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第312話 狛の真価と神の影

「猫田さん!?猫田さん大丈夫っ?」


 黒い靄が抜けていくのを確認した後、狛は猫田の身体を力一杯揺さぶっていた。ガクンガクンと首が揺れて、傍目に見ていてもかなり恐ろしい姿だ。その証拠に、狛の頭の上に乗っかっているルルドゥが、「あわわ……」と声を上げて心配そうに見つめている。


「ぐ…や、止め…吐く……」


「え?!何!?大丈夫っ?」


「……止めろっつってんだろ!俺を殺す気かっ!?」


 人狼化した狛のパワーで身体を揺らされれば、いくら猫田と言えど気分が悪くもなるだろう。狛はそこでようやく自分が人狼化していることに気付きパッと手を放して誤魔化すように笑ってみせた。


「あ、あはは、ゴメンね…!」


「よく生きてるな…駄猫。我から見ても首がモゲるんじゃないかと思ったぞ……」


「誰が駄猫だ!…っと…悪いが立てねぇ。霊力が空っぽだ」


 そう言うと、猫田は座ったまま天を仰いだ。とはいえここは地下なので、そこにあるのは天井である。何か思う所があるのだろう、少しの間そうしていると、ゆっくり目を閉じて俯き、謝罪の言葉を口にした。


「…すまねぇ。世話かけちまったな、それに……狛、お前に怪我まで…」


「大丈夫だよ!怪我なら京介さんが……あっ、そうだ!京介さんの怪我が…!」


 気づいた狛が視線を向けると、京介の隣に立っているナツ婆が神妙な面持ちで頷いている。やはり、余裕があるとは言えない状況のようだ。猫田も操られていた時の記憶はあるようで、京介を心配そうに見つめている。ここで残る敵は、操られた神野と黒萩こはぎのみだ、一刻も早く二人を倒して、脱出する必要があるだろう。

 だが、その時狛と猫田のすぐ傍に朧が吹き飛ばされてきた。


「朧くん!?」


「ぐっ…!狛、すまない。俺の力ではあいつを倒しきるのは難しい……」


 よく見ると、朧の毛皮はあちこちが血塗れになっていた。慌てて狛が自分達の傍まで引き寄せると、また少し離れた場所で、神野が唸り声を上げている。


「ウオオオオオッ!!殺ス!全員、殺スッ!!」


「神野の野郎…!本気を出しやがったのか」


 猫田は咆える神野を視界に捉え、その異様に険しい表情をみせていた。どうやら山本さんもと同様、追い詰められた神野は本領を発揮したらしい。山本さんもとと違うのは、神野の方がその本性はより攻撃的であり殺意に満ち溢れていることだろう。例え操られていても、山本さんもとはある程度理知的で、全てを破壊しようとは思っていなかったように見える。対して神野は、明らかに全方位に向けて殺気を放っている。はっきり言って、黒萩こはぎの指示に従うかも怪しい所だ。


「な、なんだアイツは……他の奴とは何か違うぞ!?」


「…神野の奴、ほとんど暴走してやがるぜ。早いとこ取り押さえて止めねーと、洒落にならねーぞ」


 この場で神野を取り押さえられそうなのは猫田と山本さんもとなのだが、猫田は霊力が尽きている状態で、山本さんもとも京介の大魔法を受けてボロボロだ。どちらも戦える状態ではない。このままではすぐにこちらに気付いて攻撃を仕掛けてくるだろう。あまりにも危険である。


 狛はルルドゥを頭から降ろして、座り込む猫田に手渡した。そして、自分は神野に向かってゆっくりと近づいていく。


「お、おい!狛、どうするつもりだ!?」


「ルルドゥ!猫田さんと朧くんを守ってあげて!二人共その状態じゃ、戦いに巻き込まれたら危ないから!神野さん…は、私が何とかするよ!」


「む、無茶だ!止せ、狛!アイツはあれでも魔王なんだぞ!?お前一人で戦える相手じゃ……くっ!?」


 猫田の言葉を遮るように、神野が強烈な妖気を放ってきた。どうやら、狛が自分に向かってくることに気付いたらしい。新たな獲物を得たと狂喜に満ちた破顔をし、舌なめずりをして狛が近づいてくるのを待っている。神野は間違いなく、恐るべき強敵だ。だが、相手が魔王というだけなら、狛は図らずも一度戦った事がある。


「イツ、お願い。力を貸して……皆を守る為に!」


 自分の中に宿り、同一化しているイツに狛は優しく呟いた。すると、狛の中にいたイツがそれに同調し、を再現するかのように爆発的な霊力が溢れ出す。そして、九十九つづらは羽衣状の領巾ひれとなり、狛の両手両足は、霊力で出来た毛皮のグローブとブーツに変わる。蒼銀に輝く耳と尾はより力強く立って、狛の覚醒を表現しているようだ。


「な、あれは…?」


「狛……!」


 離れた場所で戦っていた黒萩こはぎと佐那も、一瞬手を止めてその光景に目を奪われている。二人だけではない、ナツ婆も同じだ。狛のそれは犬神家の到達点であり、開祖以来…或いは開祖でさえ成し得なかった犬神との完全同調である。それが袂を分かったものだとしても、犬神家に連なるものであれば注目せずにはいられないだろう。

 以前、サハルとの戦いの中で狛が相手をした古代の魔王ザッハーク……その魔王の力すら圧倒したイツと狛の完全同調が、再びここで発揮されようとしていた。


「あれが、前に狛の言っていた力か……とんでもねー霊力だ。あれだけで宗吾さんを超えてやがる」


「…当然だ。あれは元々、人間の持ちうる力ではないからな」


 猫田の呟きに、朧が答えた。まさか返事があると思っていなかった猫田は驚いて、朧の方へ向き直って改めて問い質す。


「どういうことだ?お前、何を知ってる?…そもそもお前は何者なんだ、いい加減吐いてもらうぜ」


「……後でまとめて話すつもりだったが…俺はある神から、狛を助けるよう命ぜられた。神からその力の一部を授かってな…」


「神ぃ?!お前はどこかの神の眷属だったのか。我も神だぞ、こいつらあんまり神を敬わないから気をつけろ!」


ルルドゥお前は黙ってろ、話の腰を折るな。…で、その神ってのは?」


 猫田に口を抑えられて、ルルドゥはモゴモゴと抗議している。図らずもルルドゥの言う、猫田達が神を敬わないという実例を見ているようだが、朧は余所の神の事など気にしないらしい。ルルドゥを一瞥した後、猫田との話に戻った。


「……大口真神おおくちのまかみだ。詳しくは聞かされていないが、どうやら犬神家と大口真神には浅からぬ縁があるらしい。俺は幼い頃、山で不慮の事故に遭い、命を落としかけた。そこを大口真神に救われたんだ。以来、俺は真神の使徒として生きてきた。…いつか、犬神狛という少女を助ける役目を果たせと、そう言われて育ってきたんだ」


「大口真神……聞いた事はあるが、そんなヤツがどうして狛に…」


 大口真神とは、ニホンオオカミを神格化した存在で、巨大な狼の姿をした神である。古来より日本では、狼は田畑を荒す害獣を狩る聖獣として扱われてきた。農耕が主体であったこの国では、そうした人の営みを守る性質から人に寄り添う神とされており、人語を解し、人間の性質を見分けて善なるものを守護して悪を誅する神としても日本各地で祀られている。また神格化された際には、厄災や火難、盗難からも人々を守るご利益があるともされているようだ。


「理由は俺にも解らん。ただ、大口真神はずいぶん前から狛の存在を知っているようだった。それこそ、狛が生まれる前から知っていたような口振りだったと思う…」


「予知か?確かに、神の連中なら知ってても不思議じゃねぇな」


 日本には八百万の神々と呼ばれるほど、無数の神が存在するが、彼らにはいくつかの格がある。所謂、神話に登場する主神クラスの高位神から、信者の少ない末端の神……道祖神や土地神、またはルルドゥのような生まれたての神など様々だ。そして、高位になればなるほどその力は絶大なものになる。大口真神は日本において上位に位置する神なので、猫田の言うように、未来予知程度ならお茶の子さいさいと言った所だろう。


 一体どんな未来を予知して、大口真神は狛を助けようとしているのだろうか?猫田は更なる謎の存在に頭を悩ませつつ、狛と神野の戦いを見守るのだった。

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