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2:ジルグリット氏

 聖域の中央には大神殿があり、その周囲には衛星のように、いくつもの小規模な庭園が設けられている。

 大神殿は男子禁制のため、舞姫たちに用のある男性はその庭園で面会を行うのだ。


 ケーリィンは大神殿の一階へ下り、十三番庭園への通路を目指す。通路の入り口にも出口にも、もちろん警備兵がいる。

 女性警備兵が、小走りのケーリィンに気付く。

「あら? どうされました、ケーリィン様?」

 わざわざ舞姫たちの顔と名前を憶えているのか、すごいなぁと内心で感心しつつ、事情を伝える。


「シャフティ市の方がいらっしゃってますよね? そちらへ赴任することになりました」

「え、たしか、そこにはヴァイノラ様が……ああ、そういうことですか」

 ケーリィンの力ない半笑いで、事情を察したらしい。


 舞姫たちの顔と名前どころか、性格も把握しているとは、さすがだ。

「頑張ってくださいね。ご武運を祈っております」

「ありがとうございます」

 色々と労ってくれる声音にぺこりとお辞儀をして、通路を通してもらう。


 薄暗い通路の出口にも、もちろん警備兵がいる。こちらは男性だ。

「あれ? ヴァイノラ様じゃない、だと?」

と言いたげな驚いた顔を一瞬浮かべるも、警備兵は一つ頷き、すぐ澄まし顔に戻った。

 そんなにヴァイノラの横暴は、有名なのだろうか。


 男性に不慣れなケーリィンは、腰が引けたまま声を掛ける。女性よりも体が大きく、ついでに声も低いので、どうしても怖さを覚えるのだ。

「あ、あのぅ……シャフティ市からの迎えの方は……」

「あちらで、お待ちになられていますよ」


 男性に怯える舞姫に、慣れているのか。穏やかな声の警備兵が四阿あずまやを指させば、そこのベンチに腰かけていた、スーツ姿の男性もこちらに気付く。

 銀髪に褐色肌、アンシアから聞いていた特徴と同じだ。


 ケーリィンは小走りで、男性に駆け寄った。

「あ、あの! 舞姫の、ケーリィンと申します」

 少し上がった息でそう告げ、深々とお辞儀。舞姫は神の子という扱いになるため、名字を持たない。


 がっしりした体格の男性は、薄青色の瞳を細めた。

 やっぱりちょっと怖い。

「ケーリィン? 事前情報じゃ、ヴァイノラ嬢が派遣されると聞いてたんだが」

 先ほどの警備兵より声も低く、どこかぶっきらぼうで不機嫌だ。さらに怖い。

「その、すみません……こちらの事情で、人選が代わりまして……」

 言葉が尻すぼみになる。男性に不慣れなうえ、このジルグリット氏の存在が怖い。


 弱々しい声が更に不信感をあおったのか、ジルグリット氏の眉根が深いしわを作る。

「……あんたは本当に舞姫か? 試しに、この花を咲かせてほしい」

 庭園を囲む生垣に生えた、赤いバラの蕾を親指で示す。


「なっ! 舞姫様に失礼だぞ!」

 警備兵が、さすがに辛抱できん、とばかりに声を荒げた。しかしジルグリット氏は動じない。


「あ? 失礼はあんたらだろ。こっちは街の命運を背負って、わざわざここまで来てんだ。何の知らせもなしに、『諸事情で舞姫が代わりました』と言われたって、ハイハイ頷けるわけねぇだろ」

 舌打ち交じりの乱暴な口調だが、正論である。


 誰でもいいから教官に付き添いをお願いすればよかった、と今さらどうしようもない後悔をしつつ、ケーリィンは小さく「分かりました」と答える。


 警備兵をにらんでいた、鋭い目がこちらに向き直る。これ以上目が合うと死んでしまいそうなので、うつむいたまま深呼吸。

 トランクを下ろし、その場で姿勢を正す。

 そして両手を肩の高さまで上げ、開花の舞を踊る。


 開花の舞は、聖域に入ってすぐに教えられる、ごくごく初歩の舞だ。

 ステップだって簡単なのだが、そこは踊りが下手なケーリィン。

 おまけに緊張していた。おそらく生まれてこのかた、初めてという領域まで。

 加えて慣れないサンダル履きだ。

 緊張と不慣れが手を結べば、待ち受けている結果は当然――失敗だ。


 だから踊り終わる直前で足が絡まり、豪快にすっ転んでも驚かなかった。

 やっぱりね、というのが彼女の素直な感想と諦めだ。

 しかし警備兵は、見てはいけないものを見てしまった、とばかりに青ざめている。


 一方のジルグリット氏は、目を丸くしていた。

 それは前代未聞の稚拙な踊りに、ではない。喜劇のようなダイナミック転倒に対してでも、ないらしい。

 彼は未完成な舞で開花した、バラの蕾を凝視していた。


 赤かったバラが、何故か青色で咲いている。

 目にも鮮やかな、澄み切った青である。


「転んで、自然界に存在しない花を咲かせるってのは、どういう理屈なんだ?」

 首をひねる彼に、転んだ姿勢から慌てて身を起こして、恥も外聞もなく地面にひれ伏す。芝生がふかふかだ。


「すみません、すみません! 踊りが下手、いえ、ド下手なんです! でも本物なんです! 見えないのは分かってますが、これでも、こんなのでも、舞姫なんです!」

 震え声でまくし立てた。

 次いで髪と同じ蜂蜜色の、大きな双眸に涙の膜を張り、困惑顔のジルグリット氏を恐々と仰ぎ見る。

 彼もしばし黙って、すっとこどっこいな足元の舞姫を見下ろした。


「まあ、可愛いから、いいか」

「へ?」

 可愛いと言われたのか?

 男性への免疫が皆無に近しい、天然培養の舞姫は白い頬を赤くした。


 しかし相手は難しい顔のままなので、「皮が良いから」の聞き間違いだろうか、とも考える。

 御年十八歳。たしかに、まだまだ肌艶も張りも良い。

 舞姫は美白が美徳、とされているのだ。あと清貧と健康も。


 言葉の真意を捉えかね、呆けてしまった彼女を見つめるジルグリット氏は、小さく笑った。

「理屈は分からんが、バラは咲いた。あんたが舞姫だと信じるよ」

「あ、ありがとうございます……」

 良かった、とケーリィンの全身から力が抜ける。

 腰の剣に手を掛け、一触即発だった警備兵も、ホッと人知れず息を吐いた。


 それをちらりと横目で見て、ジルグリット氏はニヤリと笑う。悪人っぽい。

「実のところ先代の舞姫がクソみたいな女で、俺たちも手を焼いていたんだ。あんたなら素直で扱い易そうだし、こっちも文句はない。よろしく頼むよ」

 さらりと非常に無礼なことを言われた気がする。警備兵もまた怒り顔になっている。


 しかし配置換えを了承してくれたことが、ケーリィンにとっては何よりも重要だった。

 差し伸ばされた彼の手を、おずおずと握って立ち上がる。

 褐色の彼の手と、真っ白な自分の手。紅茶と牛乳みたいだな、とどうでもいいことを考えながら。


「ありがとうございます、ジルグリットさん」

「ディングレイでいい。俺はあんたの護剣士ごけんしだ。護衛兼部下ってことで、名前呼びで構わねぇ」

 体格の良さと迎えに来た事実から、彼が舞姫の身辺を守る護剣士である気はしていた。

 彼と四六時中一緒なのか、と思うと胃の底が重くなるが、仕方がない。


 職業内容上、見目麗しくて線の細い、王子様のような護剣士がいるわけない。

 大半がゴリラか熊だ、と以前先輩に教えてもらったことがある。


 ゴリラや熊よりも、若干大型のネコ科寄りなだけマシである。

 協調性のなさそうな点が特に似ている、わけなのだが。

「ヨロシクオネガイシマス、ディングレイサン」

 強張りに強張った、中古の自動人形のような声音で、どうにかそう返す。

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