「超俊足」。
それがボクっ娘猿武将の告げた彼女の
言葉通り、一瞬にして百歩以上の距離を移動出来るのだという。それだけ聞けば物凄いスキルなのだが欠点もあって。
「問題は早すぎて、制御が出来ない事。方向は指定できるけど、距離がね」
つまり百歩以上の移動は出来るが百歩未満は不可能。
これがどう不便かと言うと、狭い部屋では壁に激突するためこのスキルが使えないという事である。過去実際に試して大怪我を負ったらしい。
捨て身の突進か、広い場所での一撃離脱か、といった感じで使える場所が限られるというのだ。
いや、それでも凄いと思うけど。
「イヌカから、キミならこのスキルを改善出来る手段があると聞いたのだが本当かい?」
チロキーがそう尋ねてきた。
ええっと、一応心当たりはありますが。ちなみにその具体的な方法は彼女から聞いてます?
「いや何も。それは本人から聞いてくれとイヌカが」
ですよねー。絶対丸投げして困らせるの前提だろ、あの性悪鑑定娘!
ということでチロキーには僕のスキル「鈍化」と、行使に粘膜接触が必要な旨を説明すると。
「いっいやそういうのは、ほら、祝言をあげてからでないと?」
と顔を耳まで真赤にして、それを両手で隠してチロキーが言う。
ほらあ、この国の女性の反応はこれが普通だからな?
イヌカはあれから、隙あれば僕にキスをせがんでくるけど。
「ほ、他に方法はないかな?その、接吻というか濃厚な粘膜接触以外で」
いや残念ですが、思いつきませんね。
短い歩数でも使えるように、地道に訓練するぐらい?
「そ、そうだよな。
となるとやっぱり……いやいや」
スキル覚醒を取るか貞操を取るか、チロキーの中で激しく葛藤しているようだった。
そんな出来事があってから数日が過ぎた。
その間の僕は、公国の書類作業に悩殺されていた。
この国はトップの魔狼王の方針というか趣味で、武官は充実しているのだが圧倒的に文官が少ない。
記憶喪失の異邦人とはいえこの国の文章を読み書き出来る僕は、書類作業の貴重な戦力という訳だ。
「はい、お姉様。ここまでは処理済み、次の列をお願いしますわ」
「う、うんわかった」
そんな中、目にも止まらぬ早さで書類の束を処理する少女と、書類運びに徹する姉。
彼女達は魔狼王ナブノガの妹、イチカとイヌカの姉妹である。
「ふー、久々に文字を相手に仕事すると肩がこりますわね」
そう言ってイヌカはぐるぐると肩を回した。
「肩でも揉んであげようか、イヌカちゃん?」
「流石にお姉様にそこまでさせるのは、恐縮というか失礼ですわ」
姉の申し出を、やんわりと断る妹。
「ですので……ドンカさん。お願い出来ますかしら?」
えっドンカさんて誰……あ、僕か。
今はその偽名を使って、変装して生活してたっけ。
「あー、イヌカちゃんずるい!
それスティー……ドンカ様に触って貰いたいだけじゃん」
「はて、何の事やら」
そう言って仲良く戯れ会う姉妹だが、ツッコミどころも色々ある。
まず、うっかり本名で呼びそうになるのはやめて下さいイチカさん。この部屋には他の文官もいるんだ、いつ正体がバレないかとヒヤヒヤする。
そもそもこの国の公の書類作業の手伝いに自分達を捩じ込むとか、この子達は一体どんな手段を用いたのやら。
まあイヌカは想定以上の働きをしてくれてるから、正直助かっているんだけど。
「どうせ私は妹と違って書類運ぶしか出来ない役立たずですよー」
そう言って不機嫌になる、
げ、うっかり声に出してたか。ごめんごめん、そういうつもりで言った訳じゃ。
「じゃあ、どういうつもりで言ったの?」
え、えーっと。
こういう場合、どう声をかけるのが正解なんだ?
彼女は元婚約者で今は他人の嫁候補になっていて、あまり過度な声掛けは面倒な事になりそうなんだけど。
「た、大変でありますドンカ様っ!」
そんな声が割り込んできて、結果的に僕は救われた。
えーっと、確か君はボクっ娘猿チロキーの部下の……
「はい、ロコク・カハチスであります!」
彼も獣耳族の一員だが耳はなく、代わりに昆虫のような二本の触覚が額の上から生えているスキンヘッドの男であった。
獣耳族は哺乳類に限らず鳥類や、彼のように虫由来の少数民族もいるらしく、カハチス一族は蜂系の獣耳族であるらしい。
もはや獣耳とは何ぞや、と言いたくなるが。
そして彼がここに駆けつけたという事は、チロキーに何かあった?