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第313話 神野、撃退

 猫田と朧が話している間に、狛と神野の戦いは始まっていた。


 狛とイツとの完全同調――朧曰く大口真神に匹敵する『神狼化』は、文字通り並の人狼や、人間の退魔士を大きく超える力を持っているようだ。高速で繰り出される拳の連続技、速撃乱打そくげきらんだを始めとしてスピードに長けた神野と、狛は全く劣る事なく渡り合っている。


 目にも留まらぬ速さで繰り出される神野の拳だが、狛はその全てを確実に目で見て躱し、時には防いでいる。しかも、その上で反撃もこなしているのだ。猫田でさえ、手加減なしの本気で向かってくる神野を相手に互角の戦いをするのは難しいのだが、それを狛がやってのけている所が末恐ろしいと猫田は感じている。


 連打が通用しないことに業を煮やしたのか、神野は大振りに右の拳を放った。まさに腕だけでなく身体ごと叩きつけんばかりの勢いであったが、狛はそれを冷静に見極め、左足を軸にして身体をずらして避けながらカウンターで右のハイキックを神野の頭に叩き込んだ。蹴りをまともに食らった神野の頭だけでなく、上半身全てが弾けとんだような凄まじい衝撃と音がして、神野の身体がぐらりと揺れる。


「決まったか!?」


「…いや、まだだっ!」


 ルルドゥだけでなく、骸や音霧も今の一撃で勝負が決まったと思った事だろう。しかし、正気でない神野はその程度では止まらなかった。そのまま太い唸り声を上げたかと思えば、ギラリとした視線を狛に投げつけ、蹴りを放った後でガードががら空きだった狛の腹に左の掌底を打ち込んだのだ。


「ぐ、はっ…ぅぁ!?」


 正真正銘手加減無しに、全力で魔王が放つ一撃だ。いかに神狼形態となった狛の身体を覆う強力な霊気の鎧があっても、まともに受ければただでは済まない。腹に穴が開かなかったのが不思議なほどの威力であり、数メートル吹き飛ばされた狛は辛うじて両足で立ってはいるものの、吐血するほどのダメージを受けた。


「ウオオオオオオッ!!」


 ここを好機と見たのだろう。間髪入れずに、神野は狛に追撃を仕掛けてきた。流石の狛も呼吸を整える暇もない攻勢にはついていくのがやっとである。回避する動きは取れなくなっていて、身を丸めてガードに徹するようになった。その様子を見た神野はニヤリと笑みを浮かべて、拳と蹴りを織り交ぜた滅多打ちで、ガードの上から狛を嬲り続けていく。


「ヤベぇぞ…!あのままじゃ…クソ、身体が動けば!」


「止せ!今のお前達じゃ無理だ!」


 猫田と朧は黙って観ていられないと動き出そうとしたが、どちらもダメージと疲労が積み重なっていて狛の加勢には到底出られない。さっきの猫田戦のようにルルドゥが強制的に割って入りたい所だが、神野の動きは文字通り神速で、例えルルドゥを投げ込んだ所で狛まで届かせてはくれないだろう。精々叩き落とされて終わるのが関の山である。

 口の端から血を溢しつつ、狛はじっと神野の猛攻に耐えている。その攻撃は速さだけでなく、一撃一撃の重さも凄まじいもので、激しい打撃音と共にそれを狛が受け止める度に骨が軋むような音さえして、離れていても猫田達の耳に聞こえてくるようだ。


「狛、離れろ!そのまま食らい続けてたら……」


「あっ!?」


 ガード毎腕を叩き折るつもりだったのか、神野が強烈な妖気を込めた一発を振り下ろす。だが、その狙いは物の見事に打ち砕かれた。


「ふ…っ!」


 狛は息を吐きながら瞬間的にガードを解くと、そのままと身体をずらしその振り下ろされた拳を躱した。しかも、手首を掴んで引っ張って、神野の体勢を崩している。そこから伸びきった神野の肘を狙って、霊力を込めた一撃を叩き込んで見せた。


「グッ、ガアアアアッッ!?」


 肉体の構造上、肘というものは極めて硬い骨で出来ているものだが、それでも狛が霊力を込めた一撃を外から叩き込まれれば、骨より先に関節が破壊される。神野の右腕はあり得ない方向に曲がっていて、魔王と言えども絶叫するほどの痛みであった。

 狛がずっとガードに徹していたのは、この瞬間を待っていたからである。吐血によって呼吸が乱れ、一時的にだが神野の速さについていけなくなった狛は、まず守りを固めて息を整え、効果的な反撃の機会を窺っていた。その間に霊力を練り上げて、最高の威力を叩き込む準備をしていたのである。


「折れたか、あれは痛ぇだろうな…!」


「狛の奴、時々本当に容赦ないな。普段は虫も殺さんような甘いヤツなのに……」


「狼とはそういうものだ。…大口真神も、怒ると怖いぞ」


 朧はそう言って、何かを思い出したように身震いしていた。どうやら、親代わりに育てられたという大口真神に怒られた事を思い出しているらしい。そんなもの、怒れば誰だって怖いだろうと猫田は思ったが、基本的に神の怒りというものは別格である。猫田はふとまだ見ぬ大口真神の怒りを想像して背筋が冷たくなり、口を出すのを止めた。


 そして、腕を折られた神野は堪らず狛から離れ、数歩下がって狛を睨みつけている。これでかなり狛が優勢に戻ったが、関節を破壊した程度では狂華種の影響は抜けそうにない。もっと大きな、それこそ意識を刈り取るほどのダメージでなければ、本当に彼を解放することは出来ないのだ。

 狛はその隙に、改めて呼吸を整え全身で霊力を高めていた。いくらガードしていたとはいえ、あれだけ神野の猛攻を受けた狛の身体には大きなダメージの跡が見て取れる。人狼は怪我の回復能力も高いが、連戦とダメージを繰り返し受けているせいか、その表情からも余裕はなさそうだ。いよいよ決着は近いと、誰もがそう確信していた。


 神野はだらんとした右腕を気にせず、無事な左手を腰だめに構えて、やや前傾姿勢をとった。以前、猫田と戦った時にみせた手刀の構えだ。あの時とは逆の腕だが、神野ならば右でも左でも、同じように技が撃てるのだろう。

 対する狛は、次に来る攻撃が最後の攻撃になると踏んで静かに目を閉じていた。戦いを放棄するつもりではなく、猫田戦で見せたように音と気配を聞き分けて感じ取り、神野を上回るつもりだ。


 神野は絶対の自信を持つ自分の技を、狛が正面から受けてたとうとしていることに苛立ちを覚えたようだ。もっとも、その技の存在を狛が知る由もなく、神野が怒るのは筋違いなのだがそういう冷静な考えが出来なくなっているのも正気ではない所以なのだろう。

 猫田はその構えから、神野が繰り出そうとしている技に気付きアドバイスを叫ぼうとした。だが、構えを取った神野から放たれる異常なほどのプレッシャーで声が出せない。それどころか神野が妖気を高める毎に、深い水底へ引きずり込まれたような圧迫感が増していき、指一本動かせなくなっていた。それはルルドゥや朧も同じなようで、冷や汗を流しながら狛を見守っている。


(声が出せねぇだと…!?クソ、弱っちまってるとはいえ、こんな……情けねぇ!)


 猫田は自分の不甲斐無さを悔やみ、その顔一杯に滲ませていた。妖怪達は特に、生きる上で力の差が大きく影響する種族である。明らかに弱っている猫田達では、神野の力に抗しきれないのだ。

 そんな状況だが、狛は至近距離から神野の圧を受けても動じずに静かに己の力を高め続けていた。当然、神野の力による強烈な圧が高まっている事は痛いほど理解しているが、決して対抗できないものではない。そうして、二人の間に力のせめぎ合う緊張感と圧力が最高潮にまで満ちた時、神野は動いた。


「ハァァァァッ!!」


 本気の神野が全力で放つ神速の手刀は、大地を切り裂くほどの破壊力を有している。以前、猫田に向けて使った時は猫田の毛皮と霊力のガードを容易く切り裂いて傷を負わせたが、あれですら全力で放ったものではなかったのだ。その余りの速さと威力で、神野の手が空気との摩擦で一瞬燃えたように見えるほどの鋭さだった。一筋の閃光のように煌めく光が走り、狛を頭から真っ二つに切り裂いた……はずだった。


「ッッ!?」


「な…!?」


「し、白刃取り…だと!?」


 神野もルルドゥも朧も、猫田さえもその光景に愕然としている。狛は目を瞑ったまま、感覚を極限まで高めて磨き上げ、気配だけで神野の動きを察知して手刀を抑えたのだ。唐竹割りに狛を両断しようとしていた神野は、僅かに跳躍して手刀を振るっていた。その為、身体は数センチ宙に浮いていて、手を掴まれていては身動きが取れず逃げ場はない。その刹那の隙を、狛は逃さなかった。


「えぇいっ!」


 神野の手を引いて体勢を更に崩すと、自身の身体も少しだけ斜めにずれる。そしてその背から、大量の霊力を纏わせた尻尾を伸ばして神野を思いきり殴りつけた。


「グハァッ!!」


 両腕を使えず、空中で体勢を崩された神野にそれを防ぐ手立てはなく、狛の一撃は完璧に神野の鳩尾を捉えていた。突き上げるように叩き込まれた一撃は、並の妖怪なら即死どころか消滅しているほどの威力があるだろう。神野相手だとしてもオーバーキルになりかねないが、この機を逃せば神野を元に戻すチャンスは無い。狛は一切の手加減も躊躇もなく、それを食らわせると、そのまま神野を地面に引き倒していた。


 神野は泡を吹いて痙攣したあと、ガックリと首を落として意識を失った。猫田達と同様に黒い靄が抜けていき、こうして、ようやくこの長い戦いにも決着がついたのである。

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