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第307話 漆黒の救援

 誰も、すぐには動くことが出来なかった。時間にすれば数秒にも満たない時間の空白だったが、まさしく永劫の時が流れたような錯覚に陥るほどに、全員が虚を衝かれた形だ。


「おおおおおっ!!」


 その中で、最初に動いたのは京介である。気合と共に刀を構え、猫田を両断する勢いで斬りかかった。猫田は即座に反応し、素早くその一閃を跳んで避けると、瞬く間に黒萩こはぎの隣へと移動を終えていた。


「あら、あなた達お友達じゃなかったの?ずいぶんと容赦ないのね」


 黒萩こはぎの挑発するかのような言葉に、京介は黙って反応せず、すぐに刀を置いて足元に倒れていた狛を抱え上げた。よく見れば猫田の爪は深々と狛の腹を抉っていたが、幸いにも人狼化している状態だったので致命傷にはなっていない。京介は心の中でそれに安堵しつつ、回復魔法ヒールでその傷を癒そうと傷口に触れた。


「こ、狛が……猫田さん、どうして…?」


 信じられないと言った表情で猫田を見つめ、呟いたのは神奈である。神奈は狛と猫田の繋がりの深さをよく知っている。だからこそ、信じられない思いで一杯なのだ。その言葉に答えるように、京介は苦々しい物言いで答える。


「この状況を、考えなかったわけじゃない…敵が妖怪を操る術を持っていると聞いた時点で、こうなる可能性は予測できた。だが、出来るだけそんな事にはならないと思っていた、いや、思いたかったよ。猫田さん、あんたが狛ちゃんを傷つけるなんて……きっと誰より、辛いのはあんだろうから」


 その京介の言葉は偽らざる本心である。京介もまた、宗吾の子孫である狛の事を猫田がどれだけ大切に思っているかをよく理解している。だからこそ、この結果になることだけは、心の底から信じたくなかったのだ。だが、既に最悪の予想は的中し、猫田は今自分達の敵として目の前に立っている。どんなに否定したくとも変えられない現実が、そこに確かに存在していた。


「それにしても、本当にあなた達には邪魔をされたわね。このタイミングでレディと八雲を失うことになるなんて……ある程度計画の見直しも必要かしら。人手が足りないという意味でね」


 にべもない物言いで、黒萩こはぎは頭を振っている。あえて人手が、と付け足すからにはと言っているようなものだ。それがどういう意味なのかは、次の瞬間に全員が理解した。


 パチンと指を鳴らすと、黒萩こはぎから一歩下がった所に二人、何者かが姿を見せた。それは人のような姿形をしているが、紛れもなく妖怪である。彼らから立ち上る強力な妖気と気配が、京介達を圧倒していた。


「お、お爺…ちゃん……?」


 現れたのは神野と山本さんもとである。真っ先に気付いた音霧は呟いた後言葉を失ってしまったが、山本さんもと自身は正気でないせいか、全く反応しない。


「ふふ、レディ達を失ってもこの二体と猫田が手に入ったのだから、戦力的には不足はないわね。あなた達は散々邪魔をしてくれたとはいえ、この結果だけを見ればむしろ悪くはなかったわ」


 黒萩こはぎは勝ち誇ったように言葉を囀る。戦力に不足はないというが、それは当たり前だろう。神野と山本さんもとは、言うまでもなくこの国の妖怪達に君臨する実力を持っているのだから。その上猫田もまた、二人に準ずる実力の持ち主である。言うなれば日本妖怪の中でも屈指の実力者達が、揃って槐達の側についた形となっている。戦力に不足などあるはずがない。


 そしてこの状況は、狛達にとって最悪を超えた絶望そのものといった状況であった。狛の傷は致命傷ではないが、重傷であることに変わりはなく、すぐには戦えそうにない。必然的に、治療の手を止められない京介は戦う事が出来ないのだ。正直に言って、まともに前衛として戦えるのは神奈だけである、余りにも厳しすぎる戦況に、皆動揺を隠せないようだった。


「ど、どうしよう…お爺ちゃんと、あの神野を相手にしてか、勝てるわけないよ……!?」


 特に神野と山本さんもとの力をよく知っている音霧は今にも泣きそうになってしまっていた。音霧自身、妖怪としては相当な力を持っている方だが、如何せんまだ歳若く、未熟な子どもである。力の差が歴然と言ってもいい相手を前にして、既に心が折れかけていた。それはほとんど歳の頃が同じの骸も同様だ。


「さぁ、もう十分絶望に浸れたでしょう、そろそろ終わりにしてあげるわ。…これから槐様が作り出すこの国の新しい形に、あなた達の居場所はないのよ」


 黒萩こはぎは右手を軽く上げて、猫田達に合図を出す寸前だ。このまま三人が襲い掛かってくれば、とても太刀打ちできないだろう。そこで、神奈は先手を打って攻勢に出る。


「させるかっ!」


 小りんから正式に引き継いだ顕明連の神通力と、自身に流れる鬼の血と力、それをフルに解放して戦うつもりだ。レディの怪物達と戦っている間にその両方を使う事をしなかったのは、その力に限りがあるからである。神奈の身に流れる、かつての鬼姫である鈴鹿御前の力は、神野や山本さんもとにも引けを取らないものであるが、一方で肉体的には人間である神奈にとっては危険な力でもある。直系の娘である小りんでさえ、その血に全てを委ねれば暴走してしまう危険性があったのだ。小りんの母、鈴鹿御前が顕明連を彼女に継承させたのは、その神通力で鬼の力を制御する目的もあったに違いない。


 だが、今この状況で、神奈は出し惜しみをしていられないと判断していた。相手は名高き魔王の二柱であり、実力的には神奈よりも数段上の妖怪だ。せめて狛が戦える状態になるまでは持たせなければ全滅してしまう。それならば、自分の限界に全てを賭けるしかない。


神足通じんそくつう天耳通てんにつう他心通たしんつう、それらを全開にすれば……っ!」


 神奈は顕明連がもたらす神通力の三つを、初めて同時に発動させた。神足通で神速の動きや飛行・壁抜けをして猫田達を翻弄し、天耳通でありとあらゆる音を聞き分けて、猫田達の動きの先を行く。そして他心通は文字通り、相手の心の中を読み取る力だ。猫田達の攻撃や反応を予め知る事でその動きを封じようというのである。


「うおおおおおおっ!!」


 神奈が上段から顕明連を振るおうとした時、山本さんもとが自身の妖刀黒紅梅くろべにうめで防ごうとする。神奈は他心通でそれを察知して、素早く構えを変えて横薙ぎの一閃に攻撃を変化させた。急激な攻撃の変化に山本さんもとは面食らい、まともに攻撃を食らったように見えたのだが、流石の実力と言うべきか、山本さんもとは刃が届くより一瞬早く後ろへ跳んだ為にその腹の皮一枚を切った程度で終わってしまった。


「ちっ、浅いかっ…!むっ!?」


 今度は逆にその隙を突いて、神野が神奈に襲い掛かる。だが、それも神奈は他心通で読み取っており、恐るべき速度を誇る神野の速撃乱打そくげきらんだも、何とか躱す事ができた。その時、神奈の耳に炎が燃える音が聞こえてきていた。音をする方を見れば、人の姿のままの猫田が、魂炎玉を使って炎のレーザーを放つ所であった。まともに戦っていれば決して避けられない高速のレーザーである。

 しかし、神奈はそれが放たれる直前に、神足通で壁抜けをして、それをやり過ごした。そして再び壁の中から飛び出して神野に刃を向ける。完全に神奈が猫田達を手玉に取っている流れだった。


「な、何なの…!?あの子、確か鬼の子孫とかいう……」


 それに最も動揺したのは黒萩こはぎである。まさか神奈がたった一人で、猫田達三人を相手に立ち回れるなど想像もしていなかったのだろう。ただ、強いて言うならば、神奈の無茶な行動が成立しているのは、猫田達が正気ではなく、本来の力を十全に発揮できていないせいでもあった。狂華種によって操られる妖怪達は、その力を引き出されてパワーアップする事もあるが、自身の意識を封じられて、その力を無駄にしてしまう事がある。猫田達の場合がまさにそれだ。


「こうなったら私も…っ!?」


「そうはさせないわ、貴女の相手は私よ。黒萩こはぎ


「佐那……!」


 戦いに参加しようとした黒萩こはぎの前に立ちはだかったのは、佐那だった。佐那は当初、神奈のサポートに回ろうとしたのだが、その余りの人知を超えた戦いぶりに、無理をして割って入れば邪魔になると判断して様子を窺っていたのである。睨み合う二人には、並々ならぬ因縁の匂いが感じられた。


 その後、神奈の大立ち回りは数分間続いた。互いに致命傷になるような有効打を与える事が出来ないままだが、神奈は三つの神通力を使用している反動で、激しい頭痛と大量の鼻血を流し始めている。限界が近いのは誰の目にも明らかだ。


「くっ……!狛、まだなのかっ?!」


「もう少しで治療が終わる、耐えてくれ!」


 限界ギリギリで粘る神奈だったが、京介の言葉を聞いて更に奮起する。狛が戦闘に復帰できれば、状況はかなり改善されるだろう。骸と音霧を庇うようにして守っているナツ婆はともかく、京介も戦えるようになれば、猫田達の内、誰か一人でも正気に戻せる可能性が高くなる。

 その時、業を煮やした神野が激しく咆えた。凄まじい咆哮は降魔宮全体を揺らし、地下だというのに激しい地震をもたらしたのだ。


「なにっ!?う、うわぁっ!!」


 神奈は神野が咆えることを他心通で見通していたが、それよりも猫田と山本さんもとへの対処を優先してしまっていた。魔王たる神野の咆哮にこれほどの威力があるとは、予想だにしていなかったからだ。ビシビシと何かが崩れる音がした後、狛と京介の頭上から大きな岩塊が降り注いできた。


「狛!京介さん!」


 回復魔法ヒールの途中で転移も出来ない京介は、咄嗟に狛を庇う形でその身体を抱え込む。しかし、岩塊の大きさは明らかに二人共を押し潰すだけの質量がある。このままではもう間に合わないと誰もが思ったその時、京介と狛の影から、漆黒の闇に似た何かが飛び出して、岩塊を粉々に破壊した。


「なんだ…!?」


 それは、これまでに幾度となく狛を助けた、あの黒い人狼だった。巨大な霊力の顎で岩塊を噛み砕き、そのまま二人を守るようにその傍に立っている。思わぬ救援により、戦局は大きく変わろうとしていた。

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