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第315話 離別の時

「ぬううううっっ!」


「昔取った杵柄にしては粘るじゃないか、流石だな。だが、年寄りの冷や水は甘く見ていると高くつくぞ?」


 ナツ婆による流れるような錫杖の攻撃だが、その全てを槐は余裕を持って受け流している。こう見えて、ナツ婆は未だ現役の退魔士だ。加齢によって、全盛期ほどの素早さや力は失われたが、その歴戦の経験で培われた勘と霊力は、並大抵の妖怪など物ともしない実力となってナツ婆の身体の中で活きている。それを苦も無く捌ききる辺り、槐の力量がよく解る戦いであった。


 槐の挑発に乗っているわけではないが、このままでは埒が明かないと判断したのか、ナツ婆は更に気合を入れてギアを上げた。先程よりも凄まじい動きではあるが、それは明らかにオーバーパワーだ。そんな動きは体力的に長く続くはずがない、誰もがそう思うほどの速さである。


「おぇは…!おぇだけは許さんっ!」


「ふっ、そんなにハル爺を……親父を殺した俺が憎いか?」


「そうじゃねぇっ!!」


 ナツ婆は咆えながらも、攻撃の手を緩めない。その魂の叫びはその場に意識がある全員の心に深く響くものだった。


「おぇは力に溺れ、ハルだけでなく多くの人の暮らしを危機に追いやった!おぇのしでかしたことで、どれだけの人らが苦しんでいるか解らんのか!……そんな息子の不始末を、親の儂がケツを拭かんでどうする!」


「…ふ、はははっ!今更母親面か!親父もそうだったが、とんだ茶番だな!俺はもう、お前達を親だなどと思っていない!」


 ナツ婆の猛攻の合間を縫って、槐はそこで遂に反撃に出た。右肩と左腕、そして右の太ももに三発、霊皇杖れいおうじょうを巧みに使って強烈な打撃を叩き込む。ナツ婆は痛みと過剰な動きによる体力の限界が一気に来て、倒れ込んでしまう。


「う、っぐぅぅ!!」


「これで終わりだ、あの世で親父と仲良く暮らすがいい。……さらばだ、


「ナツ婆っ!!」


 それまでナツ婆と槐の戦いに割って入れなかった猫田と神奈、そして狛だったが、今まさにナツ婆へトドメを刺そうとする槐を止めようと、力を振り絞って立ち向かっていった。


「わざわざ死にに来たか、バカ共が!」


「ぐぁっ!?」


「うぅっ!」


「ああっ!!」


 しかし、疲労しきった三人は精彩を欠く動きしか出来ず、迎え撃った槐によって容易く蹴散らされてしまう。特に、神奈と猫田は頭や顔面を殴られ地面に叩き伏せられていた。辛うじて狛だけは防御出来たが、立っているのがやっとの有様である。それでも、狛は諦めていない。ハル爺だけでなく、ナツ婆までも喪うことは絶対に耐えられないことだったのだ。


「ナツ婆、は…死なせない……よ!」


「ずいぶんと見上げた根性だ、そんなにコイツが大事か?…狛、お前はそもそもナツ婆が苦手だっただろう。そんなお前が命懸けで守ろうとするほどの相手か?が」


 倒れ込んだナツ婆の頭を踏みつけながら、槐が狛に問う。ギリギリと踏みつける音が聞こえるようで、狛は思わず顔を背けたくなる光景だ。だが、今ここで目をそらしてしまえば槐の悪意に心が勝てなくなってしまうだろう。そう感じた狛は、苦々しい表情を浮かべながら槐の目を真っ直ぐに見返した。


「別に、ナツ婆が嫌いだったわけじゃないよ。ハル爺と違って厳しかったから、上手く接することが出来なかっただけで……私が本当に苦手だったのは、槐叔父さんの方だよ」


「ははは!言ってくれるな。あの妖怪の影に怯えて、家に寄り付かなくなった兄貴の代わりに、お前達兄妹を支えてやったのは他ならぬ俺だと言うのに。……所詮、お前達はあの兄貴の子どもだな。家族を守る為と言って家族を避ける事しか出来ず…そうやって手を放すから、愛する者を次々と喪っていく、お前の母親もそうだった。実に惰弱で哀れな存在だ、狛、お前自身もな!」


「っ!お父さんとお母さんを…バカにしないでっっ!」


 両親を罵倒され、狛の怒りが爆発する。確かに槐の言う通り、父親であるシンは狛達を守る為に、一緒に暮さないことを選択している。だがそれは、家族という群れを力とする犬神家の人間にとっては孤独に戦う茨の道だ。それを選ばなければならないほど追い詰められた証であり、狛達を守る事を最優先にした結果なのである。それは誇るべきことであっても、決して、槐のように家族を捨てて力を選ぶような愚かなことではない。母も同じだ、病を押して命懸けで狛を産んでくれたその生き様に、感謝こそすれ惰弱だなどと感じた事はない。


 そんな怒りが原動力となって、狛の中に再び力が戻ってきた。そして、イツと同化して輝く尾と耳が再び現れる。しかし。


「人狼化、か。だが、先程見せたは使えんようだな」


 槐は変化した狛を見つめてニヤリと笑った。そう、狛は人狼化までは出来たものの、神野と戦う際に使った神狼形態には至っていない。神狼というあの力は非常に強力だが、イツと同調した狛自身の霊力を大量に消費する。霊力は魂そのものが持つ力だ、何か外的な要因でもなければしっかりと休息を取らない限り回復はしない。

 今は狛が激しい怒りを見せたことで底力が発揮されているだけであり、それでは神狼形態に至れるほどの余力はないのである。

 槐はそれを理解しているようで、ナツ婆から一歩離れると後ろに控えさせていた二人の女妖怪を並び立たせた。


怨左おんさ右恨うこん…お前達の出番だ。存分に見せてやれ、お前達の持つ力をな」


 女妖怪は槐の命令を受け、激しく牙を鳴らし始めた。そして、どす黒い血のような暗い赤色をした耳と尾が現れていく。


「人狼…!?違う、この妖怪ヒト達は……っ!」


 狛は一瞬でその正体に気付いたようだ。そして、猛烈な速さで襲って来る二人に向かって戦闘態勢を取っていた。


「ガアアッ!」


「くっ!?」


 怨左おんさ右恨うこんの連携は見事なものだった。名前の通り左右二手に素早く分れ、それぞれにその爪で狛を引き裂こうとする。狛は冷静に動きを見極め、まず先に飛び掛かってきた怨左おんさの攻撃を一歩引いて避けると、その手を掴んで強引に持ち上げるようにしてその後ろにいた右恨うこんへ投げつける。だが、怨左おんさの身体が右恨うこんとぶつかりそうになった瞬間、二人は一瞬にして複数の影へと姿を変えた。


「やっぱり…!」


「ふふん、気付いた所で……だがな」


 その影の正体は、以前槐と戦った時に現れたいくつもの狗神の姿であった。槐は自ら呪法によって生み出した十匹の狗神を二人の女妖怪へと変化させ、自らの傍に置いていたのだ。そして、槐の言葉通り、それを見破った所で狛が有利になるわけではない。狗神達が二人の妖怪にまとまっていたときよりも、一匹ずつのパワーは下がったが、手数とスピードは個々別々である方が上だ。その上、その素早さで縦横無尽に動き回られる方が厄介で対処は難しい。

 バラバラになって槐の狗神達は、前後左右、ともすれば上下の立体的な動きも交えた攻撃に動きを変えて、再び狛に襲い掛かってきた。


「ぐっ!あ、ああああっ!?」


 二~三匹の同時攻撃ならともかく、その数が十ともなれば流石の狛も手も足も出せなかった。あっという間に牙と爪で、狛の身体が傷だらけになっていく。


「なっ…ななな、なんだあれは……!?お、おぞましい…」


 ルルドゥは十匹の狗神を初めて目にして、その恐ろしさに打ち震えていた。今までイツを見てもそんな反応を見せなかったルルドゥだが、槐の狗神には異常な程の拒否反応を示しているようだ。その傍にいる朧もまた、ルルドゥと同じように顔を歪めている。それでも狛を助けようとするが、神野にやられた傷は深く、とても立てそうにない。

 そんな二人を余所に、槐はボロボロになった狛へ向けて勝ち誇ったように呟く。


「ククク…やはり狗神という存在は力が全てだ。くだらん掟などに縛られず、多くの犬を狗神に変えてしまえば犬神家俺達はもっと栄え、強くなれる。狛、人狼化という才能を持つお前こそ、それをすべきだったのだがな」


「そ、そんな…こと……出来るわけない、じゃない…!狗神を生み出す呪法がどんなものか、槐叔父さんは知っているんでしょ?!あんな方法で、犬を殺すなんて……」


「…当然だ、俺の狗神達はそうやって生み出したのだから。だが、それは開祖犬神とてやったことだろう?どうせ俺達は犬殺しの血筋なんだ、綺麗事にかまけている意味などない。毒を食らわば皿までの言葉通り、俺達はそれを続けていればよかったのさ!」


 狗神を生み出す呪法は、犬を飢えさせて呪をかけた後、首を刎ねて殺したりと非常に残酷な方法で犬を殺す必要がある呪いの術だ。犬神家の人々は誰もが犬を愛する性質であるが故に、それはまさに禁忌の術である。これまで、開祖が遺した『狗神を増やしてはならない』という掟を忠実に守ってきたのは、開祖の罪を償う意味でもあったのだろう。

 槐の行いは、それらを全て嘲笑い台無しにした、犬神家そのものの否定である。それは狛だけでなく、全ての犬神家の人間にとって、絶対に許せぬ所業であった。


「許さない…絶対に……!」


「ふん!いくら偉そうな口を叩いても、今のお前に何が出来る?もはや立っていることすらままならぬお前が、俺を許さんだと?笑わせてくれる。…狛、お前は俺の狗神達の餌になるのが似合いの末路だろう。よく見るがいい、これが力というものだ!」


 そう言って、槐が口笛を吹くと、十匹の狗神達は素早く一か所に集まりやがて一つの塊に変わっていき、遂には巨大な狗神へと変貌した。猫田が変化する大型の猫に匹敵する、大きな姿だ。口から上の頭は無いままだが、その獰猛な口からは涎を垂らし、鋭い牙が怪しく濡れて光っている。


「なっ……!?」


「ククッ!驚いたか?これこそ俺が大狗神と名付けた、十の狗神を従える俺だけに与えられた力だ。……さぁ、お前の肉ごと、貧相な本家の犬神イツを食らい尽くしてやろう。やれ!」


 槐の合図と共に、大狗神と化した怪物の口が開く。度重なるダメージと消耗で動けない狛は、祈るように目を瞑り、覚悟を決めた。しかし、その時、狛の後方から駆け抜けてきた一つの影が狛を突き飛ばし、狛の代わりに大狗神の牙を受けた。


「きゃあっ!?え……な、ア、アスラっ!?」


 鮮血が飛び散り、狛の視界を紅く染める。またしても残酷な運命が、狛に訪れようとしていた。

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