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第317話 輝く双尾

 ふと気づけば、狛の身体に力が戻っていた。全快というほどではないにしろ、気力が充実しているのは確かだ。これは狛の魂がアスラと繋がったせいなのかは定かではないが、このタイミングで回復したのは、きっと意味があるのだろう。


「よし…行こう!アスラ、イツ!今度こそ、槐叔父さんを止めてみせるんだ、私達で!」


 狛が声をかけると、二匹は嬉しそうに狛の周りを飛び跳ねてみせた。アスラが犬神となった理由は狛にも解らない、ただこれからはもう二匹はずっと一緒である。狛が死ぬその時まで、決して離れることはなくなったのだ。

 対する槐は、酷く動揺しつつも、大狗神に指示を出していく。


「お、お前達、もういい!狛を殺せ!そいつは俺には不要だ。…そうだ、俺の人生の邪魔をしているのは狛だったんだ!狛を殺して、俺が当主になってやる!」


 槐の思考は、既に滅茶苦茶になってしまっていた。例え今の狛を殺した所で拍が生きている以上、槐が当主になる事は決して無い。犬神家に於いては、もっとも多くの犬神に選ばれたものが当主となる…そんな基本的な掟すらも、槐は理解できなくなっていたようだ。そもそも、あれだけ掟を嫌い、それに従う事を良しとしていなかったにも関わらず、狛を殺せば当主になれると考える事自体、彼がまともな思考を出来ていない事は明らかだろう。


「ウゥ、ガアァッ!」


 大狗神は再び十匹の狗神に分散し、狛に襲い掛かってきた。先程と同じように、上下を含めた前後左右の立体的な襲撃だ。しかし、アスラとイツという二匹がついている狛には、それすらも通用しなかった。


 アスラとイツは、まず狛の前後を守る様に並び、二方向からの狗神を蹴散らした。勢いそのままに、蹴散らした狗神を足場にして跳ぶと、二匹は狛を中心として円を描くように飛び次々に別の狗神達の攻撃を防いでいく。まるで、狛の周りをはしゃぎまわっているかのようだが、その動きには全く隙がない。十匹の狗神達は成す術もなく弾き飛ばされているばかりだ。


「遊んでるみてぇに見えてしっかり防いでやがる、やるな。イツもアスラも…!」


 猫田は痺れる身体を起こしつつ、二匹の動きを見て感嘆の声を上げている。特にアスラは犬神になったばかりだと言うのに、非常に軽やかな動きをしていて、イツに負けない活躍をみせていた。それを思えば、猫田が驚くのも当然と言える。


 そんな二匹の戦いぶりに狛は勇気を得たようで、真っ直ぐに槐を見据えて走り出す。二匹もそれに合わせ、狛から離れないように走り出していった。


「な…舐めるなよ、こここ……小娘がっ!」


 一直線に向かってくる狛の姿に、槐は激昂して荒ぶる声をあげた。狗神を操り続けた事でより狂気の度合いが進み、既に狛を狛として認識することも難しくなったのか、目を血走らせ明らかに異常な形相に変わってしまっている。本来の狗神憑きは、たった一匹だけでも十分に人を狂わせる力をもつものだ。それを十匹同時に操るともなれば、負担は遥かに増すのだろう。

 狛はそんな槐に憐れみを感じながらも、決意を鈍らせてはいない。いつも猫田に甘いと言われてきたが、事ここに至れば、槐の凶行を止めるには手段は一つしかないことを理解しているからだ。


「槐叔父さんっ…!」


「く、来るなぁっっ!!」


 槐は眼前に迫ろうとする狛から逃れようと、自分の身体に十匹の狗神全てを憑りつかせてしまった。すると、槐から必要以上の霊力を奪い取ったからか、狗神達は槐の肉体を取り込んだまま、再び大狗神へと姿を変える。決して低くない降魔宮の天井スレスレにまで巨大化した大狗神は、今度こそ狛を食い殺す為、ガチガチとその大きな歯を鳴らして威嚇すると、その大きな前足を狛に思いきり叩きつけてきた。


「わっ!?」


 狛は咄嗟にそれを避けたが、続けて二発三発と繰り出されたことで、降魔宮そのものが大きく揺れて悲鳴をあげているようだった。パラパラと天井から小石や岩の欠片が降ってきてルルドゥに当たり、ルルドゥはパニックに陥っている。


イテっ!?あわわ…!?や、ヤバイぞ!?あんなのが暴れ続けたら、我々皆ぺしゃんこだっ!」


「早く逃げるべきだが、動けないものが多すぎる……!せめて、一塊になってくれれば…」


 朧は周囲を見回すと、悔しげに歯噛みしてみせた。意識を失っているものを除いても、まともに動けそうなのは狛とルルドゥに音霧、それに骸くらいのものだ。後は皆、怪我をしていたり気絶していたりして、とても身動きは取れそうにない。すると、ルルドゥが何かに気付いたように朧の言葉に反応した。


「……一か所に集めれば、何とかなるのか?」


「ああ、大口真神から権能を借り受けている。影通しという、その名の通り影を通って移動する術だ。残った霊力だと一度が限界だが、一箇所に集まってくれれば何人だろうと地上へ出られるはずだ」


 そんな朧の答えにルルドゥはしばらく黙り込むと、何かを決意したのかバッと顔を上げた。いつになく真剣な表情をしていて、ぬいぐるみのような可愛げのある外見でなければ、気圧されてしまいそうな緊張感を漂わせている。


「なら、我が皆を集めるから、お前は逃がす準備をしてくれ!」


「お前が…?どう見ても人形の身体で、そんな事ができるのか?」


 朧がそう言うと、ルルドゥは槍を地面に突き立て、そのまま強く何かを念じた。すると、にわかに地面が隆起して土塊が盛り上がり、成人男性ほどの大きさの土人形が出来上がる。


「急ごしらえだから見た目は悪いが、人を運ぶくらいはなんてことはない。…これを操作している間は、我自身は動けないのだが」


「驚いた…意外と器用なんだな。お前は」


 ルルドゥが作り出したのは、あの不思議な泥で出来た人形の別バージョンと言ったものである。あの時は完全に人と遜色ない見た目をしていたが、目の前にあるそれは、本人が急ごしらえと言っているように、目も鼻も口もない完全な土の人形である。

 朧の言葉に鼻を高くして、ルルドゥはまず佐那と黒萩こはぎを、そして続けて京介と神野を、更に骸と音霧、それに山本さんもとと猫田を次々に集めてきた。ただし、ナツ婆と狛だけは、大狗神となった槐が近すぎて近づく事さえ難しいようだ。


「お、おい狛!ナツ婆さんと一緒にこっちへ来い!このままではここが崩れてしまうぞ!」


「ルルドゥ…ありがとう!でも、槐叔父さんをこのままにはしておけないから!」


 大狗神の攻撃を躱しながら、狛が叫ぶ。その視線の先には、大狗神に取り込まれ、喉元に辛うじて顔だけが浮かんでいる槐の姿があった。覚悟を決めた狛の目が槐を睨んでいる。


「な、何故私までっ…!?…狛、止めて!止めなさいっ!」


 佐那と一緒に集められた黒萩こはぎが、狛の瞳に気付いて抗議の声を上げるが、誰もそれを気に留めている暇はない。同時に、狛が攻撃を避ける事にイラついたのか、大狗神はくるっと振り向いて、倒れたままのナツ婆に狙いを変えた。そして、勢いよくその前足を振り下ろす。


「ナツ婆をっ!?そうは、させない…っ!」


 狛はすぐさまナツ婆の元に駆け寄って、その身体を庇うようにして前に立った。大狗神はそれを狙っていたのだろう、その口だけの頭がニヤリと笑みを浮かべたように見えた。そのまま狛諸共、叩き潰すつもりだ。


「狛っ、よせ、逃げろぉ!」


 ルルドゥの叫びも空しく、体重をかけた巨大な前足が狛とナツ婆に振りかかる。ズズンッ!という重く鈍い音が響き、地面が砕けて狛達の姿が見えなくなった。誰もが、二人は潰されてしまったのかと諦めかけたが、そうではない。


「おお…!」


「あれは……!」


 大狗神の足が徐々に下から持ち上げられ、そこから蒼銀に輝く光が漏れてきた。それをやってのけているのは紛れもなく狛である。いつものように蒼銀に輝く尾とは別に、もう一つ、アスラと同じ黒光りする尾を生やして狛はゆっくりと立ち上がろうとしていた。その二本の尾の中には、ナツ婆が優しく包まれているようである。


 「あの尻尾は……狛の奴、アスラとイツ、両方を自分に宿らせたのか…!?」


 そう呟く猫田の視線の先で、狛の霊力が更に出力を上げて輝きを増す。槐との戦いは、いよいよ最後の局面を迎えようとしていた。

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