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第296話 崩れる一穴

「さて、それじゃ骸。一つ聞いておきたいんだが、降魔宮に行く手段は何がある?連れて行かれる方法はなんだい?」


 骸の身体を拘束していたロープを消して、京介が尋ねた。実の所、京介が骸を連れて行く事を薦めたのはこれが理由だった。骸は子どもとはいえ、この拠点に住んでいるリアルな住人である。内部の情報に関して言えば、確実にこの場の誰よりも詳しいはずだ。つまり、骸は貴重な情報源なのである。


「え?地下に行くときはエレベータがあるけど…じゃなきゃ階段かな」


「へっ?!エレベータがあるの!?」


「…えれべーたって何?」


 横で聞いていた狛が驚く一方、人間社会に詳しくない音霧はチンプンカンプンのようである。だが、妖怪ならば本来は音霧のような反応が一般的だ。大体、まるで人間のように、たくさんの妖怪が狭いエレベータ内に押し込まれて移動するなんて、あまり想像できない姿だろう。しかし逆に、京介はある程度納得しているようだった。


「今は人の世に潜む妖怪も多いから、文明の利器を使ってもおかしくないが…それにしてもこの施設は設備が整い過ぎているな。一体どれほど前から用意していたんだか……」


「あ、外に出る時は直通の通路があるって聞いた事があるよ。俺は使ったことないけどさ」


「なるほど。それはまぁ、当然と言えば当然かな。しかし、エレベータはまずいな、鉢合わせしたら逃げ場がない。やっぱり階段を使うしかないか…その階段はどこに?」


「案内するよ、こっちだ」


 骸は少嬉しそうに先を歩く、よほどここを出られるかもしれないのが嬉しいらしい。その様子に、神奈は疑問を感じているようである。


「なぁ…骸君。普通は、お父さんとお母さんを助けてくれじゃないのか?一人だけで逃げるなんて、いいのか?」


「そりゃあ、俺だってとーちゃんとかーちゃんが元に戻ったらいいなって思うけど…今までおかしくなっちまったやつは、誰も元に戻ったヤツなんかいねぇんだ。それに……」


「それに?」


 さっきまで嬉しそうだった骸の足取りは急に重くなり俯いてしまった。その横顔には強い悲壮感が漂っている。


「…もしも、とーちゃんとかーちゃんがおかしくなっちまったら、その時は一人でここから逃げろって言われてる。でも、俺はここを出ても行く所なんて無かったから、仕方なくここにいただけなんだ。だから、あんたらと出会えて嬉しかったんだよ……」


「そう、だったのか…すまない」


 事情を知らなかったとはいえ、子ども相手に酷な事を聞いてしまったと神奈は心を痛めて、素直に謝っている。話を聞いていた狛も胸が苦しくなってつい横から口を挟んでしまった。。


「その、狂華種で操られてるだけなら、気絶させるくらいのダメージを受けたら元に戻るはずだけど…」


「えっ?ほ、ホントか!?とーちゃんとかーちゃんを元に戻せるのか?!」


「う、うん。そのはず…」


 そう、狛は何度も狂華種で操られた妖怪から、その影響が抜け出る瞬間を目撃している。人狼の里で天狗達を解放した時もそうだし、鎌鼬を解放した時もそうだった。そして、京介もまた、緋猩との戦いの時にそれを見ている。なので、元に戻せる可能性は十分にあると考えていた。


「後で骸の両親も探す必要があるな」


「とーちゃんとかーちゃんなら、俺達の部屋にいるよ!おかしくなってから出歩かなくなったんで、絶対そこにいるはずだ。やった…!とーちゃんとかーちゃんも助かるんだ!なぁ、音霧、とーちゃんとかーちゃんも一緒に逃げてもいいか?」


「え、ああ、うん。平気だ」


 強がっていても、骸は両親と一緒にいられる可能性が出てきて嬉しいのだろう。その時、すっかり機嫌を取り戻して浮かれている骸を呼び止める声がした。


「おい、鬼のガキ。そこで何してる?」


「えっ!?あ、いや……別に…」


(お、男の人…人間!?)


(いや、かかとが無い。あれは虎人こじんだ)


 虎人こじんとは、人に化ける能力を持った虎の妖怪の事を指す。西洋ではワータイガーとも呼ばれ、人狼と同じくライカンスロープ獣人種に属する妖怪の総称だ。主に中華圏に存在する妖怪で、元々虎が日本に棲息していなかったせいか、ほとんど日本では見かけない妖怪である。どうやら、火鼠と同様に海を渡ってきたらしい。骸に話しかけてきた虎人こじんの男は、人の姿こそしているが、よく見れば瞳は猫の目のように縦長の瞳孔をしていて、虎らしく縞柄の尻尾を揺らしていた。


 通常、虎人こじんが人に化けると、一目見ただけでは気づかないほど完璧に人間に化けるという。ただし、どんなに精巧に化けても踵だけは無いので、そこを見れば確実に見抜けるらしい。ちなみにこの男は拠点の中だからなのか、変化が手抜きである。

 虎人こじんの男は訝し気に骸を見つめ、近づいてきた。根付の効果は虎人こじんにも通用するのか、骸の後ろを歩いている狛達には気付いていないようだ。


「お前、今誰かと喋ってなかったか?」


「え?あ、いや…ひ、独り言だよ…」


「独り言にしちゃ、随分舞い上がってたようだがなぁ。……んん?」


 虎人こじんの男は、すんすんと鼻を鳴らし、骸の後ろに立っていた狛の鼻先に顔を近づけてきた。相手からは見られていないとはいえ、至近距離まで近づかれるとかなりのプレッシャーだ。ライカンスロープ特有の生臭い息が狛の鼻にかかって、特に鼻の利く狛には正直言ってかなりキツイ。しかし、顔を払うわけにもいかないし、男が何かに勘付いていそうなので迂闊な行動を取るわけにもいかない。


「妙だな……どうも人間の匂いがするような…」


「に、人間っ!?そんなの、いるわけねぇよ…あ、槐様の匂いとかじゃ?」


「槐様がこの区画に来るわけないだろう。黒萩こはぎ様の匂いに似ているが…ふーむ、残り香か?だが、それにしては……」


(ど、どういうこと…?この人、私達の匂いに気付いてるの?)


(虎人こじんや人狼のような種族は人に近いせいか、隠形術が効きにくいのかもしれない…まずいな)


 流石に声までは聞こえていないようで、狛達がかすかな小声で会話をしていても気付かれてはいない。しかし、それもあまりに度が過ぎればバレてしまうだろう。狛達に緊張が走る。


「うぅむ。やはり臭うぞ!ここしばらく人間を食っていないせいか、酷く気になる!腹が減ってきたし、こうなったら外へ調達に行ってくるか」


「え?に、人間を、食うの…か?」


「ふっ、バレなければ構わんだろう。…最後に食ったこの国のガキは、程よく肥えていて旨かったなぁ。お前も鬼なら人の味くらい覚えておけ、旨いんだぞぉ?三つか四つくらいのガキは、


 その瞬間、虎人こじんの身体が壁に吹き飛び、鈍く重い音と共に壁に叩きつけられた虎人こじんは床に崩れ落ちた。自分の身に何が起こったのか、全く解らないと言った顔で虎人こじんが見上げると、そこには涙を堪えて怒りに身を震わせる狛の姿があった。


「な、あ……ぎ、ざま、らは……」


 虎人こじんの言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。その前に、京介が喉を突いたからだ。怒っているのは狛だけでなく、妖怪である音霧と骸を除いた全員である。


「……ごめん。我慢出来なくて」


「いいさ。皆気持ちは同じだ」


 妖怪にとって、人は食糧でしかない者達がいるのは知っている。狛は妖怪に友人も多いが、それでも人に仇なすものであれば決して許すことは出来ない。幸い、狛の周囲にそういう妖怪がいない事は、狛にとって救いなのかどうかは複雑な所だが。


「今のおっさん。槐様の組織ここじゃ顔が広いんで有名なヤツなんだ。あのおっさんが居なくなったら、怪しまれるかも…」


「顔役か…仕方ない。急ごう!」


 面倒な事になってしまったが、狛がやらなければ他の誰かがやっていただろう。子どもを手にかけるような輩を許す人間は、ここには一人もいないのだから。狛達は今までよりも更に急いで降魔宮に向かうべく、駆け出すのだった。

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