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第318話 喪ったもの

 猫田の脳裏に浮かんだのは、かつての仲間、宗吾の姿だった。宗吾は狗神走狗の術を使って人狼化する際、五匹全ての犬神達を自身の内に宿らせて同化していた。それを思えば、狛が二匹同時に取り込んだとて何ら不思議なことではない。だが、宗吾の場合は猫田のように巨大な狼に変身するのが常で、狛のような半人半狼の姿にはなっていなかった。そのせいだろうか、宗吾は尻尾が増える様なことはなかったし、神狼形態になることもなかったのだが。

 今の狛は、神狼とはまた違って、今までと同じようにアスラとイツの力を重ねて同調した状態である。神狼形態ほどのパワーは出ないが消費は少なくて済んでいるようだ。なお、尻尾は増えているが、耳が増えているということはない。


 狛の全身を覆い迸る霊力は、燃え盛る炎のように強い輝きを放っている。人間であるナツ婆には影響がないようだが、大狗神は文字通り炎のような熱を感じているらしく、苦痛に顔を歪ませていた。そして、押し潰せないと解るや、すぐに足を避けて狛から距離を取ろうとしている。


「すうぅぅぅぅぅっ……ウゥオォォォォンッ!」


 離れて逃れようとした大狗神に向けて、狛は退魔の遠吠えを自らの口から放つ。ビリビリと激しい振動が響いて大狗神の身体を捉え、ビクンッと激しく脈打つような痙攣をして、大狗神の動きはそこで止まった。アスラとイツという犬神二匹分の霊力に加えて、狛自身の霊力をも載せて放つ遠吠えの威力は絶大だ。それは物理的な破壊力を伴って降魔宮全体を揺らしている。


「わわわっ!じ、地震か!?」


「違う、狛の咆哮で地下施設そのものが揺れてやがるんだ。なんてパワーだよ…!ありゃあもう並の妖怪や下級神どころじゃねーぞ」


「然り。人間とは思えぬな…ぬぅ」


 大狗神が暴れた時よりも大きな振動が起きて、再び天井から小さな欠片が降って来ていた。猫田の言葉に、魔王である山本さんもとさえも同意して唸っている。神野が気絶していて助かった、人間である狛がこれほどの力を持っている事実を目の当たりにしたら、神野なら改めて力試しをしたいと言い出すに違いない。猫田にでさえあれだけ執着したのだから、それは容易に想像出来た。はっきり言って、そんな面倒な事はごめんである。猫田は確実に自分が巻き込まれるであろう事を予期して身震いしているが、実際問題として、正気ではなかったとはいえ、神野の全力に狛は神狼形態で勝利している。神野の性格上、いずれリベンジマッチを要求される事は明らかなのだが、流石にそこまでは思い至っていないようだった。


 しかし、狛のパワーアップは嬉しいことでも、今この状況では困ったことになる。大狗神が暴れた事で崩落しかけていた降魔宮が、今度は狛の力で影響を受けているのだ。これではどちらにしても生き埋めになりかねない。やはり一刻も早く脱出しなくてはならないだろう。


「おい、狛!あまり暴れるな、本当に潰れてしまう!」


「え?あ、ご…ごめんっ!」


 狛はルルドゥに言われてハッとしたような声を上げた。どうも手に入れた力が強すぎてテンションが上がり過ぎているようだ。狛は本来ならば力に飲まれるような性格はしていないが、新たな力に覚醒したての時は危険である。猫田は初めて狛が人狼化した時を思い出していた。


「マズいな。…あの時みてーに抑えが利かなくなったりはしねぇだろうが、手加減は期待できないかもしれねぇぞ」


「……なぁ、ここが潰れたら、上の階はどうなっちゃうんだ?」


 心配そうに声を絞り出しているのは骸である。彼と音霧に至っては狛との力の差があり過ぎて、退魔の遠吠えをただ聞いただけで影響を受けてしまっていた。それでも何とか骸が気を張って意識を保っていられるのは上階に残っているであろう、両親の事が気がかりであるからだ。


「どうって、そりゃ……」


 言葉に詰まった一同が、黒萩こはぎに視線を向ける。佐那の鞭で身動きを封じられたままの黒萩こはぎはその視線に、気づいて顔を背けた。そして、やや時間を空けてから口を開いた。


「……降魔宮が潰れるような事があれば、上階諸共潰れて皆助からないわ。生憎ね、仮に狛が勝負に勝っても誰も助からないでしょう」


「なん、だって…?!な、なぁ…止めてくれよ、とーちゃんとかーちゃんを助けてくれ…!頼むよ!」


 骸は震える身体で黒萩こはぎに擦り寄って懇願している。それまで冷徹そのものといった態度だった黒萩こはぎだが、何か思う所があるのか、ばつの悪そうな顔になって骸から目を逸らし続けていた。


「おい、黒萩こはぎ。槐の奴はもうダメだ、ああなったら狛にやられるまでもなくおしまいだろう。もうお前らの目論見は台無しなんだ、せめて今生きてるヤツくらい何とかしてやれよ」


「ふん…!どうして私が……今まで散々槐様の邪魔をしてきたあなた達の言う事など、私が聞くと思っているの?とんだお笑いぐさね」


 キッと猫田を睨み、黒萩こはぎが冷たく言い放つ。確かに、槐が今ああなっているのは、狛達のせいだとも言える。元はと言えば邪な企みをした槐達に非があるのだが、今更それを指摘し合っても始まらないだろう。そんな時、再び降魔宮全体につんざくような大狗神の悲鳴が轟いた。


「ギャアアアアアアッ!!」


「なんだ!?」


 全員がその悲鳴がした方を向くと、そこでは狛の拳が大狗神の腹に命中した直後であった。その威力はすさまじく、重さにして数トンはあろうかという大狗神の巨体を壁際まで吹き飛ばしている。そしてその衝撃で、三度、降魔宮全体が揺れており、遂にミシミシという圧迫音が聞こえ始めていた。


「ちょっ…マジでヤベーぞ!?やっぱり狛の奴手加減が効いてねぇ!」


「槐様……」


 このままでは本当に、この地下施設は崩落して全員押し潰されてしまう。誰もがそう思った時、大狗神に取り込まれた槐の姿を見ていた黒萩こはぎが、小さく何かを呟き出す。それに気付いた山本さんもとが、鋭い視線と共に黒萩こはぎへ問い質していた。


「なんだ?お主、何をしている?」


「……今、上階にいる妖怪達へ指示を出したわ。皆一目散に地上へ向かうでしょう、これで文句はないわね?」


「…どういう風の吹き回しだ?」


「別に…何だっていいでしょう。解ったら、その鬼の子を黙らせて。耳障りだわ」


 黒萩こはぎはそう言うと、今度こそ黙って槐へ視線を向けるだけになった。もう喋る気はないということか、口を真一文字に閉じて、ただただ槐の最期を見届けようとしている。


「お前……」


 猫田は何かを言いかけたが、その先は告げられなかった。 追い詰められた大狗神が、カチカチと歯を鳴らした後、向かってくる狛に向かって恐るべき炎を吐きかけたからだ。紫色に染まった強力な火炎は瞬く間に地面を溶かし、降魔宮全体の温度が上がるほどの熱量であった。


「グルルル…ッ!ゴォアアアァッ!!」


「あ、熱っ…!?あ、狛っ!」


 だが、まさに目も眩むほどの炎の中で狛は平然と立っていた。それどころか、狛の霊力で炎は打ち消され、あれほどの炎であるにも関わらず狛は汗一つ搔いていない。狛の身体を覆う九十九も燃える所か焦げ跡すら見えないのだ。当然、尾の中のナツ婆も無事だろう。そして、狛は驚愕する大狗神に向けて全力の一撃を放つ。


「たああああああっ!!」


 右手に集中した霊力を纏わせて、狛は勢いよく跳び渾身のアッパーを叩き込んだ。それは、喉元に浮かんでいた槐を目掛けて放たれた拳であり、大狗神最大の弱点でもある。


「グッ!?ギャアアアアアッ!!」


 炎を掻い潜って飛び込んできた狛の一撃を躱す事など出来るはずもなく、大狗神は成す術もないままに、その攻撃を食らった。狛の霊力が大狗神の身体を貫通し、降魔宮全体に響いている…それが完全にトドメとなった。大狗神の身体は粉々に打ち砕かれて消滅し、残ったのは無惨にもボロボロになった槐の姿だけである。


「ぐっ…!まさか、お前がここまでやる…とはな……」


「槐叔父さん…」


 霊力を根こそぎ奪われていた槐は、既に命の火が消えかかっているようだ。手足は真っ黒にくすんで壊死しており、血の気を失った肌の色は、土よりも昏い色になっている。覚悟を決めて戦ったはずの狛も、その様子には心が痛むようである。だが、槐は最後に正気を取り戻したのか、狛達の父であり、槐自身の兄である真によく似た優しい顔になって言葉を続けた。


「そんな顔を、するな……こうなったのは、俺自身の責任だ…お前がやらなければ、俺がお前を…殺して、いたんだ。気に病むことなど、ない……」


「でも……」


「いつまでも……甘い、な…そんなことでは、この先の戦いを…生き延びる事など出来ん、ぞ。……もっと恐ろしい…戦いが…起こる…はずだ……」


「え、それ…どういう……っ?!」


 狛が問い質そうとしたちょうどその時、今までで一番の衝撃と破裂音がして、途轍もない地響きが、降魔宮…いや、地下施設全体を包み始めていた。最後に狛が放ったとんでもない威力の余波に耐えきれなかった降魔宮が、いよいよ地響きを立てて崩れ出したのだ。


「ふ…話を、している…暇はないな……もう、行け。いずれ、嫌でも解ること…だ……それと、黒萩こはぎに…つたえ、てくれ…すまなかった…と……」


「え、槐叔父さんっ!」


「…狛、もういい。後は儂に任せろ」


 狛の背後から声をかけたのは、狛の尾に包まれて守られていたナツ婆である。いつの間にか目を覚まして尾から抜け出し、槐の隣に立って彼を見下ろしている。


「な、ナツ婆…?」


「狛、アイツらが待っている。早ぅ逃げろ」


「に、逃げろって…ナツ婆は!?一緒に行かなきゃ!」


「儂はここに残る。…儂らの不肖の息子の尻を拭いてやるのが、せめてもの親の務めだ」


「そんな!?ダメだよ、そんなの!?」


 狛は食って掛かったが、ナツ婆の意志は固いようだった。その間にも地響きは大きくなり、立っているのがやっとなほどに地面が揺れて、大きな岩が崩れ落ちて来ている。問答をしている暇はなさそうだ。


「…狛、いいんだ。儂はここに居たい。最期はハルと一緒に眠りてぇ。コイツのことは、だ」


「ナツ婆……!嫌だ、私、ナツ婆を置いて行くの…嫌だ!」


 泣きじゃくる狛の頭をポンと叩いて、ナツ婆はニッコリと笑った。そうして、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「そんなでっかくなった癖に、我儘言うんじゃねぇ。最期に成長した狛の力が見られて、儂は満足だ。きっとハルも、そう思っとる。あの世に持ってくいい土産話が出来たわ。…真によろしくな。そら、もう行け!アイツらまで一緒に埋まっちまうだろうが!」


「ナツ婆……」


 渋る狛の耳に、猫田達の呼ぶ声が聞こえている。狛も理解しているのだ、もう既に、ナツ婆も残り少ない命だと。ナツ婆が槐と戦った際の傷は致命傷に近いもので、例え今すぐ外に出ても、医者に診せるまで命はもたないだろう。せめて京介の意識があれば、結果は違ったかもしれない。


「ナツ婆…ごめん、ごめんね。私にもっと力があれば……」


「何言ってんだ、おぇは十分強くなったさ。この阿呆みてぇな事言うんじゃねぇ。…儂らの分までこれからもしっかりやれよ、な?」


「うん…うん…っ!」


「解ったらさっさと行け!」


 そうどやされて、狛はようやく名残惜しそうに猫田達の元へ走り出した。その背中に向け、槐の隣に座り込んでしまったナツ婆は笑顔で小さく言葉を投げ掛ける。


「……達者でな、狛。元気でやれよ」


「そう、おもう…なら……いっしょ、に、いってやれ…ば……よかった、ものを…」


「…何だ?おぇ生きてたのか。儂より先に逝った親不孝者かと思っとったぞ」


「ふ……おやふこう、など…いまさら…だろう……こんな、ちの、そこで…おれ…には、にあいの、まつろ、だが………………」


 地響きにかき消されそうなか細い声を残し、槐はそのまま息を引き取った。その傍らで、ナツ婆は静かに黙って槐の頭を抱き抱えている。やがて、崩れ落ちる土砂が全てを覆い尽くす直前に、狛達は朧の力によって脱出に成功した。こうして、槐達との長きに渡る戦いは終わりを迎えたのだった。


 狛にとって更なる悲しみと危機が、すぐそこまで迫っている事はまだ誰も知らない。

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