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第303話 八雲の過去

「俺の道を正すだと?貴様がか?…ハッ!ささえの関係者だかなんだか知らんが、ずいぶんとお節介なことだ。例え俺の進む道が誤りだとしても、その正誤は俺が決めることだ。貴様ごときに土足で踏み入れさせるものか!」


「っ!?」


 京介の頭上から、三発、穿刺霊弾せんしれいだんが発射された。寸での所でそれらを回避したが、間髪入れず更に数発、上下左右から攻撃が放たれる。京介は冷静に一歩後ろへ退き、刀の腹でそれぞれを受けきった。


「ほう、大した業物だな。穿刺霊弾を受け止めて圧し折れんとは…並の刀で出来る芸当ではないぞ」


「この刀は、日本中の廃された神社で御神体として扱われていた金属を集め、それらを核にして鍛え打ち直したものだ。それ故に、刀自体が強力な神性を帯びている。同じように神の力でなければ、折る事も砕くことも、刃毀はこぼれすることもないのさ。それにしても……」


「?」


 京介は刀を下ろして改めて八雲に向き直った。こうしてみると、八雲は旧友である八郎にそっくりである。鷲崎八郎という男は、普段は少々軽薄でとにかく無類の酒好きであったが、一度ひとたび戦いともなれば、凄まじい剣の腕をみせて妖怪共を斬り伏せる頼れる男であった。京介が使う剣技の内、そのいくつかは彼が当時使っていた刀さばきを模したものだ。八郎は元服直後の若干15歳にして、徳川家最後の剣術指南役を任されるほどの侍であり、剣の達人であったのだ。


「お前の曾祖父はよく言っていたよ。刀を持って相対すれば、敵の心が読めるんだとね。……確かにその通りだ、俺はあいつほどの達人じゃないが、今のお前の心は手に取るように解る」


「…何だと?」


 京介の言葉で、更に八雲の眉が上がった。単なる挑発だと思っているようだが、どこかで看破されることを恐れているような、そんな素振りにも見える。


「何が解るというのだ?会ったばかりの貴様に、俺の何が解る!?」


「……お前が戦っているのは、奥さんを蘇らせる為だろう。違うか?」


「なっ?!なぜ、それを…」


 八雲は驚き、明らかに動揺している。彼がこれまでに何度も口にしていた女房という言葉は、かつて亡くした愛妻のことであった。






 鷲崎八雲は、二十年程前にある一人の女性と結婚していた。名をなつめといい、学生時代から付き合っていた相手であったようだ。棗は霊感こそなかったが、八雲が当時から退魔士として働いていた事を知っており、時に傷つき帰ってくる彼を献身的に支えてくれていたのだ。だが、ある時、八雲は仕事で敵対していた反社会勢力の団体から襲撃を受けた。その団体は、元々暴力団の外部団体であり、呪いや悪霊を使って人を殺す霊能者の集団であったようだ。霊能者と言っても、レディほどの強力な術者達ではなく、半端な力を持った者達だったようだが人数だけはそれなりに多かった。その為か、何度叩き潰しても彼らは再び現れたのである。

 そして、ある日悲劇が起きる。


 いつものように、仕事を終えて帰宅した時、普段なら必ず出迎えてくれるはずの妻の姿がどこにもなかった。八雲は家中を探し回ったものの、棗の姿は見当たらない。出かけているのかと思ったが、そんな予定は聞いていないし、時刻は深夜零時を回っており、買い物に行っているとも考えにくい。どうにも胸騒ぎがすると思っていた矢先、件の集団から携帯に連絡が入った。


「もしもし?」


「……鷲崎八雲、だな?」


「ああ、そうだが、貴様は一体誰だ?どうもカタギの人間じゃなさそうだが…」


「へへへ…お前の女房は預かった。返して欲しけりゃ指定した場所に来な」


「なんだと…!?」


 そこで通話は切れ、直後に届いたのは一件のメールである。それには住所のみが記されていて、八雲は逸る気持ちを抑えてその場所に向かった。そこには……


「ここか。使われていない古い工場とはお決まりの場所だな。棗にもしもの事があったら……絶対に許さん」


 八雲が警戒しつつ工場の扉に手をかけてみると、鍵はかかっていなかった。ゆっくりと扉を開けてみても、特に問題はない。どうやら爆弾などで殺そうというわけでもなさそうである。八雲はそのまま慎重に建物の中に入ると、その奥へ向かった。


「暗いな、当然だが明かりはないか。ガス臭もない…俺を罠にかけるつもりじゃないのか?」


 この時、襲撃者の特定が出来ていなかった八雲は、物理的な罠の存在ばかりを警戒していた。八雲は退魔士だが、戦う相手は比較的人間が多かったからだ。それは先述の霊能集団だけでなく、彼らを使う暴力団や怪しい霊的薬物を売買するマフィア達など多岐にわたる。時には個人で人を呪ったりする者達もいたという。

 そんな者達と渡り合っていたことで、八雲は襲撃者について深く考える事が出来なかったらしい。


「ん?床が濡れているな…雨漏りでもしているのか」


 奥へと進む中で嫌に粘度のある水を踏み、その感触に顔を歪ませた。しかし、一刻も早く棗の無事を確認したかった八雲は、それを些細な事と考えて更に奥へと進む。放置された資材を手探りで避けつつ辿り着いたのは、少し開けた場所だった。


「ここは……ああ、棗っ!」


 八雲は壁際に寝かされている棗に慌てて駆け寄った。バシャバシャと水音がするのは先程と同じ水溜まりが周囲に出来ているせいだろう。暗闇に近い空間のなかで、棗にすぐに気づけたのはちょうど壁際にもたれかかっていた棗に、わずかな外の光が当たっていたからだ。

 彼女の姿が目に入った途端、八雲はいてもたってもいられなかった。水溜まりの中には何かがゴロゴロと転がっていて、思わず足を取られそうになる。何かに躓いて転びそうになり、水溜まりに手を突いたが、手が濡れても気にして入る暇は無い。どうにか辿り着いて、棗の身体を揺さぶった時に初めて、彼女の異変に気づいた。


「棗!おい、しっかりしろ!棗……?」


 棗の肌が、余りにも白かった。その肌には血の気が全くない、まさに陶器のような青白さをしている。八雲の知る普段の彼女は、血色のいい艶やかな肌の色をしている。それが、まるで死体のような色合いである。思わずその頬に触れた瞬間、八雲の身体にぞわっとした悪寒が走った。


「な、なんだ…これは……まさか…っ!?」


 八雲の手が触れた棗の頬が、。思わず自分の手を見ると、その手に付着していたのは水ではなく、血液である。咄嗟に振り向き、目を凝らしてみれば、ここまでに出来ていた水溜まりの正体がその目に飛び込んできた。


 これは、だ。水溜まりだと思っていたのは水ではなく、の中を、八雲は走って来たのだ。


 同時に、自分が先程躓いたものが何だったのかも理解する事が出来た。それは棗をの、体のパーツである。彼らはここで、哀れにも肉片となるまで粉々に破壊され、命を落としていたのだ。


「ば、バカな…!?なんなんだこれは……い、一体、誰がこんなことを…」


 その時、八雲の腕の中に抱かれていた棗の瞳がゆっくりと開いていった。怪しく黄金に光る瞳孔が、八雲を捉えて離さない。そして、次なる獲物を見つけたと言わんばかりに、棗の口は三日月に開くと、そこには刃のように鋭く尖った牙が姿を現していた。


「……な、なつ、め…?!お前は、まさか…!」


「カアアアアァァッ!!」


 八雲の首に食らいつこうとした棗の動きに、八雲はほんの一瞬だけ早く気づき、本能的に突き飛ばして距離を取った。棗は勢いよく壁に激突したが、そんな衝撃など全く意に介していない。それどころか、敵意と殺意を剥き出しにした恐ろしい表情で牙を鳴らし、八雲を狙ってくる。


「な、棗!止せ、止めろ!?棗…棗ぇぇぇぇっ!!」


 結局、八雲は棗と戦い、辛くもその身体を抑える事が出来た。後で調べて解ったことだが、誘拐犯達は八雲を誘き寄せた後、棗を暴行していたらしい。暴力を含めた性的な暴行により、棗はいつしか瀕死の重傷を負ってしまったのだ。八雲が来る前に人質が死んでしまっては意味がない。慌てた誘拐犯達は、どこからか取り寄せたある物を瀕死の棗に使用した。


 それは、かつてヨーロッパに名を轟かせた真祖の吸血鬼、カーミラの牙である。抜け落ちたその牙には真祖足る吸血鬼の魔力が宿っていて、それに刺されたものは半吸血鬼へと変貌すると言われた、恐るべき魔の遺物であった。それがどんなに恐ろしいものかも知らず、愚かな誘拐犯達は単なる延命措置代わりに棗に使って、彼女を吸血鬼へと変化させたのだ。そして、力を得て暴走した棗の手により、誘拐犯達は一人残らず惨殺されたのである。






 以来、八雲は愛妻を己が手にかけた罪の意識により、廃人同然の生活を送っていた。そこに現れたのが、槐だ。

 槐は言った、自分に手を貸せば、お前の妻を人として蘇らせる事が出来るかもしれない、と。それを聞いた八雲は、藁にも縋る思いで槐の誘いに乗った。それが恐るべき悪魔の囁きであることを承知の上で…である。こうして、鷲崎八雲は槐達の仲間となって行動することになったのだった。

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