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第314話 相次ぐ戦いの中で

「お、おい…死んだんじゃないのか?神野アイツ……」


「いくらなんでも死んじゃいねぇと思うが…アレは……」


 余りにも強力な一撃がクリーンヒットしたので、ルルドゥは不安になったようだ。猫田も生きていると思っているようだが、若干自信が無さそうだ。二人の心配を余所に狛はふぅと深く息を吐くと、その場に座り込んで人狼化が解けてしまった。人狼化を超えた神狼形態により霊力を大量に消費してしまったので、しばらくは動けそうにない。だが、心配そうに見つめる猫田達に向かって、Vサインをして笑っている所を見ると、問題なさそうである。


「そんなっ……!?あの三体が…魔王二柱と猫田を含めたあの三体がやられたと言うの?!あれはどう考えても完璧な布陣だったはず…そんな、そんなことが……」


 狛達の様子を離れた場所で佐那と戦いながら見ていた黒萩こはぎは激しく動揺していた。


 普通に考えてみれば、魔王一体でさえ並の人間や妖怪では太刀打ちできない存在である。事実、槐の率いる組織の中でも、神野と正面から戦って勝てる存在はほぼいないと言ってもよかった。勝ち目があるとすれば槐本人か、犠牲を厭わず全てのリソースを注ぎ込んだレディくらいのものだっただろう。仮に緋猩が生きていて、彼が率いる猩々や狒々達の軍団が健在であったとしても、到底敵うはずのない相手である。


 その分、神野を捕らえて狂華種で自分達に引き入れられた時には、槐達は大きく湧き立ったものだ。ほとんどの妖怪達は、神野悪五郎を自分達の最上位に位置する頭目の一体と認識している。そんな存在が味方になったのだから、敗北などあり得ない。事実、神の勢力が槐を成敗しようと送り込んできた下級神達は、神野が完膚なきまでに打ちのめして撃退したのである。もはや槐達に対抗できるものなどいないと、冷静な黒萩こはぎですら確信していたほどだ。


 だからこそ、追加で山本さんもとという魔王を捕らえ、猫田までもを手中に収めた事で最強の組織を創り上げられたと考えていた。特に猫田は狛に対する特効持ちのような存在だ。龍点穴での戦いの際、槐が苦戦を強いられた狛は、今後の槐達の作戦を考える上で唯一の懸念点であった。それに対するカウンターとして、猫田ほど最適なものはない。黒萩こはぎは柄にもなく、自分達の力を至高のものとして考え、慢心していたということだろう。狛達がここまでやるとは、思っても見なかった…まさに想定外の結果である。


「…はっ!?」


 動揺して動きを止めた黒萩こはぎの隙を、佐那は見逃さなかった。彼女が愛用する鞭は、佐那自身の髪と革紐をより合わせた特別製の長鞭である。革紐をなめす際には佐那の血を配合した特殊ななめし剤を使用していて、佐那の霊力を込める事で自由自在に操る事が出来る呪具としての側面も持っている。佐那がその鞭を振るい、黒萩こはぎの身体に巻き付けると、霊力を流し込んで一瞬にして締め上げた。ただし霊力で操作する分、外部からの霊波を受けると防がれやすい弱点もあり、普段の黒萩こはぎならば、絶対に食らう事のない攻撃だ。それだけ、黒萩こはぎが動揺した隙が大きかったということだろう。


「くうぅっ…!」


「らしくないわねっ…黒萩こはぎ!いつもの貴女なら、私の鞭なんて簡単に防げたはずよ。……一体、何をそんなに焦っているというの?」


 ギリギリと締まる鞭の威力に、黒萩こはぎは顔を歪ませている。鞭の攻撃を霊波で防げると言っても、こうして身体に巻き付かれてしまえば、いくら霊波を放とうとしても無駄である。だが、佐那には黒萩こはぎを殺そうという気はないようだ。鞭で締めているのも降伏させようというだけで、首などは絞めていない。というのも、佐那は犬神家に反旗を翻し、ハル爺を殺害したり拍を追い詰めた槐の事は憎んでいるが、黒萩こはぎの事は特に悪く思っていないからだ。

 佐那の知る黒萩こはぎは、幼い頃から自分を拾い育ててくれた、槐への想いと忠誠心で満ちている。黒萩こはぎがまだ狛と同じ16歳の子どもだった頃、彼女は胸に秘めていた想いを爆発させ、親代わりであった槐に自分を婚約者として見るよう執拗に迫っていた。当初は佐那も止めた方がいいと忠告したのだが、黒萩こはぎは涙を流しながらそれを拒み、槐に七日七晩説得をして、ようやく婚約者としての立場を得たのである。

 普段は冷静沈着に見える黒萩こはぎだが、こと槐に関する事態だけは、決して引かないのが彼女なのだ。


 今回の犬神家の弓を引く反乱も、黒萩こはぎだけは槐のやる事に反対はしなかっただろう。諸悪の根源は槐であり、黒萩こはぎが悪いとは、佐那にはどうしても思えないのである。


「今回のことだって、貴女が自分から私達を裏切ろうとしたとは思っていないわ。今ならまだ、きっと皆も許してくれるはずよ。…もう槐の言いなりになるのは止めた方が――」


「黙りなさい、佐那…!貴女に何が解るというの!?槐様の悩みや苦しみが、貴女如きに解るはずがないっ…!私はっ……私が槐様を守るのよ!」


 佐那の言葉を遮って、黒萩こはぎが激情を露わにする。こんなに感情を昂らせて話すのは、槐に婚約者として認めるよう迫ったあの時以来だ。佐那には解らない何かが、槐の暴走の理由なのだと、その時佐那は理解した。


黒萩こはぎ……貴女…きゃああっ!!」


 佐那が言葉を紡ぎ終える前に、突如、佐那の身体を激しい痛みが襲った。立っていられず、呼吸すらままならないほどの強い衝撃を不意に受け、佐那は意識を失ってその場に倒れ込んでしまった。


「佐那姉っ!?」


「ふん。ネズミが入り込んだと聞いて様子を見ていれば、まさかここまで食い破られているとはな。もっとも、お前達はネズミというより、飢えた野良犬か」


「え、槐…っ!」


 コツコツと乾いた靴音を響かせて、物陰から静かに現れたのは槐その人であった。その顔には不敵な笑みを浮かべ、とても手勢が全滅したとは思えないほどの余裕を醸し出している。逆に味方であるはずの黒萩こはぎの方が、狼狽して何かを乞うように言葉を投げた。


「え、槐様!?いけません、この場に出てきては…!か、彼らは私が……!」


「私が何だ?お前に魔王達をも退けたコイツらの相手が務まるとでも?…その様でそんな事が出来るとは、到底思えんな。そこで黙って見ていろ黒萩こはぎ


「槐様…!後生です、お願いですから…た、戦わないで…っ」


 黒萩こはぎのか細い懇願など無視して、もはや話は終わったとそれ以上一瞥もせずに、槐は狛達の前に立ちはだかった。両隣には常に付き従っている二人の女妖怪がいて、狛達に敵意の視線を向け続けている。


「槐叔父さん!」


「ふん、狛か。まさかお前達にここまでしてやられるとは…たかが小娘と些か侮ったか。やはり、あの時殺しておくべきだったな。俺の知らん伏兵もずいぶん居たようだしな」


 槐は狛を睨み、予想外の結果に舌を巻いている。だが、その眼は微塵も敗北など考えていない。手勢のほとんどを失ったはずだというのに、この余裕はどこから出てくるのだろう。ちらりと京介や神奈に視線を向けて、更に槐の言葉は続く。


「…とはいえ、お前達などもはや敵ではないか。人の身で魔王を打ち倒したのは驚くべきことだが、それを果たしてお前達はどうなった?どいつもこいつも死にぞこないの半分死人のような連中ばかりだ。狛、肝心のお前でさえ、霊力を消費しすぎて戦えまい。俺がわざわざ手を下すまでもない……と言いたい所だが」


 槐の視線が更に鋭さを増し、その全身から恐ろしいほどの殺気が放たれ始めた。憎悪と怨念に満ちたその殺意の強さは、神野のものよりも遥かに上だ。神野に気圧されていた猫田達だけでなく、狛でさえも息を呑むほど圧倒されかけている。


「もはやお前達を侮ることはしない。例え半死半生の死に体だろうが、念入りに殺して死体の欠片も残らぬよう磨り潰してやる…!」


 狂気を孕んだ殺意が膨れ上がり、弱った狛達を包み込んでいく。各々が絶望に身を浸しかけたその時、突如、弾けるように飛び出した者がいた。


「槐ぅぅぅぅっ!!」


「ふふっ……ナツ婆、いや、お袋か。アンタはどうやら無事なようだな」


 飛び出したナツ婆が、手にした錫杖を大上段に構えて槐目掛けて振り下ろす。槐は自らの霊力で作り出した棒…霊皇杖れいおうじょうでそれを防ぎ、ニヤリと笑っていた。ハル爺に引き続き、ナツ婆と槐の親子対決が幕を開ける。それは、更なる悲劇の幕開けでもあったのだった。

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