「お、お前は…?」
黒い狼は京介と狛を見据えると、やがて人の姿へと変化した。精悍な顔つきは相変わらずだが、その表情はかなり辛そうだ。そのままゆっくりと手を伸ばして、狛の頬を撫でた。
「狛……遅れてすまない」
それはまるで恋人の寝顔を見守るような優しい顔である。京介は思わず息を呑み、その男の全身を注意深く見つめていた。
(人狼の男…ということは、犬神家の関係者か?しかし、この気配……神気に近いものを纏っているような…それでいて酷くあやふやな気配がする。一体、何者なんだ?)
京介はその見た目通り、かつてはカトリックの聖職者として活動していたこともある男だ。その為か、洋の東西は違えど神の気配というものには敏感である。狛や猫田は気付いておらず、それに気付いているのは今のところルルドゥだけだったのだが、京介もまた確かにその男から神気と思しき神の力が感じられた。ただ、彼自身が神というわけではなく、その眷属か、神使のようなものという方が正しいということも。
自身に向けられている京介の視線は気にせず、男はただ狛の顔だけを見つめている。そして、頬を撫でられた狛が静かに目を覚ました。
「…あ……」
「狛、心配要らない、その怪我はすぐに治る。そうだな?」
「あ、ああ……もうすぐだ」
人狼の男が突然京介に問いかけてきたので、京介は少し焦ってしまった。今の今まで、京介の事は全くいないものとして扱ってきていたからだ。実際、彼の言う通り狛の怪我はもう治り切る直前である。だが、それを許すまいと神野が襲い掛かる。
「ま、待てっ…く、頭が……!」
神野の動きを読んでいた神奈だが、既に限界が近く、猫田と
凄まじい速さで一気に近づいてきた神野に、人狼の男は再び黒い狼の姿となって立ち向かうつもりのようだ。男が変化した狼の姿はかなり大きく、たくましい。猫田が大型の猫化した時よりは小さいが、通常の虎やライオンくらいの大きさはあるだろう。そして、その大きな全身を覆うように霊気で半透明の鎧を作って身に纏っている。形こそレディの
「ウウゥッ…ウオオオオオーーーンッ!!」
狼となった男が、全身を震わせるようにして大きな遠吠えを響かせた。それはイツやアスラがやってみせる退魔の遠吠えと同じ技だ。ただし、込められた霊力とそこに混じった神気の力で、非常に強力な効果を生み出している。間近でそれを聞いた神野だけでなく、少し離れて神奈と戦っている猫田と
特に至近距離で遠吠えを浴びた神野は、身体が麻痺したように動きを止めていた。千載一遇のチャンスとばかりに、黒い狼の男はその大きな前足で神野を思いきり殴りつける。壁に吹き飛ばされただけでなく、軽くめり込むほどの威力があったようだが、それでも神野はまだ正気には戻らない。
「ちっ…流石は魔王というわけか。殺すわけにはいかないのがな」
男は舌打ちをして、未だ殺意の籠った視線を向けて来る神野の前に立ち塞がった。正直な所、男が神野を殺すつもりであったなら、先程の岩を粉々に噛み砕いた巨大な
「あ、京介さん…あの人、は……?」
「突然現れたんだ。俺達を助けてくれたし、狛ちゃんの事を気にかけているようだけど、知り合いかい?」
「知り合いって言うか……何て言えばいいのかな…?何度か助けてくれて……あ!」
段々と意識がはっきりしてきたせいか、彼についての色々な事が思い出されてきた。そして、あの時のキスを思い出して爆発したように顔が赤くなる。狛の人生でキスをした二人が今ここにいて、うち一人の腕の中に抱かれているのに、もう一人にはそのまま頬を優しく撫でられていた気がする。
(な、なんか私、物凄くイケナイことしてるみたいじゃない!?)
「急に顔が赤くなったけど…大丈夫かな?怪我は治ってると思うんだが……」
「あ…!いや、えっと、だ!大丈夫!です!」
狛は浮気がバレたような、酷く後ろめたい気分になっていた。別に京介と正式に付き合っているわけではないし、当然、あの黒い人狼の男ともそう言う関係ではない。だが、狛は何となくあのキス以来、彼が気になっている自分もいる。狛の名誉の為に言っておくと、これは移ろいやすい乙女心というよりも、男性経験が無さすぎる故の優柔不断と言うべきところだろう。男女は逆だが、モテない男子がちょっと女子に触れられると気になってしまうようなものである。
「お、おい!狛、無事なのか!?なら、早くあの神奈という奴を助けてやってくれぇ!」
「え、あ!神奈ちゃん!?」
そこで、ようやく狛は今の状況を正しく理解することが出来た。自分が倒れている間、京介が治療をして、神奈が一人で猫田達三人と戦っていてくれたのだ。どうやら黒い人狼の男は後から駆けつけてくれたのだろう。そうと解れば狛のやるべき事は一つである。神奈を助け、一刻も早く、猫田や
「えっと、あなた!そっちは任せてもいい?!」
実の所、黒い人狼の男の名前すら、狛は知らない。知りたくてもいつも突然現れては、すぐにどこかへ消えてしまうせいなのだが。だが、今回は様子が違っていて、男は静かに、しかしよく通る声を放つ。
「……
「え?」
「俺の名は朧という……任せてくれ。必ず、役目は果たす」
背を向けて神野と睨み合ったまま、人狼の男――朧が答えた。その身体から漲る力は、確かに神野が相手でも渡り合えるような力強さを感じさせるものだ。どうやら、今回はいつもと違って、すぐにどこかへ消えてしまうと言う事も無いらしい。狛は頼もしささえ覚えて、その背に声を投げた。
「じゃあ、お願い!…それと、後でちゃんと話を聞かせてね!?」
「……」
最後の狛の願いには返事が無かったが、どことなく逃げないという意志は感じ取れた。どちらにしても、この場を切り抜けなくては始まらないのだ。狛は京介と顔を見合わせ、二人並んで一気に走り出す。すぐに京介が神奈の元へ行って身体の様子を診ると、狛は猫田と
「猫田さん!
仁王立ちして睨みを利かせる狛の迫力は凄まじい。猫田にはまさかの事態で不意を打たれてしまったが、戦わねば二人を取り戻せないのならば全力で戦うまでである。狛は今までで一番の集中力を持って、己の霊力を高め全開にしていった。
「狛が……?まぁいいわ。どの道、あの三体に勝てるはずがないのだから」
「その割には焦っているようだけど?
一方、
その上、佐那は当主である拍と恋人兼パートナー関係にあり、