なケーリィン。
おまけに緊張していた。おそらく生まれてこのかた、初めてという領域まで。
加えて慣れないサンダル履きだ。
緊張と不慣れが手を結べば、待ち受けている結果は当然――失敗だ。
だから踊り終わる直前で足が絡まり、豪快にすっ転んでも驚かなかった。
やっぱりね、というのが彼女の素直な感想と諦めだ。
しかし警備兵は、見てはいけないものを見てしまった、とばかりに青ざめている。
一方のジルグリット氏は、目を丸くしていた。
それは前代未聞の稚拙な踊りに、ではない。喜劇のようなダイナミック転倒に対してでも、ないらしい。
彼は未完成な舞で開花した、バラの蕾を凝視していた。
赤かったバラが、何故か青色で咲いている。
目にも鮮やかな、澄み切った青である。
「転んで、自然界に存在しない花を咲かせるってのは、どういう理屈なんだ?」
首をひねる彼に、転んだ姿勢から慌てて身を起こして、恥も外聞もなく地面にひれ伏す。芝生がふかふかだ。
「すみません、すみません! 踊りが下手、いえ、ド下手なんです! でも本物なんです! 見えないのは分かってますが、これでも、こんなのでも、舞姫なんです!」
震え声でまくし立てた。
次いで髪と同じ蜂蜜色の、大きな双眸に涙の膜を張り、困惑顔のジルグリット氏を恐々と仰ぎ見る。
彼もしばし黙って、すっとこどっこいな足元の舞姫を見下ろした。
「まあ、可愛いから、いいか」
「へ?」
可愛いと言われたのか?
男性への免疫が皆無に近しい、天然培養の舞姫は白い頬を赤くした。
しかし相手は難しい顔のままなので、「皮が良いから」の聞き間違いだろうか、とも考える。
御年十八歳。たしかに、まだまだ肌艶も張りも良い。
舞姫は美白が美徳、とされているのだ。あと清貧と健康も。
言葉の真意を捉えかね、呆けてしまった彼女を見つめるジルグリット氏は、小さく笑った。
「理屈は分からんが、バラは咲いた。あんたが舞姫だと信じるよ」
「あ、ありがとうございます……」
良かった、とケーリィンの全身から力が抜ける。
腰の剣に手を掛け、一触即発だった警備兵も、ホッと人知れず息を吐いた。
それをちらりと横目で見て、ジルグリット氏はニヤリと笑う。悪人っぽい。
「実のところ先代の舞姫がクソみたいな女で、俺たちも手を焼いていたんだ。あんたなら素直で扱い易そうだし、こっちも文句はない。よろしく頼むよ」
さらりと非常に無礼なことを言われた気がする。警備兵もまた怒り顔になっている。
しかし配置換えを了承してくれたことが、ケーリィンにとっては何よりも重要だった。
差し伸ばされた彼の手を、おずおずと握って立ち上がる。
褐色の彼の手と、真っ白な自分の手。紅茶と牛乳みたいだな、とどうでもいいことを考えながら。
「ありがとうございます、ジルグリットさん」
「ディングレイでいい。俺はあんたの
体格の良さと迎えに来た事実から、彼が舞姫の身辺を守る護剣士である気はしていた。
彼と四六時中一緒なのか、と思うと胃の底が重くなるが、仕方がない。
職業内容上、見目麗しくて線の細い、王子様のような護剣士がいるわけない。
大半がゴリラか熊だ、と以前先輩に教えてもらったことがある。
ゴリラや熊よりも、若干大型のネコ科寄りなだけマシである。
協調性のなさそうな点が特に似ている、わけなのだが。
「ヨロシクオネガイシマス、ディングレイサン」
強張りに強張った、中古の自動人形のような声音で、どうにかそう返す。