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第305話 八雲とレディ

 少し時間は戻り、京介が八雲と戦い始めた頃…狛とレディの戦いはレディ優勢のまま進んでいた。


「くっ、また!?」


「無駄よ、この死霊達は私がこれまでに殺してきた人間達の魂……その数は百や二百じゃないわ。あなたがいくら攻撃しようと、全て消し飛ばすなんて不可能よ」


 狛が反撃を試みても、その攻撃はレディの身体を守る死霊達が肩代わりしてしまい、レディ本人には届かない。その一方で、レディの攻撃は狛に確実なダメージを与えているのだ。狛に諦めるという選択肢はないが、このままではレディに勝てないということは誰の目にも明らかであった。


(レディちゃんを守っている死霊の鎧を吹き飛ばしても、すぐに補充されちゃって隙がない…どうしたらいいの?!)


 レディの言うとおり、彼女にダメージを通すには鎧のように身にまとっている死霊を打ち払うしか方法は無い。だが、狛の打撃だけでは手が足りないのが実情だ。連打で押し切ることも試してみたが、鎧の再生するスピードの方が速くレディまで辿り着かない。それに加えて当たり前だが、レディからの反撃があるのだ。しかも、狛が攻撃した直後の隙を自由に突けるだけあって反撃のダメージは想像以上に大きい。同じ攻防を繰り返しても、狛が一方的にダメージを受けるだけだろう。


「これだけやられても、まだやる気なのね。いいわ、最後まで付き合ってあげる。私、本当はエンバーミングって好きじゃないのだけれど、アナタは別よ。狛がどんなに傷ついても綺麗にmake upお化粧してあげるわね」


 レディからの決して嬉しくない申し出に、狛はゾワゾワと肌が粟立つような不快感を覚えている。かたやレディは自身の優位を強く認識し、勝利を確信していた。これまで何度も狛と戦い、敗北を喫してきたが勝利はもう目前だ。この場所に狛を助けられる者は他におらず、狛の力は完全に封殺出来ている。


(いよいよだわ、ようやくこの時が来たのね。狛、あなたを私の人形にしてあげる…永遠にね!)


 レディは邪悪さを隠しきれない笑みを浮かべて、狛の全身を眺めている。スラリとした長い手足に美しい肌。狛は一般的に言えば、美少女と言って差し支えないタイプだ。レディに同性愛の趣味はないが、手元に置いておきたいと思える死体は、やはり自身の美的感覚に沿ったものがいい。ルッキズムと言われても、自分が良いと思うものを良いと言って何が悪いのかという、そんな感覚である。その意味でも、レディにとって狛は最高に素晴らしい相手であった。

 ここまでに至る経緯も、立派な思い出になるだろう。レディにとって、死体とは仕事道具であり、飾るべきトロフィーであり、何よりもかけがえのない家族である。どこへも行かず何も余計な事は語らず、ただただずっと自分の傍に居続けてくれる。それがレディにとっての死体なのだ。

 レディは暗殺を請け負う死霊術師ネクロマンサーであると同時に、究極の死体愛好家ネクロフィリアなのである。


「せめて、私がもう一人……あ、そうだ!」


 狛は何か閃いたようで、レディからわずかに距離を取って後ろに離れた。離れたと言ってもほんの僅か数歩の間合いだ、それだけではほとんど意味があるようには見えない。


「何をするつもり…?えっ!?」


 怪訝な表情で狛を見ていたレディが思わず声を上げた。何故なら狛が数歩下がったその場所で、人狼化を解いたからだ。そのまま懐から数枚の霊符を取り出して構えを取ると、今度は狛の身体からイツが飛び出してきた。一体何を考えているのかその意図が読めず、レディは顔をしかめている。


「…狛、どういうつもりかしら?まさか生身で私と戦おうとでも?」


「うん。正直、レディちゃんに対抗する手段は他になさそうだからね」


 レディにとって、その返事は明らかな侮辱である。人狼化して超人的な力を発揮する狛に対抗する為に、レディは必死になって死霊闘術Spirit Artsを編み出したのだ。にもかかわらず、狛が人狼化を解いて対抗するというのは全くのナンセンスだ。舐められていると感じたレディは、憤りを隠さずに狛に向き直った。


「ふざけないで。いくらそのツクモガミが防御してくれると言っても、人狼になったあなたの強靭な肉体が無ければ意味がないわ。見なさい!」


 レディが足元に拳を振るうと、その風圧で床にひび割れが起きていた。死霊闘術Spirit Artsによってパワーを大きく増しているレディの拳には、それだけの威力があるのだ。仮に九十九つづらが防いで守ってくれるにしても、顔面までは覆われていない。これだけの威力を持つパンチを、もしもまともに顔面に受けたら…その時は間違いなく即死のはずだ。


 だが、狛はその威力を目の当たりにしても、決して引かずに相対したままであった。何か狙いがあるのは間違いないが、まさか自分が手加減をするとでも思っているのだろうかとレディは更に怒りを募らせている。


(……舐められているとしか思えないわね、まぁいいわ。狛を殺す事に変わりはないのだし、狛が何をしようとも死霊闘術Spirit Artsを使った私に勝てるはずがないもの)


 それは絶対の自信である。ここまでの攻防で、間違いなくレディは狛の上を行っていると確信した。ならば、何も恐れる事はないはずだ。そんなレディを前にして、狛はふぅっと息を深く吐いて、その霊力をありったけ、イツに流し込んだ。


「イツ、行くよ!一犬剛陣!」


「ゥワォンッ!」


 狛の掛け声と共にイツはみるみる内に狛の腰ほどの高さまで大きくなった。そして全身に霊力を纏わせてレディに突撃する。


「何をしてくるつもりなのかと思えば……そんな犬如きで私に勝てるわけがないでしょう!」


 突進してくるイツ目掛けて、レディは勢いよく拳を振るう。例え狛の霊力で強化されているとしても、死霊の鎧を纏ったその拳を防げるものではない。イツはそれをよく解っているようで、命中する直前に横っ飛びをして派手に避けてみせた。


「速い…!?」


「ウォゥッ!」


 イツのスピードはかなりのもので、レディはそれについて行けず、横合いから激しい爪の一撃を受けた。しかし、イツの自慢の爪でさえ、死霊の鎧に阻まれてレディの身体には届かない。


「フッ…!bluffこけおどしもいい所ね!」


 イツの攻撃もまた意味をなさないと知ったレディは勝ち誇ったように笑って、反撃を試みた。だが、素早いイツの動きを捉えることは出来ず、一進一退の攻防へと続いていく。そして、ヒットアンドアウェイを繰り返すイツとレディの攻防が続いた後、遂にその時が訪れた。


「くっ、いつまでもちょこまかと……ん?何、か、身体が…!?」


 突如として、レディの身体から力が抜けていく。正確に言えば、それはレディの力が抜けているのではなく、その身に宿した死霊達が次々にしていっているのだ。突然の出来事に焦り、困惑したレディが狛の方に視線を向けると、狛はその場に正座を組んで目を瞑り、一心不乱に何かを唱えていたのだった。


「こ、狛…アナタ、何を!?」


「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空度 一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空……」


 それは般若心経という…所謂、念仏である。本来であれば修行を積んだ仏僧が唱えることで、彷徨う魂を浄土へ導く、死者を弔う経文だ。狛の場合、僧としての修行は受けていないが、退魔士としての修練で般若心経は覚えている。更に言えば、狛は大日如来と縁を結んでいる為に、その言葉には大きな力が宿っているのだ。

 レディは死霊という、魂そのものを身体に宿して力に変えている……ならば、その死霊をあの世へ成仏させてしまえばいい、狛はそう考えた。いちいち攻撃して消滅させるよりも、こちらの方が確実である。


「や、止めなさい!…止めて!ああ、ち、力が…抜けて……っ!?」


 普通に戦いながらでは、流石の狛も念仏を唱える余裕はない。その為に、イツを独自に動かせて、レディの注意を自分からイツに向けさせたのだ。


「狛っ!」


 残った力を振り絞り、レディが狛に襲い掛かる。しかし、既に大半の死霊達は成仏するか経文によって力を失くしてしまっていて、もはやレディは生身に近い状態だ。戦う力などそう残ってはいない。


「ウウゥ…ガァゥッ!!」


「っ!?あっ……!」


 次の瞬間、狛を止めようとしたレディの身体を、イツの鋭い爪が切り裂いていた。びしゃりと鮮血がほとばしり、狛の目前でレディが倒れ込む。


「そ、そん…な……!」


 倒れたレディは狛に手を伸ばすも、その手は狛には届かなかった。出血と共に意識が薄れていって、レディの思考は暗い闇の底に沈んでいく。そして、狛が経を唱えるのを止めて倒れ込んだレディに気付いたちょうどその時だ。


「……レディちゃん…!?」


(私、私は…狛と……)


 京介にやられて倒れ込んでいたはずの八雲が突然起き上がり、矢のような速さで飛びだすと、次の瞬間にはレディを抱え上げていた。それは余りにも信じ難い速さだ。その予想外の動きには京介も、レディを倒したイツも虚を突かれたようだった。


「…逃げるぞ、レディ。俺達の負けだ」


「あ、…ああ……」


「待て!八雲っ!」


 京介が声を上げたが、レディを抱えた八雲は振り向くことなく怪物達を隠れ蓑にして紛れ、闇の中へ消えていく。かくして、狛達に敗れた八雲とレディはいずこかへと去って行ったのだった。

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