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第382話 救出

「今のは…!?か、間一髪でした。宇迦之御魂神ウカノミタマ様、ありがとうございます」


「気にしなくてよい、少し離れた場所に移動しただけです。…しかし、あの姿は……」


 宇迦之御魂神ウカノミタマの機転で移動した全員が、繭の中から現れた常世神の姿に思わず息を吞んだ。新しい常世神は、これまでとは似ても似つかない姿へと変化していたからだ。


 天を衝く巨大な芋虫そのものだった身体は、大きさこそほとんど変わっていないが、上半身は蟷螂のように細く長く伸びている。二つの鎌状をした大きな腕の下には、それより二回りほど小さな副腕があり、それもまた刃のように鋭利な形をしていた。その胴体の一番上には、やはり蟷螂に似た頭があるのだが、その額の部分に四肢を切り落とされたような女性の半身が浮かび上がっていて、苦悶の表情で空を見上げていた。

 また、下半身こそ芋虫状のままだったが、その下部にはびっしりと人間の手足が隙間なく生えており、それが常世神の身体を支えているようだ。しかも背中の部分には、用途の解らないたくさんの大きな管が生えている。とても不気味で嫌悪感を想起させるデザインだ。


 だが、何よりも目を引いたのは、蟷螂の姿をした上半身と、芋虫状の下半身の境目に当たる腹の部分だろう。そこには、これまでに取り込まれたのであろう大勢の人々の顔が現れており、呻き声や痛切な泣き声を上げている。それはまさに、地獄そのものであった。


「醜悪な……!やはり奴の甘言に騙されて取り込まれても、人は幸せにはなれぬという証か。しかし、あれほどの人が取り込まれておるとは……何とも口惜しいことよ」


 大国主命が、ガックリと肩を落として嘆いている。彼ら神にしてみれば、取り込まれた人達の中には、自分達を信じる者や、これから信じてくれる人々がいたかもしれないのだ。それは神にとってあまりにも大きな損失だろう。

 常世神は大口真神によって狭間の世界へ落とされ、封じられてから千年間、それだけ周到に復活への準備をしてきたということだ。善悪は抜きにして、その執念だけは目を見張るものがあると真は内心で唸っていた。


「取り込まれた人々を救う方法は、ないのでしょうか?」


 拍がそう問いかけると、宇迦之御魂神ウカノミタマが目を瞑ったまま静かに答えた。


 「策はあります。……いえ、。猫田、彼が健在であれば、ですが。…しかし、彼自身が常世神の中に取り込まれてしまっていては……」


 「まだだよ!まだ、諦めちゃダメっ!」


 宇迦之御魂神ウカノミタマの呟きに答えたのは狛だった。狛は宙に浮いているし、先程の場所から転移したのでかなり距離があるはずだが、それでもしっかり聞こえているらしい。狛は常世神と睨み合ったまま、叫ぶように声を上げた。


「どういうことだ?狛、お前には何か解るのか!?」


「感じるの、猫田さんも京介さんも、黎明さんも…ううん、それだけじゃなくて取り込まれた人達が助けを求めてる。今ならまだ、きっと間に合うはず…!」


 狛がそう呟くと、それに呼応するように常世神とその身に浮かぶ人々が絶叫をした。そして、尋常でない殺気をばら撒きながら、狛に向けて大きな鎌状の右腕を振り下ろしてきた。大きさに見合わぬ素早い攻撃だが、狛はそれを肩で受け止めると、霊力を全開にする。


「あああああああっっ!」


 狛の瞳の色が濃い青色に変わり、背中の狼もまた、輝く霊力に同調を始めていた。どうやら、狛の霊力を取り込んでブーストしているらしい。そしてそのまま、狛は全力で刃を握り込み、力任せに砕いてみせた。


「グギャアアアアッ!?」


 バギバギッ!と堅い音がして、常世神の表情が苦悶に歪む。やはり、本体は頭部に浮かび上がっている女性の半身のようだ。あれを叩けば大きなダメージが見込めるかもしれない。狛が狙いをつけて飛び掛かろうとしたその時、常世神の下半身…芋虫状のままであるその背の管から、一気に何かが飛び出してきた。


「なんだ?…奴め、化け物を産んでいるのか?!」


「馬鹿の一つ覚え…とバカに出来そうにないね。どうやら、と言う事が、常世神の持つ権能なようだ。志多羅はしきりに母、母と呼んでいたが、常世神の力には母性がその根底にあるのかもしれないな」


 真が看破したそれは、正しい。常世神が最初に生まれた際の信仰は「祀れば貧者は富を得、病は快癒し、老人は若返る」といった現世利益のみに重点を置いた教えであった。そして、その教えが更に進むと、富める者はその富を捨て喜捨をすることで新たな富を得るとされた。そこから更に一部の者達は、古い命に執着せず、それを捨てて不死を得ようと言う形に変化していったのである。

 現世に置いて命を産み出すもの……それは女であり、母に他ならない。常世神が常世…つまり、あの世の神でありながら命を産む神となったのは、変化していく信仰の中で、そこに歪んだ母性を見出した者が多かったということなのだろう。


 生み出された怪物達は、これまでに現れた怪物達ともまた違って、人間と虫が半々に混ざったような恐ろしい姿をした怪物ばかりであった。それは既に妖怪でも、神の眷属でもない。人の命と魂を取り込んだ常世神が生み出す新種の生物、まさに虫人だ。もしも狛達が常世神に敗北すれば、人類は滅亡してこの虫人達に取って代わられることになるだろう。常世神が在る限り、この怪物達は無限に生まれるのだから止める事など出来はしない。

 そうして生み出された空を飛ぶ虫人達は、人間の上半身に蜂の胴体をくっつけたような歪な姿をしている。それらは雲霞の如く生まれて、一斉に狛へと襲い掛かってきた。


「くっ!?早い…それに、なんて数!」


 鋭い針と強靭な顎、それに刃のように研ぎ澄まされた羽を持つ虫人は、圧倒的な速さで狛に向かっていった。常軌を逸した霊力で空を飛べるようになった狛だったが、まだ空中戦には慣れていないので、彼らについていけるほどの速さでは飛び回れない。回避を諦めて咄嗟に両腕で顔や体をガードしたが、高速でぶつかり、狛の身体を切り裂こうとする虫人の攻撃には、流石にダメージを受けてしまったようだ。


「くっ、うぅ…!あああっ!?」


 大量の虫人が一列に狛へとぶつかり、初めは耐えていた狛も耐えきれずに弾き飛ばされている。まだ致命傷には程遠いと言えど、厄介な攻撃であることに変わりはなかった。


「まずい、狛が…援護しなくては!」


「待て、拍!こっちにもお客さんだ」


 真達の視線の先には、地を埋め尽くすほど大量の虫人が迫ってきていた。空飛ぶ虫人が蜂なら、こちらはカミキリムシと人が混じったような甲虫の群れだった。蜂の虫人のように素早くはなく、むしろ人間大の大きさで動きは遅いが、人間の頭に巨大な顎を持ち、身体から毒液を垂れ流しているようだ。そして、取り込んだ志多羅の意志なのか、どうやら彼らの狙いは、国津神達のようである。月を呼んだ国津神達を始末すれば、月は隠れるだろうと考えているのかもしれない。


「国津神様達をお守りせねば…しかし、この数は……」


「結界は任せるよ、拍。犬神達を狛に譲った以上、お前には攻撃する手段が少ないだろう?攻め手は俺と朧君が引き受けた。やれるかい?朧君」


「ああ、任せてくれ。……狛だけに戦わせるなど、出来ないからな」


 朧は狼の姿のまま、牙を剥いて迫る虫人達を睨みつけた。拍は何か面白くなさそうだが霊符を構えて結界の準備を既に済ませている。そんな二人を見て、真はニッコリと笑って発破をかけた。


「……よーし!じゃあやろうか、!犬神家、一世一代の大勝負だ!」


 その言葉を合図に拍は強力な結界を展開した。金剛大結界だけでは神族を防げないと志多羅の時に学んだからか、更に別の結界を二重に張っている。それを皮切りに、まずは正面の虫人へ向けて、真が駆け出した。以前、真が大蝦蟇ガマと戦った際には、凍刃符を使って素手に氷の刃を纏わせて戦っていたが、今回は初めから二刀の刃をその手に握っていた。

 真はまるで軽業師の曲芸のように虫人の合間をすり抜け、時に飛び跳ねる様にして刃を振るい、次々に彼らを葬っていく。棒術を修め、静の動きを得意とした弟の槐とは対照的に、非常に動的な戦い方をするのが真のスタイルであったようだ。


「『双刃、親鸞しんらん顕如けんにょ』……本当はあの志多羅を倒す為に用意したんだが、まぁ、持ってきて正解だったな…っと!」


「凄まじいな、義父ちち上は」


「……誰が義父だ!親父が認めても、俺はお前と狛の交際など認めんからなっ!?」


 片目だというのに、一見すると舞っているかのようにも見える真の軽やかな動きに、朧は舌を巻いた。だが、そんな朧の素直な呟きも、拍には我慢ならなかったようだ。結界に回す意識と霊力を維持したまま、唾を飛ばして朧を怒鳴りつけている。


「解っているさ、決めるのは狛だ。お前の許しは別に要らない」


「なんだとっ!?おいっ!待て、まだ話は……!」


 ここでの拍とのやり取りは無駄だと言わんばかりに朧も飛び出し、真の動きをサポートすべく、真が打ち漏らした敵やその背後に回ろうとする虫人達を牙と爪で引き裂いてみせた。背中を預ける朧の頼もしさからか、真はどこか嬉しそうである。


「やるねぇ、朧君。まぁ、出来れば拍とも仲良くしてほしい所かな。…家族になるなら、尚更ね」


「……義父ちち上の頼みとあらば、やぶさかではない。しかし、怒っているのはアイツの方だからな」


「そうなんだよねぇ。俺がいなかったせいか、拍は狛を溺愛し過ぎで……全く、仕方のない奴だなぁ」


 真はちらりと拍を流し見て、続けて空を飛ぶ狛にも視線を向けた。二人には本当に苦労を掛けてしまったものだ、ハル爺やナツ婆が傍についていてくれたとはいえ、やはり親のいない寂しさを味わわせてしまったのは事実だろう。だが、この戦いが終わり、志多羅を打ち倒して呪いを解くことが出来れば、もう離れて暮らす必要もない。


「これからは子供孝行しないと、だなっ…!」


 そして真は朧と共に、群がる虫人達へその刃を振るう。しかし、産み落とされる虫人の数は更に増え続けているようだ。



「こ、のぉっ!」


 空中戦を繰り広げている狛は、霊力を刃にした霊波を飛ばしながらも、蜂虫人に苦戦を強いられていた。空中での動きに一歩後れを取っていることもあるが、厄介なのは常世神本体の攻撃である。先程のように受け止める事も可能ではあるが、それをして動きを止めてしまえば、今度は蜂虫人達の恰好の的になってしまう。彼らの突進と、刃のような羽の威力はかなりのものだ。いくら満月による超回復と莫大な霊力があっても、何度も攻撃を受け続ければただでは済まないだろう。


「せめて、少しでも隙が出来れば……!」


 ――ならば、その役目、我らが引き受けようぞ。


「えっ?」


 狛の呟きに、頭上から答える声があった。狛が振り向き見上げた先には、たくさんの黒い影と純白に輝く何かがいた。


「あなた……鴉天狗の!?」


「如何にも。我ら遠馬山の鴉天狗が、主たる山本五郎左衛門さんもとごろうざえもん様の命により助太刀致す。…行けい、一族の猛者共よ!ここが我らの存亡を懸けた戦場である!存分に暴れ狂えッ!」


「応ッ!」


 それは人狼の里で戦った白い鴉天狗の白眉ハクビと、彼が率いる鴉天狗達の軍団であった。白眉の号令を受け、大勢の鴉天狗達が一斉に叫んで、蜂虫人達を追う。鴉の翼を持ち、自由自在に空を飛ぶ彼らならば、虫人達とも引けを取らない戦いが出来るだろう。望外の救援が来てくれたことに、狛は喜びのあまりか目にうっすらと涙が溜まっている。


「ど、どうして……ううん、あの、山本さんもとさんは?」


「我らが主は神野と共に日本中の妖怪共に声を掛けて、人を襲う怪物共を狩っておる。あのような邪神とその一味を野放しにしていては、我ら妖怪も生きては行けぬからな。……主はそなたらを直接助けに来られぬことを詫びておられたぞ」


「そっか、そうだったんだ。……私達だけが戦ってるみたいな気になってたけど、皆も力を貸してくれてるんだね。ありがとう、白眉さん!」


「構わぬ。それより空を飛ぶ虫共は我らに任せよ、行け!」


「うん、お願いしますっ!……待ってて、猫田さん!」


 白眉達が蜂虫人達を抑えてくれると解り、狛は気合を入れ直して常世神に向き直る。攻撃すべきは頭の女性部分かと思っていたが、戦いながら観察していた所、取り込まれた猫田と思しき顔が常世神の腹に浮かび上がっているのが確認できた。宇迦之御魂神ウカノミタマの言によれば、猫田を救うことが勝利の鍵であるらしい。ならば、まず今優先すべきなのは猫田の方だろう。


 狛が真っ直ぐに猫田の方へ向けて飛ぶと、常世神もその狙いに気付いたのか、金切り声を上げて狛目掛けて鎌を振り下ろした。その刃の先に、自らが産んだ虫人が居てもお構いなしにだ。狛は一瞬だけ視線を流し、鴉天狗達が巻き込まれないよう位置取りながら常世神の腹を目指す。


「ギッギギギギィ…!ガアアアアアッッ!」


「わっ!?」


 鎌による攻撃が中らないことに苛立ったのか、常世神は絶叫と共に口から緑色の何かを吐きかけてきた。咄嗟に横方向へ移動して避ける事が出来たものの、それがかかった地面はジュッという嫌な音がして、巻き込まれた虫人ごと溶けてしまっている。狛はゾッとして冷や汗を拭った。


「あんなのまともに受けたら、いくら満月でも……でも、早くしないと!」


 狛は常世神を中心にして、ぐるりと円を描くようにして近づく隙を伺っている。今の常世神は本物の蟷螂と同様に360度を見渡せる首の構造をしているようだ。背後に回ろうとしても隙が見つからない。かといって、あんな攻撃があると知ってしまった以上、無策で飛び込むのは自殺行為だ。

 攻めあぐねる狛の背中で、狼が何かを呟いた。


「どうしたら…………え?できるの?……そっか、じゃあ、お願いっ!」


 狛がそう言うと、その背に宿る狼が大きく頷く。彼は六体の犬神が一つになった、狛だけの大犬神だ、槐が十匹の狗神を集めて作り上げたものと、本質的には同じである。狛は彼の作戦に乗り、一気に真正面から常世神の懐へ飛び込むことにした。


「行くよっ!」


 十分に加速をつけ、最高のスピードで狛が飛ぶ。ここまでの戦いの中で、ようやく狛は空を飛ぶ感覚が身についてきたらしい。蜂虫人達と空中戦を繰り広げたのは、決して無駄ではなかったのだ。


 飛び込んでくる狛に向かって、常世神はまず大きな鎌の腕を振るってきた。左右二本の腕を巧みに掻い潜り、狛は更に飛ぶ。予想通りなら、ここで先程の溶解液を放ってくるはずだ。だが……


「なっ!?これ…って……っ!」


 狛の身体を襲ったのは、最初に猫田の動きを封じた凶眼の圧視線であった。常世神は蟷螂状に変態してから凶眼を使ってこなかったので、てっきり失われたものだと狛は思い込んでいたが、実際には常世神がわざと温存していたのだ。しかも、その眼は一つではない。複数の凶眼が、狛を捉えていた。

 全身を締め付けられ、捻じり上げられるような強烈な圧が、狛の身体に降りかかる。


「あ、ぐ…ぐうぅっ……!」


 猫田でさえ身体がバラバラになりそうなほどの威力だった凶眼、それが複数で狛を締め上げている。それは身体を捩じ切ろうという殺意に満ちた視線だ、このままでは耐えきれなくなる。しかもそこへ、常世神の副腕が伸び、狛の身体を貫いた。


「こ、狛っ!?親父、狛がっ…!」


「落ち着け、拍!動くんじゃない!今の狛なら、まだ…!」


 狛のピンチに思わず拍が叫んで、駆け出しそうになるが、寸での所で真が制止した。ここで拍が結界を投げ出すような事があれば大国主命達を守り切る事は出来なくなる。そうなれば、月を維持する事も出来ず、今度こそ狛は力を失って命を落とすだろう。拍達の取れる最善手は、耐えることしかないのだ。


「かはっ!あ、あっ…!?」


 腹に突き刺さった常世神の副腕は、狛の胸から下腹部までを完全に貫いていた。満月の力がなければ、即死していてもおかしくないダメージだ。その上、常世神はトドメを刺すべく溶解液を吐きかけてきた。もうダメかと思った瞬間、狛の脳裏に浮かんだのは、今まで何度も助けてくれた、猫田の笑顔だった。


「く、うううぅっ!ま、だ…まだぁっっ……!!」


 狛は霊力を右手の一点に集中して、鋭い剣のような副腕を力任せに叩き折った。常世神は痛みに悲鳴を上げるも、既に狛の頭上に溶解液は迫っている。


「ガウウウウウウゥ…ウオオオオオッ!」


 直撃寸前の溶解液に、狛の大犬神が蒼い炎を吐き出し、一瞬にしてそれを蒸発させてかき消した。くりぃちゃぁでの戦いで狛が放った霊炎に似ているが、その火力は桁が違う。その炎は常世神の胴体にまで届き、常世神を怯ませた。


「……今しか、ないっ!」


 狛はそこから凄まじい加速をして、常世神の腹に浮かぶ猫田の元へ飛び込んでいった。そして、猫田の顔の周りにその手をつき入れる。


「猫田さんを……返してっ!」


 その両手からありったけの霊力を流し込むと、常世神は尋常でないほどに苦しむ様子を見せ、狛を振りほどこうと身体を悶えさせていた。しかし、狛は決して手を緩めず、更にその奥へと手を入れ、猫田の身体を掴み取った。


「猫田さん、痛かったらごめんねっ!」


 力一杯猫田の身体を掴んだ狛は、その勢いのまま一気に猫田の身体を引っ張り上げた。ズブズブと感じる不気味な感触にも、狛は一歩も怯まない。そして遂に、猫田を常世神の身体から救出することに成功したのだった。

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