キッとレディを睨む狛の目つきは鋭く、今までのように友人を見ている時のそれではなかった。その瞳の奥と胸の内には激しい怒りが渦巻いていて、怒りの炎が目に見えるようだ。その凄まじい威迫に、戦いが始まって音霧の腕の中から飛び降りていたルルドゥは、恐る恐る狛の様子を窺っている。
「こ、狛……?」
当然だが、ルルドゥは狛がここまで怒りを見せた所を見た事がない。先日、猫田と喧嘩をしていた時のように、機嫌が悪くなっているのを見た事がある程度だ。もしかすると、怒りに飲み込まれてしまって、元の狛ではなくなってしまったのでは?と心配になっている。
それは音霧も同じだったようで、あんなに優しげだった狛が豹変してしまったことに気を取られ、一匹だけ、怪物を打ち漏らしてしまった。
「あ、し…しまった!」
「え?う、うわぁぁっ!?」
音霧達の防衛線を潜り抜けた怪物は、しゃがみ込んで泣いているナツ婆とその隣に立つ骸を狙って、一直線に飛び掛かっていった。京介や神奈には、それを止めるだけの余裕がない。もうダメだ、と骸が叫び声を上げた瞬間、怪物は吹き飛んで、その代わりに骸達を庇うようにして立つ狛の姿がそこにあった。
「え…?え、いつの間に…?」
「ふうぅぅぅ…!はぁっ!」
「おお!?狛、あれはいつもの狛だ!いや、いつも以上、か…!?」
ルルドゥが一人歓喜に湧く中、狛は息吹を吐いて気合を入れると、まっしぐらに押し寄せる怪物達へ駆け出していった。自身の霊力を基にして蒼銀に輝く尾と耳の光が、鮮やかな二つの線のような残像を残しながら走り音霧と佐那の前にいた怪物達の目の前へと移動する。そして、狛は思いきり怪物を殴り飛ばした。
「な、なに!?」
「これは…?!」
音霧と佐那には、まるで怪物が突然吹き飛んだようにしか感じられなかった。それが狛の攻撃によるものだと気付いたのは、狛が2体目3体目の怪物を蹴散らしてからである。そのまま狛は、群れを成す怪物達の中へ飛び込んで行き、次々に怪物を打ち倒していく。大きな紙に鋏を入れていくようにして、狛が突撃した敵の群れには穴が開いている。京介と神奈は刀で斬っているので必殺の威力があるのは解るが、拳と蹴りで戦う狛がどうして一撃で怪物を消滅させているのか、その眼で見ていても理解が追い付かない。
簡単に言えば、狛はその膨大な霊力を攻撃の瞬間に敵へ流し込み、先程ハル爺のゾンビを消滅させたのと同じことをしているだけだ。レディは死体を操る事が出来るので、例え百の破片まで粉々にした所で、復活させる事が出来るかもしれない。だが、狛がやっているように霊力を流し込んで体そのものを消滅させられてしまっては、復活など出来るはずがないということである。ただ、これは凄まじく霊力を消費するはずの戦い方だ。常人ならばあっという間に霊力が尽きてガス欠になってしまうだろうが、狛は何十体の怪物を蹴散らしても、一向に衰える気配がない、その様子が衝撃的であった。
「これが、人狼化した狛の実力……」
佐那は狛が人狼になって戦う所を目の当たりにするのは初めてである。廃病院での試練の際、猫田に出会ってアドバイスを受け、意識を失っていた自分を救う為に人狼化したと聞いてはいるが、これほどの力を持っているとは思いもよらなかったようだ。ゾクゾクと身体の内から震えが来るのは、自身に流れる犬神家の血によるものか。もしかすると、佐那も人狼化出来る素質が僅かにでもあるのかもしれない。とはいえ、犬神に選ばれていない以上、それを証明することは出来ないのだが。
そしてまた、狛の力を感じ取ったナツ婆も、その心に火が点きつつあった。幼い頃からずっと一緒で、戦いも日常も全てを共有してきたハル爺との別れ…それは確かに悲しいことだが、涙を拭って心を落ち着けてみれば、自分のすぐ傍にハル爺の魂が寄り添ってくれていると感じる事ができる。
(そうだ…儂に狛を助けろと、お
ハル爺を失い心にぽっかりと穴が開いたようで、数日前まで抜け殻のようだったナツ婆は、夢を見ていた。薄暗い地の底で、見た事もなく強力な妖怪や怪物達と戦う狛の姿…そしてその先に居る息子、槐。二人は全力でぶつかり合い、最後に狛が無惨な敗北を喫する夢だったのだが、そこにハル爺が現れて、ナツ婆に頭を下げたのだ。
――狛はこれから先、最も厳しい戦いに身を置くことになる。場合によっては今見たような結果になることもあるじゃろう。なぁ…ナツよ、狛を助けてやってくれんか?もう儂ではあの子に何もしてやれん。頼む、儂らの大事な、大事な孫を、助けてやってくれ。
(全く、自分のことよりも孫が大事か。……そうじゃな、儂も一緒じゃ。大切な孫を放って泣き喚いて、何が猟犬か!)
すると、ナツ婆の身体から強い霊力が立ち昇り、横にいた骸が驚いて思わず後退る。降魔宮に来て最初に怪物達を蹴散らした時よりもナツ婆の霊力は強くはっきりと感じられる。そしてすっくとその場に立って、錫杖を立たせて怪物達の方へ向き直った。
「狛、後は任せいっ!お前ぇは首魁をやれっ!」
「…ナツ婆?うん、解ったっ!」
狛はナツ婆の言葉に素早く反応すると、反転してレディに向かって疾走した。もちろん、その際に手近な怪物を数体、尾で蹴散らしておくのも忘れない。入れ替わりにナツ婆が音霧と佐那の間に立って檄を飛ばした。
「音霧っつったな?お前ぇが壁になれ、そんで佐那が補佐してやれ。…あとは儂が蹴散らす」
「…ええ」
「わ、わかったっ!」
ナツ婆の指示通り、三人は矢のような陣形を組む。狛の力に勇気を与えられた佐那は、いつも通りの力を発揮できるようになったようだ。一歩引いて極めて冷静に状況を見極め、音霧を完璧にカバーしている。音霧も戦いやすくなったようで、より自分の力を上手に扱えるようになっていた。
(見とれ、ハル。お前ぇの分まで、儂が狛達を助けてやっから…!)
「…臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!
錫杖に蓄えられた霊力が光の槍となり、怪物の頭上に降り注ぐ…霊光槍弾は最初に怪物達を消し飛ばした、光の槍によるミサイルだ。それらは一気に爆発をして三人の前方から来る大量の怪物達を消し飛ばした。
「やるなぁ、婆ちゃん!人間なのにスゴイぞっ!」
「ふん!儂は60年間、犬神家の退魔士一筋よ。この程度の敵なぞ造作もねぇわ。…どんどん行くぞ!」
すっかり心を許したのか、音霧はずいぶん懐いた様子でナツ婆を褒め称えている。退魔士のナツ婆が、妖怪である音霧に懐かれるのはいかがなものかと、佐那は苦笑しているが、悪くは思っていないようだ。それはナツ婆自身も同じである。
「これなら、行ける!」
そして、京介と神奈はナツ婆の参戦により、カバーしなければならない範囲が減ってかなりの余裕が見えてきた。この数と敵の質、更に音霧の話から推察するに、この怪物どもが現在の槐軍の主力だ。言い換えれば、この集団を何とかすれば、槐は戦力の大半を失って瓦解するだろう。ここが正念場だ。
そうして遂に、レディの前に狛が立った。狛の怒りはまだ収まっていないがその瞳には先程とはまた別の強い意思が感じられる。
「
「あら…また
二人の間に緊張感が膨れ上がっていく…火花散る戦いの幕はこうして切って落とされた。