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第301話 ネクロマンサーの本領

 睨み合う狛とレディを、骸とルルドゥが遠巻きに固唾をのんで見守っている。この場にいる狛の仲間達の中で最も戦闘力が低いのは、骸である。ルルドゥはビビリだが、いざとなれば鉄壁の自動防御をこなす神槍があるので戦闘能力は低くない、だからこそ骸の頭の上に乗っているのだ。


 そして個人の戦闘能力で言えば、狛とレディの間には天と地ほどの格段の差がある。そもそも、レディは死霊術師ネクロマンサーであり、彼らの本領は操る死体があってこその術ばかりだ。今のように接近戦となれば、圧倒的という言葉では足りないほど、狛に軍配が上がるだろう。レディ自身は暗殺者としての訓練を受けているが、それは所詮、普通の人間相手の技術だ。数々の戦いを経て成長し、より強力に人狼化出来るようになった狛の力からすれば、そんな技術だけで狛に対抗できるはずがない。

 しかし、レディはこの、と言っても差し支えない位置関係にあっても、全く動じていなかった。それどころか、自信満々と言った表情を崩さない。それが不気味である。


「睨み合って動かない…なんでだ?」


「骸、お前は達人同士の戦いというものを知らないのだな。二人は目に見えない速さで既に戦っているのだ」


「そ、そうなのか?!それが解るなんてお前、スゲェ奴なんだな」


「ふふん、そうだろう!我は神だからな!」


 得意げに鼻を高くしているルルドゥだが、別に狛達の戦いが見えているわけではない。狛の読んでいた漫画の展開を思い出して、ちょっと格好つけてみただけである。


「どうしたの?狛。早く攻撃していらっしゃいな、何をそんなに警戒しているの?」


「……攻撃してねぇってさ」


「…………そう言う事もある」


 骸とルルドゥの小漫才は狛達には届いていないが、実際、レディの言う通り狛は微動だにしていない。というよりも、警戒して動かないというのが本音だろう。狛の持つ超人的な直感が迂闊な攻撃をするべきではないと強く警告していたからだ。

 それでも、睨み合っていても始まらないと判断したのか、狛は素早い動きでレディに先制攻撃を仕掛けた。強力な右の拳で、ルルドゥの言っていたように、常人の目に見えない程の速さで正拳を繰り出す。


「あっ!?」


 しかし、それはいとも容易く防がれてしまった。曲がりなりにも鬼である骸にさえ、いつ狛が拳を放ったのか見る事も出来なかったというのに、レディはその一撃を平然と左手で受け止めて笑っている。それは見た目以上に、あり得ないことであった。


「ふふっ、いきなり顔を狙ってくるなんて、ちゃんと本気みたいね」


「レディちゃん、あなた……!?」


 レディの身体能力をある程度把握している狛には、それがどんなに異常なことなのかが解っていた。狛の拳はその速さもさることながら、威力も並ではない。何気ない一撃に見えても、生身の人間なら防いだ手の骨が砕けているだろう。それを、それも全く苦も無く笑みを浮かべるほどに余裕でだ。

 しかも、恐るべきことに、握り込んだ狛の右手をレディは力任せに握り潰そうとしている。今までのレディからは到底考えられないパワーだった。


「くっ!?」


 狛は咄嗟に右手に霊力を込めて、拳を掴むレディの手へ流し込んで、逆に彼女の手を打ち壊そうとした。その動きに反応してレディは手を放し、狛は一歩後ろへ跳び退る。


「フフフ…どうしたの?狛」


「レディちゃん…その力は……」


 その時、狛の目にははっきりとその正体が見て取れた。、夥しいほど大量の死霊達が溢れ出している。それはおぞましき死の力だ、神であるルルドゥは遠巻きに見ているだけでその波動に中てられて、骸の頭の上で泡を吹いて意識を失ってしまった。


「驚いた?これが私の新しい力――死霊闘術Spirit Artsよ」


「スピリット、アーツ…?」


 聞き慣れない単語に狛が思わず聞き返すと、レディは満足したように微笑んでいた。


「Yeah.そうよ。考えてみれば簡単な事だったわ。いい?これは元々、狛、あなたの力をヒントにして生み出した力よ。あなたはイヌガミという動物霊を身体に飼っていて、それを自分自身と同調させて、霊力の相乗効果を発揮しているのでしょう?それが魂によるものなら、死霊術師ネクロマンサーである私にだって同じ事が出来るはず……そう思ったの。そうしたら見事にハマったわ…ほら、見なさい、この力を!」


 レディの身体から無数の死霊達が顔を出し、それは全身を覆って半透明な鎧のような物を形成していった。それと共に、レディの霊力が高まって膨れ上がっていく。それらはただの死者の魂ではない。強い怨念と憎悪、そして悪意に満ち満ちた亡者達の悲痛な叫びそのものである。常人ならば、生者を呪う死霊の嘆きを間近で浴びるだけで、精神を破壊されてしまうだろう。しかし、死霊術師ネクロマンサーであるレディは、それを物ともしない。むしろ、高尚で美しいピアノ協奏曲でも聞きほれているかのような態度だ。


「くっ…なんてパワーなの!?」


 狛は一瞬だが、気圧されそうになるほどの力を感じていた。レディから発せられた力の余波で、降魔宮そのものが揺れている。狛と似たような戦闘形態ではあるが、中身は全くの別物だ。そして、その一瞬の隙を突いて、レディが凄まじい速さで狛へ肉薄する。


「はっ…!?うぐっ!」


「フフフ、棒立ちしてる場合じゃないわよ?」


 あっという間にレディの拳が、狛の腹にめり込んでいた。狛がほんのわずかな隙を見せただけでこれである。明らかに二人の力は同等であるか、もしくはレディが若干、人狼化した狛を上回る力を持っているようだった。更なるレディの追撃を避けるべく、くの字に折れ曲っていた狛は即座に身体を上げて、拳を放った。だが、その時既にレディは離れ、拳の届かない距離にいる。


「は、速い…!」


「ああ、素晴らしいわ。どうしてもっと早く気付かなかったのかしら?これだけの力があれば、私はもっと自由に、何だって出来たはず…!あなたにお礼を言わなきゃね、狛。日本に来て、あなたに出会えて戦って、本当に良かった…お礼にこの力で、あなたを地に伏せさせて殺してあげるわ!」


 ギラリと、レディの目が狛を捉えて妖しく光る。恐るべきことに、鎧と化している死霊達の苦悶に満ちた瞳もまた、狛をしっかりと見つめていた。凶眼の群れによる死の眼光というべきそれは、狛の身体に絡みついて縛り上げるような、怪しい力を持っている。狛は瞬間的に体が硬直する感覚を覚えたが、全身に霊力のガードを作ってそれを破断した。だが、再びその刹那を狙って、レディが強襲を開始する。


「ハッ!」


「っ!」


 レディの大きく振りかぶった右拳を、狛は左足を基点に身体をずらして回避した。そしてそのまま一回転して、右足による後ろ回し蹴りで反撃する。パンチが空振りし、態勢を崩したレディの頭部に、狛の蹴りは勢いよくヒットした。だが、レディの身体を守っている死霊がその威力を肩代わりして消滅しただけで、レディ本人にダメージはない。


「くっ!?」


「凄いわ、狛。そんな動きも出来るのね。格闘術の身のこなしなら、あなたの方が上かしらね。……けれど、私にはこの鉄壁の死霊の鎧がある。何よりパワーやスピードなら互角以上…その戦闘センスだけで、私を倒しきれるかしら?」


 蹴りを放った体勢から、狛は間髪入れずに巧みなステップを使ってその場で跳び、空中で身体を捻る様にして再び蹴りを放った…言うなれば、変形の旋風脚である。本来であれば、レディはその動きについてこられるはずもないが、ガードくらいは出来たようだ。左腕を顔の横に上げて狛の蹴りを受けた。今度は左腕の死霊の鎧が消し飛んだが、やはりレディにダメージは与えられていない。


「なっ…!?」


「言ったでしょう?格闘センスだけで私に勝てると思っているの?」


 今度はレディの拳が狛の顔面を狙った。体勢が崩れたままなので、ジャブ程度の軽いパンチだが、空中にいる狛は躱す事ができない。しかも厄介な事に、レディの身体は全身が半透明な死霊の鎧でわずかに大きくなっている。それはサイズにして数センチの差だが、逆に体の実像が見えている分、狛の目に錯覚をもたらしていた。本来なら届いていないはずの位置でも、その鎧の分だけ当たるのだ。


「うぁっ!」


「フフフ、可愛い鼻血ね」


 狛は着地して、素早く数歩分距離を取ったが、今の一撃は予想外に効いていた。例えばグローブを付けたボクサーのジャブは、人の脳を大きく揺らすという。それと似たような形で、狛はそれなりのダメージを負ってしまったのだ。その為、鼻血などを気にしている余裕はなく、レディの次の攻撃に備えねばならない。

 始まったばかりの勝負は、予想に反してレディ優勢のまま進んでいるようだった。

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