誰も、すぐには動くことが出来なかった。時間にすれば数秒にも満たない時間の空白だったが、まさしく永劫の時が流れたような錯覚に陥るほどに、全員が虚を衝かれた形だ。
「おおおおおっ!!」
その中で、最初に動いたのは京介である。気合と共に刀を構え、猫田を両断する勢いで斬りかかった。猫田は即座に反応し、素早くその一閃を跳んで避けると、瞬く間に
「あら、あなた達お友達じゃなかったの?ずいぶんと容赦ないのね」
「こ、狛が……猫田さん、どうして…?」
信じられないと言った表情で猫田を見つめ、呟いたのは神奈である。神奈は狛と猫田の繋がりの深さをよく知っている。だからこそ、信じられない思いで一杯なのだ。その言葉に答えるように、京介は苦々しい物言いで答える。
「この状況を、考えなかったわけじゃない…敵が妖怪を操る術を持っていると聞いた時点で、こうなる可能性は予測できた。だが、出来るだけそんな事にはならないと思っていた、いや、思いたかったよ。猫田さん、あんたが狛ちゃんを傷つけるなんて……きっと誰より、辛いのはあんだろうから」
その京介の言葉は偽らざる本心である。京介もまた、宗吾の子孫である狛の事を猫田がどれだけ大切に思っているかをよく理解している。だからこそ、この結果になることだけは、心の底から信じたくなかったのだ。だが、既に最悪の予想は的中し、猫田は今自分達の敵として目の前に立っている。どんなに否定したくとも変えられない現実が、そこに確かに存在していた。
「それにしても、本当にあなた達には邪魔をされたわね。このタイミングでレディと八雲を失うことになるなんて……ある程度計画の見直しも必要かしら。人手が足りないという意味でね」
にべもない物言いで、
パチンと指を鳴らすと、
「お、お爺…ちゃん……?」
現れたのは神野と
「ふふ、レディ達を失ってもこの二体と猫田が手に入ったのだから、戦力的には不足はないわね。あなた達は散々邪魔をしてくれたとはいえ、この結果だけを見ればむしろ悪くはなかったわ」
そしてこの状況は、狛達にとって最悪を超えた絶望そのものといった状況であった。狛の傷は致命傷ではないが、重傷であることに変わりはなく、すぐには戦えそうにない。必然的に、治療の手を止められない京介は戦う事が出来ないのだ。正直に言って、まともに前衛として戦えるのは神奈だけである、余りにも厳しすぎる戦況に、皆動揺を隠せないようだった。
「ど、どうしよう…お爺ちゃんと、あの神野を相手にしてか、勝てるわけないよ……!?」
特に神野と
「さぁ、もう十分絶望に浸れたでしょう、そろそろ終わりにしてあげるわ。…これから槐様が作り出すこの国の新しい形に、あなた達の居場所はないのよ」
「させるかっ!」
小りんから正式に引き継いだ顕明連の神通力と、自身に流れる鬼の血と力、それをフルに解放して戦うつもりだ。レディの怪物達と戦っている間にその両方を使う事をしなかったのは、その力に限りがあるからである。神奈の身に流れる、かつての鬼姫である鈴鹿御前の力は、神野や
だが、今この状況で、神奈は出し惜しみをしていられないと判断していた。相手は名高き魔王の二柱であり、実力的には神奈よりも数段上の妖怪だ。せめて狛が戦える状態になるまでは持たせなければ全滅してしまう。それならば、自分の限界に全てを賭けるしかない。
「
神奈は顕明連がもたらす神通力の三つを、初めて同時に発動させた。神足通で神速の動きや飛行・壁抜けをして猫田達を翻弄し、天耳通でありとあらゆる音を聞き分けて、猫田達の動きの先を行く。そして他心通は文字通り、相手の心の中を読み取る力だ。猫田達の攻撃や反応を予め知る事でその動きを封じようというのである。
「うおおおおおおっ!!」
神奈が上段から顕明連を振るおうとした時、
「ちっ、浅いかっ…!むっ!?」
今度は逆にその隙を突いて、神野が神奈に襲い掛かる。だが、それも神奈は他心通で読み取っており、恐るべき速度を誇る神野の
しかし、神奈はそれが放たれる直前に、神足通で壁抜けをして、それをやり過ごした。そして再び壁の中から飛び出して神野に刃を向ける。完全に神奈が猫田達を手玉に取っている流れだった。
「な、何なの…!?あの子、確か鬼の子孫とかいう……」
それに最も動揺したのは
「こうなったら私も…っ!?」
「そうはさせないわ、貴女の相手は私よ。
「佐那……!」
戦いに参加しようとした
その後、神奈の大立ち回りは数分間続いた。互いに致命傷になるような有効打を与える事が出来ないままだが、神奈は三つの神通力を使用している反動で、激しい頭痛と大量の鼻血を流し始めている。限界が近いのは誰の目にも明らかだ。
「くっ……!狛、まだなのかっ?!」
「もう少しで治療が終わる、耐えてくれ!」
限界ギリギリで粘る神奈だったが、京介の言葉を聞いて更に奮起する。狛が戦闘に復帰できれば、状況はかなり改善されるだろう。骸と音霧を庇うようにして守っているナツ婆はともかく、京介も戦えるようになれば、猫田達の内、誰か一人でも正気に戻せる可能性が高くなる。
その時、業を煮やした神野が激しく咆えた。凄まじい咆哮は降魔宮全体を揺らし、地下だというのに激しい地震をもたらしたのだ。
「なにっ!?う、うわぁっ!!」
神奈は神野が咆えることを他心通で見通していたが、それよりも猫田と
「狛!京介さん!」
「なんだ…!?」
それは、これまでに幾度となく狛を助けた、あの黒い人狼だった。巨大な霊力の顎で岩塊を噛み砕き、そのまま二人を守るようにその傍に立っている。思わぬ救援により、戦局は大きく変わろうとしていた。